
■700年頃の律令制で9つの国に
なぜ7県なのに九州なのか、ダイレクトに質問を投げかけてみた。
「700年頃に律令制(地方行政区画)が制定され、筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩の9国にわけられたことが、九州という名のもととなりました。日本最古の歴史書、古事記(712年編纂とされている)には、九州地方は『筑紫島(つくししま)』と表現されています。筑紫島には筑紫、豊(とよ)、肥(ひ)、日向の4つの国があったようです」(田端さん)
4つの国がいくつもの編成を繰り返し、9つになったようだ。
■国(県)の数は34→11→5→7と変化
では9つの国があったのが、どのようにして今の7県に生まれ変わったのだろうか?
「戦国~江戸時代は各地域を藩が統治していました。九州では熊本藩や鹿児島藩などが有名ですが、小さな藩を含めると30以上あったようです。それが明治初めの廃藩置県で藩が県に変更され、34の県が誕生しました」(田端さん)
今7県のエリアに34の県とは、かなり多い。
「かいつまんでご説明すると、1871年の第一次府県統合により11県に統合され、1876年には第二次府県統合により5県になりました。そして、1889年郡区町村編制法によって、今の7県になったそうです」(田端さん)
沖縄県を入れても8県だ。
「それは、よく指摘されます。九州在住ではない方は、沖縄県も『九州』の一つと思っていることが多いようですね。でも九州在住の人は、沖縄県は沖縄県としてとらえていることが多く、こちらでは『九州・沖縄』という言い方をします」(田端さん)
ただ、スポーツの大会などでは九州大会として一緒に行われることが多いのも事実だと田端さんは教えてくれた。
■九州はパワースポットの宝庫
なぜ九州となったのかが分かったところで、地域の魅力も聞いてみた。
「『古事記』に出てくる三貴神、『天照大御神』、『月讀命』、『須佐之男命』は、現在の宮崎の日向と北九州のどちらかで誕生したという説が有力です。そのためか、パワースポットが多いのが九州の特徴の一つです。宮崎県の高千穂町のほか、福岡県の沖ノ島や熊本県の阿蘇山などがパワースポットとして全国的に知られています」(田端さん)
筆者は関東在住だが、オートバイのツーリングで高千穂町に行ったことがある。そのツーリングのときに福岡県の博多で食べたモツ鍋は絶品だった。
「九州は食べ物が美味しいですから(笑)。食べ物に関する話といえば、味付けが南に行くほど甘くなります。この甘さの違いは、その土地のしょう油を食べればよくわかります。甘みが強い理由は長崎の出島を拠点にした南蛮貿易により、貴重であった砂糖がわりと手に入りやすい環境にあったため。近代では、温暖な気候を生かし、鹿児島、沖縄でサトウキビの栽培が盛んであることも影響しているようです」(田端さん)
甘い物といえば、長崎県のカステラは有名だし、鹿児島県には軽羹や加治木まんじゅうなどの和菓子がある。九州を訪れたら、パワースポットを巡って、九州ならではのスイーツを食べるというのが流儀では? 皆さんも試してみてはいかがだろうか?
●専門家プロフィール:田端慶子
福岡市在住。大学在学中より執筆活動を始める。卒業後にフリーランスとなり、スポーツ、旅、グルメ、芸能文化などの取材に携わる。九州文化研究家、キャリアカウンセラーとしても活動している。