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西田敏行さんの「もしもピアノが弾けたなら」の歌詞について非常に納得がいかないので書かせていただきます。

あの歌には「もしもピアノが弾けたなら 思いのすべてを歌にして 君に伝えることだろう」とありますが、
それではなぜこの曲が生まれているのでしょうか?
私には不思議でなりません。

「僕にはピアノがない」という歌詞についてはピアノが無くても楽譜は書けるし口ずさむこともできるので歌は作れるという理屈で理解できますが、
「君に聞かせる腕もない」ということはやはり歌を作るほどの技術が無いんですよね?
それなのになぜ「もしもピアノが弾けたなら」という歌が完成しうるのでしょうか?

この曲の作詞者と作曲者が違うことも知っています。
私が気になるのはこの歌の作詞者の話ではなく、この歌に登場する主人公の話です。

気になって夜も眠れません。
どなたか私の納得しうるご回答お待ちしております。

A 回答 (5件)

懐かしいですねぇ。

池中玄太80キロ。
俳優西田敏行がピアノが弾けない主人公を演じている、と考えるのが一般的ではないでしょうか。

「思いを歌にすることができない」というメーセージを歌にするという不思議な感覚が含まれるのも確かだと思います。この歌を普通の歌手が歌ったらさぞかし説得力がなかったことでしょう。ピアノはおろか、歌もうまく歌えなそうな愛すべきキャラクターの西田敏行が歌ったからこその絶妙のバランスの上にあの曲はたっているのかもしれませんね。そうあれは歌ではなく語り、独白、一人芝居だと解釈できるのではないでしょうか。


歌と西田敏行の間にピアノというガジェットを入れたところが、作詞家の苦心のしどころだったのではないでしょうか。「もしも歌が歌えたなら」だったらさすがに大多数の人がが矛盾を感じるでしょう。
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ちょっと言わんとしていることがわからないのですが。


「ピアノが無く、弾くことも出来ず、曲も作れない人の話」を、第三者(作詞作曲が出来る人)が表した歌曲ってことではないんですか? その説明では不十分ですか? love-song0706さんも「作詞者の話ではなく」っておっしゃっているようですが・・・それってそういう意味なんじゃないですか? どういう意味でしょう。

音楽なんてものは、人間が意識出来るテーマである限り、何でも音楽には出来ますよね。だとすると、「歌を作れない人」というテーマを歌にすることも出来ます。「クラリネットをこわしちゃった」をクラリネットで演奏することも出来ます。
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 詩を作った人は作曲が出来ない人だった。

だからこの詩を作ったのです。
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追記です。



「君に聞かせる腕もない」は作曲力じゃなくて、ピアノを弾く技量のこと。
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ピアノか無い、技量も無い。


だから、「ピアノが弾けない」「ピアノの音色で伝えることが出来ない」ということです。

他の楽器で作ったんでしょう。
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