【コナン30周年】嘘でしょ!?と思った○○周年を教えて【ハルヒ20周年】

時々出会う、いつもびっくりしたような顔をしている人々・・・一体どんな人たちで、どんなことを考えているのか知りたくなりました。
「びっくり顔」と言っても、Yahooの「びっくり顔の画像」に出てくるような明らかにびっくりしているようにアピールしている顔のことではなく、俗にいう「鳩が豆鉄砲を食らっている」ような感じの顔をイメージしています。略して「鳩豆顔」と名付けて私の専売特許と思いましたが、念のため検索したら、既に「鳩豆顔」(又は「ハト豆顔」)で多くヒットしました。

前問に続いて又しても、特定の人間層を差別するような質問ですが、親しい友人には該当者がいないので、教えて下さい。

A 回答 (3件)

No.1です、お礼、有難うございました。



 お礼の中で紹介いただいた前のご質問を拝見して、そこに書かれたお礼のお言葉にはとても考えさせられました。その部分に沿って改めて私論ながら回答させていただきます。

 十人十色、百人百色、世の中にはいろいろな顔がありますよね。もちろんそれらは、基本的には遺伝も作用した骨相や肉付きなどから出来上がった、ほぼ先天的なものなのでしょう。
 
 でも、それだけじゃない、なんの不満もなく豊かに過ごしてきた人は、間違いなくどこかおっとりとした「表情」を見せたり、そうした「顔つき」をしているもの、人はそれを瞬間的に読み取って「お育ちがいい」などと評すことになります。

 ですが逆に、生活環境や仕事の上でのストレス、何か悩みごとや悪い交友関係、こうした直面する圧力が重なると、自然、人の顔は厳しく変わってくる、それもまた確かなことです。

 悩みや荒んだ気持ちを抱いている人は概して険しい顔つきになってしまうように思います。しかし、たとえば貧しく生活が苦しい人が、だからといって、かならずしも険しい顔をしているわけじゃない。その理由はなんでしょうか…。

●荒んだ険しい顔つき… 

 分からないなりに自分で考え付いた理由、たぶん…ですが、心の平衡といったものにその理由があるのではないでしょうか。劣悪な生活環境、勤め先での不満、人に言えない深い悩み、悪い趣味や交友関係、こうしたことは人の心に、常に不満を与え続けるでしょう。

 何とか不満に満ちた環境を改善をしたくても現実にはままならない、面白くないけれど満足できるようには到底できない、やめたいけれどやめられない、今置かれた環境から逃げ出したいが、それができない…、これがストレス、そして休む暇もなくストレスが加わった状態にあれば、人は自分の心の平衡を失います。当然のことながら「表情」だって明るく朗らかで穏やか…といった感じにはならないでしょうし、そしてそんな「表情」は時の経過とともに、いつしか、そのまま荒んだ険しい「顔つき」として定着してしまうのではないでしょうか。

 では、なぜ、貧しく生活が苦しい人が、かならずしも険しい顔をしているわけでもない…のでしょうか。貧しいながらも、それをそのまま受け入れて、つつましく暮らしながら、いささかも社会や環境や他人を恨まない、そうした人であれば、辛い暮らしながらも、心には平衡が取れているから…だと思うのです。同じような例では、敬虔な信仰を持った人にもそうした「表情」や「顔立ち」が見られるものです。

●不機嫌そうな無表情…
 
 一歩外に出ると、大人の人たちが一様に不機嫌そうな顔をして歩いている…、たしかにそうですよね。たとえば東京駅から丸の内のオフィス街に向けて横断歩道を一斉に渡る大勢のサラリーマンやOLさんたち、たしかに不機嫌そうで無表情です。これもまた、彼らが遺伝によって個々に違う顔立ちを与えられながら、それだけでなく、彼らが置かれた都会生活という孤独でドライな環境の中では、ほとんど「表情」といったものを顔に表す必要が無いからではないでしょうか。

 どうせ親しい人と突然出会うわけでもない、ひとりひとりが孤独な群衆、だから、ただひたすら勤め先へ急ぐ彼ら、脚は急ぎながらも、頭の中では、仕事のこと、勤め先でのこと、昨夜のこと、今夕の退社後、あれやこれやと考えごと…、これでは不機嫌そう…という前に、無表情、つまり「表情」が不要になってしまっているのでしょうし、そうなってしまうのも当然のこと。いかにも楽しげに歩いていたとしたら、それこそ変…かも。

●びっくり顔の人が多いこと… 

 そしてやっと本論…、こうして考えていますと、びっくり顔の人って、外から何かを与えられるのを待っているかのような、主体性のない人間のように…と、なるほど受け止められないわけじゃないけれど、むしろ、その前に自分が置かれた環境の中で、何か得体のしれないものに怯えているのではないでしょうか。

 何か得体のしれない不安…、ひょっとしたら…という恐怖、失敗しやしないか、叱られやしないか、馬鹿にされやしないか、後れを取りはしないか、恥をかくんじゃないか、挫折するのじゃないか、エトセトラ…、こんなのは全部、現代人が誰でも持っている不安、ことに、こうした不安を強迫的に感じやすい人は「鳩豆顔」になりやすいのじゃないでしょうか。余計なことを付け足せば、映画の中で見る、戦場の兵士の顔、一様に「鳩豆顔」に見えます。死ぬかしれない恐怖、そして無意識意識に求める救い…。

 その証拠に、…もちろん骨相学的に遺伝子によって最初から「鳩豆顔」になってしまったという人も中には居るでしょうが…、自信に満ちた人というものは、oozora2000さまのお父様のように、概して穏やかな目元をしているものですし、微笑みも多いもの。つまり、目は口ほどにものを言い…ではないけれど、日頃の自信とか、心の持ちようで、瞬間的に表れる「表情」が、そしてやがては恒久的な「顔立ち」が変わってくるのだと思います。ただ、これはわたしの勝手な考えに過ぎないのですけれど…。

この回答への補足

Nannetteさん、ご丁寧な回答を3つも有難うございました。
後続の回答がないので締切ります。
やはり、日頃の生活環境やストレスなどが顔に出ることもあるのでしょうね。
私も何かの折に引き続き、顔と性格や心の中の状況との関係について引き続き調べてみることに致します。そして自分自身、少しでも良い顔が出来るように、心の中の状況を調えようと思います。

しかし、反面、人がどんな顔をしていようと、出来るだけ、誠意をもって分け隔てなくあらゆる人と接することだけは、心がけたいと思います。

補足日時:2012/03/22 22:02
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この回答へのお礼

なるほど・・・心の平衡が取れているかどうかで、顔つきが変わってくるという事ですね。
そして、びっくり顔の人って、自分が置かれた環境の中で、何か得体のしれないものに怯えているのでは・・・とのことですが、そうかもしれませんね。映画の中で見る、戦場の兵士の顔が一様に「鳩豆顔」に見えるとはよく観察されていますね。大変参考になりました。

お礼日時:2012/03/20 16:28

No.1、No.2です、


適度な行変えを忘れて読みにくくなってしまいました、ごめんなさい。
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この回答へのお礼

ご丁寧に恐れ入ります。
No.2へは、よくかみしめてから後程、お礼を書きますね。

お礼日時:2012/03/20 13:57

教えて下さい……と言われても、なにを回答すればいいのですか?



質問にご自分でお書きの「時々出会う、いつもびっくりしたような顔をしている人々」…が結局
お答えだと思うのですが。

骨相の関係で眼窩が大きく、そのせいで目玉がはっきり大きく見開かれていて、だから、いつも
驚いたような表情に見える人。もちろん、こういう人は顔の作りが「鳩豆顔」なのであって、何
か特別に人と違ったことを考えているわけじゃないでしょう。

ただ、もうひとつ、ごく普通の顔をした人が、突然身に降りかかった何かが原因で、思わず「鳩
豆顔」といった表情を見せることもあります。その人にしてみれば、一瞬、何が起きたのかが理
解できず、ただ驚いて、ポカンとしてしまっている状態、こういうのは「彼はしばらく鳩豆顔の
ままその場に座り込んでいた」などと使われたりします。
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この回答へのお礼

Nannetteさん、毎度ありがとうございます。
骨相の関係で眼窩が大きく、そのせいで目玉がはっきり大きく見開かれていて、だから、いつも
驚いたような表情に見える・・・・それだけなのですね。
つまり、心理的にその表情から性格が読み取れるようなものではないということですね。

尚、私の過去問で次があります。

人の顔と性格との関係
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3854381.html

このNo.3さんへのお礼で、私は、びっくり顔について、かなりネガティブな見解を述べています。
今回はその疑問が再燃したという感じで、更なるご回答をお待ちしています。

お礼日時:2012/03/18 17:27

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