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ものすごく基本的な質問です。
キリストも釈迦も、一つの教えしか言っていないはずです。それなのになぜ現在見られるようないくつもの宗派に分かれてしまったのでしょうか。キリストが二人いたわけではなく、釈迦が二人いたわけではありません。またキリストも釈迦も一つの事柄に対し、ふたつの異なった教えを言ったわけではありません。彼らの教えはたった一つだったはずです。それなのに後の人たちは、自分に都合のよい解釈をして、これが本当のキリストの言った、あるいは、釈迦の言った教えであると主張して新しく別の宗派をつくる。これがどんどん枝分かれしていって今のようなとてつもない多くの宗派に分かれていったことは理解できますが、理解できないのは、キリストも釈迦も神のはずです。その神が、なぜもっと強く自分の教えを残せなかったのか、将来自分の教えが色々な形に解釈されて対立し、時にはそれが原因で殺し合いすらおきるような、いい加減な教えを残していったのでしょうか。
キリスト教にしても仏教にしても世界を支配するほど膨大な数を持つ宗教です。
そのどだい骨となる基本の教えが、どうとでも解釈できるような、弱くいい加減な教えだったのでしょうか。
これがどうしても解けない問題です。

A 回答 (4件)

>キリストも釈迦も神のはずです。



「神の子」「神の代理人」という位置づけですから神そのものではありません。

>そのどだい骨となる基本の教えが、どうとでも解釈できるような、弱くいい加減な教え
>だったのでしょうか。

そもそも聖書はイエスが書き残した物ではなく、彼の弟子達がイエスの残した言葉を記憶を
元に書き残し、それを集めた物に過ぎません。
当然ながらイエスから聞いた言葉を聞いた弟子によって解釈の仕方が異なりますし、その全
てを言語化することなど無理でしょう。さらにそこから各地の言葉に翻訳され、呼んだ人に
よって解釈が異なる。それの繰り返しでしょう。

言葉による情報の伝達には限度があるということですよ。
所詮、小さい器しか持たない人間では、神のような大きな器の存在の考えを完全に理解する
ことなど不可能なのですよ。
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この回答へのお礼

さっそくのご回答ありがとうございました。
特に最後の部分が参考になりました。

お礼日時:2011/02/09 16:08

それを言ったら共産党から分離した極左・・で内ゲバも同じですよ。



自分達の信じる事が優れている、一番だと思っているんですよ。自分たちの信じる優れた国を作りたいんですよ。

それに仇名す者たちの存在を認めたくないんですよ。

元をたどればイスラムも仏教もキリスト教が祖なんですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
自分たちの理論だけが優れていて、たとえ同じ木から分かれた枝でも、少しでも自分たちの理論と違った部分があれば敵対する。しかし同じ木だから根源となる大元の理論は同じということですね。

お礼日時:2011/02/09 20:45

あれ? イスラムとキリストは逆だったかも・・失礼しました。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。
仏教もキリスト教もイスラムが祖だと思います。

お礼日時:2011/02/09 20:46

神や仏には姿がありません。


例え神や仏が真の教理を説いても、それを理解し、人に伝えるのは人間です。
理解しようとした時点で過不足が生じ、人に伝える時点で更に過不足が生じます。

教えというのは、別に無から有を創り出したのではなく、元々この世にあったものを解き明かしただけの事。
森羅万象を文字や言葉にした瞬間、それは100%ではなくなってしまいます。
これは未だに宇宙の根源の法則を極めようとしながらも到達できない科学も同じです。

科学と宗教の違いは、それが科学が生活や信条に命がけで影響するほどの力がないだけのことです。
でも、近年そういった科学信奉者が宗教施設を破壊したり、無心論者が宗教施設を破壊、あるいは宗教家を殺傷する事が増えてきています。
科学も妄信的に信奉すれば宗教となんら変わりはありません。
ただ、それらがニュースで宗教戦争のように扱われないだけの事なのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
結局、神が存在する天と、生き物が存在する地との間にある数限りないすべてのものや事象を文字や言葉で現わした時、それをするのが人間である以上必ず過不足が生じ、その過不足の差異によって、それぞれの宗派に分かれてきたと理解しました。

お礼日時:2011/02/10 09:37

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