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剣岳登山は本当に難しいものなのでしょうか?

剣岳点の記を昨日、テレビ映画で見ました。
私は約10年前に厳冬期(12月下旬)に仲間と剣岳登山をしたことがあります。丁度本格的登山を夏から始め、初めての雪山でした。
映画に出てくる長治郎谷ルートで全く難なく成功しました。お天気に恵まれ、雪崩もなく、雪庇も踏み外すこともありませんでした。

ルートは扇沢 黒部ダム 内蔵助平 真砂沢 長治郎谷 剣岳頂上 早月小屋 早月尾根 馬場島
でテントは真砂沢、早月小屋の横の2泊3日でした。
映画の当時の剣岳登山はあんなに困難を極めていたのでしょうか?行者も登っていたと映画で出てましたし。ただ単に天候に恵まれなかっただけなんじゃないでしょうか?

また、このルートは見た目は迫力あるのですが登りの長治郎と頂上までの最後の岩場も難なく上れました。不安を感じたのは頂上直下の岩場だけ位でした。

よく剣岳を登るのは大変だとか初心者にとっては危険だと山をよく知っている人から聞きます。剣岳登山は厳冬期の方が登りやすいのでしょうか?そのときのメンバーは大学登山の経験豊富な方々ばかりで
私だけが初心者でした。夏は登山をしたことがありません。

そのときに元気な若者たちは源治郎尾根とか赤谷とか何とか窓というグループに分かれていました。
私は年配者のグループでした。

A 回答 (4件)

>長治郎谷ルートで全く難なく成功しました。


ルートがなかったんです。
そのルートは、先人が「登りやすい路はどこにあるのか」を経験を重ねて見つけ出し、整備しているものです(整備というと木道や階段などを想像しがちですが、北アルプスにおいてはそれと限りません。)
もちろん、扇沢までも路などはありませんから、そこまで行くのさえ苦労したはずです。
(というか、当時は黒部ダムはありませんから富山側から立山経由で行くしかなかったはずです)

装備も、非常に簡素であったでしょうし、食料も重かったのではないかと思います。
携帯用コンロなんてものはありませんし、ゴアテックスの雨具もないです。
現代の登山は、用具もノウハウも当時とは比較にならないほど進化しています。
結果、体力にしても根性にしても、今と比較できないほど登山は危険に満ちていたはずです。

あなたが登った厳冬期ですが…あなたはゴアテックス&羽毛の最新ウェアを着ないで、フリーズドライの食品を利用せず、携帯用コンロを利用しないで、LEDの懐中電灯もなく、ナイロンのテントを布の重いテント(ナイロンテントの3~5倍近い体積と重さになるはずです)を背負って!というのを想像できますか?あ、シュラフもシュラフカバーも使わないでくださいね。

>そのときのメンバーは大学登山の経験豊富な方々ばかりで私だけが初心者でした。
経験豊富な先輩方がいたから、しかも初心者が一人だったから登れたのです。
その、経験豊富なメンバーも「経験を積み重ねて」「ノウハウを得ている」から登れたわけで、地図を作るための人は目的が違いますし、登山の専門家でもないです。当然、当時はアルピニズムのノウハウなんかも日本では殆ど無いに等しかったのです。

もっと低い山でも、遭難事件は起きています。
ツアーでは当然経験豊富なガイドが付いているにもかかわらずです。初心者が多ければ、経験豊富なガイドがいても…昨年は8人が北海道でなくなっているのじゃなかったでしたっけ?

あなたの場合、恵まれた環境で登山ができただけで、決して、それが当然だとは考えるべきではないです。
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この回答へのお礼

映画の雰囲気では人足を雇っていたので楽に登っていたように感じました。でも装備はピッケルもなく棒きれのようなものを代わりに使ったりしてましたね。言われてみれば私はテントも服もシュラフカバーもゴアテックス。寝袋はダウンで快適な寝心地でした。足や指は痛くなったり、感覚がなくなったりしましたが凍傷にはなりませんでした。アイゼン、輪かんなども使用していましたが初心者のためそれが当たり前に感じていたので明治時代の装備に目が行きませんでした。自分の場合は恵まれた環境だった事に気づいていませんでした。よく、剣で遭難とか事故が多いと聞いていましたが天候や装備、仲間に恵まれてその結果、何事もなく登れたことに今気づきました。でも確かに体力的にはとてもきつい山でした。
いろいろ気づかない点を教えていただきありがとうございました。

お礼日時:2010/08/11 17:51

やっぱり難しいですよ。


今でも難しいと思いますね。
最近は全くの初心者が登りますが。
前剣コースの鎖場などは距離を置かずに初心者が同じ鎖を使うんで。
私が落ちたら後の2人も死ぬな、みたいな。
人が使ってる鎖を下から煽ったり、一方通行無視したり。
ちがった意味で危険です。

映画は見ましたがあの頃はやはり難しかったでしょう。
なんと言ってもあしもと。靴ではなく足袋と草履ですね。
あれで岩場は痛すぎるしグリップもない。
雪渓をつめれば岩場の難しさは軽減されるでしょうが
かたいソールでないとアイゼンがつけれませんから雪上もつらい。
それに冷たくやってられないでしょう。
指の1本2本簡単になくしそうです。
陸軍なら軍靴くらい支給しろとつっこみいれたくなりました(笑

映画ですから史実と違うところもあるでしょうがやっぱり難しかったと思います。
私ならあの装備では頼まれても行きたくありませんよ。

厳冬期登山はもっと危険ですね。
かなりの経験者でも天候が急変すれば遭難しますから。
質問者様の場合、天候や良い経験者にめぐまれたのでしょう。
でも、ちょとしたことで遭難死もありえるというのも事実ですね。
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この回答へのお礼

そうですね。やはり登山は恵まれた装備、気象条件、信頼できる経験豊富なメンバーが大切な条件ですね。私の登山グループは一人でも体調不良の人がいれば連れて行かないし、初心者は毎回1人だけでメンバーが認定しないと連れて行ってくれませんでした。過去に穂高の独標で厳冬期に遭難死していてそれを忘れるなという家訓のようなものがありました。

お礼日時:2010/08/11 17:59

当時は道もなく、正確な地図もなかったのです。

地図を作りに行ったので。
いまなら登頂ルートは地図を見れば判りますが、当時はそれを探しながら登りました。

また、装備はナイロンのテントやフリースの防寒着などはなく、測量器具まで担いでメチャクチャ重かったはずです。現代では室堂までバスで行けちゃいますが、麓からそれらの装備を担いで道のない山を登るのは地獄のような日々だったと想像できます。
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この回答へのお礼

映画に出てくる人が今時の人なものでつい最近のことのような錯覚になっていました。装備も道も技術もまだ確立できていなかった明治時代でしたね。

お礼日時:2010/08/11 18:01

剱岳点の記当時(明治など)の装備が悪い時、ルートが全くない時と現代と比較しない方がよいでしょう。


春秋の時期的によい頃ですが、道に迷い藪漕ぎしたことが数回ありますが、5メートル1時間100メートル3時間など道がない所を歩くのは大変です。
蟹の横ばい、縦ばいも経験しましたが、鎖があってのことで、もしなければ、と思うとぞっとします。
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この回答へのお礼

藪こぎは胸あたりまで雪に埋もれてラッセルと言って順番に前に人が交互に替わりながらあるいたことがあります。私のメンバーは偵察と行って秋頃に一部の機材をわかりにくいところに持って行って隠して置いてくることなどしていました。
カニの縦ばい横ばいも鎖や捨て縄がたくさんあって利用させてもらって安全に超えましたがあの時代は麻ザイルのような危ないザイルだったようですね。岩で切れてましたし。

お礼日時:2010/08/11 18:05

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