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「女の子のためのお祭り」ではなかった!ひな祭りの由来を専門家が解説

「女の子のためのお祭り」ではなかった!ひな祭りの由来を専門家が解説3月3日はひな祭り。「女の子の成長を祝う日」「お雛様を飾る日」といったイメージがあるが、元々は異なる行事だったことをご存じだろうか? 専門家に聞いてみた。

■ひな祭りの起源は平安時代の年中行事


ひな祭りの由来について教えてくれたのは、ひな祭り文化普及協會代表、清川紗衣さん。

「現代のようなお雛様を飾るといったひな祭りは江戸時代から行われるようになりました。しかしこの3月3日のお祭りは元々、平安時代より行われてきた『上巳の節句』という行事にまで遡ります」(清川さん)

日本では古来より、季節の節目に神様へお供え物をし、無病息災、五穀豊穣、長寿などを願う行事があった。「上巳の節句」は、元々、季節の変わり目に身体の穢れを払う神事だったという。

「ところが江戸時代になって、幕府は武家の新たな制度を整備していく中で、『五節句※』を制定しました。その一つを『上巳の節句』として正式に祝い日に定め、城中で公式行事として行うこととしました。女性のためのお祭りではなく、江戸城で武家が参列して行っていたのです」(清川さん)

一方、文献に残る最古の雛祭りとされているのは、寛永6年(1629年)の3月3日。

「後水尾天皇の中宮・東福門院和子(2代将軍徳川秀忠の娘)が、京都御所にて娘のために行った豪華な『雛祭り』です。この頃より豪華絢爛たる雛人形の製作が始まり、女性のためのお祭りとして宮中から武家の姫君たちへ、そして江戸後期になると現代のような女子の誕生を祝って雛人形を贈るという形式となり、商人から一部の庶民へも浸透し、発展してきました」(清川さん)

平安時代の年中行事が起源だというひな祭り。その後は城の公式行事となり、宮中から武家の姫君たちへ、さらには商人や庶民へと広まっていったのが現在のひな祭りのようだ。

■ひな祭りに甘酒を飲む由来は?


ところでひな祭りには、甘酒を飲む風習がある。この由来についても聞いてみた。

「元々五節句から派生したひな祭りですが、前述のように神事であった節句の行事では、御神酒として神様へお酒をお供えするのが風習でした。そうしてお供えした御神酒は御下がりとして戴いて(=飲んで)無病息災を願ったものでした」(清川さん)

「ひな祭りのときに飲むもの」として広く浸透していったのは、これまた江戸時代のことだという。

「平安時代、上巳の節句では厄除けとされる桃の花を清酒に浸けた桃花酒を3月3日にお供えした記録が残っています。それが江戸時代に、現在の東京都千代田区の酒屋・豊島屋が甘い白酒を『夢枕に紙雛さまが立って、白酒の作り方を伝授した』として売り出すとたちまち評判になり、ひな祭りに女性が飲みやすい甘い白酒はたちまち評判になって広まったとされています」(清川さん)

子どもからひな祭りについて尋ねられたら、これらのことを教えてあげよう!

なお、教えて!gooウォッチでは「なぜひな祭りには『ひなあられ』と『ひしもち』なのか?」という記事も配信している。こちらも併せてチェックしてみてはいかがだろうか。

※五節句…人日(じんじつ)(1月7日)、上巳(3月3日)、端午(5月5日)、七夕(7月7日)、重陽(9月9日)の五つのこと

●専門家プロフィール:清川紗衣
ひな祭り文化普及協會代表。幼い頃よりお雛さまに憧れ、ひな祭りを文化として捉え、サイトを自費で立ち上げる。歴史的文献に基づいた情報、雛壇の飾り方を楽しめるゲームなど、独創的な企画と高いデザイン性で支持を集める。ラジオ出演のほか、テレビ局への資料提供、また地元である国際平和都市広島市の国際会議での日本文化の紹介や、姉妹都市への雛壇提供など、ひな祭りを通じた国際交流で和の心を世界へ広げる活動も行っている。

(酒井理恵)
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