準・究極の選択

私は、芸術全般に興味があり、自分でも絵を描いたり、物を創ったり、詩や文章を書いたりしています。
多くの芸術は、自分の追及、自己表現の手段だと思っているのですが、舞台芸術・演劇だけは、他人の人生・考え方の模倣(?)をしているようでその魅力が良く分かりません。

実際に舞台芸術・演劇に関わりのある方、興味のある方、その魅力について教えてください。

A 回答 (2件)

あまり聞かない説なので興味深く拝見しています。



もし「自分の体験したこととの自分内部での対話」でしか書けないとしたらほとんどの小説は書けないと思うのですがいかがでしょうか。
「他人の心・感情・人生を考え、表現」することなしにどうやって小説を書くのかちょっと途方に暮れてしまいます。

小説の中には幾人かの登場人物が出てきてそれぞれに人格を描かれその人格に沿ったりあるいはそれを裏切ったりしながら話が進められて行きます。
お芝居はそういうふうにして書いた小説を台本として使って演じられます。なのでお芝居に使う台本は「本」と呼ばれ、「あのお芝居はなんといっても本が良かったな」等と評せられたりします。
お芝居はリアルタイムでしか演じられませんので時間や空間の移動は演出で表現されなければなりません。
言葉による想像力を演技として現実の物にして見せなければいけません。
散文だけではなくて詩文を語る力で観客をその別世界に送り込むこともできます。
多くの音楽が劇中歌として映画音楽として書かれていてすばらしい曲がたくさんあります。

歌にはストーリーがあって1番2番と歌詞が進むにつれて話が展開するものがあります。また男が女の心理を歌って表現するものは珍しくありません。ドラマチック=劇的な情景を思い浮かべながら作られている音楽は珍しくないように思うのですがいかがでしょうか。

観客を異世界に放り込んでしまう演劇の持つ力というのは言葉の力、音楽の力、美術の力、役者の肉体を工夫して盛り込んで作り上げられた強力な物です。

自分の経験からあえて一歩も出ない作詞、作曲、小説、作劇も当然あって良いと思っています。
観劇のチャンスというのは意外と少ないものなのでなかなか運に恵まれないこともあるだろうし芝居というものと肌が合わないなんてこともあって当然と思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私は、絵を描く場合、完全に自分の世界の中にいます。自分の中の何人もの自分に会い、尋ね、徹底的にその腹の底を探り、色と形を搾り出します。その他、物創りも似たような感じです。
詩や文を書く場合、そこまで自分に偏ったものの見方はしませんが、自分が生み出すのもをベースに想像し、そこからストーリーや言葉を展開させています。他人を知らずして書くのでなく、他人を知ってる範囲で作り上げて書く…そんな感じです。

前の回答者さん同様に演劇の魅力を語っていただき、舞台芸術が色々な種類の芸術で成り立っている集大成的のものであること、故に、その1部だけと比べることが、無理だっだのだ、と気付けたように思います。
他人になりきる(演じる)ことは、先にも書いた、絵を描く私と極地的な関係ですが、そもそも、表現するものが、絵や物、言葉、音楽、と言うのと同じように、他の人(人間)である、という違いだけなのかもしれません。
その他の学問のように、決まった答えがあるわけで無く、ぞれぞれの物・人に対しての追求が主であり、表現は、永遠に自由ですし…。
マニュアルの無い難しさを今はじめて感じたように思います。

不可解なものでこそ観てみたい気持ちもあるので、実際に劇場に足を運んでみようかな、と思いました。

お礼日時:2009/06/08 00:00

僕も芸術全般に興味があり、最近、演劇にすごく興味を持ち始めました。


ただし、まったくの素人の考えですので、そのつもりで・・・(^^ゞ

演劇が他人の人生や考え方の模倣というのは、作家が書いたものをただ役者がなぞって人に観せている・・・という意味でしょうか?
だったら違うと思います。

役者によっての力量の差もありますし、個性、役の捉え方、その俳優の雰囲気などによって、同じ演目でもまったく違うものになると思います。
また、演出や舞台装置、大道具、小道具なども、舞台をひとつの作品と考えるなら、やっぱりそこに表現の無限さみたいなものがあると思います。
時には、お客さんの反応が日によって違うので、それがひとつの効果になったりもすると、僕は感じています。
ま、naoaguさんの言う通り、多くの演目が一個人の作品という訳ではありませんが・・・。

僕も、好きで、良く詩を書いたり、昔は作詞、作曲、編曲をしたり、ちょっとした小説を書いたりもしましたが、模倣と考えてしまえばすべて何かのどこかの模倣、自己表現の新しい発見だと思えばすべてがそう思える・・・芸術って、個人個人にある背景によって、感じ方がちがいますからね(^^)゛

すみません・・・(-_-;)
希望されているような回答にはなっていないと思いますが、naoaguさんが演劇に興味を持てないのなら、無責任なようですが、それはそれで良いんじゃないかと思います。
僕も、公演される舞台全部を観たいとは思わないし・・・簡単に言ってしまえば、「好き嫌い」の問題ですから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

模倣=演じる(他人になりすます)=自己表現
という、感じがよく分からないのですが、演じることは、他人を研究・吟味し、その上での自分なりの表現、ということなのでしょうか?

絵を描くにしても、文を書くにしても、音楽にしても(音楽分野は、何もしたことありませんが…)等身大の自分との対話で生まれたものをストレートに表せば、それが基で形になる、アイディアや思い出・経験が作品になる手助けをしてくれる…ものだと思っています。

自分大で推し進め、表現する芸術と比べ、他人の心・感情・人生を考え、表現しなくてはならない演劇は、とても複雑に思えます。

確かにhiro1yukiさんの仰るとおり、好き・嫌いは、否めませんね。芸術は、“感覚”あっての分野ですから…。
ただ、今後何かを観る機会に恵まれた時、演劇の良さ・特徴など知っていれば、違う解釈、方向から観る事ができるかな、と思っています。

お礼日時:2009/06/05 23:50

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