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レファレンス協同データベースによれば、約84,000人とする説と約118,000人とする説があります。

http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrde …

(1)『國史大辭典 11』(吉川弘文館 1990年)によると 
    日露戦争 約84,000人 とあります。

(2)『日本の戦争 図解とデータ』(桑田悦 原書房 1982年)によると
    日露戦争 約118,000人(服役免除含む) とあります。

なぜ、3万人以上もの差があるのですか。
(2)の説、約118,000人には、(服役免除含む)とありますから、この差でしょうか。

さらに調べてみますと「アジア歴史資料センター」では、戦死者数は55,655人です。

アジア歴史資料センター>テーマで見る日露戦争> VI統計
http://www.jacar.go.jp/nichiro/keyword06.htm

ところが、同じ「アジア歴史資料センター」にも違う数値(約84,000人)を示すページもあります。

アジア歴史資料センター >日露戦争史>日露戦争はやわかり 「講和とその影響」
http://www.jacar.go.jp/nichiro2/sensoushi/hayawa … 

戦闘に参加した日本の軍人と軍属の総数は、戦地と後方勤務の双方をあわせて108万人を超えていました。このうち戦死者・戦傷者は、それぞれ約8万4千人、14万3千人となっていました。

さらに、靖国神社では8万8429柱です。
訳が分かりません。
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

再々失礼します。



下記試料に日清・日台戦争についてですが「服役免除者」についての説明がありました。
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2044. …

引用です。
<一、本表の人員は本戦役に関し明治27年7月25日より翌28年11月18日(内地服務者は5月13日)
  までの間に於て死亡し
  又は服務免除と為りたる者及同期間内に於ける傷痰(しょうたん)疾病に原因し
  該期間後三個年即ち明治31年11月18日(内地服務者を除く)までに死亡し
  又は服務免除と為りたる者とす
○戦死、傷死中には戦闘中にあらざるも敵の為に殺害せられまたは負傷療養中死亡せし者等をも含有す
  又変死は自殺若くは汽車転覆等に因り非命に死したる者とす
○服役免除は将校は退役、下士兵卒は服役(常備後備とも)及永久兵役を免除したるものとす刑罰は
  将校は剥官、下士兵卒は重罪の刑に処せられたる者なり
・・・・・・>

<該期間後三個年>の定義がポイントかと思います。
日清・日台戦争に関しては、戦死18,488人に対し、服役免除者の死が3,794人ですから、かなりの
比率です。

現代に例えれば、交通事故後24時間以内の死亡は「交通事故死者数」の統計に入り、それ以降の死亡は
統計数字外となる様なものかも知れません。その定義を「事故関連死」として1年以内に延長したような
ものでしょうか。

まとめると、
日露戦争戦死者、陸軍約八万四千数百、海軍三千、計八万八千、戦役後三年以内に戦傷等が原因で
死亡した者(除隊者等も含む)を含んだ総数は、十一万八千人と云うところでしょうか。

余談になりますが、児玉源太郎大将は日露戦争後まもなく亡くなって居られますから、
「服役免除者等」に入っているのかもしれません。
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この回答へのお礼

態々調べて下さって誠にありがとうございます。
「服役免除者」についてよく解りました。
お陰さまで全ての疑問は解消しました。感謝申し上げます。

お礼日時:2014/01/09 20:52

再度失礼します


<17 日露戦争日本軍戦死者 (靖国神社合祀数)
陸軍 85,208人
       (内、一等兵 35,998人・上等兵 27,023人 計 68,208人)人)
       海軍 2,925人>

http://www.kachotei.com/sadnumber.html

だそうですから、陸軍戦死者に軍属などの正規軍人以外が含まれているとして、85,000人となり、
それに海軍軍人3,000人を含めると、88,000台となります。靖国神社の数に相当します。
靖国神社は変な人を祀っているとの批判も有りますが、亡くなられた方々を祀って
いるのは確かですから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

基は海・陸軍省から出た数字だと思うのですが、研究者によって“戦死”の捉え方が異なるでしょうから、戦死者数にある程度の差が出るのは当然だと思います。
戦死者数は、人的損害を軽く見せるために小さい数字にしたい場合もあるでしょうが、靖国神社の発表数は、どんな意図があるのか分かりませんが、他の統計に表れた数より大きいですね。
『日露陸戦新史』や「戦中派 秋元実 戦争を語る」のサイトから根拠のある数字を示して下さったので、戦死者数は、靖国神社に祀られている88429柱で納得できます。

ところが、『日本の戦争 図解とデータ』(原書房 1982年)によると戦死者数は、約118,000人(服役免除含む)とあります。
靖国より3万人多いですが、これが疑問として残っています。

お礼日時:2014/01/08 21:22

<本戦役にて於いて我が軍の使用したる全兵力、動員総数約百萬人にして、


我が損害、死約八萬四千四百、傷約十四万三千、陸軍軍事費十三億七千五百萬円なり。>

総、数、円は旧字。

沼田多稼蔵著<日露陸戦新史>大正十三年二月十日、序:渡邊錠太郎(参謀本部第四部長)
(再刊、岩波新書、昭和十五年十一月十日、序:企画院総裁星野直樹)
の最後の頁(225)の最後の文。

公開非公開も含めた公式記録に基づく、大正末当時に認知されていた数字。

序の最後に、
<一、海戦史に関する事項は之を省略せり。蓋し別にその人あるを以ってなり。>
と云う一文があります。
海軍の戦死者が含まれるかどうかが、差を解明する手がかりと成るかも知れません。
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軽く検索して調べただけですが参考にしていただければ。



日露戦争では狭義の戦死・戦傷死55,655人、戦没病死27,192人、で計88,429の戦死が出ています。
84000とは若干データが違いますが、このくらいが一般的に言われる日露戦争の戦死者ですね。

またこのデータとはまったくの陸軍省医務局系のデータとして、27,468人の脚気入院死亡者を出しています。
この死亡者のうち何割が戦没認定(いわゆる戦死)が含まれているのかわかりませんが、おそらく『日本の戦争 図解とデータ』では一度戦場に赴いた後入院し内地に後送されて病死し戦没認定を受けなかった病死者を多数含んでいると見て間違いなさそうです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>日露戦争では狭義の戦死・戦傷死55,655人、戦没病死27,192人、で計88,429の戦死が出ています。

これは、wikiの数字ですね。
どこから出た数字でしょうか。出典不明ですね。

Wikiでは、戦力 約30万人となっていますが、この数字も怪しいです。

お礼日時:2014/01/07 21:33

ちょっと調べたところ戦死者はおそらく約84,429人で間違いないです。



「アジア歴史資料センター」では、戦死者数は55,655人です、とありますがこれは戦闘そのものの死者(病死などをいれない)だと思います。(上の資料にある84,429人はこれを含めいている)

また戦死者の3万人の差は質問者さんが考えていることであってると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
戦死者数 「84,429人」という数字もあるのですね。
靖国とは、ちょうど5千人、違いますね。

そもそも、約118,000人(服役免除含む)の“服役免除含む”の意味が分かりません。
どのような人々を指すのでしょうか。

お礼日時:2014/01/07 21:07

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