天使と悪魔選手権

私は今中学3年生です。
そんな受験生の私は、よく『高校はゴールじゃない』という言葉をよく聞きます。
では『ゴール』とは何処にあるんでしょうか。

高校がゴールじゃないことは解ります。
高校は、なりたい職業に就くための通過点だと私は思っていますから。

職業に就いたらゴール? 結婚がゴール?
じゃあゴールの先にはなにがあるんでしょう?

ゴールの先は何も無いからゴールなんでしょうか。
それだと『死』がゴールになりませんか?


あなたにとってのゴールは何ですか?

A 回答 (8件)

こんばんは。



aomi104さんは中学生…しかし『精神年齢は大人に近い』ようですね。

『ゴール』それは、自分、もしくは関係者が勝手に決めた『通過点』、
と言う発想でいいと思いますよ。

例えばオリンピックの決勝のゴールを切ったら、
それで全てがおしまいですか…?

『次のレースのスタートに立っただけ』だとは思いませんか?

定年退職した方はそれがゴールであると共に、
『老後の新しい生活のスタート』でしかありません。

ですから、『ゴール=新たなスタート』だと思いますよ。

また人間、確かに死んだら『土に返ります』よね。

しかし、その分子原子は、やがて植物の栄養となり、
食物連鎖の中でまた人間肉体になります。

精神論、死後の話はさておき、
『仮に私が死んでも…』、それは誰かの心の中での
私に関する想い出のスタートです。

『さよならは再び会うまでの遠い約束』、
それと同様に『一つのゴールは次のスタートの始まり』、
そのように思います。

それでは。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
友達にも時々年寄りくさい、って言われるんですよ(笑)

『ゴール=新たなスタート』、ですか。
そんな考え方思い浮かびませんでした。
死、でさえも始まりになるなんて驚きです。でもまぁ、そう言われると納得です。

『一つのゴールは次のスタートの始まり』
私はこの考え方、好きです。

お礼日時:2010/11/27 10:53

たしかに、よく「ゴール」と言う表現を使いますね。


それは、何かをレースに例えているから「ゴール」と言うと
思います。「ゴール」があれば「スタート」がありますよね
レースって人生そのもなら「スタート」は誕生。
「ゴール」は死。となります。
ならば、だれも「ゴール」を切ってないでしょ。死ぬんだから。

レースなら、それは目的(目標)があるからレースなんだと思います。
他者との競争だけではなく、自分自身との競争もあるし
そのひとつひとつの事についてレースと例えられるでしょう。

だから、「ゴール」って沢山あると思うんです。
「ゴール」の先はまた「スタート」があるはずなんです。
レースは常にひとつじゃない。何レースも掛け持ってるでしょ。
あなたが「スタート」をきらないと「ゴール」は無いのです。
この「ゴール」って自由に設定できると思いませんか?
いつ「ゴール」切ったていいんです。また、「スタート」すれば!

僕は、目標を持つことがひとつの「ゴール」を作ってると
思ってます。
今、何レースやってます?
たまには、休憩したいですが、レースしてないと最後の「ゴール」
切れないんじゃないの?
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この回答へのお礼

人生というレース、ですか。
受験というレース、恋愛というレース、仕事というレース...。
こういうことであってるんでしょうか。

そうですね、スタートしないかぎり、ゴールなんてあるはずがありませんね。
最後のゴールを切るまでたくさんのレースをしていこうと思います。

回答、ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/27 11:16

人生にゴールなどありません。


そこで終わりという点を考えれば「死」がゴールでしょうけどね。
そこに到達すれば全てが「万歳!」というような地点はないでしょう。死ぬまで努力というのが人生でしょう。楽しく努力か苦しい努力かそれは人様々です。
でも、死ぬまで努力したからといって何か完成したというものでもないかも知れません。それなら死がゴールと言えますか。

何か出来ればそれで終わり、これで十分というものもないでしょう。人間欲も深いものですしね。人間何のために生きて居るのかと考える事はとても良い事だと思います。答は出るか出ないか一生悩む事でしょうけどね。人生深みが出るでしょう。
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この回答へのお礼

終わりは死、でもゴールは無い。
死は確かに「万歳!」と言えるものではないですね。

何のために生きて居るのか、ですか。
ちょっと難しいかもしれませんが、私も人生の中で見つけられるように頑張っていきたいと思います。
回答有難うございました。

お礼日時:2010/11/27 11:12

人生のゴールは墓場です。


ですから生きている間は努力しましょう。
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この回答へのお礼

墓場といことはやはり死ということでしょうか。

生きている間に死んでも悔いが残らないよう、頑張っていこうと思います。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/27 11:09

人生は、レースみたいにゴールを目指すものでは無いです。


位置や時間が決まっているものでは無いです。

我慢大会に近いかも知れません、いつ終わるかも分からないがそれまでやりきる。
素潜りでも息止めでもいいんですけど、限界まで続くんだと思います。

死はゴールでしょうけど、ゴールが楽しくは無いですよね。
終わりまで突き進むその過程が楽しいのだと思います。

まあ、通過点を意識するのは大事です。メリハリが無いとよろしくないですからね。

私は、孫が出来たらノルマ達成だと思っています。それ以降はまあ自由にさせてもらいたい、それまでは頑張る。
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この回答へのお礼

我慢大会、ですか。
新しい考え方がでてきて参考になります。

まぁ確かに、死は楽しい物じゃないですね。
生きている間には多いか少ないかはともかく楽しいことはありますから。

孫、がノルマ達成ですか。
では私もとりあえず高校という通過点を楽しもうと思います。
お互い頑張りましょう。

お礼日時:2010/11/27 11:08

私は人生のゴールというより、目標という言葉を使ったほうが良いと おもいますが。


目標をゴールと、おきかえて以下を読んでいただいてもよいです。

目標は常に1つだけで終わりません。
というのは人間には”欲”という感情があり、目標であった物または事が達成、または目標に近ずいてくると、それに関した次の目標がみえてくるからです。
ゴールの先にはまた次のゴールがあらわれてきます。これは最初のゴールをめざしていたときには
思ってもいなかったことです。また、ゴールが近くならないとわからないことです。


人生、最後が近ずいてくると、今度は自分が生きていた証として、残したいことやっておきたいことが、目標になってきます。
それは人によって色々です。
私はアメリカに住んでいますが、こちらに”バケツいっぱいのリスト”という言葉があります。
これは年をとって自分の死がちかずいてきたとき、自分が死ぬまでにやりたいことをリストにして、1つぃ1つ実現させていくことです。

バケツいっぱいのリスト、
それだけ、人間死ぬまでにやっておきたい事があるんですね。
若いとあまりにも、未来が漠然としていてゴールにむかっていくことがむなしくなってくることもあります。
でも、それだから一番身近なゴールから達成していくんです。そうすると、次に超えていかなければいけないゴールがいっぱいあらわれてきます。
それは色々なことで、それを達成していくごとにあなたに人間としての、年輪をくわえていってくれます。
1つのゴールはですから大きな木の1つの枝を切っただけ、まだまだあなたの人生切っていかなければいけない枝がすぐあとからはえてきますよ。
でも、なんでも最初は身近なゴール、高校受験から達成してください。
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この回答へのお礼

目標を目指す→達成→次の目標へ ということでしょうか。
目標の先は目標、そうやって人生は終わりを告げていくんですね。

死が近づくと欲が湧いてくるのは解ります、なんとなくですけど。
アメリカには『バケツいっぱいのリスト』なんてあることには驚きました。
1つ1つ実現させていく、いったいそのリストにはどれだけの量があるのでしょうか。
ちょっと興味が湧きます。
後日ALTの先生に聞いてみようと思います(笑)

LIE51が言うとおり、身近なゴールから少しずつ達成していこうと思います。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/27 11:05

こんばんは。



答えは無いのだと思います。

人生のゴールは人それぞれが決めること。

天寿を全うする人もいます。

志(こころざし)なかばで亡くなる人もいます。

しかしながら、『死』の先に、何があるのかわかりません。

逝ったことがありませんから。

私の今現在は、『自分らしく生きる通過点』だと思っています。

もし形式上、『死』がゴールだとしたら、少なくとも私のゴールは、

『自分らしく生きて、天寿を全うする』

ことです。

先述しましたが、人それぞれが決めることなのではないかと思います。
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この回答へのお礼

答えは無い、これも一つの答えですね。
自分らしく生きて、天寿を全うする。カッコイイです。
私もこれからもある人生の中で自分の答えを見つけて行こうと思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/27 10:59

そうです。


本当の意味でのゴールは「死」です。
でも、よく生きてよく死ぬことだと私は思っています。
ちなみに私は今、事故で死ぬことになっても悔いはないと思います。
日々、自分の力量でできる限りのことはしていますから。

「高校」も「大学」もゴールではありません。
「就職」は仕事のスタートですからゴールではありません。
「結婚」は他人と家庭をつくるという修行のはじまりですから、これ
もゴールではありませんが、恋愛のゴールと言えるかもしれませんね。

受験も大変ですが、自分の力量以上のことはしなくていいんですよ。
自分にできることをやっているうちに人間て、知らないうちにステー
ジアップしていくんですから。
でも、力量以下で甘んじたり、いい加減な生き方はしないで、いい生
き様をして、カッコイイ大人になってください。
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この回答へのお礼

やはり、「死」なのでしょうか。
事故で死ぬことになっても悔いはない、なんて言えること、凄いと思います。
なかなか言えないことだと思いますよ。
私もそんな人になれたらいいと思います。

私も力量以上の事を頑張りすぎず、自分にできることをやっていきたいと思います。

お礼日時:2010/11/27 10:56

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