人生のプチ美学を教えてください!!

先生の趣味中心の修学旅行。

私の娘は、カトリック系の女子校に中学から通学しています。
娘の学年主任が、当然クリスチャンですが、
自分の趣味の教会巡りをしたい為に予定を変更してしまったそうです。
例えば、中学は長崎でしたが、グラバー園、大浦天主堂以外は、全て自分の立場を利用して全体の行程の9割を教会巡りと神父の講話に使い、その他の観光地は変更、原爆資料館、島原城、雲仙、天草のドルフィンウォッチング等全てを旅行3週間前に変更してしまいました。そして、それに意見した生徒には、指導カードを切る始末。高校の修学旅行は沖縄。
守礼の門、美ら海水族館は、行程に無く、
南部戦跡、糸数濠内探索、その他教会巡りになったそうです。自由行動は、一切無し、
今帰仁村の個人の家に民泊、めのまえに今帰仁城があり、最初は観光コースに入っていたのに、神父の講話になったそうです。『せっかくの旅行が、学年主任の趣味の旅行になった』と嘆いています。
当然、娘の同級生も面白く無いと言ってます
私も旅行のパンフレットを見て、『面白く無い行程だな』と思いました。
自分達の上の学年は、フリータイムもあり、
主な観光地を全て廻ったと言っています。
学校の決定とはいえ、皆さんが、この立場なら納得できますか?

質問者からの補足コメント

  • 娘や、同級生は教会巡りが、悪いと言ってません。ただ、度が過ぎている。コース変更迄して度が言ってましたので。

      補足日時:2016/11/05 15:58

A 回答 (1件)

その話が本当であれば職権乱用も甚だしいところです。


修学旅行であれば、保護者への説明会もあったと思われますが、なんと学校は説明していたのでしょうか?
もともとあった予定が変更になったということですが、学校として修学旅行の目的を何にしていたかを聞く必要があるでしょう。
娘さんの通っている学校がカトリック系ということですので、それに合わせ、教会に関する知識を深める、などであればこの行程はある程度の意味があると思われますが、3週間前まで全く違った行程であったと言うなら、最初に学校が定めた目的に合っていない可能性が大だからです。
修学旅行といえども学校行事の一環ですので、単なる観光になるのも変だと思いますが、自由時間もない教会巡りと講話だけの旅行であれば、わざわざ行く必要はありません。講話をしてほしいのなら、お願いして長崎なり沖縄の神父様を学校に招けばよいだけの話です。
また、自由時間がないのであれば、文部科学省が各学校に通達している「目的地や見学先を精選し、ゆとりのある計画をたて、児童生徒の疲労の軽減を図るとともに、教育的効果を高めるようにすること 」も果たされていない可能性があります。
ぜひ、この行程にどんな意味があり、その土地の教会を巡ることでどんな目的が果たされたのか、生徒にどの様な教育効果があったのか、また、もともとはどのような考えで行程が組まれ、何故3週間前に大幅に変わってしまったのか学校に確認する必要があるでしょう。
これで保護者から何も無ければ、今後もこういうことが続くのではないかと思います。
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この回答へのお礼

保護者会も、あったのですが、大学の進路説明会とセットで行われ、進学の話しが中心で、旅行はついでにと言う感じでした。保護者が何人か聞いていましたが、あくまで予定です。とかわされていました。決まった結果がその行程で、変に逆らって進学に影響したり謹慎になったりするそうです。だから生徒も保護者も黙ってしまいます。

お礼日時:2016/11/05 19:35

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