写真をやっている方で、感性をどのように磨いているかを参考に教えていただきたいと思います。
先日、知人から写真を始めてみたけれどどうやったら感性がよくなり、写真も良くなるだろうかと質問をされました。
その時うまく相手に返事ができずに『とりあえず撮ってみることが一番大事なのでは?』としか答えることができませんでした。
みなさんはどのような努力をされているでしょうか?
とても変な質問ですがよろしくお願いします。

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A 回答 (7件)

その方は若い女性と推察します。

私のアドバイスは、

■私を含む「写真愛好家」のオジサン達のアドバイスを一切、無視して下さい。

ということです。但し、この「無視しろ」というアドバイスだけは例外です。

彼らは聞けば懇切丁寧に教えてくれるし、蘊蓄も垂れるでしょうが、それは反って創造の邪魔になります。素直に言うこと聞いても身に付くのは小手先の技術だけです。

今年度の木村伊兵衛賞は若手の女性写真家が3人同時に受賞しました。写真雑誌のコンテストでも、主婦の活躍が目立ちます。

自分自身に関していうと、あらゆることに好奇心を持ち、感覚を研ぎ澄ますことが一番大事だと思っています。写真撮影という行為はオマケ、あるいは、結果に過ぎません。それ自体が目的ではないです。写真、あるいは、写真撮影を前提にしちゃうと「眼」が曇ります。

最後の部分はあくまで自分のことであって、アドバイスではないです。そんな不遜なことする気ありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そのとおり、若い女性です。
写真を撮ろうと思えば思う程、なかなか上手く事は運ばなくて、いい加減疲れてしまって頭の中がからっぽになったときに、はっとするものに出会えて良いものが撮れたりするんですよね。
その時に技術が伴えば、さらに写真に深みがでてくる。やっぱり、写真を撮ることがまず楽しくないと感性どころではなくなりますね。

お礼日時:2001/05/26 17:46

unanaさんの返答でいいと思いますよ。


付け加えるならば、
嫌と言うくらいたくさん撮ること。
「この中にいいと思うものがある?」と、行く先々でできるだけ多くの人に聞くために、作品は常に持ち歩くこと。自分で失敗作だと思うものも全部です。
すべてはこれから始まると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
ogatanaさんのおっしゃるとおり、自分も作品は持ち歩くようにしていたんですよ~。
それと、他のかたの写真や絵も見せてもらったりしてました。
自分の作品が良いと思っていても、自分の目が肥えてくると案外そうでなくなったりするんですよね。
でも、それも自分の成長があってのことですよね。
アドバイスのおかげでもう少し彼女にはっきりとした意見が言えそうです。

お礼日時:2001/05/26 17:34

感性というのは言葉や行動で示してみても、個人個人違う物ですからどうやっても伝わりません。


それでも説明をしてみると、その場の空気を「感」じる事が大事だと思います。
たとえば風景を見た時美しいと感じるのは、それは決して映像だけでなく、風の吹き方、光の当たり方、同行者に対する思い、その時の心の状態、それら全てがあいまって美しいと感じ感動します。
同じ夕焼けでも好きな人と見た場合と、嫌いな人と見た場合では感じ方が違うでしょう。
そして、普通の人では何でもなく見えてしまう風景に感動できる心が「感性が豊か」なのだと思います。

写真が上手く撮れる事と感性が豊かな事には何の関係もありません。
技術を磨けば写真は上手く撮れます。商品のカタログ写真を見て感動しますか?
それとは別に大したことの無い写真でも、良い写真ってあると思います。家族や友達が撮ってくれた写真でお気に入りの物があると思いますが、それはその場の空気を読んで写真に閉じこめたからでしょう。
真に人を感動させる写真はその双方の裏付けによる物です。
まずは好きな物を撮ること。そして出来上がった写真はどこが悪いかちゃんと考えること。技術も理論的に学ぶこと。理論がちゃんと解っていないと、せっかく綺麗な風景に出会ったとしてもそれをそのまま写し込むことが出来ないからです。
映画やTV、イラスト、カタログ、他の人の撮った写真、そう言った物を見る時はぼーっと見ず、フレームに当てはめて見ます。
構図はもちろん、遠近感のとらえ方、光の入り方、色彩。
そして、お手本となるような「こんな写真が撮ってみたい!」と思えるような作品(写真に限らず)を見つけて下さい。

簡単に上達する方法を教えるとするなら、まずは花をクローズアップして撮ってみてください。被写体を画面に対してどの位のサイズで配置すればよいのかわかりやすいからです。
また、人の表情を撮るのも良いですよ。
それもすました顔ではなく、くしゃくしゃに笑っているところや食事のシーンなど、生活感あふれる時が良いです。そういう写真を当たり前に撮ることで、周りがカメラを向けても嫌がらなくなってゆきます。
そうすれば、いざかしこまった写真を撮る時も、緊張せずいつもの表情で撮れるはずです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
彼女はまだカメラを持ったばかりで、きっと上手く自分の感じたものが写り込んでいなかったことから、この質問をしてきたように思います。
技術と心が一体になって始めて感動も周囲に伝えることができますね。
写真が好きであることを大事にしてもらい、徐々に技術を身に付けていけばさらに自分の心も豊かになるでしょうから、感性も自ずと磨かれていくことを期待したいと思います。

お礼日時:2001/05/26 17:52

unanaさん、こんにちは。



感性をみがくことは、いろいろな経験をもつことでひろがるとおもいます。

写真集などいま多く出ていますし、映画などからでも
インスピレーションを得られます。
好きな映画を何度もみたり、すきな写真や絵葉書を飾ってみるのも
いいとおもいます。

知人の方が写真以外に何がお好きかわかりませんが、
自分のすきなことをさらに、深めていくことで、人間の幅もひろがり
ゆたかな表現がまたひとつ、ふえるのではと、おもいます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
言われてみると自分も写真意外に興味のあるものが、意外と影響していることがあるなと改めて感じました。
人を撮るとするなら、やっぱりコミュニケーションが必要になりますし、そのためには言葉のキャッチボールが必要になりますね。
自分自身が写真以外で何を持っているかということも大事な要素になりますね。
初対面の人との会話のテーマが意外にもお互い好きなものだったりすると、楽しくてさらに内容を詳しく知ることができ、新しい知識も増え人間関係も増えます。感性は自分一人だけでは磨けない、、、改めて勉強させていただきました。

お礼日時:2001/05/26 17:41

僕はグラフィックデザインの仕事をしていますので


カメラマンさんに仕事を依頼したり、指示したりすることが多いです。
優れたカメラマンというのは
モノや人や風景をいかに魅力的に撮れるかということです。
「かっこよく」「きれいに」「かわいく」「肉感的に」「リアルに」
と言うのが個性だと思いますが。
さて、いい写真、悪い写真ですが写真を見て
「この写真のどこが優れているか」「どこがダメか」
と言うことを文章にまとめてみましょう。
「芸術を文章にまとめるなんて無理」と思うかもしれませんが
生まれ持った感性だけで写真を撮っている人なんてごくわずかで
高名な写真家さんも若い人の作品などを見て日々勉強しています。

もうひとつ、いい写真家さんはいい写真を撮るために被写体のモデルやスタッフに気を使い
いい雰囲気にすることがうまいです。
昔気質な偏屈なカメラマンなんてドラマの中だけです。
いい空気の中でこそいい写真は撮れます。
(ぎすぎすした空気の写真でいい写真を撮ることもありますがプロでなければそんな写真は撮ることもないと思いますので)
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以前、偶然移動中の車の中で聞いたラジオ番組でプロカメラマンの人の話を聞いたんですが、「何を撮りたいか」がポイントみたいです。


撮りたいものを漠然と撮っていたのでは単なるスナップ写真にしかならない。
何を撮りたいのかを自分の中でハッキリ決めて撮るだけでだいぶ違ってくる。
ということです。
あれもこれもって欲張ってフレーミングすると漠然としちゃいますね。ポイントの絞り方は、技術的には例えば流し撮りするだけでも可能ですね。被写界深度を浅くして撮るのも手でしょう。
あとはそういう撮影を繰り返すしかないと思いますね。感性なんて一朝一夕でなんとかなるもんじゃないですから。
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写真に限らず、


「感性」というのは、
やっていくうちに身につくものだと思います。

あとは「良い作品」を見ることですね。
正確には「良いといわれている作品」です。
結局、認められるというのは他人の評価ですから、
評価されている作品を見て、
どういうところが良いとされているかを
知ることです。
自分自身でいい作品だと思っても、
人が誰も認めなければいい作品ではないのです。
逆にいうと、
自分では駄作だと思っていても、
みんなが認めればそれは傑作になるんです。
そのためには
良い作品から、良いといわれるポイントを盗むことです。
それを盗んだものではなく、
自分のものにすれば良いんじゃないですかね。

※ちなみに写真はやっていません。すみません。
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こんにちは。
#2です。回答をお読み頂き、ありがとうございます。

>となると知性ってやはりイメージ通り、理性的の割合がおおくないといけないのでしょうか。

そんなことは決してないと思います。
理性行動といいますのは最も複雑な知能行動であり、これによって情動行動の比率が下がるというのは、これは間違いのないことです。
ですが、飽くまで知性的であるということは、それはどれだけ多くの学習結果を行動選択に反映させることができるかということです。理性も感性も、どちらも生後の学習体験によって成長するものであり、使われないのであるならば基本的には知能が高いということにはならないです。

理性と感性では役割が違います。
子供と大人では情動行動の比率にはっきりと差がありますが、それは使われなくなるということではなく、外に現れなくなるということです。
我々の脳内で理性といいますのは「比較する能力」であり、感性といいますのは「判定を下す能力」に当たります。比較も判定も、共にそのひとの学習結果を基に行われることですので、学習体験が乏しければ十分な能力は発揮されません。
比較といいますのは複数の結果を扱うということですから、より複雑な比較を行うためにはそれなりの「知能(処理能力)」が必要です。このため、理性行動の比率といいますのはどうしても成長や知能の高さに比例します。
これに対しまして、判定といいますのは自分に与えられた状況に対して利益・不利益の価値判断を行うということです。このためには、判断を下すための判定基準を学習しなければなりません。判定基準があれば行動を選択することができますので、こちらは処理能力の高さとはあまり関係がありません。ですが、より多くのことに判定を下すためには、より多くの基準を学習しなければなりません。学習体験が乏しければ偏った判定しかできませんよね。ならば、どんなに高度な比較を行いましても、判定が偏っているのでは知能が高いとは言えないわけです。

理性といいますのは「情動に捕らわれない選択」と定義されます。
どうしてこのようなことが起こるのかと言いますと、それは、我々の脳内で判定を下す機能を司っているのは感性であるからです。そして、これは「大脳辺縁系の情動反応」として行われることです。
大脳辺縁系には身体内外からのあらゆる知覚情報が入力されており、ここではそれに対して利益・不利益の判定が行われ、情動反応を発生させます。この情動反応が我々の「感情の素」であり、この判定に従って選択されるのを「情動行動」と言います。そしてここには、例えば「好き・嫌い」「美味い・不味い」など、我々が生まれてから体験したありとあらゆる判定基準が学習されています。
では、嫌いな食事が出されますと、我々の脳内ではまず「嫌だ・不利益」という判定が下されます。ですが、嫌いだからといって食べないわけにはゆきません。何故ならば、お母さんに怒られるからです。これが理性行動です。
つまり、理性行動といいますのは複数の結果を比較するとことによってより価値の高い結果を選択するということです。ですから、ここでお母さんに怒られるという結果を予測することができませんと、そのまま情動行動の方が選択されてしまいます。このため、理性行動とはその場の感情に捕らわれない行動と定義されます。

このように、理性行動といいますのは「過去の体験」を基に「今現在の状況」比較し、より価値の高い「未来の結果」を選択するための「計画行動」です。
では、我々の脳内で判定を下す機能といいますのは感性の方にあります。まず、お母さんに怒られたという体験がありませんとこれを判断材料に用いることはできません。更に、そこでは怒られることに対して「不利益」という判定が下されなければどっちが得かを決めることができません。
これがどういうことかといいますと、つまり大脳皮質で行われているのは、それは飽くまで論理的な比較であり、最終的な判定を下しているのは大脳辺縁系に情動反応として発生する心の動きであるということです。そして、この「心の動き」が即ち我々の感性であります。従いまして、大脳皮質が如何に論理的で理性的な計画行動を立案しようとも、大脳辺縁系に心の動きが発生しなければ我々は一切の行動を選択することはできないわけです。

「心の動き」といいますのは感性の役割であり、果たして我々の大脳皮質には意思決定の機能というものはありません。
まさかと思われるかも知れませんが、この大脳辺縁系の情動機能を損傷してしまった患者さんの事例が報告されています。外国の男性なんですが、言語も記憶も全く正常なのですが、何をしたら良いのに判断が付けられなくなってしまいました。それがネクタイであり、靴であることは理解できるのですが、自分が何をするのかが全く分からないのです。気の毒なことに、このひとはその後、事業に失敗して破産してしまったそうです。
このように、脳内に心の動きを発生させ、実際の行動選択の動機を成立させているのは感性です。ですから、ここで最終的な判定が下されなければ我々は如何なる行動も実行に移すことができません。そして、ここにより多くの正しい判定基準が学習されていないならば、それは即ち状況に応じた適切な行動を選択するだけの知能は備わっていないということになります。

「正しい判断」というのはいったい何でしょうか。哲学のカテではしばしば論議に上がりますが、取り敢えずここでは「状況に応じた適切な判定」ということにさせて頂きます。
理性行動といいますのは計画行動のことであり、道徳行動と同義ではありません。それは未来の結果を予測した意識行動であり、「計画犯罪」というならばこれは立派な理性行動に分類されます。
道徳観といいますのは言わば社会のルールでありますから、論理的な結果予測によってそれを実践することももちろん可能です。でが、実はこの道徳観というものの多くは我々の感性として学習されています。
「ご飯を残してはいけない」
「裸で外を歩いてはいけない」
お米というのはお百姓さんが一生懸命に作ったものだ、
それはお父さんのお給料で買ったものだ、
論理的な解釈は様々にありますが、我々の脳内に「もったいない!」という反応が発生するのは、それは子供の頃お母さんに叱られたからです。
裸で外を歩いてはいけない、理屈ではありませんよね、恥ずかしくてできないんです。
このように、我々が生まれ育った社会の道徳といいますのは、果たして理性ではなく、その多くが我々の感性によって無条件に守られています。

他人の心の中を覗いてみることはできませんので、我々は必ずや「模倣」という手段を用います。これを「情動理解」といいます。
他人の心情を理解するためには、自分の脳内でそれを「模倣(シミュレーション)」する必要があります。ですが、このためにはまず自分に同様の情動体験がなければなりません。ですから、前の回答でも取り上げました他人の痛みを理解するというのは、これは即ち感性学習の問題ということになります。
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億の金を手に入れることが可能であり、彼にはそれだけの知識がありました。この状況でそれを断念するというのがどれだけ困難なことであるかは分かります。
自分は正しい
法的にも問題はない
というのが彼の主張でした。
ですが、ここでは他人の不利益という問題は一切問われていません。このため、ホリエモンは金を儲けたいという欲求を抑えることができませんでした。

知識といいますのは次から次と身に付けることができます。ですが、感性といいますのは体験が伴わなければ獲得することはできません。ならば、ここではそれが高度であるか否かではなく、豊かであるかどうかが評価されることになります。そして、最終的な判定を下すのは感性です。このため、知識ばかりが優先されますと、往々にして判断を誤る結果となります。
未熟な知性には未熟さが現れます。我々は、様々な体験に学ぶことのできる「豊かな知性」を身に付けなければなりません。

こんにちは。
#2です。回答をお読み頂き、ありがとうございます。

>となると知性ってやはりイメージ通り、理性的の割合がおおくないといけないのでしょうか。

そんなことは決してないと思います。
理性行動といいますのは最も複雑な知能行動であり、これによって情動行動の比率が下がるというのは、これは間違いのないことです。
ですが、飽くまで知性的であるということは、それはどれだけ多くの学習結果を行動選択に反映させることができるかということです。理性も感性も、どちらも生後の学習体験...続きを読む

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大事な記念写真がガラスにへばりつき、何としても取れません!写真表面を壊さずそっと剥がす方法はございませんか? 額縁に入れていた写真を車に保管していたのですが、この夏の温度から写真表面にガラスが引っ付き剥がれません。”写真のキタムラ”にも問い合わせたのですが、水に漬けて置けば?というアドバイスに従いそのようにしましたが、上手く剥がれません。温度43℃の温水にも漬けましたが、写真表面が剥がれてきます。困りました。 どなたか良い方法をご存知の方はお教え下さい。

Aベストアンサー

1.ドライヤーで少しずつ暖めると剥がれる場合も有ります。

2.<ガラスが透明なら>
大切な写真なら、ガラスに張り付いたままでスキャンして保存
又は写真屋さんに持っていってマクロ撮影してもらう

3.<長年かかって貼り付いたものなら>
 ★ソルベントという赤い缶に入った薬品
↓<飾っていた写真がガラスに張り付いてしまった>
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1214361567?fr=rcmd_chie_detail

※万一の場合のために、2.の方法を初めにやっておくのがいいかと思います。

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 教えて頂きたいことがあります。
 いろいろ調べてはみたのですが、混乱している状況です。
 1.感性と感覚
 2.知性と知覚
のそれぞれについて、辞書的な言葉ではなかなか理解に苦しい状態に
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 お忙しいとは存じますがよろしくお願いします。

Aベストアンサー

1.
「感覚」は、
a.外界の刺激を感じる働き。
b.または、それによって起こる意識。

くすぐったいと感じる働きも感覚(a)ですし、その働きによって生じるくすぐったいという意識自体も感覚(b)です。
「くすぐったい(a)という感覚を持っているからこそ、くすぐったい(b)と感じる」
ということになると思います。
「感性」は、外界からの刺激を受け止める能力。
殆んど、上のa と同じ意味です。
だから、ややこしいのかもしれません。

「感覚」=「働き」or「その働きによって得られた意識」
で、
「感性」=「能力」
ということができそうです。

2.
「知覚」は、下の辞書にあるように「思慮分別をもって知ること」。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/141164/m0u/%E7%9F%A5%E8%A6%9A/

「知性」は、単に知ることだけにとどまらず、「考え判断する能力」も含まれます。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/141787/m1u/%E7%9F%A5%E6%80%A7/
「知的作用」を営む能力、と解説されていますが、「知覚」にはその意味はあまり含まれていないでしょう。
それよりも「感覚」に重点が置かれているように思います。
    

1.
「感覚」は、
a.外界の刺激を感じる働き。
b.または、それによって起こる意識。

くすぐったいと感じる働きも感覚(a)ですし、その働きによって生じるくすぐったいという意識自体も感覚(b)です。
「くすぐったい(a)という感覚を持っているからこそ、くすぐったい(b)と感じる」
ということになると思います。
「感性」は、外界からの刺激を受け止める能力。
殆んど、上のa と同じ意味です。
だから、ややこしいのかもしれません。

「感覚」=「働き」or「その働きによって得られた意識」
で、
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どうしてなのですか?

中性洗剤で文字盤のガラスを磨いてしまったら
ダメだったと言うことでしょうか?




時計はボームメルシエ MOAO8502です。
どなたかご回答よろしくお願いします。

OHに出さないとくすみはとれませんか?

Aベストアンサー

こんばんは

触らないで頂きたいと
前に回答したものです

洗い方とかもありますが
竜頭が締まっていることを確認しましたか?
メンテナンスはメーカーに出していますよね
ガラスに傷はなかったですか?
水で洗ったんですよね?お湯じゃないですよね?

何気圧防水であろうとも
あれは動かさない状態で静に水に入れた状態での気圧です
その状態でバタフライすると水が入ることもあります
専門的なスキューバー用の時計でなければ
水に関しては過信は禁物です

厳しい書き方になりますが
正しい使い方をしないと
時計は壊れます
オーナーよりけりなんです
どんなにいい時計であろうとも

こんなこと書きたくないですけど
時計がかわいそうです

質問の感じからしますと中に水分が入っているような気がします
すぐにメーカーに出されたほうがいいと思います

ガラスはサファイヤですから簡単には傷が付きません
傷が付くぐらいの力を加えるとわれます
ただ私も分解した後、中性洗剤でで洗いますが曇ることはないです
これが傷が付いていないだろうという根拠です
もちろんメラミンスポンジなどでこすればどうか判りませんが

まずはお買い求めの時計店で
メーカー修理をオススメします

こんばんは

触らないで頂きたいと
前に回答したものです

洗い方とかもありますが
竜頭が締まっていることを確認しましたか?
メンテナンスはメーカーに出していますよね
ガラスに傷はなかったですか?
水で洗ったんですよね?お湯じゃないですよね?

何気圧防水であろうとも
あれは動かさない状態で静に水に入れた状態での気圧です
その状態でバタフライすると水が入ることもあります
専門的なスキューバー用の時計でなければ
水に関しては過信は禁物です

厳しい書き方になりますが
正しい...続きを読む

Q魂は、理性や知性によって変質する?

スピリチュアルな感じの質問をします。
※スピリチュアルなことを否定する方は、ご遠慮くださいませ。魂ありきで話します。


私は、
 理性・知性=脳
 感性=魂
のような気がしており
今の私は、そのバランスを乱し、ほとんど真っ二つに別れたような感覚で、感受性が大変強くなっております。
そこで、理性を取り戻そうと思いますが、ふと、こう思いました。

死んだら魂だけになると思うが、理性って生きてる間だけ必要になってるのかな?

理性が生きている間だけあるなら、理性(脳)と感性(魂)の関係はどのようなものだろう?役割分担があるのかな?
魂が脳に影響を与えている気はするが、脳は魂に何をしているのだろう?
行動をもって影響を与えている気がする。
これが、すべてと思われる。

〔ここで質問〕
しかし理性・知性によって、魂自身が魂のコントロールの仕方を覚えるということはあるのでしょうか?
私の魂は、理性・知性の強弱によって変質したりするのでしょうか?
理性が強いと感性が抑えられる気はしますが、魂が変わらないなら、考えるのは無駄。考えるというのは行動のためだけにある気がします。
ぼーっと考えるだけの生活は、本質的に無駄ですね?


余談

魂の向上を目指して生きているのであれば、感性だけでも良い気がします。
だから知的障害者の方などがおられるのですね…。大変な向上を目指しているか、もう知能が高いのは前世で経験済みなのだろうと思いました。


心理学で質問するのは、初めてなのですが、何かお返事ください。

スピリチュアルな感じの質問をします。
※スピリチュアルなことを否定する方は、ご遠慮くださいませ。魂ありきで話します。


私は、
 理性・知性=脳
 感性=魂
のような気がしており
今の私は、そのバランスを乱し、ほとんど真っ二つに別れたような感覚で、感受性が大変強くなっております。
そこで、理性を取り戻そうと思いますが、ふと、こう思いました。

死んだら魂だけになると思うが、理性って生きてる間だけ必要になってるのかな?

理性が生きている間だけあるなら、理性(脳)と感性(魂)の関...続きを読む

Aベストアンサー

あなたのお礼や補足が少し気になりましたのでお話しします。

対象を変化させたいという意識があるうちは、感性の深まりは望むべく結果に至らないのではないですか
あなたの場合は感性も対象も自我意識の内に取り込もうとしているように見受けられます。

感性の深まりは自我意識を捨てていく過程において顕れてくるものと思います
自我意識が一瞬でも働けばもう後戻りになってしまいます
いわゆる禅定の過程とも言うべき事と同じでしょう。


心のあり方によってこの世界が全く違って見えてくる、とも言われます
無心になって見れば、身の周りの何気ないものでも、美しいものばかりのような気もいたします。
敢えて変える必要など、私は無くてもよいと思うのですが
また、いくら変えようとしても変わらぬ事の重みを、そのまま受け取る事が大切だと思うのです。

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タイトルにもありますように、【節約も大事ですが、これも大事です】と言われたら、その【これ】とは何を連想しますか?
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Aベストアンサー

『これ』=『無駄遣い』ですかね
確かに数十円削る事は重要かもしれませんが、たかが数十円のためにアホ店員に腹を立てるくらいなら
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端から見たら『無駄使い』だけど、馴染みの店へ行けば会話も弾みますし、
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某販売店ではスマイルは0円かもしれませんが、
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それならば、たかだか数十円で本当のスマイルを手に入れたほうが価値があると思います。

Q【人間の評価は性欲、食欲などの本能と喜怒哀楽の感情と知性、理性といった制欲の3つのピラミッドで構成さ

【人間の評価は性欲、食欲などの本能と喜怒哀楽の感情と知性、理性といった制欲の3つのピラミッドで構成されている。

この本能、感情、制欲は制限がなく伸びる人はどこまでも伸びる。

性欲、食欲、喜怒哀楽が豊かな人、知性、理性を持つ人がモテます。

本能、喜怒哀楽がない人が知性、理性など制欲が強いというわけではないのが面白いところです。

モテる人は全てが高い。

引きこもりは全てが低い。

喜怒哀楽の感情がないので知性、理性が高いかと思ったらそうでもない。

ということは、他の項目を抑制して他を伸ばすという短所と長所の従来の関係性は崩壊し、長所はどこまでも伸びていくということが分かってきた。

ということは長所を伸ばす方が短所を改善するより効率的にモテる人になれる。

で、質問ですが、なぜ三角形のピラミッドのバランスを持たせて神は人間を創造しなかったのでしょう?

Aベストアンサー

嫌になる位のおつむが存在しているホモ属に述べても無駄である。
かつ、今のあなた方が聞いても無駄である。

Q上手に写真を撮りたい!

今度修学旅行があって、自分たちでデジカメを持っていって写真を撮ることになりました。そこで行くからにはいい写真を撮りたいんですが、カメラなんてめったに使わないのでぶれたりしていい写真が撮れないんです…。だからド素人でも少しはいい写真を撮れるような方法があったら教えてください。

Aベストアンサー

http://trendy.nikkeibp.co.jp/digital/tech/

ここの下のほうに、デジカメの撮影テクニックが乗っています。
一読するだけでも、今までよりも違った写真が撮れて面白いですよ^^

いい修学旅行になるといいですね^^
気をつけて行ってらっしゃい(^_^)/~


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