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 私の仲のいい後輩が霊波之光の信者さんで私も完璧な信者ではないのですがなんとなくの信者です。彼女はとても温かい心を持っていて他人への思いやりにあふれた方で私も彼女を尊敬しています。しかし普段何気ない話をしている時はいいのですが、この宗教の話になると熱くなりすぎるところがあって、いろいろと説教され、ちょっと嫌な思いをすることがあります。
 同じ大学に通っているのでやはり最近いろいろ集会や行事に誘われます。正直行きたくないのですが、結局断れずいってしまいます。前断ったら大喧嘩になりました。
 お札の交換など結構なお金を使ってきました。必ず更新の時期になると何度もお金請求の電話がかかってきます。当然親には黙っているので、受験の時も補習用にもらったお金を教会の信者さんに言われるがままに合格祈願のお札に使ってしまい一生懸命働いてる両親になんか申し訳ない気持ちでいっぱいでした。第一志望に合格できたのは御守護神様のおかげだと日々いろんな方にいわれます。しかし最近なんかこの宗教に対して疑う気持ちが生まれてきました。
 もちろん他人の幸せを願ったり家族を大切にするという教えは素晴らしいと思います。
毎日笑顔であいさつして教えを実行しようとしている信者さんのことは私も尊敬しています。
 軽蔑したりしたことは一度もありません。ただ尊重や尊敬の気持ちを持ちつつも深入りしたくはないだけです。どうすればいいですか?

A 回答 (3件)

戦後の日本が失ったものに宗教心があると思います。

宗教を語ることすらタブーとなる場合があります。このこが原因で宗教の正邪が見極めにくい状況になっています。宗教はたとえ邪教であろうと第一印象の段階では「清く正しい」ことを唱えて近づいてきます。「私は悪徳詐欺師だ」と言いながら近づく詐欺師はいません。それとと同じで、「私は悪徳信者だ」などと言う宗教者もいないのです。

(1)金銭の要求をする宗教はそれが目的であると考えることです。本来的な宗教ならば、(勧める訳ではありませんが)たとえお葬式を他の宗派で行ったとしても、それについて「不幸が来る」などと脅したりはしないものです。

(2)宗教は疑いに疑いを重ねて、それでも信じられるものなら信じればいいと思います。しかしそうでないなら無理やり信じて、参加してはいけません。あなたの中に言葉で表現できなくとも、参加して楽しいものなら、他者が反対すべきものではありません。

(3)信じにくいことが信じられるようになると、洗脳されたと考えられます。マインドコントロールとも言います。信じにくいことを信じられる自分自身に酔っているのです。信じられる自分になりたいと思っているとも言えます。こうなると他者の反対意見などには耳を貸せなくなりますので、要注意です。

(4)困ったことに、トップが如何に凶悪な宗教者であっても、その言葉を信じた末端の信者は、純粋で正直な人が多いのが実情です。『尊重や尊敬の気持ち』を抱くのも、彼女の『温かい』『思いやりにあふれた』心の持ち主だからだと思います。想像するに、それは彼女が元来持っているものなのでしょう。
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尊重をしつつ、深入りしないことは矛盾しませんから、そうすればいいと思います。



その場合、お金を払わない。ということが大事になります。


合格祈願のお札は、15~16世紀に腐敗したカトリックではやった、「免罪符」と同じようなものです。


キリスト教は、お金を払えば、神に贖罪ができるかもしれないよ、といって、救われたい人を目当てに商売をした時があります。


お金を払えば、合格させてあげる神様は、単なる裏口入学と同じようなものです。


神様がそんな、お金で交換可能なものだったら、世知辛いと思います。


ご守護神様を尊敬するにしても、お金を払わないという道はあります。信仰は自由です。


後輩さんにしても、信者さんにしても、彼らが好きでやっているのだから、それはそれでいいのです。
ただ、質問者様が違う信仰のアプローチをしても、それは誰からも束縛されるものではありません。


質問者様は、質問者様が考える方へ行けばいいのです。


また、信仰の強要は、現代においてはやってはいけないことです。


信仰の強要をしているひとは、ろくな人がいません。

たとえば、代表的な人に、ドイツのヒトラー、ソ連のスターリン、カンボジアのポルポト、中国の毛沢東、北朝鮮の金正日などがいます。日本においても、信仰の強要は、2次大戦中に行いました。


信仰の強要をするということは、人の考え方や生き方を、無理やり自分の都合の良いようにすることで、とても恐ろしいことです。


なので、いい人でも、あまりに集会や行事への勧誘がしつこかったりすると、接触を避けた方がいいかもしれません。いい人であることと、そういう勧誘の行為は両立します。むしろ、いい人だから、絶対に救われると信じる、その宗教へ、引き込もうとする傾向があるような気もします。



京極夏彦さんの「姑獲鳥の夏」からはじまるシリーズを読むと、その辺が理解しやすいのではないかとおもいます。特に「鉄鼠の檻」は宗教がテーマなので、面白いです。


自分の信仰のあり方を、外部から強制するような宗教というのは、やはり僕は救われない気もしています。参考になれば、うれしいです。
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基本カルト宗教です。



神の名を借りた金集め集団です。

その彼女とはお付き合いをやめることしか方法はありません。
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