![<和田亮一・特集>第1回:マルチな才能で、ラップスクールも創業する脚本・演出家!](http://oshiete.xgoo.jp/_/bucket/oshietegoo/images/watchmain/4/542420463_5d0b2a0a88a7c/ORG.jpg)
そこで、「教えて!goo」では、和田さんがどんな人なのか、その詳細に迫るためインタビューを敢行することにした。今回から5回にわたり、和田さんの半生や、劇団PEACEの立ち上げ、仕事観、影響を受けた人などについて、いろいろと伺ってみようと思う。今回は、第1回目ということで、和田さんの少年時代から演劇の道を志すまでの話をお送りしよう。
■演劇とは接点がなかった少年時代
――まずは、和田さんの少年時代のお話を聞かせてください。
福島出身で、地元はすごく田舎だったんですよね。子どもの頃は、よく山で遊んだり、サバゲー(サバイバル・ゲーム)したりしていました。
――サバゲーですか(笑)。自然が好きだったんですね。
生き物を育てるのも、すごく好きでしたね。今でも、ウサギと猫を育ててるんですけど、昔からすごく動物好きでした。
――ところで、その頃から映画やお芝居が好きだったんですか?
劇団を立ち上げたということで、そう聞かれることもあるのですが、実はそうでもありませんでした。そもそも福島ではお芝居なんて見たこともありませんでしたし、せいぜい演劇鑑賞教室などで見た覚えがあるくらいですね。むしろ絵本がすごく好きで、毎日お母さんにずっと読んでもらっていた記憶があります。
――そもそも演劇のことを、ほとんど知らなかったというのは意外です。今の和田さんからは、到底考えられないですね。
■早稲田大学の応援団に入ることを決意するが……
――和田さんが、演劇に興味を持ちはじめたのは、いつ頃なんですか?
演劇に興味を持ちはじめたのは大学に入ってからです。中学、高校は柔道部だったので、普通にスポーツをやってましたし、高校では応援団もやっていました。
――応援団とは、演劇と程遠いですね。
早稲田大学の応援団に直接指導を受けていていたのですが、応援団の人たちがめちゃくちゃ格好よくて……。絶対に早稲田に入学して応援団に入ってやるって思っていました。
――高校時代の和田さんには、早稲田大学に入学し、応援団に入るというビジョンがあったんですね。
でも、残念ながら早稲田には落ちてしまい、明治大学に入学することにしました。そこで入ったのが、演劇学専攻という学科だったんです。文学部の演劇学専攻という学科で、周りに演劇をやっていた人が結構多かったんですよ。同じクラスの同級生には、井上真央ちゃんもいました。
――なるほど。こうして和田さんは、演劇に近い環境に身を置くことになったわけですね。
■はじめて見たお芝居に衝撃を受け演劇の道へ
――なぜ和田さんが演劇学科に入ったのか、その理由を教えていただけますか?
僕が演劇学科に入った理由は、文学部で哲学を学びたかったからです。当時、他に受験した大学にはフランス文学というものがありました。フランス文学は哲学を勉強できたんですけど、そもそも明治大学にはフランス文学というものがなかったんです。
――じゃあ、哲学を学ぶのを諦めたのでしょうか?
いえ、要項を見ていたら、演劇学専攻であれば、どうやら哲学が勉強できそうだということを発見し、いろいろ天秤にかけた結果、明治大学に入学することにしたんです。
――明治大学で演劇学科に入ったのは、哲学を学びたかったことが理由なんですね。
そもそも演劇がやりたくて、その学科に入ったわけではないんです。実際に、入ってみたら演劇をやっている人が多く、お芝居を見に行こうって誘われたんですね。はじめた見たお芝居が、帝国劇場でやっていた『レ・ミゼラブル』というお芝居だったんですが、「なんだこれは!』とすごい衝撃を受けて、それがきっかけで演劇の道に入っていくことになりました。
――和田さんが演劇の道をこころざすきっかけは、あの『レ・ミゼラブル』だったんですね。
今回は、和田さんの少年時代~大学時代を紐解き、劇団の道に入るまでのお話を伺った。次回は、あの「GHOST IN THE BOX!(ゴーストインザボックス)」を上演した、劇団PEACE時代のお話を中心に聞いてみたいと思う。
●和田 亮一(わだ りょういち)プロフィール
![和田亮一](http://oshiete.xgoo.jp/_/bucket/oshietegoo/images/watchmain/8/542420463_5d0b336c32964/ORG.jpg)