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8月20日のNHK大河ドラマでは、井伊家家老の小野政次の処刑シーンが放映されましたが、歴史的な事実としても、彼は処刑という形での最期になったのでしょうか? 
それから、小野政次は、ドラマの上では、井伊家と今川家との間でたいへん複雑な行動をし、立場もどっちつかずのわかりにくい複雑な人物、難しい人物に描かれていますが、歴史的な事実としても、やはり、ドラマで演じられたような複雑な人物、立場であったのでしょうか? 
それとも、大河ドラマを面白く見せるために、あのような複雑な性格/人間を登場させ演じさせたのでしょうか?  
実際の小野正次の立ち位置、とても申しましょうか、井伊家にとっては、どういう人物だったのでしょう?  彼の後世の歴史的な評価はどうなのでしょうか?  
彼の人物像に関する歴史的な事実について、大いに興味あるところです。

A 回答 (2件)

歴史的な事実は以下の通りです。



永禄11年(1568年)、甲斐国の武田信玄が今川氏の本国・駿河国に侵攻。これに際して政次は駿府で今川軍に従っていたが、虎松を殺害して井伊谷を掌握し、その軍勢を率いて加勢するよう氏真より命じられる。政次はその命を奉じて井伊谷に入り、井伊氏より井伊谷を横領する事となった。虎松や次郎法師(直虎)、直盛後家の祐椿尼は井伊氏菩提寺の龍潭寺に入って難を逃れている。だが、徳川家康は政次の専横に対し、近藤康用・鈴木重時・菅沼忠久の井伊谷三人衆を派遣し、井伊谷を奪還させた。政次は敗北して井伊谷から退去し、近隣に潜伏していたが、永禄12年(1569年)、家康の堀川城攻撃の際に見つけ出され、4月7日、井伊谷城東方の井伊谷川付近にて獄門により処刑された。5月7日、政次の子2人も処刑された。


> 大河ドラマを面白く見せるために、あのような複雑な性格/人間を登場させ演じさせたのでしょうか?
→ 大河ドラマでは、政次は「複雑な性格/人間」として、描かれてはいませんよ。井伊家(直虎)を守るために、自分が悪者になっても、孤軍奮闘する姿が描かれています。
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この回答へのお礼

時折、毎週のテレビの放映を見逃してしまい、一貫して鑑賞していませんので、そのためでしょうか、どうも人間関係が複雑に見えて誰がどういう立場なのかよくわかりませんでした。
しかし、Teenage-Walk様のわかりやすいまとめを拝見して、だいたいのことがわかりました。   ありがとうございました。

お礼日時:2017/08/21 11:41

歴史上は獄中にて処刑としか記録がありません、当時の処刑は磔にて槍で刺すでしたから、有ってるのでしょう。



歴史的には、不明なところだらけですから、判りません

>彼の後世の歴史的な評価はどうなのでしょうか?

その他大勢の中の人の一人ですから、評価なんてありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。  やはり、このドラマの場合も、歴史的な事実は不明な点が多い、ということでしたか。  戦国時代の小領主の場合、家を守るということは、井伊家に限らず、いずれも極めて大変なことだったことがよくわかります。
ドラマでは、今川家を離れて、当時隆盛を極めていた武田側につかずに、徳川側についたということ、将に慧眼の判断ということでしょうか。  
どういう経緯で徳川方につくことになったのか、この辺りの過程をもっと知りたいところです。

お礼日時:2017/08/21 11:52

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