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作品に対する評価は人によって千差万別のはずなのに、なぜ賞があるのですか?
そぐわない気がします。

A 回答 (7件)

同感です。


スポーツ選手にも、もっと出して欲しいです。
また、生涯賃金にしても安すぎます。
文化人・作家に対しては、動けなくなるまで人気は保てます。
まして、著作権まで死後50年まで保証されています。
*ピン芸人は除く。
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千差万別なのは表面的なことであって、人類にとって普遍となりえる作品がより高い評価を受けているように感じます。

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「賞を獲った作品」=絶対、ではありません。


賞を獲らなくても素晴らしい作品はいくつもあります。
まずは、その全体をお踏まえください。

新聞社や出版社が、文学やアート等の分野で様々な賞を設けているのは、その賞を目指すため、クリエイターらが能力を研鑽してくれることに期待しているためです。
そしてゆくゆくは、その積み重ねがその分野のレベルを高める結果となるのです。
様々な賞のサイトに、その賞の存在理由やコンセプトが明記されていますので、併せてご覧になるといいと思います。

うがった見方の回答が多いですが、実際に賞を目指して作品を作ったことがある者からの、ポジティブな回答としてご理解ください。
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世間一般の「外からの評価でしかモノの価値が分からい」人たちのためです。



>作品に対する評価は人によって千差万別のはずなのに

その評価の出来ない人が大多数なのが世間です。
なので、その人たちに分かりやすく「これを読んで(観て)いれば世間的には大丈夫」という
基準をつくるのが「賞」の役割です。

ついでに、二次的な役割として
「作品に『賞』という名誉を与えることで作品の価値を高めること」があります。
それによって次に続く作品の質が高められるようになります。

が、今はそれが第一目標になってしまって、
組織票などで評価を操作するなどして駄作を押し上げて
結果として質の低い作品が評価の基準になってしまい
その業界全体の質を下げてしまう、という弊害も出てくるようになりました。
書店員が販売促進のために書いたPOPのコメントを取り上げて
高評価まがいの広告にしているような賞もあります。
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千差万別だと、人は評価自体ができないのです。

一定の価値観がないと他人の評価を理解できないから。
個人個人が好きなだけでは、芸術や文学で食べていくことができませんし、画商も出版社も購入者も適正価値がつけられませんし、評論家も職として成り立ちません。

著作権の原語がcopyrightなのは、複製権であって出版独占権なのです。
音楽の著作権は、楽譜出版社が蓄音機のレコードを販売したのがはじまりだったりします。
芸術や文学が価値を持つのは、名声という金銭価値であり、
千差万別な評価に、一定の評価ルールをつけることで、金銭価値の比較ができ、作品が売買され、賞ができます。
それをしないと、芸術や文学には財産価値もないし、著作権もないのです。落書きであって作品にならない。
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やはり特筆に値いする作品をめでる為に設けられています。

現在までにある感性の枠中での評価でなく、次の世代への道標としての評価としてかくあるべしと判断されたりもしているわけです。しかし、いつの時代も人間のする事ですから、饒舌がまかり通るし、袖の下が横行します。欺瞞と欲望が渦巻いて汚辱の世界が展開していることも事実です。最近喧しい盗作する輩の件でも、仲間内で賞を持ち回りにしたりと、「あるであろう」ということを現実に晒してしまいました。
勿論そのような賞ばかりでは当然ありませんが、賞に値する素晴らしい作品は、グローバルであるし、人々の永い鑑賞に耐えうる作品として燦然と光輝いています。
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賞があることによって、得する人たちが存在するから。

(与えるほうも。与えらえるほうも、関係者も)
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