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悔しかったり、気が沈んだり、した時など、理屈では「過ぎたことだし考えても意味ない」とか「次々!」と頭では分かっているのですが、どうしても心がついていかずに、暫くの間引きずってしまいます
それは、そんな理屈知らなかった頃とほぼ同じ時間

結局人間は頭で理解していてもあまり意味がないなぁ。。。と思ってしまいます

現実的に使える方法、考え方として頭でだけ理解しているものを実際に役立てるには、後どんなコトが必要になってくるのでしょうか?

A 回答 (7件)

No.3の人はいいことおっしゃってますね。


要するに、過去の経験というのは、現在正しい選択をする上でも参考になるはずだ、ただし、それが全てではなく、現在は現在なりの正しい状況を把握し、トータルで正しい判断をすべき、っていうことでしょうかね。

私は、それに少しだけ補足します。

その前にクイズです。
怪我をしたら、何で痛いのでしょうか?
たとえば、指を切ったら、どうして痛いのか?
もちろん、神経があるから、っていう医学的なメカニズムの回答を期待しているのではないですよ笑。
質問の言い方を変えると、怪我をしたとき「痛い」と感じることが、どうして人間の機能にそなわっているのか?
もしくは、これは無駄な機能なのか、それとも、意味のあることなのか?という問いでもいいですね。
あなたは、どう思いますか?
ちょっと考えてみて。あなたの独断でいいので。

いろいろ考え方見方がありますので、回答は唯一絶対とは申しませんが、たとえば、以下の(1)(2)が考えられます。

(1)もしも怪我しても痛いと感じなかったら、手当もしないし、無理もしてさらに悪化させ、人間の機能全体を損なうような事態に陥る。
痛さを感じなかったら、「気が付いたら、手が一本なかった」とかが日常茶飯事になって、人間生き残れないですね。
また手がはえてくるような生物だったら別ですが、身体のしくみがそうでないなら、怪我をさける必要があるわけですね。

(2)痛いと感じることで、そうなった原因となる行動を今後避けて、注意するようになる。
痛いのが嫌なら、二度と同じことしないですよね。二度としないは別に、注意する。
でも、痛くなければ、人間何度でも同じことする。そして何度でも怪我をする。
それじゃ人間生きていけません。

これと同じでね。
「過ぎたことだし考えても意味ない」ってことはけっしてないんです。
もちろん、その出来事自体はもうどうにもならないので、考えても意味ないですけれど。
それが起こった原因となる行動や、理由などを考えて、同じことを二度としないようにする、ってことに意味がある。
そのとき、「悔しいとか気が沈むとか」がなければ、「二度としないようにしよう」なんて思えないでしょう。反省しないにきまってる。
だから、悔しさというのを人間は感じるようにできている。
いわば、学習のためのモチベーションですよね。
悔しさがあるため、反省し、学習する。それで少しずつ上手に生きていけるようになれる。
なので、悔しさを感じる人間だけが、生き残れたのですよね。

もちろん、悔しいという感情がマイナスに働くこともありますよ。
今回のあなたのように、次に進むための気力を阻害しているかもしれない。
でも、仕方ないですよね。
まだあなたは、反省不十分かもしれないし。
仮に反省十分だとしても、「適度な悔しさ」を感じられるようにしてくれるほど、人間の機能は高度ではないから。
多少は、「悔しさ」が多めにあったほうが、学習能力も高まるし、よりよい人生を送れるかもしれないですよ。
気が沈むのも、「物事あわてるな」の学習しれないし、「まだ次の行動を始めるのは早い」という警告かもしれません。
ぼちぼちやっていきましょう。

というわけで、悔しさとも気の沈みとも、上手に付き合ってください。
うまく使えば役に立つ。
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この回答へのお礼

とても納得できました

この考えはこれからマネさせていただきます

いいこと聞きました

回答ありがとうございます

お礼日時:2013/09/22 16:09

考えないで動くことですね。



そんなこと考えるヒマないぐらい、仕事や作業のスピードをあげる。
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悔しいって何について悔しく関るのか具体的に書かれていないので、


憶測での回答になりますが、先ず悔しいと感じる時点で、
自分自身に負けている証拠ですね。

私もやみくもに突っ走っていた時期がありました。

自分は頑張っているのに何故、何もかもうまくいかないの?って。

でも、それは本当に努力が足りてなかったんだということに、
今になって気が付きました。

結局、行動が伴っていないから心底理解できていないわけですよ。

いくら、これがほしい!!と考え、ただ遠くから見ているだけでは、
そこに到達しなければ、誰かに奪われてしまうし、
でも、そこまでたどり着いてほしいものが実際になければ、
あきらめもつくものです。

このもやもやした気持ちをなくしていくには、
行動あるのみです。

考えてる間はずっと同じことの繰り返しだと思いますよ。
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下の者ですが、何度もすみません。

そんな理屈知らなかった頃と同じ時間引きずってしまう、ということは、すでに傷が癒えるのにこれくらいの時間がかかる、ということを質問者様は頭で「理解」されているということになりませんか?ただ知っている、聞いたことがある、というのとは違い、経験して理解している。後は「納得」できればいいと思います。
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この回答へのお礼

納得ですね

自分がクズだと考えることですべてに合点が言って納得できるのですが心の病気になりそうです

勉強になりました

お礼日時:2013/09/22 16:08

考える事「知性」と「感情」は「ハイブリッドシステム」なのですよ。



頭で考える理屈は、悩みなどの問題点の「解消方法」を編み出しますけど、それだけだと「感情」が邪魔になってきます。
「意味ない」と理屈が言えば「意味ないわけ無いだろ?」と感情が言い出します。
だから、頭だけではダメで、感情が「納得するように」頭も考えなければいけないわけです。

過ぎたこと→過去の出来事であり、つまり現在ではない。
現在には現在で、過去のことは踏まえつつも、違う見方や捉え方があるでしょ?と考える。
過去は忘れろ、そんなものは意味が無いんだ、と考えたら、それは「過去の出来事」で感じた感情が黙っていないわけですよ。

だから「過去の出来事」も、納得させられるように「過去も踏まえた、現在の自分」が考えるんだ、というスタンスが要るのです。
それでやっと、流れが整うわけ。
あなたはその過程の途中なわけです。

葛藤、と言う言葉があるくらいですからね。
自分というものは、すべて「同じ方向」に向いているわけじゃない。
様々な「自分」というものの「集合体」こそ、自分というものの正体です。
左という自分、右という自分がいる。
それらをなんらかの「方法」を使って、方向性を整えていくのが「知性」なんです。

だから「ハイブリッド」なんですね。
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この回答へのお礼

なるほど

とても理解できました

あとは感情がついてくればいいわけですね

新しい真実に出会えました

ありがとうございます

お礼日時:2013/09/22 16:06

膝を擦りむいた時などに、そのうち治るのがわかっていてもすぐには治らないというのと同じ理屈ではないですか?心の傷は目には見えませんが…。

治るまではヒリヒリ痛むものです。質問の答えにはなってないですかね(^_^;)
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この回答へのお礼

なるほど

時間の解決を待つしかないということですね

その通りだと思いました

お礼日時:2013/09/22 09:13

『理解』→『納得』→『受け入れる』、最後に『得か損か』があるのだと思います。



『理解』しても最終的に質問者さんにとって『損』なら“否定的”なモヤモヤした気持ちが残り、『得』ならスッキリした気持ちになるのかと思います。
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この回答へのお礼

そうなんですけど、それをどうにかする方法が知りたいです

お礼日時:2013/09/22 09:08

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