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たまに神社やお寺にお参りに行きます。神頼みですね。

僕の住む近くにある神社は日本でとても有名な大きな神社もあるし、護国神社や、大きな寺もあります。


以前僕は、神社の作法も全く知らずに、神社の参道の真ん中は神様の通り道だと知らずに、堂々と歩いていました。

その時、脈動が少々荒くなったり、意識が上に押しては引いてというような、何か頭に引っかかってる意識を何かが取ろうとして、ぐいぐいと引っ張られるような感覚が多々あります。

後に参道の真ん中は歩いちゃいけないと知った後も、端を歩いていても、その症状は起きてます。軽かったり、少し強かったりと。


今年も厄除けの為に護国神社にお参りしたのですが、そこでも起きました。印象深いのは、手水場にて、コピー用紙にコピーしてきた手の洗い方を見ながら洗った時です。心臓が裏返るというか、ドックンと強く一回脈打ち、意識持ってかれるじゃねえかってドキドキするくらいな鼓動と意識の揺らぎが起きました。


話が少し変わりますが、今日、霊視が出来るとされている方に守護霊様を見てもらったら、僕は30人か50人に1人と、稀有なのかどうかわかりませんが、兎角珍しい守護霊様が側にいらっしゃって、女性の観音様か神様か、よくわからないが、良い霊様がいるよと教えていただきました。あと、まだ死んでないのに祖母が守ってくれてるとか。父方か母方の祖母どちらかは聞きそびれてしまいましたが。


そしてもう一つ、僕が小さいときに友達と大きな神社で行われた祭りに参加したとき、友達がデジカメを持ってきたので、写真をバシバシ撮ってたのですが、巫女さんが舞をしてる姿を写した写真にはオーブが沢山あって、それならまだ分かるのですが、しかし僕が映る写真にはオーブが沢山あったことを覚えてます。他の友達が映る写真にはオーブはないに等しいのに、僕には沢山写ってたそうです。


と、質問に関係ありそうな話を記述したところで。


心霊や精神世界に詳しい方がいらっしゃったら、お答えください。神社に行ったら上記の症状が起こるのは、一体僕に何が起きているのでしょう。

なんというか、その症状があるから怖いとかは分かりません。恐怖というよりは、なんだこれはと、非日常な世界に少し馬鹿みたいに楽しんでる部分もあります。

しかし、実は神社の神様達から「お前礼儀知らずだな」とか怒られてるのではと考えたら、申し訳ないです。作法とか中々覚えられなくて、毎度参ったら失敗してる感がありまして。

ご回答お願いします。

A 回答 (4件)

それは、「気のせい」と呼ばれる現象ですね。

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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。率直な回答で笑いました。

お礼日時:2014/03/11 20:17

自己催眠なんでしょう、自分で感じてそんな風になるのです。


地震などで揺れた後、そこに立つと揺れを感じるのも同じ現象です。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。こちらも率直な回答で笑いました。

お礼日時:2014/03/11 20:27

ふらつくのは運動不足ですね。


もしかすると心臓に問題があるかもしれません。頻繁なら精密検査を。
また、靖国には悪霊が憑いてますからそのせいでしょう。近寄らない方がええぞ。
まともな神様がいるのは、うちと熊野の方だけです。関東とか未開の地には寄り付きません。そういう所にいるのは低位霊だけです。
なお、うちにいらっしゃるのは貧乏神様で、、ww
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この回答へのお礼

なるほど。ご回答有難うございます。

お礼日時:2014/03/11 23:10

残念ながら心臓や脳に問題がある場合は、家を出たときから異常がおきます。

なぜなら家の中では運動と行っても運動と呼べないレベルなのです。ところが外を歩くとなると運動になります。それだけ脳や心臓に負担がかかるので、脳の場合は頭痛やふらつきや一時的な健忘、虚血性貧血を起こします。心臓疾患なら多くは息苦しさ、肩の痛み、肩甲骨や背骨の痛みとなります。それらがない場合は急ぎで病院に行かねばならないほどではないでしょう。でも症状が明確でない場合もあるので定期健診はしましょう。

病気でないのに寺社に行って体調が悪くなる。コレには3つの場合があります。あくまでもスピリチュアル的な見解です。
一つは強い神気に触れて体が対応できない場合です。もう一つは寺社の空気か貴方自身が穢れている場合です。3つ目は貴方自身が形式に捉われ過ぎて心が伴って居ないという事です。

どんな特効薬でも体力のない人に使うと逆効果だったり副作用が大きく出てしまうということがあります。コレと同じように、強すぎる神気に体が付いていけないと気分が悪くなったりします。このような場合は感謝だけを述べて帰りましょう。神社の外で暫くすれば元に戻ると思います。
何度か詣でれば次第にこのようなことはなくなります。

法相宗の知人(僧侶)に聞いた話ですが、私は浮遊霊を連れて行く役を負っているんだそうです。そのような人はたまにいるようです。するとその人のが寺社に詣でる際には浮遊霊が寄ってくるんだそうです。私の場合は詣でるときに体が重くなります。そういう役を負っている人は参拝の際に感謝すると共に「迷っている人たちが成仏(昇天)出来ますように」と願ってください。これは繰り返し起こるので、それが自分を浄化する課題だと考えてください。そうすれば次第に楽になって行くと思います。
また最近ではご利益信仰の流行で慾の塊で参拝する人が多くなっています。やってきて願いばかりを上げ連ねてかえってしまうような連中です。欲の塊が境内に入れば次第に境内は穢れますから、具合が悪くなります。
人気の神社は午前中に行くようにしましょう。

3番目は一番大事なことです。まず、神社での作法ですが全部嘘です。デタラメです。そんなものに捉われ形式ばかりを気にしていると心が疎かになります。やがて作法が違うから罰が当ったなどという疑心暗鬼になります。神社神道には神職の作法は定まっていますが参拝者の作法などありません。インチキ神社通のデタラメを信じないこと。

神は境内を歩きません。神社・神道の成り立ちを学べば理解できますが、貴方の行く神社には注連縄がはっていますよね。注連縄って何ですか?天岩戸に「天照大神が再び入れないように」と張ったのです。つまり神は注連縄を通れないんですよ。だから祭礼では必ず依り代に神を乗せ、それを厨子に入れるか神輿に乗せて注連縄を通過するんです。神が自分で境内を散歩することなどありません。
参道の正中は宮司や神職、僧侶、勅旨などが通るのです。神宮遷宮のテレビ見ませんでしたか?参道の真ん中は斎宮さんが歩いていますよね。それどころか衛視が歩いています。
それに町の寺社でも初詣の際は参道一杯に歩きますよね。神の通り道に例外などありません。歩いていけないなら誰も歩かないのが当たり前のはずです。

手水というのは本来昇殿参拝の際に巫女がやってくれるんですよ。桶に入った水で清めるのが本来の姿。私たちがやっている参拝はすべてが略式のセルフサービスなんです。神宮では五十鈴川で手を清めました。だから手洗い場があるんです。
そしてそれが略される際に、神仏習合で寺の習慣が神社に入った。私はそう考えています。だから手水の作法と茶道の作法が同じなんですよ。

ことほど左様に歴史を紐解けば如何に今の風潮がデタラメかわかります。そもそも今の参拝法も戦後神社本庁設立後に『一参考例』として示されたものであり、「作法」ではありません。これは私が当時を知る神職からかなり前に聞いたものであり、また某神職のブログにも別人の証言として載っていました。
皇學館では「神職は古典を学ぶ」ことを義務としていますが、近年では神社本庁さえ不勉強が多く、このような俗説に惑わされているので、実際には矛盾したり不合理な事をやっているわけです。

作法というのは一つの流れです。自分流の流れがあれば人に迷惑がかからない限り間違いだとかバチだとか関係ありません。メモを見ながらやるなんて、まるで心がこもっていないと思いませんか?禊ぎ祓えのための手水なのに、清めるための手水なのに清まっていないでしょ。清めるということは心から迷いをなくすことです。作法が合ってるかどうかなど考えている事自体が迷いです。
まずは迷いを祓って参拝してください。細かい順番など考えなくていいんです。
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この回答へのお礼

詳しくご回答有難うございます。参考になりました。

お礼日時:2014/03/12 17:55

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