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いくら道徳で恥じるのはいけないと説かれても、恥ずかしいという気持ちが芽生えてしまうなら理屈で治まるわけではないと思います。
どのような状況で恥ずかしく思ってしまうのでしょうか?

何か粗相をしたとか、無職であるといったことでしょうか?


この前放送されていたドラマ「IS」では、登場人物の一人には障害をもつ姉がおりました。
そして、彼女のことを恥じていたとして深い自責の念に苦しむ場面がありました。
しかし、姉がどのような行動や言動をしていたのかは描かれず、ただ近所の子からはやし立てられただけ。
こういうとき、はやし立てた子に腹を立てるのではなく、障害を持つ姉を恥ずかしいと思うものなのでしょうか?

A 回答 (23件中1~10件)

No6です。



白熱してますね。全部読んで考えさせられました。

私が「申し訳ない」と思ってしまうのは、クラス全員で綱引きしているのに一人だけ力が出ないで重荷になっているんじゃないか、との引け目です。

家族にそういう立場がいても、やはり家族は私の体の延長ですから同じ責任感を感じています。特に自分が病気がちでチームに迷惑をかけてしまって、障害でなくても家族とチームに力を出し切れなくて情けないと感じます。

しかし、やれるだけやれる能力あれば問題ないですよね。

やけどの跡など見た目で虐められるのは別問題ですが、けがも病気も生まれつきの障害も、「足手まとい」といったイメージが昔から拭えないのではないでしょうか。

余談ですが、侍が怪我をして五体無事でない場合、義務を全う出来ないので引退か自害しています。そう言う厳しさが日本にはあった様です。戦さの後のけが人は何処に行ったと思いますか。農家では女児が生まれると殺したりしていました。五体満足でも、女児は不要という理由で。裕福でない限り、障害者もどこかに消えていましたね。それは150年くらい前までは経済的理由での間引きとして、割とあった事です。

現代の豊かさの中でイメージだけで偏見を持たれるのは、性差別や人種差別と同系列だと思います。そして、弱肉強食競争社会では弱い者を認めてはいけない、認めたらみんなが怠けてしまうかもしれない圧力を感じます。例、学習塾やスポーツ界。
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この回答へのお礼

>白熱してますね。
お恥ずかしい。
なかなか就職決まらなかったときの問答を思い出し、つい熱くなってしまいました。
せっかくの休日潰してPCにかじりつくのは恥ずかしいことですね。


>クラス全員で綱引きしているのに一人だけ力が出ないで重荷になっているんじゃないか
皆が力を出し合ってる中、それに参加できない。
縁の下の力持ちといった形でも参加できないとなれば、それは負い目になりますね。
余裕のない状況なら尚更です。

戦時中、戦争反対の立場を貫いたり体の問題から徴兵されなかった身内を非国民として恥じるという話がありました。
当時の状況を考えるとプロパガンダではなかったのかもしれません。
社会に余裕があるなら、もう少し寛容にもなれるんでしょうけど。


>私の体の延長ですから同じ責任感を感じています。
これ、片鱗程度ですがわからなくもありません。
仕事で組んだ相手の手に障害があり、彼に問題なく任せられる作業を割り振ろうとしてもどうしても限界がありました。
結果、他の皆がてんてこ舞いしてる中、彼だけ手持ち無沙汰という状態になり皆の不満が蓄積していきました。
その時は皆に対しても彼に対しても申し訳なく思っていました。
それぞれの力量を考えず割り振った上司が悪いなんて割り切れるものでもありません。
その一方でこの状況に対し危機感を持たない彼の発言に苛立ちを感じてもいました。
展開次第では恥ずかしいという感情に繋がることもあったかもしれません。


間引きの話、身につまされます。
福祉のありようについてシビアに考えないと、そんな時代に逆戻りしてしまうかもしれませんね。

わかりやすい例や詳しい話をありがとうございました。

お礼日時:2011/09/19 19:14

>自分の認識が一般社会のソレと違っているという発想はないのですか?



少なくともご質問者さんよりは一般社会に近い感覚だという自信があります。

法で決められていなくても「障害者」には各交通会社が各々独自に決めた割引やその他のサービスがあります。
携帯電話会社、一部のサービス業等が独自に障害者を優遇するサービスを定めているところが多々ありますが、ご質問者さんが辞書を見せて「手帳は持っていないけど障害者ですサービスして下さい」と言っても応じてくれるところは稀です。

ご質問者さんはコンビニで見かける厚い女性向け昼メロ漫画と呼ばれている雑誌に連載されたマンガを原作としたドラマ「IS」に感情移入されているようですが、私が会ってきたのは生身の多くの障害者とその家族です。

一人の漫画家が思いつけるような単純な世界ではありません。

そして、障害者が障害者にとって一番害を成すと考えるのはご質問者さんのような偽障害者です。

障害者自身が努力し、力を合わせ10年間かけてやっと手に入れたものも偽障害者が現れれば世間は全ての障害者が社会を欺いているかのごとく叩き、3日で元の木阿弥なんてことは過去に珍しくないことです。

ご質問者さんは一般的に考えられる「障害者ではありませんが〇〇が不自由です」を使わず『障害者』を騙ったのには「障害者と言えば許される」という計算があったでしょう。

私の指摘以降の一貫性の無い言い訳の数々は後付だとしか感じませんよ。

最後に伝えておきます。

誰かに誤解されるなら説明すればいい

制度に不満が有るなら変えればいい

グダグダとネットで愚痴っても何も変わらない

好き勝手に言っても許される免罪符代わりに気軽に障害者を名乗るべきでない

この回答への補足

降参


ですが
>一人の漫画家が思いつけるような単純な世界ではありません。
作者もきちんと当事者に取材してます。

補足日時:2011/09/21 20:18
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「心身に恒久的な問題を抱え不自由してる人」と言えばいいだけの事を何故「障害者」と名乗るのでしょうか?



制度を知らない人は広義も狭義もなく「障害者」と認識します。
間違った情報を刷り込むことが目的だとしか思えません。
卑劣な手法であると言う認識に変わりはありません。

>このギャップに遭遇したときどうするか?
>自分の基準を押し通すか、相手の基準に合わすか、さらなる情報を開示するか?

説明します。
例えを合わせれば義肢でパラリンピックに出るには地方自治団体からの補助で作ることができる数十万程度の義肢では話になりません。
あれは一本作るのに100万単位の自費が必要となる上に一本目に作ったものがフィットするわけでもなく、何十本と作り直してやっと世界の舞台に立てるものです。

また、切断箇所が1cm違うだけで義肢をつけて歩けるか歩けないかが分かれるほど人間の脚の構造は複雑で、パラリンピックに出る選手の中には競技に合わせた箇所で切断手術をしている方もいます。

この切断手術はもちろん保険適応外です。

この説明を聞いてまで「同じ」と言い張る馬鹿な健常者はいないでしょう。

私には口が有るし多少は日本語が使えます。
説明もしないで分かり合えると信じられるほどロマンチストでもありません。

>これが就職の面談で生じた祖語なら大問題です。
>さて、相手からの信頼や納得を得るにはどうしたらよいでしょう?

残念ながらこれは就職の面談ではなくQ&Aサイトです。
私はご質問者さんと違って場面に合わせた応えをすることが出来ますから、デスクワークのみの募集であれば「特に支障なし」肉体系の募集であれば「三日くらい平気な顔で働いて二日程休みます」と正直に応えます。

なにもかも同じでは社会に適応できませんよ。

>>ニートである自分を正当化するような輩
と解釈してる人が、何とか理解を得ようと説明を頑張ってる発達障害者であるという可能性は考えないんですか…。

そういう輩が勝手な広義をあたかも正しいもののように振りかざし世間を騙すことによって、誠実に何とか理解を得ようと説明を頑張ってる方々の道を閉ざしていることを危惧しています。
発達障害者だけに特化して考えてはいません。

ご質問者さんはご自身さえ良ければイイとお考えのようですが。

>困っている理由が厳密な意味での障害かどうかまで考えてるわけでないでしょう?

私も息子達も相手が困っていれば身体障害者でも健常者でも手を差し出します。
そこに障害の有無は関係ありません。
しかし、相手が嘘を語るペテン師であれば手を差し出しません。

身勝手な広義などと言う解釈を振りかざしても「障害者ではない」という事実は変わりません。

「障害者です。手帳持ってませんが。」なら制度を知った者が障害者として優遇されようと騙っていると判断しますし「体調が悪いのです。」なら深く考えることなく手を差し出します。

制度に固執した故に「障害者」という名前に勝手に葵のご紋的威力を求めたのはご質問者さんのほうですね。

>これは当事者として受け入れがたいので、違う考えの者がいることを語る必要が生じました。

えっと、ご質問者さんは障害者を見て「気持ち悪い」と堂々と言う人なのですか?

それならかわいそうな人ですね。
嘘はともかくその点は同情します。

自分だけは、自分の周りの人たちだけは障害者にならない。
こんな脆い思い込みが将来もずっと持ち続ければいいですね。

何の話かよく分からなくなってきましたね。

>「心身に恒久的な問題を抱え不自由してる人」という実情に即した広義の定義をどうしても認めず制度上の区分に固執するならもう平行線ですね。

世の中には「健常者」「心身に恒久的な問題を抱え不自由してる人」「障害者」がいると素直に考えることができず、ご質問者さんが『偽』を語ってまで自分が正しい自分は善人で自分は不幸であると思い込みたい限りは私とは平行線です。

私はご質問者さんを可哀相と思える身体障害者ですが自分の間違いも悪さも知っていますし、ご質問者さんと違って幸せ、お気楽に生きていますので。

この回答への補足

>「心身に恒久的な問題を抱え不自由してる人」と言えばいいだけの事を何故「障害者」と名乗るのでしょうか?
>制度を知らない人は広義も狭義もなく「障害者」と認識します。

そもそもあなたの定義だけが正しいわけではありません。

(ここで語る障害について)
[2]身体の器官が何らかの原因によって十分な機能を果たさないこと。また、そのような状態。

機能―

平衡感覚が―される

血管に―がある

[3]個人の特質としての機能障害(impairment)、そのために生ずる制約としての能力低下(disability)、その社会的結果である社会的不利(handicaps)を包括する概念。


しょうがいしゃ[しやう―] 3 【障害者】
身体または精神に何らかの障害をもつ者。心身障害者。
[ 大辞林 提供: 三省堂 ]


とあります。
福祉の対象になるかどうかは定義に入れていません。
この定義はこの定義で、知能障害や発達障害が除外されてる(その二つも精神障害に含めてしまってる?)問題あるものですが。

一般の全ての認識がこうとは限りませんが、福祉の制度と関わりが出てきたときに当事者が手帳の有無について確認や補足をして、それで問題なく世の中は回っています。
問題が起きたなら、それは当事者のミス。

あなたは障害者枠で働き、団体にも所属しているのでしょう?
自分の認識が一般社会のソレと違っているという発想はないのですか?


そして自分が「障害者」と述べたもう一つの理由は、説明が冗長になるからです。

私の場合、病名と症状をただ説明しただけでは、どう不自由が発生しているかがなかなか伝わらず、相当に掘り下げる必要が出てきます。
その説明自体が相手の負担になるし、今回自分がそうであると語った時は論点とはさほど関係ありません。

私だって障害という属性があるだけでその人を気持ち悪いなんて感じたりはしません。
その神経だって理解できません。

あなたは最初、義肢の見た目についても語っていたので、
>今日は障害者を見て「気持ち悪い」と感じる健常者だった人が明日、障害者になった時、その人は自分自身を「気持ち悪い」と感じてしまう。
この「気持ち悪い」は患部などの外見によるものと認識しました。

そして、当事者であっても他人のソレを生理的に気持ち悪く感じてしまうことがある。
だから隠したい、普通に合わせたい、という人の気持ちもわかる。
私がその当事者の一人であることさえ分かってもらえばいいのでああ説明しました。
優遇してもらおうなんて考えていません。


>この説明を聞いてまで「同じ」と言い張る馬鹿な健常者
多少掘り下げてできない理由を説明されても、それでも何とか補ってできるようにする(同じようにする)術があるのでは?
と、可能性を信じている人なんだと考えられませんか?


>残念ながらこれは就職の面談ではなくQ&Aサイトです。
その通り。
だから私も、はっきりさせておきたいことだけを端的に語りました。

論点は、齟齬が出た時相手の信頼と納得を得るにはどうするか? です。
面談のような改まった場所でないからといって、粗暴な言葉をまきちらしていい理由にはなりません。


>ご自身さえ良ければイイとお考えのようですが。
あなたはあなたで、手帳がある人だけが障害者と認識されてればよい、どちらともいえないグレーゾーンの存在は邪魔だという考えに思えます。
手帳はないが不自由しているグレーゾーンの人を無理やりどちらかにあてはめようとしてイメージを膨らませ勝手に混乱し、面倒になってさまざまな蔑称をつける。
いいトシした大人のすることですか。


>「体調が悪いのです。」なら深く考えることなく手を差し出します。
グレーゾーンの人の場合、自分の状況をそう表現するのは無理があったりします。
特に外科的な問題は。
「足に障害がある」「手に障害がある」
手帳がないとしても、こういう表現はダメですか?
手助けする人にとっては、症状、現状が全てです。


あなたが腹を立てるきっかけとなった
>同じ、またはより重度の障害があっても問題なく社会生活を営んでいる人がいるなら、障害のせいにするのは甘えでしかありません。
という発言ですが、これは
>障害者に対してどういう見解を示せば理解したことになるのか?
>という疑問が残ります。
の続きです。

障害者本人やその身内、支援者といった障害者サイドの人が理解を求める状況を大まかに分けると、何らかの支援や配慮を求める場面と、トラブルの釈明の2つと考えています。

個人差をあなたは挙げられましたが、その個人差に合わせた教育を施すのも障害者サイドの仕事でしょう。
義肢を装着者に合わせ調整するようなものです。
その仕事が自分の手に余るなら然るべき立場の者に協力を仰いだりバトンタッチする見極めもしなくてはならない。
その支援もしなくてはならない。

あなたは、
>やることはやってます
などと言ってましたが、トラブルになったなら障害者サイドの人はそのやることをやってない、失敗したわけです。
なのに障害(その特性としての個人差)をトラブルの言い訳にするのは甘えなんです。

その障害や特性を踏まえた上でトラブル防ぐのが、あなた(達)の仕事でしょ。
辛い? そんな文句は上に言ってくれ、被害者にそんなこと言ってどうすんの。

というのが、何らかの被害を受けた挙句に障害について理解を求められた被害者の見解(の一つ)なわけです。

補足日時:2011/09/21 11:35
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この回答へのお礼

質問のきっかけとなったドラマのタイトルである「IS」とは、インターセクシュアル、性分化疾患のことです。
性別におけるグレーゾーンです。
はっきりと男、女の2つに区分できない状態で生まれた人が、男は男らしく、女は女らしくという社会でどう生きていくかの苦悩が描かれています。
登場するISの人は、性同一性障害と混同されるならまだしも、女装癖、オカマなどのいわゆるヘンタイと解釈されイジメを受けたりします。
更には、性器の形を男と女のどちらかに合わせる手術を受けるよう迫られたりします。

なんか、あの人たちの気持ちが片鱗程度ですがわかった気がします。

お礼日時:2011/09/21 11:39

>症状とそれによって副次的に発生する諸問題に対するものです。



数数え切れない症状から副次的に発生する諸問題までの組み合わせを考えれば天文学的な数字となる事は子どもにも分かることです。

これを分かっていながら『同じ』と言える思考が理解できません。

>発達障害の方々がこう見なされ苦しんでいる件についてはどうお考えでしょうか?

ニートである自分を正当化するような輩がいるため世間に誤解され、理解されず苦しんでいる苦しんでいる方は存在します。

身障者と名乗りながら話を突き詰めると障害者では無くなる。

こういった偽りを含め自らを正当化する者がいる限り偏見はなくならないでしょう。

障害者を名乗れば甘く優しい回答が集まると思ったのではないですか。

それは不当な方法で障害者として優遇措置を利用している詐欺師と同じ発想であり、障害者からすれば迷惑この上ない卑劣極まりない行為です。

障害者と認められたいなら役所相手に正当なアクションを起こし、得意の革命家気取りを十分に発揮すればいいでしょう。

認められた上で「障害者です」と言わない限り私の中ではご質問者さんはいつまでも偽障害者、嘘つき、詐欺師、障害者全体に迷惑をかける卑劣な者でしかありません。

当たり前ですがココで書かれてもいないご質問者さんの事情など知るわけありませんし、知ろうとも思いません。

障害者(自称or詐称)で十分です。

この回答への補足

一応、>有耶無耶にしようとしても>違うことを持ち出してきて誤魔化す
こうではないようなので返答します。

>これを分かっていながら『同じ』と言える思考が理解できません。
同じかどうかの判定をどうするか? ですね。
それは、本人やメディアが開示した情報をもとに絞り込んだ結果どうなのか? ってことです。

あなたは最初、足に軽い障害があると語りました。
それを聞いた人が「足に軽い障害がある」と語る他の人を知っているならば、とりあえず[同じ障害]と認識するでしょう。
義肢を使ってるという情報が開示されればさらに絞り込みがなされ、義肢使用の有無で更なる判定が行われます。
それを繰り返し多少の差異が浮上してきたとしても、論点となる要素に影響がないならそこは無視というわけです。

その論点としてスポーツを挙げてみます。
パラリンピックでは義肢のアスリートが多数活躍しています。
だから仮にあなたが義肢であることを理由にスポーツはできないと述べたとしても、パラリンピックの事例を知るなら納得いかないわけです。
身体条件に多少の違いはあるでしょうけど、そんなの義肢の調整や挑戦する種目の変更でどうにでもなる。だからできない理由にはならない。
といった理屈ですね。
たとえば、義肢の見かけが(必要とする性能を満たした上で)いかにもな感じのものなのか、オートメイルのようなものなのかなんて関係ないじゃん、って具合です。

自分にとっては大きな違いでも相手にとっては些細な違いでしかない。
その逆もしかり。
このギャップに遭遇したときどうするか?
自分の基準を押し通すか、相手の基準に合わすか、さらなる情報を開示するか?

私は、義肢を使うなら軽い障害とは言えないと感じました。
これが就職の面談で生じた祖語なら大問題です。
さて、相手からの信頼や納得を得るにはどうしたらよいでしょう?


>ニートである自分を正当化するような輩がいるため世間に誤解され、理解されず苦しんでいる苦しんでいる方
あなたが
>ニートである自分を正当化するような輩
と解釈してる人が、何とか理解を得ようと説明を頑張ってる発達障害者であるという可能性は考えないんですか…。


>身障者と名乗りながら話を突き詰めると障害者では無くなる。
それはあなたが制度上の区分に過剰にこだわっているだけでしょう。
障害者に関する問題を語るとき、福祉の対象になるかどうかが論点と関係ないなら「心身に恒久的な問題を抱え不自由してる人」と広い定義で語っても問題ない状況はいくらでもあります。
電車の優先席のように。
あなたのお子さんは困っている人がいれば的確に手を差し出すことができるそうですが、困っている理由が厳密な意味での障害かどうかまで考えてるわけでないでしょう?

自分が「心身に恒久的な問題を抱え不自由してる人」であることを後出しにしたのも、当初は質問者がどうであるかを抜きに考えてほしかったからです。

しかし、あなたが断言した
>障害を他人に晒すことは気持ち悪い」と言える健常者というのは子どもの頃から親にそのように育てられた可哀相な人なのですよね。
>前述の障害を「気持ち悪い」と堂々と言える人というのは自分が障害者になれば誰かに「気持ち悪い」と言われ、自分の家族や大切な人が障害者になればその人に「気持ち悪い」と言ってしまう。

これは当事者として受け入れがたいので、違う考えの者がいることを語る必要が生じました。
それゆえ自分についての情報を開示した次第です。
(この場合、手帳の有無など関係ありません)


>得意の革命家気取りを十分に発揮すればいいでしょう。

>革命家気取りで演説に明け暮れるニートに誰も手は差し伸べてくれません。
この発言は、ただ福祉の是正を訴えても傍目にはそう解釈されるのがオチだし建設的ではないということです。
はなから、私がソレをやろうなんて考えてません。
制度上の障害者と認められたいわけでもありません。


>偽障害者、嘘つき、詐欺師、障害者全体に迷惑をかける卑劣な者でしかありません。
「心身に恒久的な問題を抱え不自由してる人」という実情に即した広義の定義をどうしても認めず制度上の区分に固執するならもう平行線ですね。

補足日時:2011/09/19 18:27
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忘れてました。



>胡瓜親父
>これはあなた又は知人のハンドルや芸名みたいなものでしょうか?
>検索したら奇妙なおじさんの話がHitしたのですが。

すみません、cucumberは社会ではよく使われてますが中学校では習わない英単語のような気もします。

このくらいの英単語は誰にでも理解できるだろうと思い込み、和訳した自称を入れてしまったことはお詫びします。

そうそう、念のため加えておきますが『胡瓜』は『きゅうり』と読みます。
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お友達間で認定されたゆる~い障害者を世間に認めろと言うには無理が有り過ぎます。



難病の事、障害の事、社会適応性が著しく低いニートの事、ごちゃ混ぜにして障害者の等級が同じなら同じことが出来るはず等と障害者を追い詰める暴論を吐いた点を有耶無耶にしようとしてもそこは忘れようにも忘れません。

健常者でニートと言う立場でこの暴論を吐いた点だけに絞って深く考えるべきですね。

違うことを持ち出してきて誤魔化すようでは説得力も何もありません。

私は相手が同じ等級の障害者であろうが、健常者であろうが、ニートであろうがいつでも胸張れますよ。

やることはやってますので。(^^)v

この回答への補足

同僚の見解を世間に広めるつもりはありませんがね、実際に、奇形に起因する体の不備は事故のリスクに繋がるとして採用断られた経験があるんですよ。
そして、その上で不備と自分のスキルと先方の折り合いをつけ就労しています。

あなたは
>個人差が大きくその障害から生じる問題は多岐に渡り~
こう言いましたね。

私が不採用に終わり、身体の問題に対する先方の見解を述べたとき、アトピーを患っていたり制度上はっきりと障害者と認定されてるが就労してる人を引き合いに責められました。
それに対する反論として、私も個人差を理由にあげ説明しました。
しかし個人差すら、言い訳とみなされました。
そして採用という成果を出すまでは、あなたのいう
>言い訳を探しているような健常者
という見解、ニート扱いでした。
あくまでも過去形です。

>健常者でニートと言う立場でこの暴論を吐いた
これも、等級で分けてるなんてのも、あなたの思い込みです。
私のいう[同じ障害]というのはあくまでも症状とそれによって副次的に発生する諸問題に対するものです。

とりあえず、あなたの解釈が誤解である説明をできるだけ行いました。
これすら
>有耶無耶にしようとしても>違うことを持ち出してきて誤魔化す
こう解釈するならもう何も言いません。


>やることはやってます
その[やること]ってのをやってさえいればこれだけの発言を胸張ってできるとは…。

>社会適応性が著しく低いニート
発達障害の方々がこう見なされ苦しんでいる件についてはどうお考えでしょうか?

補足日時:2011/09/19 15:13
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>私も障害者です。


>手帳もらえないレベルのため

脊髄反射的ではなく一般的に考えれば

【身体障害者福祉法第四条】
この法律において、「身体障害者」とは、身体上の障害を抱える十八歳以上の者であって、都道府県知事から身体障害者手帳の交付を受けたものをいう。

日本ではこのような定義があるのでご質問者さんが障害者と名乗ることに些か無理があります。
健常者が勝手に名乗る分には禁止されているわけではないので法的な問題はありませんが、この書き込みを読んだ閲覧者に誤解を与える詐称と言われても仕方がありません。
せめて「私も障害者です」→「私も障害者(自称)です」と「一般的に言われるところの障害者ではないが障害者と名乗りたい者」といった表現をするべきではないでしょうか。

このように公的に認められていない【障害者(自称)】(障害者で無い者)が障害者であることを就労できない理由とすれば周囲が「言い訳」と感じることは至極当たり前の反応です。

ご質問者さんの言うところの奇形がどのようなものなのか私が知る由もありませんが、公的に認められていない以上【障害者】を名乗ることはご自身にとって周囲に『嘘つき』『詐欺師』『なんちゃって障害者』と呼ばれるだけでプラスになる事はありません。

>今の社会はこうなんです。

障害者(自称)にとってはそうでしょう。
私は団体に属している関係もあって中学校や高校で講演させてもらい【脊髄反射的】メッセージを若い方たちに伝えたりもしていますが、それができるのは私が社会に参加していること、公的に認められた障害者であること、それとなにより『自分個人の立場を良くするために障害者問題を語らない』というスタンスを貫いているからです。
革命家は私利私欲のために革命する者ではなく自らが道を切り拓き、その後に進んでくる者たちに道を示す者です。

>「この作業はこの障害のためこれこれこういう問題からできないと言ってるけど、
同じ(より重度の)障害の○○さんはできてます。これをどう説明しますか?」

分かり易く私が現実に出来る作業に置き換えて言えば

「大型二輪の運転は右足が義足という障害のため公安委員会が認めず免許が無いからできないと言ってるけど、
同じ障害の胡瓜親父はできてます。これをどう説明しますか?」

こんなことを私を例に挙げて言われたら

「胡瓜親父は自分がバイクに乗りたいだけで警察や公安と揉めることや試験場で延々と練習することも苦と感じない道楽者です。規格外の趣味人と同じことはできません。」

と答えればいいだけです。

それと私のように障害者ではない【障害者(自称)】は知らなくて仕方ありませんが『同じ障害』というものはありませんし、障害の級はあくまで目安であってそれだけで「重い」「軽い」が本人以外に判断できるものではありません。
単純に下肢障害と上肢障害で同じ級であってもできることは違うと考えれば【障害者(自称)】の方にも理解できるでしょう。

>職場の雰囲気を険悪にせずに済むのでしょうか?

職場には慰めてくれるお友達探しや遊びに言っている訳ではないので雰囲気は気にしませんが、少なくとも私が25年ほど今の会社で好き勝手言っているなかで険悪になったことはありません。

やることやってればいいだけのことですね。

>自分自身がどうしているかで語ることはできないのですか?

少なくとも私は(自称)の付かない障害者として語っています。
「就労できないのは障害(自称)のせい」とは言いたくないので「私はたまたま就労できたが障害者(自称ではない)の多くは就労できなくて困っている」というスタンスで語っていますよ。

>そもそも~
>ちがいますか?

違います。

そもそもの前提となっている

>同じ、またはより重度の障害があっても問題なく社会生活を営んでいる人がい
>るなら、障害のせいにするのは甘えでしかありません。

が上記で書いたとおり障害者の実情を知らない障害者(自称)がたかだか100人かそこらの障害者と世間話したくらいで障害者のことを全て知った気になって言い出したレベルの暴論です。

知的障害では特に個人差が大きくその障害から生じる問題は多岐に渡り、数万に細分化しても厳格に分けることが出来ないなどというのは障害の実情を知っている者であれば誰でも分かること。
【すぐ同じ知的障害者の例として、たまたまその作業上はその障害が支障となら無い者、障害の方向性が全く違う者を引き合いに出しますが、悪いクセだと思います。】
こう書けば違っていることが分かるのではないですか。

ご自身の意見ですから。

障害者を追い詰める暴論を障害者(自称)が書き込み、それを正当化しようと論を重ねているとしか見えません。

級は便宜上付けられたものであり、日本で数百万人いる障害者の中でも誰かと同じ障害などは存在しない。
同じ障害が存在しない以上、級が同じでも出来ることは個々人によって違う。
このような実情を知らない健常者ごときや障害者(自称)が『甘え』と簡単に断じていい問題ではない。

私ができる事は多くの同じ等級の障害者の方々や言い訳を探しているような健常者ごときができるものではありません。

この回答への補足

うわぁ…。

>団体に属している関係もあって中学校や高校で講演させてもらい
>私が25年ほど今の会社で

これだけのキャリアがあって、この発言ですか。

あなたの言う通り、制度上は健常者という扱いです。
だからこそ周囲の者もあなたのいう
>『嘘つき』『詐欺師』『なんちゃって障害者』
という目で見ました。

しかし
>実際問題として奇形に起因する障害は存在し事故など仕事に支障をきたすリスクもある
ここをスルーされては困ります。
制度が実情に追いついていないんです。

>障害の級はあくまで目安であってそれだけで「重い」「軽い」が本人以外に判断できるものではありません。

あなたが言っていることなのに、その一方で法で認められていないというだけで私のことは自称呼ばわりですか…。
事情を知る同僚は障害だと認めてるんですがね。

仕方ないから私の属性として障害者という表現は外しますが、障害や難病と制度上は認定されていないというだけで、心身に問題を抱え就労や生活に大きな支障が出ている人はたくさんいます。
こういう立場の人たちの苦しみを知る機会がないか、全くの別問題と捉えているなんて信じがたいものがあります。


>胡瓜親父
これはあなた又は知人のハンドルや芸名みたいなものでしょうか?
検索したら奇妙なおじさんの話がHitしたのですが。


>と答えればいいだけです。
でしょう?
初めからこうすればいいんです。
健常者だって○○じゃないかといった見苦しい理屈をこねまわしても反感買うだけです。


>私のように障害者ではない
私のような障害者ではないタイプの障害者もいる、そういう発想はないのですか?


>『同じ障害』というものはありません
あなたの言わんとすることならわかります。
病名や等級といった区分上は同じでも実情は千差万別です。
しかし一般人はそうではないのでしょう?
>知らなくて仕方ありませんが
などと見下す表現をするくらいですから。
このギャップを考える必要があります。
多少の差異など社会ではしょせん個人的な事情でしかありません。

それと、「これこれこういう特徴があり、それによりこういう問題が発生している」というふうに掘り下げた説明をしたなら、同じ特徴や問題が発生している人は同じ障害とみなしてもよいのでは?
そこまで掘り下げたうえで、私は同じ障害と表現しました。

そして、できないことやトラブルと障害との関連性を語られても、[同じ障害]なのに問題なくできている事例を知る人には納得しがたいわけです。
さて、障害について理解を求める人はどうなのでしょう?
そして、納得できない人に対してあなたはどう向き合いましたか?


>慰めてくれるお友達探しや遊びに言っている訳ではないので雰囲気は気にしませんが
メンタルヘルスというものをずいぶんと軽視してますね…。


>私はたまたま就労できたが
あなたを評価し受け入れてくれた人、そしてあなたと同じ障害者枠で働く人に対し失礼とは思いませんか?
同じ障害者枠に応募し不採用になってしまった人とあなたの違いはどこにあると思いますか?


>世間話したくらいで
なぜそう決めつけますか。
食事の世話程度ですが、ただのクラスメイト以上の交流を公私ともに長期間強いられました。
職場では、私とは異なる問題を抱えた人と共同作業するにあたり、事故のリスクやペース配分、品質への影響といったレベルまで考えねばならない立場です。
全て知ったというつもりはありませんがそれなりに苦労しています。
この程度では、障害者との共同生活にあれこれ言うのは許されないですか?


>私ができる事は多くの同じ等級の障害者の方々や言い訳を探しているような健常者ごときができるものではありません。

ここでの私との問答、あなたのいう同じ等級の障害者の方々に胸を張って見せられますか?


>その後に進んでくる者たちに道を示す
とありますが、さてはて、あなたが示した道に調和という言葉はあるのでしょうか?

補足日時:2011/09/19 11:52
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この回答へのお礼

ごとき

という言葉を使う人に暴論だと非難されるという貴重な体験をさせていただきありがとうございました。

お礼日時:2011/09/19 11:56

こんな障害者を追い詰める、一番言ってはいけないと言われている話だけは看過できません。



>同じ、またはより重度の障害があっても問題なく社会生活を営んでいる人がいるなら、障害のせいにするのは甘えでしかありません。

健常者は全員が100mを9秒台で走れるのでしょうか?

健常者は社会に出れば誰もが真っ当な職について年収1000万以上稼いでいるのでしょうか?

健常者は一切マナー違反、法律違反をしない社会適格者ばかりでしょうか?

私は運よくサラリーマンをやっていますが、その年に企業が障害者枠として募集した応募者数より圧倒的に少ない席にたまたま座れただけです。

私は障害者枠を利用して障害者として職に就けたが、枠から洩れ、健常者が優先的に採られる一般枠で職に就けなかった他の障害者が「障害があるため就職できない」と苦しんでいる現実を健常者ごときに軽々しく「甘えでしかない」などと言われたくありません。

ってか、人の心を持っている者なら言える台詞ではない。

深く考えるどころか心に根本的な問題を感じる勝手な決めつけですね。

通報どうぞ!!!

この回答への補足

通報どうぞ! ときましたか。
健常者ごとき、ですか。
脊椎反射的に噛みつかず、ほかの人への補足も落ち着いて読んでください。

私も障害者です。
奇形です。重度のアトピーも経験しています。
もっとも、手帳もらえないレベルのため障害者枠には応募できず、授産施設で働くこともできません。
その一方で実際問題として奇形に起因する障害は存在し事故など仕事に支障をきたすリスクもあるが、障害者雇用のノルマ解消にはつながらず採用断られたりしてます。
しかし私の周囲の者はそういった背景の説明もニートの言い訳と切り捨て、症状の軽重のみで手帳のある障害者より楽な立場と判断し、甘えだと責めました。
少なくとも、本当に五体満足な人よりは不利な立場なんですがね。
(身内がニートというのは恥ずかしいだろうなー)

今の社会はこうなんです。
そして、社会のあるべき姿はこうだ! などとユートピアを夢見ている間にも腹は減るし年もとっていきます。
革命家気取りで演説に明け暮れるニートに誰も手は差し伸べてくれません。
生きていくには、あなたなら敵視するような相手であっても合わせていかねばなりません。

ぶっちゃけ、私も障害者と一緒に遊んだり勉強したり働いたりして色々トラブルも経験してるからこそ甘えだという考えにも共感できるんですがね。


さて、あなたは就労しているそうですが、
「この作業はこの障害のためこれこれこういう問題からできないと言ってるけど、同じ(より重度の)障害の○○さんはできてます。これをどう説明しますか?」
と聞かれたら、
>健常者は全員が(略
と答えるのでしょうか?
これで納得が得られ、職場の雰囲気を険悪にせずに済むのでしょうか?

障害者が何かに反論するとき、すぐ健常者の例としてモラルに欠けた手合いや意見のべた者より優秀な人を引き合いに出しますが、悪いクセだと思います。
そうではなく自分自身がどうしているかで語ることはできないのですか?

例えば車の運転について危険はないのかと言われたとき、私は障害がどのように交通安全に影響を及ぼすのかや、自分はどの点に気をつけどう補っているかやヒヤリハットの具体例を説明します。
健常者でも事故は起こすなどとまぜっかえしたり、あなたは違反したことないのかと噛みつくのでは、相手の納得も信頼も得られるわけがありません。


そもそも
>同じ、またはより重度の障害があっても問題なく社会生活を営んでいる人がいるなら、障害のせいにするのは甘えでしかありません。

という発言の対象としているのは障害に対する理解とは何か? という問題と、他害行動や回答No2のようなエチケットを守れない事例についてです。
そういう問題行動のない知的障害者はいますよね?
だから、問題行動の釈明で障害について説明されても納得はできません。理解を示すことはできません。

きちんと療育が行われ問題行動のない知的障害者がいるのに問題行動を障害のせいにして許すとしたら、それは療育に携わる教育者や、何より成果を出した障害者本人の努力を否定することにほかなりません。
違いますか?

補足日時:2011/09/19 01:38
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ANo: 9


053018 です。

ただ、障害者に対してどういう見解を示せば理解したことになるのか?という疑問が残ります。とのお礼文‥。
確かにそうですね。この辺は【健常者と障害者の個々人】の意識によるもの‥としか言えません。個々人の心の中を 一色単には出来ないし、無理矢理一つの見解にはしない方が無難です。それ程ナイーブな部分故です。

しかしながら、私は
【障害者に対してどういう見解を示せば理解したことになるのか】と問われれば
『障害者の苦痛を、まるで理解出来ない私である』との私個人の意識を無くして理解など到底無理。だから【理解出来ていない自分】だと認める所から、障害者を理解したいと努める‥この姿勢が障害者に対しての理解に繋がるのかは分かりません。未知です‥。ただ素直な思いで‥ 私は健常者だから障害者の苦痛は皆目見当は付いても、細々とした事までは【理解出来ない】です。これは事実。この事実を無視するから、余計に理解し難くなる。
>同じ、またはより重度の障害があっても問題なく社会生活を営んでいる人がいるなら、障害のせいにするのは甘えでしかありません。
●これは その通りです。障害者にも 色々います。
それを見極める事も必要です。
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表現が悪く誤解させたようですね。



>見る者がどう感じるか? それを相手の立場になって考えたことはありますか?

『可哀想』という感情は否定ではありません。

今日は障害者を見て「気持ち悪い」と感じる健常者だった人が明日、障害者になった時、その人は自分自身を「気持ち悪い」と感じてしまう。
その「気持ち悪い」という感情が育ってきた環境の中で育まれたものであるなら、かなりの確率でその人は障害者になった日から家族にも「気持ち悪い」と言われてしまう。
本人でなくてもその人の愛する人、大切な人がある日突然障害者になればその人は愛する人、大切な人を「気持ち悪い」と感じてしまう。

どのケースも「気持ち悪い」と感じない人と比較すれば「気持ち悪い」と感じる人にとっては不幸であり、第三者として私が見た場合、『可哀想』だと感じます。

否定ではありません。

私の息子達は当然のことながら障害者を見慣れています。

見慣れているから外でもしっかり見ることができるため、困っている人がいれば的確に手を差し出すことができるようです。

個人的なことは社会に晒すなと言う考え方を否定はしませんが、それを嫌がる人が不快な思いをしないよう、苦しんでいる人はいないことにするかのように誰もが隠し続けていれば問題はなにも解決しません。

個人の問題は社会の問題でもあるのにです。

今の時点では隠したほうが楽だからと楽な方に安易に逃げていることが深く考えていることとは私は感じません。

なにより、私は健常者が気持ち悪いと感じることは控えてあげよう。なんて考えるほど優しくありません。(笑)
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