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No.4
- 回答日時:
映画の歴史上、常に「技術革新」のタイミングがあり、「トーキー化」「カラー化」「ワイド化」などがあげられます。
最近では、「3Dこそ新しい映画表現」というジェームズ・キャメロンのような人がいる一方で、「3Dは映画ではない(子供だましだ)」という人も根強くいて、たとえば「インセプション」などは「3Dで撮ったらよかったのに」という人もいたり、「いや3Dの必要はない(3Dのせいで内容が軽視される)」などの意見があります。
カラー化の時代にもそれを毛嫌いする人がたくさんおり、黒澤もそのうちの一人だったという事ではないでしょうか。
カラーに慣れ親しんだわれわれには理解に苦しむ感覚に思えますが、映画=白黒でやってきた彼らにとっては、映画をカラーにするということは、たとえば、お習字の字を青や黄色で書くようなものに思えるのかもしれないですね。なんか「安っぽくなるよなあ」という感じなんでしょうね。きっと。
しかし、ワイド画面に対して「あんなバンドエイドみたいな画面で映画が作れるか!」と批判していたドン・シーゲルも、その後、「ダーティ・ハリー」でしっかりワイド画面を使って左右いっぱいの画面作りを喜んでしているように、結局は、徐々に気持ちの整理がついたり、慣れてきたりするのではないかとおもいます。私の義父も10年くらいまえから「携帯なんかいらん」とずっと言ってましたが、こないだプレゼントしたらものすごくよろこんで今では毎日携帯でいらんメールをしています。
No.3
- 回答日時:
黒澤監督自身がカラー(当時は総天然色なんていいましたけど)フィルムに於ける、映画的な表現手段を確立していなかったからだと思います。
世界的に有名な監督たちのなかにも、カラーフィルムに手を出したのがけっこう遅かった人は多く、取りあえずカラーを撮って見たものの、1本のみでその後は白黒にもどした監督もわりといます。
黒澤レベルの世界的な大監督だとフェデリコ・フェリーニやイングマール・ベルイマン、などがそれにあたります。
黒澤初のカラーとなった「どですかでん」を見るとわかりますが、ロケーションの映像でもセット内での映像でも、実際に目に映るままのリアルな色ではなく、フィルムに写ったときにどうなっているのかということで、かなり手を加えています。
「どですかでん」ではセットの色合いは毒々しいほどに明るく濃い色彩にしていますし、次に制作した「デルスウザーラ」では”シベリアの森林はこんな色じゃない!”と森林を撮影したものの気にくわなかったらしく、森林が自分のイメージ通りになるようにヘリコプターでペンキだったか絵の具だったかを降らせ森そのもの色を変えてしまったそうです。
ということでカラー表現による映画的なアプローチをまだ確立していなかったからだと思います。

No.2
- 回答日時:
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
http://dorama.tank.jp/d/mkkurosawa.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A9%E3%81%A7% …
http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%BB%92%E6%BE%A4%E6% …
↑
色々、ご参考に成るかと思います。
以下は、自分の「私見」に成ります。
「資料」のサイトをご覧になれば解る通り、1965年「赤ひげ(モノクロ)」から、黒澤監督「初」のカラー作品『どですかでん』(1970年)の発表まで5年ものブランクが有ります。
この間のトラブルや事件なども資料の通り。
ズバリ、この時期は「モノクロ映画」から「カラー映画」の過渡期であった訳ですネ。
根っからの「映画職人」と呼んでもいい「黒澤監督」に取っては、「モノクロフィルム」は、使い慣れた「絵筆」や「絵の具」のようなモノだったと思います。
その「絵筆」や「絵の具」を、「カラーフィルム」という新しくモノに変えても名作は撮れたと思います。
ですから、カラーフィルムが「高価」も理由の一つでしょうが、「頑固職人」とも言える黒澤監督は、「モノクロフィルム」を愛し続けたのだと思います。
もう一つ。
あくまで人間で有る以上、人には「黄金期」という絶頂期があります。
黒澤監督の「映画職人」としての「黄金期」は、1950~60年中くらいまでです。
圧倒的に「モノクロ映画の時代」ですよね。
http://dorama.tank.jp/d/mkkurosawa.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A9%E3%81%A7% …
http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%BB%92%E6%BE%A4%E6% …
↑
色々、ご参考に成るかと思います。
以下は、自分の「私見」に成ります。
「資料」のサイトをご覧になれば解る通り、1965年「赤ひげ(モノクロ)」から、黒澤監督「初」のカラー作品『どですかでん』(1970年)の発表まで5年ものブランクが有ります。
この間のトラブルや事件なども資料の通り。
ズバリ、この時期は「モノクロ映画」から「カラー映画」の過渡期であった訳ですネ。
根っからの「映画職人」と呼んでもいい「黒澤監督」に取っては、「モノクロフィルム」は、使い慣れた「絵筆」や「絵の具」のようなモノだったと思います。
その「絵筆」や「絵の具」を、「カラーフィルム」という新しくモノに変えても名作は撮れたと思います。
ですから、カラーフィルムが「高価」も理由の一つでしょうが、「頑固職人」とも言える黒澤監督は、「モノクロフィルム」を愛し続けたのだと思います。
もう一つ。
あくまで人間で有る以上、人には「黄金期」という絶頂期があります。
黒澤監督の「映画職人」としての「黄金期」は、1950~60年中くらいまでです。
圧倒的に「モノクロ映画の時代」ですよね。
No.1
- 回答日時:
日本最初の総天然色映画は1951年の「カルメン故郷に帰る」です。
ちなみに「七人の侍」は1954年の作品なので、もちろんカラーで撮ることもできたと思いますが、もちろんフィルムが高価だったという理由ではなく、当時のフィルムでは黒沢監督が思う発色、望む発色ができなかったんだと思います。
またカラー映画では、見る側もみたまんま(当たり前)ですが、モノクロ作品だったらどうでしょう?
見る人見る人によって、それぞれの想像力でいろいろな色を感じることができませんか?
結果として、黒沢監督のモノクロ作品は全く色あせていません。
これが1970年代の監督初のカラー作品「どですかでん」のほうがどことなく色あせて感じてしまいます。
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