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毛沢東はなぜ田中角栄に「楚辞集注」を贈ったのですか?
なぜこの書物を贈ることにしたのですか?

A 回答 (2件)

「楚辞集注」は楚の屈原らの詩文を集めた古典「楚辞」の注釈書です。

 屈原はかつて高級官僚でしたが、追放されてみすぼらしい恰好で川辺を彷徨っているときに、一人の漁師が「どうしてこんなところに来たのですか?」と声を掛けます。 屈原は「世の中全体が濁っている中で、私ひとり澄んでいる。だれもが酔っているのに、私ひとり覚めている。それで追放されたのだ」と答えます。 すると漁師は、「世の中全体が濁っているなら、その流れに合わせて波風をたてず、みんな酔っているのなら、自分も酔えばいいではないですか。すばらしい才能があるのに、なぜわざわざ追放されるようにふるまうのですか」と言います。 屈原は「そんなことをするくらいなら、いつの世も流れている川に身を投げて、魚の腹に葬られるほうがましだ」と述べ、「懐沙(かいさ)の賦(ふ)」と呼ばれる詩を詠むと、石(=沙)を抱いて本当に身を投げてしまいます。 毛沢東も出身地でいえば楚の人です。 彼も屈原に励まされたひとりだったのでしょう。 毛沢東が田中角栄と会った当時、中国は国際的にも孤立した、とても貧しい国でした。 毛沢東は、「高潔な理想を抱きながら、巨大な共産主義国家建設に邁進しているのにもかかわらず、世界で味噌っかす扱いを受けている我々の思いが、日本人にはわかるか?」と言う思いを込めて、「楚辞集注」を田中角栄に贈ったのだと思われます。
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毛沢東は湖南省の省都・長沙の近くで生まれ、長沙で歴史の教師をやっていたことがある。


あの辺一帯は、古代は大国だった楚の国だった。「楚辞」は、北の中原エリアの「詩経」に対応する南方を代表する詩集だ。

南方生まれの歴史教師だった毛沢東が、これまた勉強家で知られる田中角栄への贈り物に「楚辞集注」を選んだのは、なかなかのセンスだと思う。
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