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死刑賛成派が反対派への反論の1つとして
「自分の家族が殺されても同じことがいえるのか」
というのがありますが、遺族感情はどこまで正しいと思いますか?

A 回答 (8件)

過去にも詩形とか極刑に対する質問に意見を書いてまいりましたが、私は【目には目を、歯には歯を】を超えない限り、正論と考えております。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

これは ハムラビ法典の考え方ですね。
しかし、被害者も殺さるまで 加害者からさんざん強請っていたケースとかは どうすべきだと思いますか?

お礼日時:2016/10/19 09:25

自分の大切な人が殺されたら犯人のことを殺したいと思うのは正しいと思う。



しかし、人々に正しいことを実行に移させるのがいい事だとは思わない。

誰もが正しいことを遂行するようになったら、正しくないと決めつけられた人がどんどん殺される。

人が殺される世の中はよくない。

だから、正しくない人間のことも殺さずに済ませられる世の中がいいと思う。

遺族は犯人を殺そうと動くだろうけど、法の力でそれを止めて生かしとく。正しくはないけどそっちの方がどこかホッとして生きられる。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

解約希望さんの意見、矛盾しているようで 私も理解できずに コメントのしようがなかったんですが、
ようやく分かりました。もっと卑近な喩えで言えば、お店でお客さんが不注意で商品を破損した場合に似ていますね。

お店で商品をお客さんに破損した場合、買い取ってもらうのは正しいけれど、実際に買い取ってもらうことが いいわけでない。店主のみんなが正しいことを実践したら どんどん店が潰れて行く。

お礼日時:2016/10/22 08:12

おばさんからの補足です。

主犯格のひとりは死刑が確定しました。
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本来は、自分の手で犯人を殺したい位の衝動に駆られると思いますが、江戸時代のような「あだ討ち」は認められないので、法律がそれに代わって裁くというのが今の法治国家であり罪刑法定主義ということですね。


ただ国家が裁くと言っても、遺族の意思とは裏腹に事が進んで意図に反する判決が出ることが多々あるのでしょうから、遺族感情としては納得できないでしょうね。
なので仕方なく、民事で相応の賠償を求めるということで「泣き寝入り」しているのかも知れません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>なので仕方なく、民事で相応の賠償を求めるということで「泣き寝入り」しているのかも知れません。
不法行為には 故意、過失を問わず 賠償の義務が生じます。
そして、不法行為は 物損程度なら、過失による場合は 普通は罪に問われません。しかし、故意の場合は
器物破損で犯罪に抵触します。そして、故意に物損した人は 刑事罰を受けることになります。
しかし、刑事罰は賠償とは全くの別物です。そして、裁判も刑事と民事で峻別されます。
しかし、日本人の感情として そう割り切れる人は少数でしょう。
ところで、殺人ではありませんが、報復感情と賠償についての興味深いアンケートがあります。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/6511326.html

お礼日時:2016/10/17 18:00

数年前の事件なので忘れていられる方が多いと思いますが。

親ひとり子ひとりで、ご主人は早くに亡くなられ、女で1つで娘さんを育て、立派な社会人に。つつましい中でも、幸せだったと思います。しかし、後もうすぐ自宅に着くという時に三人の男に車つれ込まれ顔に何かかぶせられ、ハンマーのようなもので顔を叩きつぶされ、わずかな金銭を奪われました。その三人はサイトで知りあったという関係。「ちょっと、小金でも稼ぐか」という理由で犯行におよび、「じゃあね、また金に困ったら、やろうゼ!」で解散。逮捕されましたが…。私はお母様の気持ちを考えると気の毒でなりません。死刑制度があってもいいと思っています
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

死刑制度があっても この3人は死刑にならないでしょうね。
そこで、死刑があっても死刑にならないのと、死刑がないので死刑にならないとでは 遺族感情としてどう違うでしょうか?
それと、3人で1人を殺した場合、3人とも死刑にするのも少し問題かも。

お礼日時:2016/10/17 17:35

仇討制度が廃止された時点で「遺族の感情」は除外されたと思います。


死刑は国が「生かす価値が無い。命をはく奪する」ってことだと。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/10/17 17:04

そもそも『感情』に正しい、間違っている、なんてあるのかな。

同じ遺族でも個人差あるし。
自分だったら、家族が殺されたら、当然極刑でお願いしたい。生きて罪つぐなう、って意味あるの?!って思ってしまう。人数による(手にかけた)ところもあるけど、誰かの人生奪ったならば、同じ方法でその犯人の人生も奪う、という判決があったらいいのに…と思う。(幼稚な考えかな)
ただ、殺意が本当に無い場合は除く。(例えば、悪質な運転をしていたわけでなく、普通にハンドル握り、運悪く、横道から歩行者などが飛び出してきた場合、など)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/10/17 17:04

それは、正邪とは関わりなく、当たり前の感情なのだと思います。


刑は報復ではないというのが、残された遺族の悲しい現実なのかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>それは、正邪とは関わりなく、当たり前の感情なのだと思います。
なるほど、それでは、その「当たり前の感情」はどの程度酌まれるべきでだと思いますか?

お礼日時:2016/10/17 10:13

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