最速怪談選手権

こんにちは

(人生経験が浅いもので語り口(この場合は文体って言うのかしら)がかなり乱雑であり、その上話があっちこっちに飛んで長文となるのでお気に召されない方は閲覧されないことをお勧めします)

自己管理が中々出来ないと言うのが本題です。よく自己管理が出来ないの理由として言われるのは
「必要に迫られてないから」「テクニックを知らないから」「身の丈にあってない事をするから」「つまるところ自分に甘いから」
などと言われそれを払拭するメソッドが書籍でもネットでも多量にあるわけですけれども、どれもあまり役に立ちませんでした。
そこで少し考えてみたのですが自分は「最初から無理と決め付ける」傾向があるようなのです。その動機が「この方法が役立たずであると言う事を証明してやりたい」と言うとんでもなく破滅的なものでした。
とんでもなく破滅的というのは、あらゆる事に対して自己壊滅を持って否定すると言う事です。
例えば、かの方法に対してそれが如何に無能で役立たずであるかを証明する為にわざわざ惨めになってまでもそれを証明すると言うこと(もうちょっと具体的な説明の方がいいんだけど)です。

(以後上記の感情についての考察ですので自己管理についてではありません。飛ばしてもらって構いません)

私的にはこれって反抗期みたいだな、と思ったのですがもうそう言う年齢じゃないし(そう言う事に対して含蓄の深い方のために慌てて口を挟ませてもらうといわゆる反抗期の喪失とは少し違う)違うんですよね。
そうするとこれを何て呼ぼうかしらって凄く悩むんですけど(名称で悩んでも仕方ないのだが)僕は「退廃」って言葉が何となく合ってる様な感じがするんですよね。何と言うか飯も食っていけるし別に困った事も起こらないので「まぁこのままでいいかな」(本当はよくないんですよ。ただあくまでそう自己完結してるだけです)と思ってしまうんですよ。そう言う経験ってありませんか?かなり部分の日本人がこの様な状態なんじゃないかなー何て勝手に思っちゃうのですが。
でも、この手の事をいうと「あなたは恵まれてるのよ!」みたいな感じでいきりたつ人々がいらっしゃいますが、決して楽しく生きている訳ではないのですよ。そりゃ他人から見れば楽してるように見えるかもしれませんが人生を楽しんでいるなどとんでもないわけです。日々鬱屈しておる訳ですよ。って言っても分からないでしょうけれど・・・私があなたの事を理解するのが難しいのと同様にかの事もそうでしょうから。
それとねーこれも必ず出てくるのですが「衝撃的な経験がないと直らんよ」みたいな人もおりますけれど、その衝撃的な経験を避ける為にこう言うことをしているのであるからその論調だと回答としてはちょっと成立しないんじゃないの?と思います。

(ここから本題に戻ります)
つまるところはこう言う考えの人って自己管理どうやって行われていますか?ということです。また私と同じような経験をされた方もご意見頂けると嬉しいです。

てめーみてーなポンコツ野郎は腐っちまえ!ッペ!! って思われ方がもしいらっしゃいましたら「人生・社会ってこんなに大変なんだよ」って事を分かりやすく書いてもらえるとそちらも嬉しいです。

A 回答 (2件)

人間の個性は多種多様だが、物事に対する人間の反応にはそれほど多様性がない、って誰か言っていたような。


質問者様には様々な理由を内面に抱えていて、他の人は他の人なりに様々な理由を内面に抱えていますが、結局表層に現れる部分は「自己管理ができない」ってことです。人はそれを評価します。それはある意味当然です。だって、質問者様が抱える理由が深遠で他人には理解しがたいのと同様、他の人が抱える理由もその他者にとっては深遠で理解しがたいのですから。
また、「最初から無理と決め付けて」しまった場合、「役立たずである」という証明は不可能になります。Aは全てに対して成り立つ、という証明をしたければ、Aの反例がないことを証明せねばなりません。もし「この方法は完璧である」という証明をしたいなら、その方法に対して批判的な仮説をいくつも立てて、その仮説を実験的に試みて検証していかなければならないでしょうが、逆に、この方法は全く役立たずである、という証明をしたいなら、この方法が成り立つ肯定的な場合をいくつも仮定して、それを実践してみなければなりません。

つづめていうと、たとえ自分がどんな理由を抱えていても、それを相手に認められたければ、相手に対して最低限のけじめはつけなければならない、と悟ることでしょうか。認められるべき「相手」がいなければ、むしろけじめをつける必要はないかもしれません。
でも結局、自分自身には自分自身の内面しかわからないのだから、自分自身で自分自身の現状に満足できるかが全てなのかもしれません。
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この回答へのお礼

>人間の個性は多種(略
他者の事なんて結局のところ分からんちんよってことですよね?
>また、(略
ははは。学問的論証に基づく正しい証明についてのご説明をわざわざしていただくなど、余程私の頭が悪う事に対してご配慮されたのでしょう。ありがとうね。
>つづめてい(略
その相手を一人の独立した個人として認めているという前提のものであればそれも成立するかもしれません。でも、この前提自体もすっごく難しいですよね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/02/02 20:21

ダイエットって、毎年流行がありますよね。


最近だと巻くだけダイエット、ちょっと前だと朝バナナダイエットなど。

どれも、元々は「私はこれで痩せました!」という実体験に基づいています。
その意味で、市場に出るころにはすでに実証されているわけです。
それこそ朝バナナなんて元々は口コミで広がりましたから、
多数の人が実証に参加しています。

それなのに、「ダイエット本」や「ダイエット方法」に毎年流行ものが出るのは、
「試してみたけどダメだった。次はコレ!」という人が多いのだと予想します。
実証されているのだから、きっと、もっと続ければ結果が出るのに、
1ヵ月やそこらで諦める(飽きる)人が多いのではないでしょうか。
それで、「ほら、やっぱり楽なダイエットなんてないんだわ!」と豪語する。

つまり、質問者様と同じように、自ら無意識にでも
結果を出さないよう行動してしまっている人が、
日本人には相当数いるのではないかと思います。
私も、そういうことがあります。


本題ですが、

自分が抵抗していることに気付いた時点で、「ああ、自分、またやってるな」
と思うだけで、そういった傾向は段々とおさまってきます。

質問者様の例では、「おっと、別にこれが無能だと証明する必要はなかった」
と思い留まれれば、もしかしたら案外楽に自己管理ができるかもしれません。
「ちっ、こんな手段に頼るのはいけ好かないけど、使ってやるか」
くらいでいいと思います。

冒頭で出したダイエットの例であれば、
「んまぁ、朝食をバナナにするくらいなら、それほど弊害ないだろうし…」
と、とりあえず続けていいかな~程度に思えれば、
それが自己管理(ダイエット)につながるかと。

質問者様が書かれたような抵抗の原因を、
「価値観の枠組み(パラダイム)」として扱い、
本来その人がもっている能力を発揮させるという手法が
コーチングなのだそうです。
つまるところ、こんな感じの人間は、コーチしてもらうか、
自分で自分をコーチ(客観的に抵抗を見つめる)しない限りは、
無意識に抵抗してしまうのだろうなぁと思います。

上記に書いたようなことは、とあるコーチングのプロに教わったのですが、
質問者様の考えに通じるところがあり、なおかつ解決につながる
可能性があると思いましたので、ご紹介しました。
具体名を出すと宣伝みたいでイヤラシイので、控えますね。
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この回答へのお礼

パラダイムのに気づくと言う事が1つの壁であるなら、またパラダイムを一つの客体として俯瞰することも壁であると私は思います。
やっぱり並大抵のことではありませんよね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/02/02 20:25

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