限定しりとり

こんばんは。

★今質問はB.Aを選びません★

抽象的な質問ですみません。

「さようなら」の向こうの世界には何がありますか?
何が見えるのでしょうか?
何が変わりますか?何も変わりませんか?

*死別はNGでお願いします。

*締め切り後にお礼させて頂く可能性があります。
  予めご了承くださいね。


どうぞ宜しくお願い致します。

A 回答 (23件中11~20件)

「こんにちは」では?



冬の後には、春が来るのような・・・「おはよう」??「はじめまして」???
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この回答へのお礼

こんばんは。
いつもお世話になっております。

>「こんにちは」では?

→最初ちょっとわかりませんでしたが、
なるほど、回答者さんが仰っておられる「さようなら」は
決断が必要なレベルの重い意味ではないんですね?
そうなりますと
やっぱり次に会った際には「こんにちは」になりますね ^^


>冬の後には、春が来るのような・・・「おはよう」??「はじめまして」???

→これは新たな出逢いってことですかね?
確かに一つの別れの後に新たな世界がやってきますから、
「はじめまして」となるでしょうね。

結局、生があれば死があるように
出逢った瞬間から別れる可能性を抱えるってことなんでしょうね。
なにも変わらないのなら苦しいだけですし、
もう自分にできることはないと感じて「さようなら」と告げる。
そのこと自体で変わるか否かは相手次第。
いい方向に変わってくれればいいと願っても
もうその手から離れているのでどうしようもない。
あとは自分が新たな一歩を踏み出すだけ。
勿論、深く考え信じる道は変わりませんので
同じ位置にいたとしても「さようなら」の後には
景色が少し変わっているんでしょうね。


ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/23 00:52

何らかの止むを得ない事情による別れではなく


自発的な別れによる「さようなら」の向こうには
新しい世界があると思います。

かといって、それはバラ色の世界ではないかも知れませんが
少なくとも古い世界に居られなくなったからこその「さようなら」だったのだと思います。

その辺りの事情は
ワーズワースの「進む者は別れなければならない」という言葉によく表れていると思います。
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この回答へのお礼

こんばんは。
いつもお世話になっております。

>何らかの止むを得ない事情による別れではなく
>自発的な別れによる「さようなら」の向こうには
>新しい世界があると思います。

→確かにそうかもしれません。
よく考えたうえでの決断、それが自発的な場合は。

ただ、表面上自発的であっても、
本質的にそれをさせたのが相手の場合は難しいんですよね ^^;
それを相手は認めないでしょうけど。
決断には必ず原因があり、
そこを相手が深く考えなければ何も得られません。
なぜ痛みを感じながらも「さようなら」をしたのか、を。
勿論、それでも「さようなら」をした人は少し立ち止まった後、
結局は前を向いて歩んでいきますから、
そこには新しい世界が拓けているとも言えますね ^^


>かといって、それはバラ色の世界ではないかも知れませんが
>少なくとも古い世界に居られなくなったからこその「さようなら」だったのだと思います。

→そうですね。
過去を完全に忘れられるわけじゃないですから、
その後と較べてしまうかもしれませんし、
複雑に絡まって素晴らしい世界とはかけ離れているかもしれませんね。
それでも世界は広がっているので
新たに自分がどういう選択をするのかの可能性は広がるかもしれません。


>その辺りの事情は
>ワーズワースの「進む者は別れなければならない」という言葉によく表れていると思います。

→なるほど。
得る為には何かを切り捨てなければならないってことですかね?
結局は何もかも抱えることは不可能なんですよね。
あくまで他人のことを考えたうえで、
自分が信ずる道を歩み、その結果別れをいくつも経験する、と。


ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/23 00:36

「久しぶり」「御無沙汰」、いわゆる再会です。


技術の発展によって世界は狭くなりました。
ですので、別れた人に再会する確率は、プライバシーを考えなければ、昔と比べたら上がってきている事は間違いないでしょう。

私も前の会社の人に会う事はあります。
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この回答へのお礼

こんばんは。
いつもお世話になっております。

>「久しぶり」「御無沙汰」、いわゆる再会です。

→確かにリアルですとそういうことが起こり得ますね。
また逢う日がやってくるかもしれません。
時間の経過で冷静に挨拶できるのかもしれませんね。
ただ、それは元の関係性には戻らないという前提で
大人としての対応をしたに過ぎない場合が
殆どなのかもしれませんね。
もしやり直すにしても
間違いを正さなければ結局は同じことの繰り返し。
そうなると何も得るものがないですものね。


>技術の発展によって世界は狭くなりました。
>ですので、別れた人に再会する確率は、プライバシーを考えなければ、昔と比べたら上がってきている事は間違いないでしょう。
>私も前の会社の人に会う事はあります。

→まぁ確率は確かにアップしたんでしょうね。
それでも扉を閉じれば逢えない関係性もあります。
全く違う世界に離れ離れになるのではなく、
たとえば友達関係を清算したような場合、
これまでのように相手の姿は見えています。
そこで相手のその後の行動をみて
また考えが変わる可能性は出てくるかもしれません。
そこは何とも言えませんが…。

いいシチュエーションでの「さようなら」なら
また逢った際に懐かしさが込み上げてくるでしょうね。
そうじゃなければ、
そこに必ず痛みを伴ってしまうのも現実なんですよね…。


ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/23 00:21

雪女マネージャーおつかれさまです



KBTが今日の営業ドタキャンしました!!

タイヘンです!!

「さようなら」の向こう?

何もないかなぁ?

不等式で表すと好き≦嫌い<サヨウナラなんです

「好き」と「嫌い」は紙一重ですが「サヨウナラ」は決定打、の意
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この回答へのお礼

センセー こんばんは。
いつもお世話になっております。
お疲れ様です ^^

>「さようなら」の向こう?
>何もないかなぁ?

→あ、何もないですか。
先が見えないということではなさそうですね。
そこで完全に
シャットダウンする感覚でしょうかね?
それも人によってはあるのでしょうね。
こういうのって告げる側と告げられる側の
意志の疎通ができていないと
うまく伝わらなかったりするんですよね。
その状況によっては難しいですね。


>不等式で表すと好き≦嫌い<サヨウナラなんです
>「好き」と「嫌い」は紙一重ですが「サヨウナラ」は決定打、の意

→この表現は面白いですね ^^
本来なら
「好き≧嫌い>サヨウナラ」としそうなところを逆ですから。
本筋とは逸れますがちょっと興味深いです ^^
まぁ、意味は同じということでしょうけど。

好きと嫌いは紙一重。
確かにそう感じることがありますねぇ。
嫌いになった途端、
好きだった部分まで許せなくなったりしますものね。

センセーにとっては「サヨウナラ」は完全に終わり、と。
勿論それはその相手との関係性について
そこで終わり、に過ぎないと。


ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/23 00:08

こんばんは。



「もうすぐ~ 外は白い冬~♪」が、あります。

※顎から滴る汗は、気にしないで下さい。

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この回答へのお礼

こんばんは。
いつもお世話になっております。
おひさしぶりですね。

>「もうすぐ~ 外は白い冬~♪」が、あります。

→動画ありがとうございます ^^
これは名曲なのでさすがに聴いたことがあります。
いい曲ですよねぇ。
このアーティストは魅力いっぱいです。

こういう「さよなら」はやっぱり恋愛をテーマにしているんでしょうね。
サビの力強さが逆に切ないですね。
踏ん切りが必要だったのでしょう。
こういう時には思った以上にエネルギーを使いますからね。
「さよなら」を言う側も苦しいんですよね。

あ、念のため…
わたしは今回失恋したわけじゃないですよ ^^


>顎から滴る汗は、気にしないで下さい。

→これは最初、詩的な意味で涙のことかと思いました ^^
曲を聴いたら涙が出るよ、って意味で。
でも本当に汗が滴ってましたね ^^
逆に気にしてしまいました ^^


ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/22 23:55

こんにちは。

(^-^)

「さようなら」の向こう側には
新しい出会いがあります・・。
「向こう側」っていうのは
「さようならを乗り越えた先」と解釈しますね。

人は閉じられてしまった扉に気を取られているうちは
新たに開いた扉に気づくことが出来ない・・。

という名言(誰だったっけ?ヘレン・ケラー?)が
あったと思います。

「さようなら」で閉じられてしまった扉・・
でもまわりを見回せば、
また開かれる扉がきっとある・・。
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この回答へのお礼

先生 こんばんは。
いつもお世話になっております。

>「さようなら」の向こう側には
>新しい出会いがあります・・。
>「向こう側」っていうのは
>「さようならを乗り越えた先」と解釈しますね。

→新しい出会いがありますよね。
もしかすると「さようなら」したことによって
たくさんの可能性が生まれるかもしれない。

「乗り越えた先」という解釈自体が
もう既にとても前向きで素晴らしいですね ^^
ここはお任せのつもりでしたが、
こういった解釈で捉えるというのはステキなことです。


>人は閉じられてしまった扉に気を取られているうちは
>新たに開いた扉に気づくことが出来ない・・。
>という名言(誰だったっけ?ヘレン・ケラー?)が
>あったと思います。

→はい、ヘレン・ケラーで間違いありません ^^
さすがは先生よくご存じですねぇ。

人は閉じられた扉ばかり気になってしまうんですよね。
その間に新たな扉が開いても気付けない。
それはとっても勿体ない事ですものね。


>「さようなら」で閉じられてしまった扉・・
>でもまわりを見回せば、
>また開かれる扉がきっとある・・。

→確かにそう考えれば未来は明るいものになりますし、
実際に開く扉がありますものね。
気にし過ぎていては
新たなチャンスを逃しがちだと思います。

この名言に敢えてわたしがもう一つ付け加えるなら…
新たな扉にあまりに気を取られていたら、
閉まった扉がまた一瞬だけ開いたことに気付かない ^^

これもあるんですよね。
だから閉まった扉が相手にとってもう必要なければ
それは忘れてしまった方がいいのでしょうね。
完全な「さようなら」で新たな多くを得る、と。


ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/22 23:41

♪さよならは別れの言葉じゃなくて~



こんばんは、「三面楚歌」に「九蓮宝燈」とか、
「四倍満貫」とか、数字の入った四字熟語を
付け加えるのを忘れていた、うっかりロリポンです…。

もうひとつ言い訳すると、「再三妻子」は、
再の字が二という意味であって…。
いや、まあ、いいや…。


※「然様なら」の向こう側にあるのは、あるがままです。
どんな複雑なことも、「然様なら」で一区切りにしてしまう。
なんとも便利な言葉だと思っていました。

出会ったことも関わり合ったことも、「然様なら」と受けて、
一旦当事者の立場から離れて、物事のあるがままを
客観的に見渡す心の余裕のようなものを感じます。

そして、再会することも生き別れることも、
「然もありなん」と冷静に受け止めて、
その「縁」の不思議さを噛みしめる…。

どんなに楽しい時間でも、いつまでもダラダラと
長引けば、失うものも増えてしまいます。
あるいは、絡まりあってこんがらがった「縁」の糸を
整理する時間も必要になってくる。
だから、一度けじめをつけて、「然様なら」となる。

その向こう側には、再びいくつもの「縁」が交わって、
様々な模様を織り成していく、可能性の世界が
広がっているのだと思います…。

この回答への補足

「さようなら」と言えば…
わたしたちの登録しているMSN相談箱が
今月いっぱいで撤退しますね…。
前に気になって問い合わせました。
個人データ等はそのまま引き継ぐので
どうかご安心下さいとのことでした。

補足日時:2014/09/22 22:56
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この回答へのお礼

お兄さん こんばんは。
いつもお世話になっております。

>♪さよならは別れの言葉じゃなくて~

「さようなら」っていつ使えばいいんでしょうかねぇ…。
実際には終わりではないんでしょうか。

>「三面楚歌」に「九蓮宝燈」とか、
>「四倍満貫」とか、数字の入った四字熟語を
>付け加えるのを忘れていた、うっかりロリポンです…。

→「うっかり」とはなかなか「さようなら」できないですよね ^^
おそらくお兄さんは
わたしのようにかなり確認癖があると思います。
それでも何故か「うっかり」しちゃうんですよねぇ ^^;

ちなみに…
倍満、三倍満はありますけど、
四倍満は即ち、=役満ですよ ^^

>もうひとつ言い訳すると、「再三妻子」は、
>再の字が二という意味であって…。
>いや、まあ、いいや…。

→そういう意味でしたか ^^


>「然様なら」の向こう側にあるのは、あるがままです。
>どんな複雑なことも、「然様なら」で一区切りにしてしまう。
>なんとも便利な言葉だと思っていました。

→あるがまま。
またちょっと深い言葉ですね。
確かに「さようなら」の一言は便利かもしれません。
でも「さようなら」に込めた想いも
ひとつずつ形が違うんですよね。
その形を見分けられるか、
体のどの部分で感じられるかが重要だと思います。


>出会ったことも関わり合ったことも、「然様なら」と受けて、
>一旦当事者の立場から離れて、物事のあるがままを
>客観的に見渡す心の余裕のようなものを感じます。

→これは大切かもしれませんね。
人間関係は難しいんですよね。
単に距離をとるのも状況的に難しく、
そしてどのみちそのままでは何も変わらない。
何かを伝えるために「さようなら」をしなければならない。
その痛みを感じ取れるかどうかは相手次第です。


>そして、再会することも生き別れることも、
>「然もありなん」と冷静に受け止めて、
>その「縁」の不思議さを噛みしめる…。

→そうですね。
確かにリアルの世界だと再会することもあるでしょうね。
その時どう思うか、何が起こるかはわかりません。
こういうのは先に考えていたとしても、
結局は経験しないと手が届かない
心の相当深い部分で感じる類の事でしょうから。

ただ、一人が扉を閉じればもう逢えません。
また、扉を一瞬開いた瞬間を見逃すと逢えません。
それも人生でしょうね。


>どんなに楽しい時間でも、いつまでもダラダラと
>長引けば、失うものも増えてしまいます。
>あるいは、絡まりあってこんがらがった「縁」の糸を
>整理する時間も必要になってくる。
>だから、一度けじめをつけて、「然様なら」となる。

→そうですね。

不満はある一定量以上は
溜めるものではないかもしれません。
ある程度早い段階で「さようなら」も手段の一つですね。

ケジメは本当に大事だと思います。
それをしないとある日
なにも伝わっていないことに愕然となりますから…。
薄々感付いていても更なる我慢を重ね、
浮き彫りになった瞬間には辛いですね。
その時見る光景は絶望でしかありません。


>その向こう側には、再びいくつもの「縁」が交わって、
>様々な模様を織り成していく、可能性の世界が
>広がっているのだと思います…。

→可能性は確かに広がっていますね。
そこの光明を見いだせればとても楽になるでしょう。
ただ、たとえば夫婦が別れ、
されど同じマンションに住み続けていればしんどいですね。
相手の「縁」が自分の「縁」ということもあって、
そう考えると「縁」は良くも悪くも複雑ですね。
そこから広がる「縁」もありますからね ^^


ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/22 22:52

珍しく再びです。


   
あらら、何故かしんみりしたお礼が・・・
気のせいか?
    
やまぬ雨はない、明けぬ夜はない、冬が終われば春になる!
明日は明日の風が吹く。
それも今日を一生懸命頑張っていれば、きっと爽やかな風が吹きますよ。
    
顔を上げて、前を向いて歩きましょう!
そうすれば、さようならの向こう側を見る事ができますよ。
     
私の勘違いならいいですけどね。
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この回答へのお礼

如水様 もう一度こんばんは。
わざわざ追加回答ありがとうございます。

>あらら、何故かしんみりしたお礼が・・・
>気のせいか?

→大丈夫ですよ。
彼氏にフラれたとかってことではありません ^^ 
ちょっとテンションが低いだけですよ。
何とかの秋の空じゃないですか?^^


>やまぬ雨はない、明けぬ夜はない、冬が終われば春になる!
>明日は明日の風が吹く。
>それも今日を一生懸命頑張っていれば、きっと爽やかな風が吹きますよ。
 
→そうですね。
とても勇気が湧く言葉だと思います。
こういうのは気の持ちようなのかもしれませんね。
何事も計算通りにはいきませんし、
考えていなかったことが起こる可能性もありますものね。
それがいいことか悪いことかはわかりません。

やっぱり精一杯やるしかないんですよね ^^
それでうまくいかなくても人生ですから。


>顔を上げて、前を向いて歩きましょう!
>そうすれば、さようならの向こう側を見る事ができますよ。
 
→はい、わたしはちゃんと歩きますよ ^^
骨折しているみたいなものですけどね ^^;
「さようなら」は一つのことに対してだけですものね。
そこに付随するすべてに影響は出ますけどね…。
ただ、それで自己が終わりではないですよね。


>私の勘違いならいいですけどね。

→もしかすると勘違いではなかったかもしれませんね ^^
或いは勘違いだったかも?^^
でもわたしは未だちゃんと大地に立ってますから。
温かい光が包んでくれているうちは大丈夫そうですよ ^^
風邪を引いただけかもしれません。


何度もご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/22 22:01

こんばんブゥ



なにに『しゃよぉうなぁら~~~』したかによるでしょう


さよならしたものと、おなじ種別のもので、性質の異なるものが見えるでしょう・・・・

見えたものと、さよならしたものと、を比較し・・・2つのものの良いところ、悪いところが判断できるように変わります。
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この回答へのお礼

こんばんは。
いつもお世話になっております。

>なにに『しゃよぉうなぁら~~~』したかによるでしょう

→確かにそうですね。
一つの存在、ないし深い部分でのもう一つに対しての「さようなら」です。


>さよならしたものと、おなじ種別のもので、性質の異なるものが見えるでしょう・・・・

→これは解釈が難しいですね。
ただ、これは見える人と見えない人がいそうです。
たとえば怒りのような強い感情は
他の感情の余地を奪うかもしれません。
一つの感情に流され本質を失う人もいることでしょう。


>見えたものと、さよならしたものと、を比較し・・・2つのものの良いところ、悪いところが判断できるように変わります。

→そのように変われればいいですね。
わたしも一つ一つに変わるぐらいの器は最低限持っています。
でも持たぬ者、持とうとしない者もいるということ。
この相反同士では何も生まないかもしれませんね。
本当は別れは早い方がいいのかもしれません。
ぐずぐずしているから苦しくなるのかもしれません。
それを実感した時、目の前には大きな壁しかありません。
これまで扉を閉める勇気がなかっただけかもしれません。


ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/22 21:45

「さようならの向こう側」には



山口百恵のヒット曲や徳永英明の歌があるみたいです。


または

さよう(左様)なら⇔うよう、みぎよう(右様)なら
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この回答へのお礼

こんばんは。
いつもお世話になっております。

>「さようならの向こう側」には
>山口百恵のヒット曲や徳永英明の歌があるみたいです。

→さすがお上手ですね。
調べてみました ^^
確かにそういう曲が存在するんですねぇ。
「さようなら」とは一味違う「さよなら」でしたよ ^^
今までまったく知りませんでした。
歌詞も検索してみましたら、とってもいい詩でしたよ。
輝きにも寿命があるんですね。
でも最初から輝いていなかったらどうなんでしょう?^^
表情は読み取れないかもしれませんね。

ひとまず山口百恵さんの曲だけ調べましたが、
「さよなら」の代わりに「ありがとう」って締めくくりでした。


>さよう(左様)なら⇔うよう、みぎよう(右様)なら

→左があれば右もある。
「うよう」ですから「うようよ」いるのかもしれませんね ^^
一つの別れですべてと「さようなら」ではないということですね。

「左様なら(ば)」
別れ際で使う際は「そういうことならば」を意味する。
そう捉えるとちょっと意味深い気もしますね ^^
そういうことならばもうお別れね、と。

<参考URL>
http://gogen-allguide.com/sa/sayounara.html


お早いご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/22 21:32

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