昔読んだ絵本でおそらく
ひかりのくにとか、そういうとこの
月刊のような絵本だったと思うのですが
星の王子様の話の様に
○さんが惑星に住んでいて
ひとりで寂しかった
△さんの惑星がみつかった
2人で一緒の惑星に住んで
もっと一緒になりたいので
2つは合体してひとつになったら
また一人ぼっちでさみしくなった
っていうお話なんですが・・・(多分)
タイトルが分かりません。
どなたか覚えてませんか?

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A 回答 (1件)

少し話しが似ている程度なので違うと思いますが、10年ほど前に友達からもらった絵本で、PHP研究所から出版されている、『ペソペソ』(著者:伊東昌美)という絵本があります。



緑色をした「わたし」と青色をした「ペソ」の話しで、いつも一緒でそっくりなので、ペソをわたしの中に取り入れる空想をしたり、ペソの中にわたしが入る空想をしたりするのですが、ペソが飛び出したりペソに追い出されたりします。
最後に、わたしとペソは仲良しでも、ほどよい距離がある。しがみついてばかりじゃ、いけない…と締めくくられます。

それとは別で、○の惑星とか、△の惑星というと、どうしてもチャイクロ絵本(ブックローン社)を思い出すんですが、これは知育絵本みたいな感じだったから、ストーリーがあったかどうか…。
チャイクロは家に全巻あって、子供の頃良く読んでた絵本です。(調べたところ全17巻のようです)
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この回答へのお礼

お答え有り難うございます。
でもやはり私が探しているものとは違います。
○と△が一緒になって□になったと思うんです・・。
子供の本の割にはお洒落な雰囲気が漂っていたような・・・。
星の王子様のような雰囲気が漂うような・・
でも絵はごくごくシンプルで
丸い惑星の上に○のカオした人が座ってる絵なんです。

お礼日時:2003/11/12 00:19

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Q宗教の本質

宗教の本質

哲学について考えるとき必ず付いてまわる宗教とは何か「宗教の本質」について考えた結果、以下の結論に至りました。

1.宗教の発生時期
  宗教は人類の誕生とともに自然発生的に生まれました。
  どのような原始社会においても宗教は発生しています。
  宗教の生まれていない地域、社会は皆無といってよい。

2.宗教の種類と数
  宗教は全世界に溢れています。
  その数は分類のしかたにより数千とも数万とも数百万ともいわれています。
  また宗教は人の数だけ存在するという人も多数います。

3.宗教を構成するもの
  宗教は神、天国、地獄の3つの概念により構成されます。
  この3つの概念を備えない宗教は存在しません。

4.宗教の宇宙観
  全ての宗教は有限宇宙観に支配されるものです。
  すなわち宇宙はある一時期をもって開始し、その広がりは有限であると。

5.宗教を動かすもの
  宗教は心地良いものです。
  修行と名のつく様々な宗教的所業も結局心地良さの追求です。
  酒を飲むと心地よくなるのと同様の現象です。
  もちろん酔いが醒めると辛いものが待ち受けておりますが、宗教も同様であることに説明の必要はありません。

6.宗教の目的
  宗教はもともとは人間社会の統治の道具として生まれました。
  これは古代エジプト王国などをみればよく分かることです。
  大勢の奴隷を効率よく統治管理するための道具として有効利用されたのです。
  この状況は根っこの部分においては現在でも全く変わっていないと言ってよいでしょう。
  国が宗教を擁護するのもこのためです。

7.宗教の未来
  統治の道具としての宗教の力は既に失われています。
  これは近代科学、近代文明が発達した結果としての自然の成り行きなのです。
  それと同時に宗教を支配した神、天国、地獄の3概念もそのイメージが次第に弱まってきました。
  つまり宗教の役目は失われつつあり、既に宗教の時代は終わったといってよいでしょう。

8.宗教の次にくるもの
  それは真理の探究であり、思想と哲学の時代です。

御意見ください
 

宗教の本質

哲学について考えるとき必ず付いてまわる宗教とは何か「宗教の本質」について考えた結果、以下の結論に至りました。

1.宗教の発生時期
  宗教は人類の誕生とともに自然発生的に生まれました。
  どのような原始社会においても宗教は発生しています。
  宗教の生まれていない地域、社会は皆無といってよい。

2.宗教の種類と数
  宗教は全世界に溢れています。
  その数は分類のしかたにより数千とも数万とも数百万ともいわれています。
  また宗教は人の数だけ存在するという人も多...続きを読む

Aベストアンサー

続けて失礼いたします。
>>私の提示したものに一々否定したり、不十分であると述べたりするばかりで何ひとつ自身の答えを示そうとはしません。
 認知科学のパスカル・ボイヤー氏は宗教をひとくくりにして説明してしまうことはよくやれられるがこれ間違いだと述べておられますが、私も同意見です。よく、「宗教は未知のモノに説明を与える」とか「宗教は安心を与える」「社会に秩序を与える」、または「妄想に過ぎない」と説明を加える方が居られます。しかし、それは「宗教」という言葉のあらわすものが持っている守備範囲を表すもので、どれもその核心を突いているわけではありません。
「未知の物に説明を与える」ということに関して言えば、宗教は説明以上に謎を呼びます。スーダンのザンデ人のあるお宅の屋根が崩れました。すると、ザンデ人たちはすぐに妖術師の仕業であると疑い、説明をつけ始めた。この時ザンデ人の宗教を研究していたエバンス・プリチャードは、屋根の所にはシロアリが食っているのだから屋根が落ちた原因は妖術師ではなくシロアリの仕業だと指摘します。しかし、ザンデ人はシロアリが原因であるや建物の老朽化などのことは百も承知であったが、シロアリに関心を寄せませんでした。彼らの関心事は「なぜ今その人が屋根の下にいる時に、屋根が落ちたか?」という理由でした。これが適切な「謎」であれば「宗教は未知の物に説明を与える」ということもいえるでしょうが、そうではありません。宗教自体が新たな謎を呼んでいるのです。一休禅師の歌の中にも「釈迦といういたずら者が世に出でて世の諸人を迷わせるかな」なんて歌を詠んでおられますが、このような点からも宗教はただ説明を与えるだけではないことが伺えます。
「宗教は安心を与える」というのは前述の通りそれだけではありませんし、「宗教は秩序を与える」というのも秩序を壊すのも宗教であったりします。また、「宗教は妄想である」というのも、私達は妄想と隣りあわせで生活しているわけで、「もし」や「シュミレーション」や「遠く離れた恋人の思い」であったり、その妄想から力を得ることもありますが、そういうことには言及されないことが多い。どの説明でも不十分なのです。
それを前提において考えますと、私としては一番それらしいかなと思っているのは、認知科学的な方面からの研究によれば宗教の本質は「人間の認知機能の表象」であると考えられています。分かりやすく言えば「人間は宗教的なものを感じるように出来ている」ということです。前々回の回答の中でも記したように、人間の行為者の過剰検出であったり、それを安定した形で定着させる機能だあったり、前回の中に記した推論機能であったり、数多くの人間の認知機能の表象として宗教と言うものがあるという説明です。
しかし、私はこの回答では宗教の本質というより「人間の本質」の問題であるように思います。では宗教の本質とは?「いろいろ」です。刹那的にみれば、一つの宗教から、多くの宗派が生まれたように見えます。ここから一つの宗教から多くの宗教が生まれたのだから「宗教の本質を答えることが出来る」と考えるのが自然なように見えます。しかし、文化人類学や進化心理学においては「多から少」、質問の中にも
>>その数は分類のしかたにより数千とも数万とも数百万ともいわれています。
>>また宗教は人の数だけ存在するという人も多数います。
とあるように、宗教は歴史的な多様化ではなく、数限りない宗教の絶え間ない自然淘汰による凝縮の結果と考えられています。私もこのように考えます。
 つまり、「人間の認知機能」という共通ですが、その対象が違うのです。砂漠における砂の認識と、湿原における砂の認識は違っているわけですから、同じ砂を信仰対象としたとしても、共通点はあってもその本質は違っています。だからこそ日本には宗教全般を表わす「宗教」という言葉が存在しなかったのはそのためです。日本の分類は「仏道」「神道」「儒学」「キリシタン」という括りまでです。なぜなら、それぞれの「本質」が違うことを意識せずとも知っていたからでしょう。つまり、宗教の本質は「いろいろ」ということです。

 しかし、この答えでは満足いかないでしょう?そうでしょう。書いている私が満足してません。説明としては不充分なのです。けれども、だからこそ学ぶのです。「宗教」について語られたものは、宗教学、神学はもとより、歴史学・文化人類学・認知科学・進化心理学等々多岐にわたります。今の時代、調べれば知ることが出来るのに、それをしないのは怠惰以外の何者でもないと私は学び続けています。
あなたのような熱い方とお話が出来て嬉しく思います。ありがとうございました。
 ただ、お答えにはなっていませんね。申し訳ありません。
合掌 南無阿弥陀仏

続けて失礼いたします。
>>私の提示したものに一々否定したり、不十分であると述べたりするばかりで何ひとつ自身の答えを示そうとはしません。
 認知科学のパスカル・ボイヤー氏は宗教をひとくくりにして説明してしまうことはよくやれられるがこれ間違いだと述べておられますが、私も同意見です。よく、「宗教は未知のモノに説明を与える」とか「宗教は安心を与える」「社会に秩序を与える」、または「妄想に過ぎない」と説明を加える方が居られます。しかし、それは「宗教」という言葉のあらわすものが持って...続きを読む

Q幼稚園でおすすめの月刊絵本

4月に2年保育に入園した娘がいます。
幼稚園で配本される「こどものとも年中版」のほかにも、希望の人は絵本を注文することができるということで、私自身絵本が非常に好きなので何か申し込もうと思っています。
福音館書店・ひかりのくに・チャイルド本社からのDMが入っていました。どれも、安価でよさそうなものが多くたくさん注文したい気持ちになって悩んでいます。
そこで、上記3社のもので実際購入されてお子さんの反応の良かったシリーズ名を教えていただけないでしょうか。(お話絵本・科学絵本なんでも結構です)
また、申し込みの締め切りが17日(月)なので、早めに回答いただければ幸いです。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

うちも昔ですが年中から幼稚園に入りました。
今でもあるのか知りませんが、うちの子が行っていたときは、福音館書店の「ものがたりえほん36」を取っていました。

福音館書店の絵本のいいお話ばかりが揃って、今でもよかったと思っています。
「ぐりとぐら」「さんまいのおふだ」等が入っていましたが、子供が一番好きだったのは「しょうぼうじどうしゃじぷた」でした。

今でもあるのなら、福音館書店のお話絵本に1票入れたいです。

Q宗教の種類は今後も増え続けるのか?

宗教は動物にはないものと思います。死人に対してお墓を作ったり花をお供えすることなどは、人間が進化した結果の宗教心です。その宗教心は国や地域でさまざまな既成宗教を生み出しました。ですがその反面科学や知識が進歩することにより、既成宗教の信憑性は低下しています。ですが自分で宗教を選ばない人達は先祖の宗教を引き継いでいる人が多数です。信教の自由ですから先祖の宗教から離れる人もいます。その人達は無宗教になるひともいますが、多数の人は理論的で科学的に近い宗教に惹かれるようです。その為、新興宗教が多数つくられてきています。私としては宗教の多くは必要のないものと思っています。この世にとって必要な宗教と必要でない宗教を分けることはできないでしょうか?ただ増え続ける宗教は馬鹿馬鹿しいだけです。できれば宗教は一つにまとめるべきだと思っています。誰にでも人間としての宗教心はあります。その意味をもう一度見直して、世界で一つだけの宗教をつくれないものでしょうか?

Aベストアンサー

そちらの質問は、“本来哲学が忘れたり、諦めたりしてはならないはずの問題”というふうに、 私はなのですが、 本気で思っています。

ごめんなさい。馬鹿にされてしまうかもしれないですが、その本気さの出どころを正直に書きます。 そのあたりの自己紹介を先に書きます。

わたしは、肉体労働者でほとんど本とか読んでいません。 アカデミックな哲学の世界の歴史とかを知らない人間なのです。
しかし、子供の頃 差別といじめから体を壊し何度も死の床をはいずった体験からか、物事を考えるのにいちいち徹底してその本質まで考える癖はついていました。

だからといってこの人生について解ることは、徹底して考えるほどに自分の未熟さ、青二才ぶり、甘さ、どうしようもなさ、小ささ、木の葉のような状態でしかなかったのですが、  自分の中では、これが60歳になってみて(50歳ごろ全体的にまとまったのですが) 物事は総合的にかんがえると(人生のことがらすべてをなのです。このOKウェブのカテゴリが無限にあるわけではないことから、60歳の思索者のそのへんを想像していただけると幸いです。)人間の能力はけして何もかも出来る可能性なんて持ってはいないけれど、 A地点からB地点までの一歩一歩の旅ならば必ず答えが見えてくるそういう確かな「可能性の大地」という世界、 つまり深く本質的にそして広く総合的に考えれば必ず 次への見とおしならば開けるはずで その頂点であるべき思索開拓の道が本来哲学であるはず、→ すなわち、この相対的は世の中にて、諦めていいような問題は存在しない。 哲学がそこにある限り、常に前進への道はあるはず。 という考えにいたっているというわけなのです。

宗教の問題に限らず、憎しみの連鎖の問題、生物の弱さの問題、医学の進歩の問題、経済の問題、外交のあり方の問題、大きくて不可能に思えてしまう問題も、 けして諦めてはならない。 哲学が諦めたらもちろんすべては絶望しかないのでしょうが、そんなことはありえない。という考えだということです。 

今では、論理以上に「諦めない心」のほうが大事と思えるほどになっています。

ジョンレノンでしたか「宗教の無い世界を夢見てごらん、国境の無い世界を夢見てごらん♪」といった歌詞(くわしくは知らないのですが)の「夢」を音楽と詩で語っていますよね。

夢は 音楽哲学にしろ、言葉や詩の哲学にしろ そこから生まれたさらに進化した音楽や詩や文学にしろ、 裏のその哲学がどこまで煮詰められているかによって 実現へと近づいてゆくという理論もなりたちます。

私が33,4歳のころだったでしょうか、友達が泣きながらそのニュースを知らせてくれた事を憶えています。彼がピストルで撃たれて殺されていなかったら、どのような哲学をわたしたちに語ってくれたのか、生きていたなら彼の60歳の頃のお話を聞いてみたくなります。

へんな自己紹介ですが、ここまでをここでの自己紹介とさせていただいます。

紙数の都合で 回答自体はANO15まで筆を伸ばします。(一応最初の回答という形ですが)

***
 paradox8様の質問文に直接対応した回答は次のANO15(から)となりますが、 まだ紙数がありそうなので、付け加えます。

私は上記のような「哲学人」なのですが、 最近、このサイト内にて、アカデミックな哲学の世界で“哲学の世界”自体が 膨大に分裂していてそのその思索における総合性を失ってるとかつかみがたくなってるとか聞いていますし、

また哲学の歴史自体が、何か個とか個性というあたりでもしかしたら へんな曲がり方をしてきてしまったらしいことも聞いています。  個とい概念はとても大事な人間性についての思索なのですが、絶対個という概念を 文字通り「絶対」に通じ合えないのだからそれが故にお互いを尊重しあうことが大事なのだとかいうふうな簡単な考えでまとまってしまっているらしいことも聞いています。

 アカデミックな哲学が こんな地点から抜け出せないでいるというのが事実であるなら ちょっと信じられない世界です。

学者の卓上の論理というのは もしかしたら、生きる必死さ、真剣さに欠けているのかもしれませんね。 それだから この宗教の問題にも哲学が答えられなくなっているということなのかもしれません。 ここにそのような推理が働いてしまう者です。

でも、本来 人間の哲学の可能性を哲学すれば、深く広く総合的、本質的、厳密に考えれば そんなはずないと思う者の 私はもちろんその一人です。

私自身は、諦めません。  つづけます。

そちらの質問は、“本来哲学が忘れたり、諦めたりしてはならないはずの問題”というふうに、 私はなのですが、 本気で思っています。

ごめんなさい。馬鹿にされてしまうかもしれないですが、その本気さの出どころを正直に書きます。 そのあたりの自己紹介を先に書きます。

わたしは、肉体労働者でほとんど本とか読んでいません。 アカデミックな哲学の世界の歴史とかを知らない人間なのです。
しかし、子供の頃 差別といじめから体を壊し何度も死の床をはいずった体験からか、物事を考えるのにいちいち...続きを読む

Q月刊の絵本の発行

日本で、福音館書店の「こどものとも」「かがくのとも」のように、一話ずつの絵本を、月間(ではなくても定期的に)発刊している会社というのは他にあるのでしょうか。
童話館ぶっくくらぶのように既存の本を選んで配達してくれる会社ではなく、発刊している会社が他にあるのか、ご存知の方、教えて下さい。

Aベストアンサー

ひかりのくに、フレーベル館、学研、世界文化社、鈴木出版などでも月刊絵本を出していると思います。

Q総合格闘技団体みたいな、総合宗教団体を作りたい。

最近、宗教の事を身近に感じます。
少し無理が有るかもしれないですが、すべての宗教をまとめる宗教団体を作りたい。
総合格闘技みたいな。
宗教法人、宗教研究会とか、宗教法人、総合宗教団体オールとか、宗教法人、宗教オリンピックとか、宗教法人、宗教交流会とか、宗教法人、宗教すべてオッケーの輪とか、宗教の宗派や、派閥は、あっても良いけど、宗教は宗教だから、みんな一つの輪だから、思想も色々あるが、とりあえず一つの輪になって、宗教活動したい。
それで、思想の違いから意見の対立があるから、
宗教オリンピックを開いて、宗教論争の戦いをやる。宗教の専門家に審判をお願いする。
もちろん、これが元で宗教戦争になったら困るので、言い争っても、テロとか、やらないように、論者に頼んで、また信者にも頼んで、合法的な活動にする。
それで、相手を批判したり、自分が批判されたりして、自他共に、良い所、悪い所を認めあい、自分の宗派や派閥を、良い物にして行く。

これは、どうでしょうか?面白いんではないでしょうか?

柔道的な発想です。
嘉納治五郎も、その昔、柔術が無くなって行くから、柔術を総合し、人道を加えて、柔道を作りました。

それなら、宗教から、宗道べの時代が、やって来てないですかね?

少々無理があるかもしれないですが、回答を、よろしく、お願いします。

最近、宗教の事を身近に感じます。
少し無理が有るかもしれないですが、すべての宗教をまとめる宗教団体を作りたい。
総合格闘技みたいな。
宗教法人、宗教研究会とか、宗教法人、総合宗教団体オールとか、宗教法人、宗教オリンピックとか、宗教法人、宗教交流会とか、宗教法人、宗教すべてオッケーの輪とか、宗教の宗派や、派閥は、あっても良いけど、宗教は宗教だから、みんな一つの輪だから、思想も色々あるが、とりあえず一つの輪になって、宗教活動したい。
それで、思想の違いから意見の対立があるから...続きを読む

Aベストアンサー

たぶんこんなことを考えられるのは 『あなたが日本人」だからでしょう。
日本の宗教は「神様喧嘩せず」が信念にあるので、どんな宗派だって好きにさせてます。
例え金儲けの宗教でも。 だから宗教衝突も起きませんし 殺し合いもありません。

海の向こうでは「唯一神信仰」だから 俺以外はみんな邪教者なんで
邪教者は殺したっていいんです。徳が積まれますから、喜んで赤ん坊を石で引いたり
女を犯して 生きたまま男の首を切り取り歓喜の声をあげます。 あちらの人にとっては
この行為はすっごい美徳ですから。うらやましいですね。

こんなやつらを相手取るんですから、銃でも大砲でも絶対に敵わない上、眉一つ動かすだけで周りの仲間が苦しんで苦しんで絶命するような力を持った代表者が仲に立って
力でねじ伏せて手を握らせなきゃ無理でしょう。

温厚ってのは「同じ宗派の人間のみ」の付き合いなんで 異教徒に温厚になれるわけはありません
だって自分の宗教以外を認めるのは冒涜なのですから

Q絵本を探しています。1、ワニの絵本 2、オレンジの灯りの絵本

二冊の絵本を探しています。
一冊目はワニの絵本です。
ワニは鮮やかな緑色で書かれており、ディフォルメされています。
内容は雪を食べてみたいワニが北国に行き、念願の雪を食べようと雪の降る中、口をあけて目を閉じていたら凍ってしまい流氷になって海を漂っていたら、友達のバナナみたいなくちばしをした南国の鳥に助けられるストーリーだったと思います。

二冊目は多分日本の作品で、絵本だったか児童書だったか定かではありません。
海の底のほうに、灯り亭、みたいなお店があって、貝殻の中に青い灯りや赤い灯りなど色とりどりの灯りがあって、その中にひとつだけオレンジ色の灯りをともす貝殻があり、それは主人公のための灯りだからもっておいき、と手渡してもらえるお話です。

どちらも1980年代に読んだ本です。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

自信がないので書店で確認をしてみてくださいm(_ _)m
「わにのアリゲーきたのしまへ」カズコ・G・ストーン作

Q伝統宗教と新興宗教と外来宗教

宗教に抵抗のある人でも、除夜の鐘の音を聞くのも不愉快、初詣にもいかん、お盆もやらんという人は少ないと思います。
多くの人にとって伝統宗教は「宗教」のカテゴリに入っていないのではないかと感じられます。
特異な存在である宗教として意識されるのは新興宗教と、外来の宗教であるキリスト教やイスラム教ではないでしょうか?
伝統宗教とそれ以外は意識の上で何が異なるのでしょうか?
またいかなる伝統宗教も開祖の時代は新興宗教であったはずですし、逆にいえば今現在の新興宗教も何百年も先まで残っていれば
伝統宗教として扱われるようになるでしょう。
また今は日本の土着宗教のようになっている仏教も本来は外国の宗教でした。
新興宗教や外来宗教はいつなにをもって伝統宗教に転ずるのでしょうか?

Aベストアンサー

マイナーがメジャーになるきっかけは、やはり支配者の決定じゃないでしょうか。


古来 人間はモノを創造していた。製作していた。


今のように大型量販店で、できあいのモノを買うのではなく、自ら作っていた。


各地で特産ができて、自分たちには無いものを、自分達独特のものと交換していた。
無いなら作ればいい から 作らずに品物を手に入れる方法として物々交換をしていたわけです。


そういうわけで、創造から今では人間の特性は消費に進化したわけです。


従って今では、創造をするモノになるより、創造されたものを大量消費するモノの方が圧倒的多数。
創造する人はマイナー。


キリスト教を例にとると、人々はいい宗教だからと 自らの自己決定で選んだわけではない。


学校には制服があるじゃないですか。
学校に自ら作った服を着ていかず、既製服を着ていきますよね。
それと同じように、時の支配者が創造したというか、ミックスした宗教を、被支配者階級に「これを着なさい これ以外は学校では着てはいけません」というように、「これを信仰しなさい。これ以外の信仰はしてはいけません」となったわけです。


どうして支配者は、キリスト教を選んだのかというと、被支配者の頭を上げさせないため。
押さえつけて支配者に服従させるため。

という側面と、集団を一つの宗教だけ信仰させることで、統一し纏め上げることが容易になるから。
散らばっている羊より、固まっている羊の方が、扱が容易ですよね。


ぜんまい仕掛けのおもちゃみたいなもの。
創造者、支配者、そして設計者でもあるその者の思い通りに、宗教を使えばできてしまう。

それに気づいたローマ皇帝たちは、だからキリスト教を使用して、領土を拡大することに成功したわけです。



従って、どの宗教が集団のメジャーとなるかは、支配者が利用価値があるとして使用するかどうか次第。


考えてみてください。
「あれは敵だ」と戦争を支持する者の息子は、決して戦場にに行くことはありません。
人々は国のため、神の正義のため という言葉によい知れ、奮起させられるが、決して支配者の息子が戦場の前線で国のため、神のためと戦うことはありません。
つまりその宗教の価値があるとしているのは、それがすごい物だから信仰すべきだとしているのではなく、自分の世界を拡大するために利用価値が大いにあるとしたから。
だから利用価値があるから支配者は利用することとなった。
利用しても成功しなければ、利用しないまでです。



神の正体とは、人間であり民を支配している者。
その者が利用価値があると選択した宗教が、メジャーになるわけです。


人々はその者が創造した商品を大量消費することに楽しみを感じる。
大量消費からブランドとして、価値を付加するわけです。

ブランドの誕生は、支配者が使用するようになってから、ブランドとして名が通り、高い値で取引される。

手作りで、職人が作るわけだが、人々の関心は、それを消費することであって、メーカーのように創造・製作することを楽しみたいからではない。
信仰とは消費と同義語。



仏教だって支配者が選択したからだし、神道だって支配者の都合で各地に伝わっていったわけですし。

人々は被支配者が決めた服を着て(消費して)喜んでいるだけ。



物を作っていた時代から、交換になり、消費がはじまり、大量消費になり、創造に興味はもたず、今はブランドに興味を持つようになったという人間の進化の過程を、宗教に置き換えて考えてみました。

人間の特性を知れば、解ける問題ですね。
そして人間の特性を知った人は、利用し勢力を拡大していった。
気づき利用したことで、自分が中心となる王国を築けた。

マイナーがメジャーになるきっかけは、やはり支配者の決定じゃないでしょうか。


古来 人間はモノを創造していた。製作していた。


今のように大型量販店で、できあいのモノを買うのではなく、自ら作っていた。


各地で特産ができて、自分たちには無いものを、自分達独特のものと交換していた。
無いなら作ればいい から 作らずに品物を手に入れる方法として物々交換をしていたわけです。


そういうわけで、創造から今では人間の特性は消費に進化したわけです。


従って今では、創造を...続きを読む

Q昔読んだ絵本が気になります。 その絵本は熊とモグラの交流を描いた絵本でした。 うろ覚えですが、モグラ

昔読んだ絵本が気になります。
その絵本は熊とモグラの交流を描いた絵本でした。
うろ覚えですが、モグラは女の子だった気がします。
ご存知の方は是非教えてください。

Aベストアンサー

「ぼくのはなさいたけど…」
作: 山崎 陽子
絵: 末崎 茂樹
はどうですかね?モグラは女の子です。
http://www.ehonnavi.net/ehon00_opinion.asp?NVKB=E00&no=3442

Q宗教の本質 十ヶ条

宗教の本質 十ヶ条

------------ 宗教の本質 十ヶ条 ---------

1.宗教の発生
  宗教は人類の誕生とともに自然発生的に生まれました。
  どのような原始社会においても宗教は発生しています。
  宗教の生まれていない地域、社会、時代は皆無といってよい。

2.宗教の数
  宗教は全世界に隈なく分布しています。
  その数は分類のしかたにより数千とも数万とも数百万ともいわれています。
  また宗教は人の数だけ存在するという人も多数います。

3.宗教を構成するもの
  宗教は神、天国、地獄の3つの概念により構成されます。
  この3概念を備えない宗教は存在しません。

4.宗教の宇宙観
  全ての宗教は有限宇宙観に支配されます。
  すなわち宇宙はある一時期をもって開始し、その広がりは有限であるとみなします。
  神、天国、地獄の3概念に支配される宗教にとって宇宙は有限でなければならないのです。

5.悩み、苦しみからの逃避手段としての宗教
  宗教は心地良いものです。
  修行と名のつく様々な宗教的所業も結局は心地良さの追求です。
  このため宗教は悩み、苦しみ、絶望からの逃避手段として用いられます。
  酒を飲むと心地よくなるのと同様の効果です。
  もちろん酔いが醒めると辛いものが待ち受けておりますが、宗教の場合とて同じです。
  このことについてレーニンは「宗教はアヘンである」と言いました。

6.儀式としての宗教
  宗教は人の死に際を整えるための儀式として機能します。
そのため宗教は人の死について、その死に際について特に拘るのです。

7.統治の道具としての宗教
  宗教はもともとは人間社会の統治の道具として生まれました。
  これは古代エジプト王国などをみればよく分かることです。
  大勢の奴隷を効率よく統治管理するための道具として有効利用されたのです。
  この状況は根本の部分においては現在でも全く変わっていないと言ってよいでしょう。
  宗教が政治を目指すのはこのためです。
また国が宗教を擁護するのもこのためです。

8.利益追求としての宗教
  宗教は貧しき者から高額なお布施料、葬儀料を巻上げ、欲の趣くままに巨大神殿を建設し、
栄華を楽しむものです。

9.宗教の未来
儀式や統治の道具としての宗教は力を失いました。
  これは近代科学、近代文明が発達した結果として起こる自然な結末なのです。
  それと同時に宗教を支配した神、天国、地獄の3概念もそのイメージが次第に薄れてきました。
  つまり宗教の役目は失われつつあり、既に宗教の時代は終わったといってよいでしょう。

10.宗教の次に来るもの
  それは「人の道」、つまり真理の探究であり、思想と哲学の時代です。

以上は、前回提示した「宗教の本質」(質問番号:5989268)を通して回答者の皆さんから得た回答内容とこれらに対する評価および宗教に対する私自身の再認識を加え、最終形としたものです。

ご意見下さい。
ただし、回答者自身の答え、すなわち回答者自身による「宗教の本質 十ヶ条」をもって回答願います。
(その理由は、前回の質問では回答者自身の答えを示さず単にここが違う、ここが不十分などと部分的に指摘するのみのものばかりであり、満足のいく回答には程遠かったからです)

宗教の本質 十ヶ条

------------ 宗教の本質 十ヶ条 ---------

1.宗教の発生
  宗教は人類の誕生とともに自然発生的に生まれました。
  どのような原始社会においても宗教は発生しています。
  宗教の生まれていない地域、社会、時代は皆無といってよい。

2.宗教の数
  宗教は全世界に隈なく分布しています。
  その数は分類のしかたにより数千とも数万とも数百万ともいわれています。
  また宗教は人の数だけ存在するという人も多数います。

3.宗教を構成するもの
  宗教は神、天...続きを読む

Aベストアンサー

 前回の質問に引き続きよろしくお願いします。ただ、「宗教の本質十カ条」と言うことなのですが、本質と言うのは「必要最低限の構成要素」であると考えています。それを踏まえて、私の宗教十カ条を提示していきたいと思います。
1.宗教の発生
 現在の人類進化学では、人類発生と共に宗教が生まれたとはいえません。人類進化の過程において複数の人類が誕生していますが、その中で宗教を持ち得た可能性を確認できるのはネアンデルタール人までです。しかし、ネアンデルタール人が宗教を持っていたことの決定的な証拠は、未だ見つかっていません。ですから、あくまで可能性という事でいえばネアンデルタール人以降と言うことになります。
 ですから、宗教発生には「現生人類の約70%程の前頭葉の発達」が必要であるといえます。
2.宗教の数
 ここは、同意権です。進化論学者リチャード・ドキーンス氏は「宗教は人々に広がっていきやすいミーム」という説を提唱しています。この宗教的ミームの特徴は必ずまったく同じであるということがないとも言っていますので、世界の人口分だけ宗教が存在するということも可能だと考えます。
3.宗教を構成するもの
 これこそが「本質」と言う事に最も相応しい設問でしょう。しかし、宗教の中には「神」「天国」「地獄」の概念が存在しない宗教や、神がいても信仰されない宗教もあります。(前回の質問の中をお読みください)ですから、神、天国、地獄は、「宗教」と呼ばれる概念には必ずしも必要としないわけです。
 では必ず必要な最低限の構成要素を挙げますと、二つです。ひとつは「人間の認知機能」です。先の質問で述べさせていただきましたが、簡単に言えば人間は宗教的なものを感じるように出来ているということです。しかし、これだけでは足りません。もうひとつは、その認知機能の「対象」となるものです。
 つまり、宗教を構成する最低限の要素は「人間の認知機能」と「その対象」これが全ての宗教に共通して存在する、構成要素と考えます。
4.宗教の宇宙観
 宗教とて「人間の認知機能」の表象ですから、それとて人間の認知機能の限界がそのまま宗教の宇宙観の限界と云うことも出来ますね。
5.悩み、苦しみからの逃避手段としての宗教
 これ、「宗教の本質」についての設問ではなく、「宗教の一側面」を示すものですね。本質を問う項目として私は削除できます。
 ただ、宗教にもこのような側面はあります。。しかし、この問題を考えるときに「防衛機制」と言うことを考える必要があります。フロイトの娘、アンナ・フロイトが提唱した理論ですが「不安等の動機によって行われる自我の再適応」を指すのですが、悩みや苦しみからの逃避は私達は日常いたるところで行なっている行為であり、もちろんこういった側面を持っている宗教も存在しますが、これは人間そのものの特徴とも位置づけられます。
>>このことについてレーニンは「宗教はアヘンである」と言いました。
 レーニンではなくマルクスではないですか。レーニンは「毒酒」ですよね。しかも、マルクスにとっての対象としたのは「ロシア正教」であり、後に以外の宗教に拡大解釈されるようになったに過ぎません。
6.儀式としての宗教
 「死の儀礼」に関しては「死体をどのように扱うか」と言うことのほうが、重要であるように思います。死の儀礼はこの死体の処理の仕方を具体的に示すものです。
 そして、「死」そのものや「死者との付き合い方は」その「死体」の延長にあると考えています。もうひとつ付け加えるなら、「死体」は人に宗教的感情、または推論を起こさせやすい「対象」であるということはいえるでしょう。
7.統治の道具としての宗教
 ここでは宗教を統治の道具として捉えておられますが、これも「宗教の一側面」であり本質的な部分ではありません。こういった説明は人類学では機能主義といわれますが、機能主義に関しては「全然秩序維持とは関係ない宗教的規定」についての説明は無視される傾向にあります。この設問は「この社会において宗教がどのような役割を果たすか」ということには有効ですが、「宗教の本質」には相当しない設問です。
8.利益追求としての宗教
 この設問も宗教のもっている一側面であって、本質にはならないように考えます。宗教が全てお金を必要とするということはありません。
9、宗教の未来
 人間は宗教的なものを感じるように出来てますから、まだ宗教はなくならないでしょうね。
10.宗教の次に来るもの
 次という時間軸が良く分かりませんが、新しい宗教もまだまだ生まれるでしょうね。
だらだら書き連ねましたが、「本質」の検討であるならば、最初の四項目くらいで充分ではないでしょうか?それ以外の設問は「本質」ということでは蛇足だと思いますよ。
 合掌 南無阿弥陀仏

 前回の質問に引き続きよろしくお願いします。ただ、「宗教の本質十カ条」と言うことなのですが、本質と言うのは「必要最低限の構成要素」であると考えています。それを踏まえて、私の宗教十カ条を提示していきたいと思います。
1.宗教の発生
 現在の人類進化学では、人類発生と共に宗教が生まれたとはいえません。人類進化の過程において複数の人類が誕生していますが、その中で宗教を持ち得た可能性を確認できるのはネアンデルタール人までです。しかし、ネアンデルタール人が宗教を持っていたことの決定的...続きを読む

Q星の王子様にちなんだ絵本です。捜してます

以前本屋で目にとまり読んだ絵本がありました。
題名は星の王子様のちょっとひねった感じでした。
挿絵は有名な星の王子さまの絵そのもので、その絵本のコンセプトは
逆さまでも右からでも左からでも全方向からその絵本を楽しめると
いうものです。いろんな星に王子さまがいて不思議な感じに
なってるものでした。
少し前のものなのですが、この本の題名とか出版社とかお分かりになる方、是非回答をお願いします。

Aベストアンサー

「星の王子様のちょっとひねった感じの題名」で思いつく本は、
「STAR EGG 星の玉子さま」森博嗣 (文藝春秋) です。
絵や内容はお探しのものとちょっと違うかもしれませんが…

参考URL:http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4163235507/ref=s9_asin_title_1/503-9738463-1986310


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