教育とは?
私は、日本の教育に関して、疑問点が多くあります。
環境や経験、遺伝によって、出来不出来が大きく分かれてしまうものは、たくさんあります。
それなのに、なぜ暗記中心の、何の役にも立たない試験のための勉強を教えるのでしょう?
なぜ、5教科7科目の結果で、評価されるのか?
社会で役に立たなくても、人間として知るべきことはあると思います。知的好奇心から、子供が学ぶことは、大変素晴らしいと思います。
しかしながら、今の日本の教育は、勉強を押し付けるのみで、知的好奇心なんてものはまるで養われないように思います。教育とは、社会的要請に応えるだけのために、言われたことをただ行うこと、それのみが正しいことであると、教えることなのですか?
私の考える教育は、知的好奇心のままに、学び、考えることであります。人間にとって知るべきことを伝える。後はそれをいかに、各々で学んで、考えていくのかだけです。何はともあれ、自由に、自発的に学ぶことでしか、その人の一部として、知識が吸収されることはない、そう思っております。
皆さんの考えは、如何でしょうか?
No.1
- 回答日時:
>私の考える教育は、知的好奇心のままに、学び、考えることであります。
であれば大学(学校)に行く必要はありませんね。
>なぜ暗記中心の、何の役にも立たない試験のための勉強を教えるのでしょう?
>なぜ、5教科7科目の結果で、評価されるのか?
故に試験のための勉強も評価をされる必要もありませんね。
ただの「負け犬の遠吠え」にしか受け取れませんね。
ついでに言えば「教育」と「学習」の違いも理解できていないようだ。
ご回答ありがとうございます。
大学は、知的好奇心のままに勉強するための環境であり、同時に、人類のための研究機関であるべきだと考えます。
様々な人間がいるのですから、評価方法に多様性や自由性をもたせた方が良いと思うのです。
そのため、教育は、様々な経験や、興味を得られような環境を作ること、であると考えるわけです。正直に言いますと、誰かが何かを教える、という行為自体、おこがましいことであると思うのです。子供は、常に何かをやろうとしているのです。集中力や継続力なんて言葉では言い表せないほどの、知的好奇心があるのです。それを見守って、時には手を貸して、また、世界に繋げてあげることが教育であるべきだと思うわけであります。
教育制度だけではなく、社会制度を変えることが必要であると思います。
今は、個人の影響力が大きい時代で、世界中で、子供のための教育がなされています。なのに、日本では、社会のための教育になってしまっています。社会なんて、どう変わっていくのかわからないのに、正しいことなんて誰にも言えないのに、みんな同じように、それが正しいこととして、勉強を強いられるのです。私は、これはおかしいと感じずにはいられません。
No.2
- 回答日時:
私も日本の教育に関して、疑問を感じています。
教育論は100人いたら100通りあると言われるくらい様々ですね。
個々人の知的好奇心を尊重するべきだという、あなたの教育論は興味深いですが、おそらく、これからも、日本は教育に関しては抜本的な変革はやらないでしょうね。
チョコマカと、これまでも現場を混乱させたような施策はありそうです。現場が混乱すると、格差が広がります。格差拡大こそは、現政権の狙いの一つではあるからです。
あなたがおっしゃるような知的好奇心を尊重するような教育改革には金も時間もかかります。
しかし、本当に必要な改革には金も時間もかかるものでだと思います。
政治家は、そのような「本当に必要な改革」には決して手を出しません。選挙に勝てるわけがないからです。
教育は一番語りやすいテーマですが、一番実現可能性が低いんです。
ご回答ありがとうございます。
そうですね。
何をやるにも、お金がかかりますね。
特に社会を変えることほど、力が必要なものはないですね。
全国民が生きやすい世の中を作ることはできないのでしょうか?価値観や環境、遺伝子が違えば、評価方法も変えることが必要である気がします。教え方ももっと多様で、それを選べる機会があり、評価方法も自由論述とかが良いのに、と思います。今の評価では、違った視点で物事を見ていることが、あまり善しとされていない気がするんですよね。
No.3
- 回答日時:
>私の考える教育は、知的好奇心のままに、学び、考えることであります
全員がそういう教育を受けたら、極論すれば、ある人は国語が全くできなくなり、ある人は計算がまるで駄目になります。
文盲率が高く買い物のお釣りの計算さえできない人にあふれる社会にしたいなら結構ですが、あなたはそれでいいのですか?
社会を構成する以上、構成員が誰でも共通に持っていなければならないものというものがあります。
そうでないと社会は崩壊します。
好き好みの問題でなく、民族が路頭に迷いたくなければ誰もが精励刻苦しなければならない問題なのです。
好きなことだけやってバラ色なら、人生に苦はありません。
あと、なぜ5教科7科目との疑問ですが、端的に言えば国家財政が限られているからです。
限られたパイを分けようと思えば、どこかで妥協というものが必要になります。
妥協の仕方、いわゆる分配方法を巡って各自の言い分はあるのは認めますが、ある人の言い分をすべて認めればその陰で誰かの言い分が無視されることになるのも確かです。
子どもの興味に合わせてたとえば500教科1000科目にしたらどういうことになるか、わかりますよね?
人は限られた条件の中で生きていかなければならないことのほうが圧倒的に多く、そういう条件を生かし切ることを考えた方がはるかに有益だと考えます。
最後に、あなたの言葉はどれも書物からの受け売りです。
新しい知見を開く言葉というのがありません。
人に生まれた以上、情報をうのみにせず、自分の頭で比較し価値判断し選択し咀嚼し血肉化していきたいものです。
ご回答ありがとうございます。
確かに、基礎学力は必要であると、私も思います。問題なのは、その教え方と評価のされ方、であります。
試験のため、就職のため、そんなもののために勉強はあるのでしょうか?
勉強自体に価値はないのでしょうか?
勉強自体に価値がないのに、教える必要はあるのですか?
何故、勉強に価値があるから、教える
、学ぶ、考える、という教育ではないのでしょうか?
国家財政が限られている、牌は限られている、ということは分かります。しかし、今の教育制度は、評価のされ方、教え方が、絞られすぎているように思います。
全ての人に機会を与える必要があるのに、なぜ、強いられた勉強のみが、その機会を得られる手段なんでしょうか?
そう思ったわけであります。
No.4
- 回答日時:
「私は、日本の教育に関して、疑問点が多くあります。
環境や経験、遺伝によって、出来不出来が大きく分かれてしまうものは、たくさんあります。 それなのに、なぜ暗記中心の、何の役にも立たない試験のための勉強を教えるのでしょう?なぜ、5教科7科目の結果で、評価されるのか?」⇒確かに、その通りですね。
でも、暗記中心でも、ある程度の知識は必要です。
今の学校の全てを否定はできませんからね。
「社会で役に立たなくても、人間として知るべきことはあると思います。知的好奇心から、子供が学ぶことは、大変素晴らしいと思います」
⇒もちろん、その通りです。
社会に役立つというのは学力だけではありません。
学力は基礎です。
基礎だけでは社会では生きられません。
社会では総合的な人間力なのです。
むしろ、社会では学力、学歴の重みは小さいですよ。
ご回答ありがとうございます。
そうですね。知識を得るには暗記も必要であるとは思います。今の教育制度も、全てを変えろとは思いません。勉強ができる人、努力によってできるようになった人、たちにとっては、能力主義的で、最も妥当だと思われるでしょう。
しかしながら、強制や画一的評価をしてしまうと、勉強が嫌いな人やできない人がてできてしまいます。自由にやって、自分のやりかたをやっていれば、力を発揮できたはずなのに。
やはり、今は学歴がまだ物を言う時代です。そのため、今の教育制度では、全国民が、その子供たちが、活き活きした人生を送れないように思うのです。
No.5
- 回答日時:
親が公助に教育を押し付けていて、自助教育をしない。
自助、共助、公助で成り立つ自治体の考え方が欠落してます。
主さまが言っているのは、自助教育の部分ではないでしょうか?
公助の義務教育では同じ環境、同じ負荷を掛け相対的に何が向いているのか判断します。
自助教育は、家庭単位の活動です。
我が子の「大好きと適正」を考えて親が機会を与える必要があります。
共助は近所や親戚付き合い、地域活動を通じての社会勉強です。自治会に参加しない家庭がありますが、親の姿を見て学ぶ機会を損失してますね。
長くなるので簡単に書きました。
望む教育をしてくれないと嘆かず、
望む教育をして下さい。
丸投げはどうかと。
ご回答ありがとうございます。
私は、親ではないのですが、自助と公助による教育の双方が、子供に影響を与えることは、分かります。
しかし、やはり、学校での評価を受けるために、親の教育もそうせざるを得ない現状があります。というより、ほとんどそうであります。
ならば、変えるべきは、学校や社会の評価システムであり、教え方であると思うわけであります。
No.6
- 回答日時:
まず誤解がありますが、義務教育は一方的な物なんです。
国の政策が望む人材が育つ様に色々と詰め込んできます。教育させる義務が親にあり、国民が果たす義務の一つです。という事で選挙大事です。
戦う舞台は世界、それを想定した義務教育です。日本は先進国なので、総合的な教養を要求されます。風刺に流されて興味のまま学ぶ事は全く問題ありませんが、その様な考え方で教育を行っても国力が低下するだけです。
人類の凄いところは、過去の偉人達が積み上げて来たノウハウを学ぶ事でイキナリその高みまで到達してしまう事です。数世代に渡るノウハウを現世代に凝縮し、更なる高みを目指せます。
用語や背景、考え方などその基礎を義務教育されています。
より高度になるノウハウ継承で未来の子供達を可哀想に思いますが 検討を祈ります。
主さまの質問 文末の内容は教育で得るものではありません。
知的好奇心を含め、自ら能動的に学ぶ事で得られます。
評価について。
国の政策に沿った人材が評価されるのは仕方ないです。
ご回答ありがとうございます。
義務教育が一方的であること、社会的要請のために教育があることも分かります。
しかしながら、国の根本原理である憲法では、第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する、とあります。この教育が、強制であり、画一的であり、評価方法すらも試験に限られます。そうすると、勉強が合わない者には、救済がないでしょう。社会的要請と言われましても、社会は流動的で、何が合っているかは分からないのに、勉強に集中させるのはいかがなものでしょうか?勉強の面白さを伝え、自主的に学ぶことができる環境作りをすること、それを世界と繋げること、が教育に必要であると思います。それが知的好奇心を活かすことにつながると思います。
No.7
- 回答日時:
教育は、何のために行うのでしょうか?
それを明確に提示する必要がある、と思いますよ。
基本、言及されるのは、義務教育に付いてですよね?
高校も大学も、本来、学びたくなければ、行く必要は無いですよね。
そして、小学校、中学校程度の学力であれば、実社会に出て、必要最低限の
知識を学ぶ場所で、それも学べないのであれば、逆に、本人の将来のために
良くないですよね。
知的好奇心と言えば格好いいですが、学ぶべきものの中にも、知的好奇心を
満足させるものは、多いと思いますが?
数学や科学や、社会や図工や、本気で勉強すれば、本気で勉強した者にしか
解らない知的好奇心の満足が存在します。
言うのは簡単。
お花畑も簡単。
でも、定義も問題点も、全く根拠もなく、客観的でもなく、気分だけでは、
「ゆとり世代」と揶揄されかねませんよ。
義務教育は、ある程度は必要であると、思います。私が言ってるのは、教え方が強制的であり、評価が画一的であることが、多様性や自由性を失わせ、勉強嫌いにさせる、ということです。すると、どうしても、高校や大学に行くことができない人がでてきます。それは、機会均等と呼べるのでしょうか?完璧な均等均等は無理でしょうが、画一的にする必要はまるでない、そう思ったわけであります。
本気で勉強することを、促すような教育が必要であるということです。
No.9
- 回答日時:
No.8です。
「中卒、高卒はいかがでしょうか?選択肢が違いすぎると思います」
⇒そのような極端な事例を出すようでは、子供過ぎますよ。
財務省が東大、京大の法学部ではなく、中卒、高卒を採用しろとでも云いたいのですか。
あなたは企業内の実態をよく知らずに質問しています。
憂さ晴らしはダメですよ。
もっと、現実的なレベルで質問しましょうね。
ご回答ありがとうございます。
実際に、中卒、高卒の人が半数近くいるということ。教え方と評価方法を多様化しさえすれば、これらの人々も大卒になることができ、選択肢が増えるのです。教育制度を変えれば、良いのです。これは、現実的な問題でしょう。中卒、高卒が大卒になるための改革です。全ての国民に、機会を与えるための制度改革を最初から私は言っています。現実的にならざるを得ないことです。
No.10
- 回答日時:
No.9です。
[全ての国民に、機会を与えるための制度改革を最初から私は言っています]
⇒そのようなことは、最初の質問に書いていませんよ。
「実際に、中卒、高卒の人が半数近くいるということ。教え方と評価方法を多様化しさえすれば、これらの人々も大卒になることができ、選択肢が増えるのです。教育制度を変えれば、良いのです」
⇒そんなことよりも、中卒、高卒の人が社会で総合的に評価されるシステムにすることの方が現実的ですよ。
しかも、現実には、そのような方向に向かっています。
あなたは”大卒”を評価し過ぎなのですよ。
ご回答ありがとうございます。
教育は全ての人を対象にしているので、大卒限定ではないことは、周知の事実であると思っていました。
中卒、高卒の人が社会で評価されることは、良いことではあります。
先程の回答で、あなたは、これは現実的ではないとおっしゃっていましたが、どっちでしょうか?企業の内部事情を知っているんですよね?
まぁそんなことより、中卒、高卒が大学に行って卒業できる、その機会が誰にでもあるということが、目指すべきところです。選ぶことができる、この状態が全ての人にあるべきです。教え方や評価が多様であれば、興味を持ったことに注力することで、権利を得られるようになるのです。そのサポートが教育であってしかるべきであると思います。
そもそも、中学、高校から、教育制度が多様性や自由性を受け入れていれば、中卒や高卒でもやりたいことは、決まっており、もしくは、大学に行く意義が明確になり、どちらでも選べるのです。それが善いと思うのです。
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今まであまり整理できていなかった主張を、まとめることができました。ありがとうございます。