プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

朝から重い話ですみません(笑)

昔のことなのに、未だに恨んでいること、悔しいことってありますか?
ああすればよかった、こうしていればこうはならなかった、などでもいいです。
または、つらかった記憶など、何度も何度も思い出してしまうことはないでしょうか?



私の場合、小・中学生時代にいじめられたこと、スパルタ塾でなぐられたことを未だによく思い出します。
大人になってもかなりその記憶に苦しめられたこともありますが、最近になってやっと克服することが出来ました。

A 回答 (20件中1~10件)

結婚したこと。

 今でも物凄く恨んでいるし、悔しいし、後悔しています。
旦那には仕事中の事故で・・・となってほしいと、常に願っています。
あー早く私の目の前から消えてほしいです。
デスノートが手元にあったなら、どんなにいいか・・・。
「いい旦那さんじゃない~」とか言う人がいたら、熨斗つけてくれてやりたいです。


私は中学の時、いろいろイジメやらなんやら受けてきましたが、
それらは自分で克服し乗り越えてきたので、今でも思い出すことはあっても
それに対し恨んでいるとか、悔しいという気持ちはありません(人間不信にはなりましたが)。
ただ、自分がそういう経験はしているので、子供が同じことに遭うと怒り爆発です。

子供が小学生の時の、ある日の帰り道。
子供が一緒に下校していた男の子から蹴られ、それを避けたはずみで倒れたら頭を踏まれ
コメカミに大きな傷をつくって泣きながら担任と一緒に下校してきました。
担任の話では相手の子供が一方的に悪く、うちの子供にはなんの非もないとのことでした。
しかし相手の母親は「うちの子はそんなことしない。お宅の子が悪いと担任から聞いている」
というようなことを言ってきて(担任→祖母→母親の、又聞きだったようです)、
相手の父親も「両家と担任とを交え、話し合おう」と双方の家庭で喧嘩腰の態度でしたが、
担任は「そんなことはまったく一言も言っていませんよ」とのことで、
担任から再度直接相手の親へ電話したようで、ハッキリ担任からお宅の子供が悪いと言われたのか、
それっきり "担任を交え話し合おう" ということとかは言ってこなくなりました。
しかし、我が家に来て「申し訳ありませんでした」という謝罪の言葉は一切ありませんでした。
旦那は「男だったら泣くな、我慢しろ」と言いましたが、私はその意見はバッカじゃないの!?って思います。
男だって泣きたい時だってあります。泣くことを我慢することで、心の中にいつまでも
モヤモヤ、不満、ストレス、納得できない怒りなどが発散されずに蓄積されると思うのです。
だから私は子供に、「我慢することはない。泣きたいだけ思いっきり泣いていいから」
と言ったら、子供は大きな声でずっと泣き続け、それまでは無遅刻無欠席だったのに
翌日学校休みたいとまで言って大泣きしていました(結局頑張って、翌日学校行きました)。
しかしその数日後、我が家では七五三の記念撮影をするための予約を入れていたのに
そのコメカミにできた大きな傷がそんな数日で治るはずもなく・・・。
絆創膏を貼り、身体の向きでその傷は極力隠しましたが、それでも見れば、ちらっと絆創膏が・・・。
今でも裁判沙汰にしてでも、慰謝料、迷惑料を請求すればよかったと後悔しています。

そんな子供も中学に進学し・・・。
入った部活には、ヤツがいました。 小学生の時、子供の頭を踏んでコメカミに傷を作ったヤツが。
それを知った瞬間、「ああ、いつかそう遠くない日に、同じようなことあるな」と思いました。
予感は的中しました。
子供が学校から帰ってくるなり、子供が何も言わないうちに学校の先生から電話があり、
その後、同じ部活の生徒からも電話がと・・・私としては話も聞いてないのでなんだ???と。
すると部活内でうちの子供がイジメに遭っていて、それをやっていたのは
問題のヤツと、小学生のとき時々一緒に遊んでいた生徒でした。
それを見た他の生徒が、他の部の顧問に言ったことで問題発覚しました。
今回は部活の顧問と学年主任が自宅に来て直接話を聞いたので、私の気持ちなども直接ぶつけました。
しかしやはり、問題のヤツの両親や子供は謝罪には一切来ません。
もう1人一緒になってイジメていた生徒は、親子そろって謝罪にきてくれました。

そのことは、今でも悔しくて悔しくてしかたありません。
自宅まで来させて、土下座して謝罪してもらいたいし、相手の子供蹴り飛ばして
頭踏みつけて同じような怪我だってさせてやりたいし、相手宅に火を放ってやりたいし、
それこそ、夜道歩いているときには、背後に気をつけろよ。と言いたいくらい恨んでいます。
担任にはこれでもかっていうくらいに言ったので、幸いクラスは別々ですが、
それでも今でも同じ学校、同じ部活にいることは耐えられません。
目の前から。 地球上からその存在が消えて欲しいです。

あぁ、本当にデスノートがあったなら・・・。
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「いじめ」関係は自分もあるのですが、それ以外のエピソードを回答したいと思います。


かれこれ10年以上前になりますが、自分の街のJリーグクラブが、その年の年間優勝を逃した時の話です。

「丁度その優勝決定日の夜の、民放の某スポーツニュース番組に、
 自分の大好きな芸能人の方が番組のテーマ曲を歌ってる縁で生出演される」と聴いて、
その日は二重の意味でテンションがうなぎ上り状態で、文字通りギラギラしっ放しでした。
(※その芸能人の方は声優・歌手が本業で、今思えばTV出演は異例中の異例でした)
そして前述の通り、自分の街のクラブが敗れてしまい、年間優勝も獲得ならじ…。
苦々しい気持ちでその某スポーツニュースを見ていた事を、今もしっかり記憶しています。
加えてその事がキッカケで、その日の対戦相手のクラブの事が死ぬ程嫌いになりました。
(※ヒントは、「Jリーグで最もタイトルを多く獲得しているクラブ」です)
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いまでもぶっ殺してやりたいほどのことがあります。

4年ほどまえに自転車を盗まれました。数十万円したもので非常に大切にしていました。あの時のことはハッキリとおぼえています。
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あると思うけど、思い出せない。


思い出すたびに忘れているので、それでいいかなと。
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同棲していた頃


晩御飯の用意をしていたら、同棲相手の友人が2人来て
3日間何も食べてない、と
うそつけこのやろ ごはん時を狙って来ただろ
と思いつつ、3人分しか用意できなかったので、私は夕飯抜き
3人共黙って食べて、2人は帰りました。
いただきますもごちそうさまも、うまいもまずいも無し。
後で彼氏にまずかったのか聞くと、おいしかった と
じゃあ何か言えよ。
すきっ腹を抱えてむかついた話でした。
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かれこれ10年も前のことです。


自動車部品の金型職人である父親の強引な斡旋で自動車関連の町工場で働く羽目になってしまいました。
当時自分は大学を中退し、巷は就職難ということもあって我慢していたのですが僻地の工場だけにろくに口の利き方も知らない底辺の人種ばかりで毎日ストレスを溜め込んでいました。
肉体的にも精神的にも疲れきっていた真夏のある日、左手に大火傷を負ってしまいとうとう我慢の限界が来てその工場を辞めました。

こまめに病院に通い治療を受けたのですが火傷痕は相当醜くなり元の肌に戻るのは絶望的なことを知ると何ヶ月も悩み苦しみました。

そんなある日の晩、父親が

「オレの斡旋でそんなことになってさぞやオレを恨んでるな」

と目を輝かせてニヤニヤと言い出すのです。

そんな父親に一瞬ものすごい憎悪を抱きました。
でも小さい頃から底辺で育ち学もなく屈折した人生を歩んできた人間だということを知っているので撲殺したいのをその場はなんとかこらえました。

土木作業者(いわゆる土方の人)をバカにしながらも実際はピカピカの小学1年生でも分かりそうなごく当たり前のこと(常識)が分からないどうしようもなくバカな父親。
この件だけではなく幼少の頃から彼には苦労させられているのでこの先彼の老後の面倒を見るのはまっぴらです。
早いことコロっと死んでくれ、と願うばかりです。
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小学校のとき、方をトントンとされ、振り向いたら顔面パンチをくらいました。

私の他にもう一人いじめられていた人がいたのですが、その人の机に唾を吐き「舐めろ」と言い、その人は舐めてゲロ吐きました。そして唾いはいた奴が「きしょいな、お前死ね」。私にも舐めろと言ったが、私は拒否したので、そいつらから殴られました。
プラスチックのバットで良かったのですが、そいつが思いっきり振ったら、私の右目に当たりました。私の目はボンボンに腫れ、今でも左目と右目のバランスが違い、普通にしていても睨んでいるみたいになっています。
そいつが投げた大き目の石が私の首の後ろを直撃。死ぬかと思いました。
女子がキレて男子全員に謝れと言い、私の番になったら女子全員で「嫌ーーー、お前要らんわ、消えろ」
ドッジボールで思いっきり顔面を当てられ、鼻血ブーの状態で泣いていると、「泣いとんなボケ」といわれ、さらにパンチ、蹴りを入れられる。
私の自転車を川に捨てられ、「お前のせいやぞー」とそいつらは逃げていき、私はドロドロになって自転車を引き上げた。

中学時代、レクリエイションという遊びの時間があったのですが、私の番になるといつも「早くやれよー」「みんな当てはまるやろー」などと文句を言われる。
卒業の時、先生宛てに一枚の厚紙に感謝の言葉を書く時にほとんどの奴が「卒業おめでとう」と書いているので、私もそう書いたら女子が「ありきたりやなー」といってきた。
卒業の日、女子が黒板にクラス全員の名前を書いていたが、私の名前だけが忘れられていて、女子が「あ~、忘れとった~、おったんかよ」と言った。五十音順に横一列に書かれていたが、隙間がなかったので、その女子は嫌々名前と名前の間の下に私の名前を書き、私の名前だけ下に出ていてなんかのけ者みたいになっていた。

高校時代、知らない奴が多かったので、1年の2学期まではまあまあよい生活だった。(それでも女子にはあいつムカつくーと陰口が聞こえていた)3学期の席替えで、私を一番嫌っていると思われる女子(bone)が
私の場所を気に入ったらしく、その女子(bone)は他の女子に私と場所を替われと言うように頼み、替われといってきたので、私が拒否したら、女子全員が私を嫌い、机に落書きされたり、スリッパ破られたり、ロッカーをへこまされたり、消しゴム投げられたりして、辛い高校生活が始まりました。私は教室にいられなくなったので、休み時間ごとに図書館に行き、本には興味がなかったので、ポケットに入れてある握力グリップをひたすら握っていました。
選択体育の時、必ず二人一組になる時があったのですが、私はいつも一人残され、偶数でも一組が三人になっていた。私を選択体育に誘ってきた先生も呆れた顔。そしてとどめの一言「あいつ要らんよなー」。
部活で集まっていた時に、上級生の女子が私の背中を触ったので、振り向いたら「気持ち悪ーーー」と言って即座に離れて行き、心に傷でも受けたかのようにプルプル震えながらこっちを見て他の女子と話していた。
今思えば、私が関ってきた女子は皆、私を同じ次元で生きている生物とは違う目で見られてきました。

卒業して前の会社に就職したとき、神棚、神宮物を作っている会社だったので、イメージ的に私は人間関係に少し期待していました。ですが、現実は、血反吐を吐くほど走りまわして仕事をしても、製作時間内(ノルマ)に終わらない。挙句にサービス残業毎日4時間くらいさせられ、月24日出くらいで手取り11万くらい。一緒に入社した、不良っぽいガタイのいい奴はすぐに先輩社員と仲良くなり、そのときは、私より、スピードも力も、私より上だったので、私はいつ捨てても構わない使い捨てのゴミのような扱いをされてきました。

先輩社員と同僚など私以外の社員は製作時間をごまかして書いていた。こいつらもサビ残やっていましたが、製作時間をごまかしているので、サビ残だけで補えたので、ほめられ、私は馬鹿みたいに真面目に製作時間を書いていたので、毎日4時間のサビ残でも間に合わず、休日もサービス出勤し、無駄にがんばっても、社長の言葉は「このままやったら一生クズのままやぞ」。
昼休みも無駄に長く、ほかの社員は群れて話していたが、私だけはのけ者で倉庫裏で懸垂や腕立て伏せ、岩を蹴ったり、鉄筋のH鋼を素手で殴ったり、ハイキックの練習をしたり、土のうを吊るして、サンドバックみたいに殴り続ける毎日。手足や、膝は内出血だらけになっていた。
3年たって転職先が見つかったので、辞めると言うと、人をクズ呼ばわりしておきながら、お前の替えなどいくらでもいるといっておきながら、「裏切るのか」と言ってきた。私は貰うものだけ貰って辞めるつもりだったので、「自分の権利だけ主張して義務を果たさないのか」と言われました。なので、内容証明を送りつけ、強引に退職日を決めました。で退職日前に社長から「お前人間じゃねぇな」とまで言われた。

前の会社にいる時は、知り合いには、車が故障しとるぞと言ってきて、その知り合いの車屋に持って行かされて、合計7万くらい金を取られたり、あれやって、これ調べて、など利用される毎日でした。

これらが私が経験した悔しいことです。私は私と関ってきた人間全てを恨んでいます。今でも何度も何度も思い出してしまいます。

思い出すたびにそいつらの事をイメージしながら前の会社の昼休みにやっていたような筋トレをしています。限界が来るとそいつらをボコボコにするイメージで頭をいっぱいにし、奇声を上げて限界を超えようとし、体を痛めることも度々あります。唾を吐くと血になっていたりします。

ほんと長くなってすいませんでした。
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この回答へのお礼

社会人になってからも。。とはつらいですね。

体を鍛えるよりは、空手や柔道など入門されてはいかがでしょうか。
人柄のいい師匠を見付けて新たな気持ちで習うと、いいかもしれませんよ。
本当に力のある人は、人間も出来ています。
皆に慕われているような人を探してみてはどうでしょう。

お礼日時:2009/05/16 21:07

1番は高校の時に階段から突き落とされた事でしょうか。


次の日にその突き落とした生徒と暴力沙汰になり相手に怪我を負わせたのですが、
私側に怪我らしい怪我がなかったので階段から落とされた、
という事実が信用してもらえず理不尽な事に私だけがこっ酷く叱られました。

そこまで恨んでたり悔しいって事はありませんが、思い返す事はありますね。
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この回答へのお礼

誤解って悔しいですね。

子供の頃「天知る地知る己知る」って言葉を知りましたが、
なかなか納得行かないものですよね。

私は大人になって自分なりに消化の仕方を覚えたりしました。

お礼日時:2009/05/16 21:03

高校時代、私は陸上部に所属していました。


大した成績を出せませんでしたが、本当に走るのが好きでした。
そして高校卒業の記念として、私は地元のハーフマラソン大会に初めて挑戦しました。
このために、私は毎日2時間の走り込みのトレーニングをして・・・そして思いがけないことに、上位に入賞しました。
翌日、何と大会主催の新聞社から取材を受けました(上位入賞者の中で、高校生は私だけだったので、と言われました)。
それから2週間後、新聞の地方版に私の記事が掲載されました。
思ったより大きく載っていて、驚いてしまいましたが・・・でも一生の記念になると思い、その新聞を持ってその日、私は就職のために実家を出て、会社の寮に引越しました。

両親も妹たちも、私の記事を見た職場や近所の方々、学校の先生や同級生に、いろいろ声を掛けられたそうです。
就職して1か月後、私は実家に帰省しましたが、その時2歳下の妹に、こう言われました。
「お姉ちゃんはいいよね。自分は新聞に載るだけ載って、ここを出て行っちゃって。
こっちはさー、しばらく周りから声掛けられて・・・『お姉さんすごいね』とか。もう恥ずかしくてしょうがないよ。
取材受けるのは勝手だけどさ、少しは残された私たちのことも考えたら?」
すると今度は母が「私も買い物行った時とかに、ご近所から声掛けられたよ。もう恥ずかしいったら!あんたはウチの恥だ」。
犯罪起こして家族に迷惑かけたとかならいざしらず、ただ好きなことに挑戦しただけなのに、恥だと言われ・・・悲しくなった私は、実家に泊まるつもりでしたが、すぐに寮に帰りました。
(この妹には先日どうしても許せないことを言われ、こちらで相談させていただきました。妹とも両親とも、現在は距離を置いています)
他人に言われるならともかく、実の家族に言われると本当に辛いですね。
今でもこの新聞はありますが、この言葉が辛くて悔しいので、ずっと見ることなくしまったままにしてあります・・・。
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人間、誰しもそういう思いの一つや二つ抱えているものですよね。


それに負けずに頑張れるか、いつまでも拭いきれなくて苦しむか、では天と地の差です。
私はもう人生長いので(40代)細かなことをあげれば書ききれないくらいの経験がありますが、
あの時こうしていれば…、という事で思うのはやはり若い時点での選択の間違い。つまり高校です。

たいていは親の言いなりになったから人生間違った!というのが常套ですが、うちは逆で、私のやる事に何も反対しない親でした。
田舎育ちで学歴もなく、世間知らずの親でした。
だから、子供には自由な道を歩んで欲しいと、いつも言ってました。
行く高校を選択する段になって、なぜだか大した意味もなく「この高校に行きたい」と自分で決めました。
14歳の子供でしたから、何もわからないまま、決めたんです。
行ってみたら、選択を間違ったということに気がつきました。
私は完全な文系なのに理系進学に力を入れてる学校だった。
そのうえ生徒の自由が全く尊重されず生徒会さえ組織されてない灰色の学校生活でした。

自分で決めた以上は親に文句など言いませんでしたし、自分なりに耐えて頑張ってちゃんと卒業もしました。
でも、希望する大学には行けず、仕方なく専門学校の道を。
あの高校に行ったらその先はどういう進路が予測されるのか、という情報を親でも先生でも、もう少し誰か具体的にアドバイスしてくれる人がいたなら、きっと私の人生は少し違うものになっていたのは確かでしょう。
ろくな先生もいなくて、高校3年間はつらくしんどい思い出ばかり。
心を踏みにじられて傷つく思いを何度したことか。今なら体罰で問題になりそうな事もされました。
それに耐えてもなにもメリットがなかった。
卒業以来、母校の名前を聞くだけでも嫌な気分になります。
もちろん友達も少しはできて未だに付き合いもあるけれど、皆あえて高校時代のことは話題にしたがりません。
半分は否定してきたけど、やっぱりあの高校に行ってしまったことは人生最大のトラウマだと、この歳になって認めざるを得ません。

そんな私の娘が今年、高校受験をしました。
絶対に、娘には私と同じ思いはさせたくない。だから志望校選びは人一倍真剣にやりました。
この学校に行きなさい、というような事は一言も言いませんでしたが、
この学校に行ったらこういう将来が考えられるよ、こういう道があるよ、という事を十分すぎるほどアドバイスしました。
校風などもリサーチして、娘が一番のびのびと過ごせる学校はどこかと考えました。
結果的に娘は十分に納得したうえで自ら志望校を選択し、無事、第一志望校に合格できました。
それが本当に良かったかどうかなんて、もちろん娘がこの先になって思うことだけど、とりあえず、私と同じ失敗だけは避けられたことに大変安堵しています。

「自由」というのは誠に難しい。つねづね思うことです。
長文、失礼しました。
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