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痛ましい事故でしたが、日本航空123便は羽田へ戻ることはできなかったんですか?

見た目は戻れそうですが、難しいですか?

また、静岡空港など地方空港が増えましたが、
http://www.pref.shizuoka.jp/kuukou/contents/

今なら静岡空港に緊急着陸できますか?

http://image.blog.livedoor.jp/ohmi_ru/imgs/9/1/9 …

「日本航空123便は羽田に戻れなかった?」の質問画像

A 回答 (8件)

当時は航路だけが明かされ、どうしてもっと適切な対処ができなかったのか、


そうすれば生還できたのではないか、と、機長を非難する声も多かったのですよ。

その時は何も語られませんでしたが、15年後にボイスレコーダーが公開され、
18:24には異常に気づき、羽田の管制官に着陸許可を取ったこと、
そのために右旋回をして大島に向かう決定をしたこと、
しかし右旋回途中で思ったように舵が取れないことがわかり、
18:27に緊急事態宣言をしたことが明らかになっています。

ですから、羽田へ戻ることはできなかったのかと問われれば、
羽田に戻ろうとして最善を尽くした結果と言うしかないですね。

>今なら静岡空港に緊急着陸できますか?

わかりませんが、既に操縦不能なので、
こうだったはずという予測はできないです。
羽田よりは静岡を選択したかもしれませんが、
偶然、空港の上空にたどり着かない限りは、
結果は同じだったように思います。

参考URL:http://hw001.gate01.com/virtua1994/record.htm
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既に回答があるとおり、123便は4系統ある油圧が全て失われた状態でした。

これでは操縦はほとんど不能であり、滑走路に降りることは非常に難しい状態です。もし、1系統でも生き残っていたなら、不自由なりにも操縦はある程度でき、生還できた可能性は非常に高くなったと思います。

では、全油圧を失った場合、滑走路への着地は全く不可能か? というとそうでもないようです。エンジン出力を左右で変えればゆっくりですが旋回はできます。フラップは電動でゆっくりだけど動かせるのでこれも利用できます。テストパイロットのような人が、機の状況を理解して操縦すれば、着陸は可能だったかもしれない、とも言われています。実際、123便の後で全ての油圧を失った機が多数の死傷者を出しながらも滑走路に降りた例があります。
123便も時間が経過してある程度制御ができ始めていたそうです。それは、通常とは逆のエンジン制御などです。ですが・・・全ての油圧を牛った状態では、相当早い速度で着地/着水することになるようです。着地等、非常に難しいでしょうね・・・。
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この回答へのお礼

最近TVでもこれが放送されているのかわからず、
戻れないのかな?と思ったのですが、
ニコニコ動画にあったフライトゲームのような動きを見ると、
とても無理そうだとわかりました。
左右に何度も傾きながら、飛行していたようです。

4系統もの油圧が全て壊れるってのはなんででしょうねぇ?・・・
垂直尾翼も同時に壊れるってのは不思議です。

とりあえず、アメリカのハドソン川不時着を小型機ででも成功したので、
ジャンボも海への着水を試みた方がまだ生存者は出ると思いました。
日本も大きな川あればいいんですが・・・

油圧も8系統ぐらいあれば良いんじゃないですかね?

お礼日時:2009/08/17 01:00

まともにコントロールできない機体で「羽田」や「静岡」に着陸できると思う心が非常に不思議です。



たとえば
「アクセルしか効かない、ハンドルが非常に重く一人で動かせない車」で高速走って家まで帰れると思うとの一緒です。

日航123便はいろいろな状況証拠等で「エンジンコントロールがかろうじてできた」程度であったことはわかっています。

だからこそ迷走航路とならざるを得なかったのです。
操縦士や機長が意図してこんなコースを飛んだ訳ではありません。

何とかできたとしても駿河湾や相模湾等の海辺で都会や漁港等が近く、救出可能性が高かった場所に降りるしかなかったでしょう。
それでも相当の死傷者は出たと思いますよ。
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質問者さんはいくつの方なのでしょうか?


事故から24年。数々の検証番組や本が出版されていますが
一度もご覧になったことがないのでしょうか?

日航123便は大島沖で圧力隔壁が破壊された際
垂直尾翼が破壊され、油圧系統がすべて利かない状態に陥りました。
クルーもできることなら戻りたかったでしょう。
画像のような航路はクルーが意図した結果の航路ではなく
制御できずに結果として残った航路です。
誰も好んでダッチロールをしたわけではないのです。


事故から24年このような質問が出ることが
不思議でなりません。

http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …
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いえいえ、どうやっても無理です。


方向舵が吹っ飛んじゃって、
おまけに油圧装置が全くコントロールできず、

どうやってもコントロールできません。

圧力隔壁が飛んでしまったことでその上についている
方向舵がなくなりました。
当然それにつながっている油圧配管が壊れるわけですから
油圧が効きません。
と言うのは油圧配管は全てがつながっていますから
どこかが切れちゃうと
他のところもオイルが回りません。
エルロンもラダーも油圧で動きますから
全てのコントロールを失います。

唯一、エンジンの絞りとふかしだけがコントロールできる
ものでした。

ですので特定した場所での不時着は無理だったようです。
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操縦系統がやられて右にも左にも行けない(上昇も降下もできない)状態だったんです。



今でも静岡空港に限らずどこの空港にも降りれなかったでしょう。
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操縦不能状態だったようですからね。


とても戻れる状況ではなかったと思います。
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>見た目は戻れそうですが
どこを見て戻れそうと思ったのですか?
添付さてる航路は制御して飛んだ経路では無くて、尾翼が無くなり制御不能となって飛んでしまった経路です。
高度すらも制御できずに「頭さげろ」とか「頭あげろ」の記録が残ってるでしょ。
高度と経路を制御できてたら、山ではなく海に不時着したでしょう。
ハドソン川の奇跡の前に、駿河湾の奇跡として名が残ったのではないでしょうか?

 
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