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御存知の方が多数いらっしゃると思います。又、類似の質問も有ったかとも推測しております。
で、本題。
人間が古いため「一生懸命」がピンときません。
「一所懸命」なら腑に落ちるんですが。
後者の場合、一つ所に命を懸ける。で良く判るのですが、前者の場合、命を懸けているんだから一生も二生もないんじゃない?とツッコみたくなります。なんかその内に「半生懸命」とか「1/10生懸命」とかいう言い回しが出てきそうな感じがして、お尻のあたりがムズムズします。
まぁ、言葉は生き物なので仕方ないですが、気ににりませんか?

A 回答 (11件中1~10件)

こんなことを書きたくないですが、「全然気になりません」



「書きたくない」なんて書いたら、絶対に書かないといけない方が、むしろ気になります。

「書きたくないのだったら、書くなよ」(笑)
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あまり気になりません。


日本語はどんどん「新語」が生まれてきますが、その中にはすぐに廃れるものもあれば、長く生き続けるものもあります。
長く生き続ける、ということは、その言葉を使う「用途」というのが存在し続けているからでしょう。
そういった意味で「一所懸命」もあれば「一生懸命」もある、ということでいいと思います。

私は「一生懸命」は「一つの生涯を命懸けて取り組む」という意味合いで使っています。
精神論的ですが、人は生きているうちに、ひとつの命しか持たされないわけです。
どのように使おうとも個人の自由ではありますが、その中でも、気概に満ちていて、生き抜こう、使い果たそう、という心がけを持っての生き方というのは、自らを削って生きていくようなものです。

自分の命を担保にして、自分の人生を使い尽くそうとすることは、意志なくして出来ないはずです。
そういった「生き方」をさして「一生懸命」というのは、私は「アリ」じゃないかな?と思うのです。

私の思い込みですけどね。
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気になりません。



今は、新聞や放送も「一生懸命」という表記を使っている時代ですよ。
 
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違和感は特に覚えません。



確かに言葉としては「一所懸命」が本来のもので、私自身も自分では「一生懸命」は使いません。が、他人が「一生懸命」と使うのには何ら違和感を覚えません。既に「一生懸命」は完全に市民権を得ていると思います。

例えば、「新しい」は、「あらたしい」というべきですが、「あたらしい」といっても何ら違和感は覚えませんよね? そうした言葉は山のようにあって、「一生懸命」だけが特別に問題視される理由はないように思えるのですね。言葉はどんどん変わっていき、常に変わり続けることが「言葉が生きている」ということなのだと思います。変化を拒絶したとき、言葉は死ぬのだと思います。

>なんかその内に「半生懸命」とか「1/10生懸命」とかいう言い回しが出てきそうな感じがして

面白いですね。そういう言い回しが出てきたら面白いなと私は思います。どんどんそういう既成の概念を破壊するような言葉や言い回しが出てくる事こそ、その言葉がいきいきと使われ続けている証左であると思うのですね。日本人は、昔からそうした言葉遊びが好きで、今当たり前に使っている言葉の多くも言葉遊びから派生しています。(「当たり前」も、「当然」を当前と置き換えて生まれた言葉遊びですね)

どんどんそうした言葉遊びが出てきたほうが愉快な日本語になりそうで私は嬉しいですね!
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たしかに一生を懸命に生きるのはしんどいですよねw



そうゆう体育会系というか、精神主義というか、熱血な言葉は嫌いです。

「一所懸命」なら土地から転じて、何かひとつを守る・何かひとつをやりとげるってニュアンスになり共感できます。

ここらで元の言葉に戻しましょうw
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ただの言い間違い&聞き間違い だそうです



実際「一生懸命」と言う言葉は正式には存在しません
正しくは「一所懸命」です

鎌倉時代に幕府から土地をもらった御家人が
ひとつの土地(一所)を懸命に守る と言うところからきているそうですが



まぁ時代によって言葉は新しく登場し 進化もするんだから
良いかな?とは多少思いますが
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時代の変化じゃないですかね。



昔は先祖代々同じところに済み続け、地元の君主に仕え続けた。なので、「一所」は「一生同じところで」の意味が強かったのではないかと思います。

しかし江戸時代以降は移住するケースも増えてきて、一生一所とは限らなくなってきたから言葉を変えたのではないかと思います。誤用が広まったというのが広く信じられている定説ですが、私は意味があって変えたのではないかと思っています。

ざっくり今風に言えば「転職しても・どこに行っても、がんばるよ・がんばり続けるよ・がんばれよ」みたいな意味合いなのではないかと思います。
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私も質問者の方の違和感に同意します。


というか、何かで「『一生懸命』は『一所懸命』の間違い」という主旨の文章を読んだ記憶があります。既に「一生懸命」が表現として当たり前のように使われていますが、「一生」という言葉と「一所懸命」がクロスオーバーしてできてしまったのが「一生懸命」という表現ではないかと思います。ですから変に感じるのは当然だと思いますよ。
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 夜分に失礼します。

仰りたいお気持ちもよく解ります。「一所懸命」は元々鎌倉時代の言葉で、一つの所領なり開発した土地の所有権を懸命に守るとの意味ですから、一所懸命であることも自然です。
 とはいえ、同じ鎌倉時代には「所有権や領有権およびその相続権の正当性を訴訟によって確認する」との問題も派生していますから、「一生懸命」の「一生」を相伝の一生と理解すれば済むのではありませんか?
 言葉が時代によって変化するのは当たり前と仰る回答もありますが、言葉の意味内容が変化することと発音が変化するのでは意味も異なってもくるはずです。
 意味を的確に反映したものでなければ、発音が変わっただけで説明するのでは説得力に欠けるとも思われますが如何でしょうか。
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それを言うなら「人一倍」もどうよ!?ってことですね?



1倍はどれだけかけても1ですから

調べたら理由はちゃんと載っているんですがね
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