A 回答 (24件中1~10件)
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No.24
- 回答日時:
☆☆ >いま生きている達人は いないということでしょうか?
★(№22お礼欄) 私の知る限りではいないと思います。
☆ でしたら その判定をおこなった基準があるはずです。
それを明らかにするのが 人間というものです。
出来っこないとすでにわたしは見ていますから これで そち
らの側の謝絶の意志が確認されました。わたしは 自由になり
ました。
No.23
- 回答日時:
>しかし、哲学は相対論でなければなりません
よくわからないです。哲学は普遍的なもの=本質を求めて行きます。それは世俗とか、物質とか、時代とか、地域とかを超えた地点での考察です。
相対論は、現実世界の物事を比較していくという話です。つまり時代や地域を考察するもので、ここから明らかになるのは、あくまで現実世界での知識です。それは場当たり的な諸条件で変化します。
哲学が傍証として、現実世界の物事を引き合いに出すことはあります。しかしあくまで傍証です。
混ぜてはならないものを混ぜていると感じます。
>本質は不可知ですから
その通りではありますが、このように言う時、哲学はもはや死んでいるんです。
死んでいることがわかった上で、なおも哲学をやるかどうか、という問題なんだと思います。つまり平たく言えば、「不可知だから、じゃxxxにすればいい」と簡単にフォローできるようなものではないんです。本質がわからない時点で、もう哲学は終わりです。
しかしなおも死んだ学問に意味があるとすれば、相対論が生じさせる諸問題に対して、批判的な視座を提起できるからではないか、と私は思っています。
相対論が哲学をフォローする関係にはならないと思います。
しかし以上は、そもそも論というべきで、音楽の話でも、教育の話でもないようです。
ここで私はお暇します。
№21のお礼欄で、申し上げたかったことは、こういうことです。
哲学はもちろん、あくまで本質を追求してゆくものです。
しかし、ある「哲学的洞察」に達したとしても、それが絶対的普遍性を持つもの、
と証明することはできないはずです。
他にどんなものがあるか分からないからです。
これは、これから先、未来永劫にわたり変わらないものとなるでしょう。
ですから、哲学・思想というものは常に相対的に評価されるものであるという宿命
のもとにあると言えると思います。
ただ、それを信ずることは間違いであるとも言えないと思います。それが、絶対的
に普遍的なものでないと証明ができないからです。(少なくとも現在は)
哲学的には、そういうことになると考えています。
No.22
- 回答日時:
★(№17お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~
音楽や芸術の達人たちは、皆素晴らしい内面を持っていたと思い
ますよ。
(中略)
亡くなっている方々なので、立証することなどできませんが…
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ いま生きている達人は いないということでしょうか?
★ 晴らしい内面を持っていたと思います
☆ と誰がが言えば そのとおりだったということになるので
しょうか?
▲ 音楽や芸術を通して人間の内面が洗練される
☆ という気になっているだけではないのですか?
カタルシス説があり 脳内の組織が刺激されるという観測結果
が出されたりしていますが それによって《内面が洗練される》
ということは 証明されているとは思えません。
カタルシスは 芸術に限らず 哲学でも文学でもあり得ます。
しかも それが起これば すでに・つねに内面の洗練が成った
と どうして言えるのか?
島皮質が刺激されたら 感情がより強く意識されるとして そ
のことが どうして《内面が洗練される》ことにつながると言
えるのか?
たぶんそうだろう そういう気がするというだけではないので
すか?
★(趣旨説明欄) ~~~~~~~~~~~~~~
タゴールは、「音楽や芸術を通して人間の内面が洗練される」
と言いました。
1.そう思いますか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 《そう思います》という回答しか 受けつけないというこ
とですか?
《そうは思わない》という回答は:
★ 議論をふっかけている
☆ だから 取り合わないということでしょうか?
>いま生きている達人は いないということでしょうか?
私の知る限りではいないと思います。
>と誰がが言えば そのとおりだったということになるのでしょうか?
そんなわけがありません。
>という気になっているだけではないのですか?
そういうこともあるでしょう。
>議論をふっかけている
☆ だから 取り合わないということでしょうか?
大きな理由の一つです。
No.21
- 回答日時:
>物事の本質は不可知ですから。
>ゆえに、相対的な比較ということが重要になってくると思います。
人間の判断は様々あるけれども、これはとても大切な分岐点を示してくれたと感じています。
・不可知であるけれども、本質に肉薄していこうとする人がいる。
・不可知なので本質の追求はやめ、相対的な比較を重要視する人がいる。
私は前者で、DRさんは後者なのでしょう。確かに相対的に比較していくならば、上下関係を作り、普遍に似た基準を設けないと公平性が保てなくなりますね。見解は違いましたが、このやり取りで、私がどういう選択をしているのかが改めて自覚できました。
この問いに参加した甲斐があったと思っています。
>他人に無関心、自分が良ければいい、という「それぞれ」ではないでしょうか?
そういう愚か者もいると思います。しかし愚か者を啓蒙することが、本当の意味で「優しい」ことでしょうか。
下を見ても仕方がない、自分自身が生きる哲学を欲していたいと私は思っています。
私自身はそのように分岐してはいませんよ。
あくまで本質に肉薄しなければ気がすみません。そして、これはというものは
一途に信じます。
しかし、哲学は相対論でなければなりません、本質は不可知ですから。
No.20
- 回答日時:
>「それは悲しいことだ。
君、改革すべきではないか」持って回った言い方をせず、疑問を書きますと、次のようなことなのです。
・普遍的な判断基準がそもそもあるのか。
ここでイエスとノーの立場があります。私はどちらかというとノーだと考えているのだけれども、これだと話はここで終わるので、仮にイエスとして、普遍についての問いはさておいて、続く疑問を書きます。
・普遍は西欧諸国が特権的に知っているものなのか。それは事実なのだろうか。推測なのだろうか。
・推測だとすれば、なぜそのように言えるのだろうか。政治的な力関係がそう思わせていることはないだろうか。
・それに対して、日本はどういう位置関係にあるのか。下にあると言えるのか。
・優れている西欧諸国を目指さないとならないものなのか。
・西欧を追うのではなく、距離を保って、別路線から普遍を探すことができないのか。
(疑問文の形ですが、答えを求める質問というより、考え方の違いをあらわにするための反語的な疑問文です。)
タゴールは私の印象では、「価値観はいろいろあっていいんだよ。インドはインドの価値を追求しよう。道筋は違っても、最終的にたどり着く地点は同じかもしれない」というだろうと思ったのです。
>普遍的な判断基準
「絶対」というものは、哲学的にはあるとは言えない、と理解しています。
ある思想があったとして、それ以上のものが無いとは言えないからです。
ですから、あらゆる思想・哲学は相対的に良い・悪いということになるはず
なのですが、人間というものはどうも何かを信じずにはいられないもののよ
うです。
すべての人が「根拠なく何ものかを信ずる」という非科学的なことをやって
いると思います。
根拠をつけている人もいますが、実は根本的根拠になっていないものばかり
なはず、と考えています。
物事の本質は不可知ですから。
ゆえに、相対的な比較ということが重要になってくると思います。
ところが、今どきの日本人の言う「人それぞれ」は比較をしない。競争をし
ない、議論をしない「それぞれ」であって、つまり、他人に無関心、自分が
良ければいい、という「それぞれ」ではないでしょうか?
だから、タゴールはそういう無責任なこと、冷たいことは言わないと私は思い
ます。
No.19
- 回答日時:
1. 十界のうちの縁覚は 独覚とも呼ばれて 芸術家の境地だとも――
これは 原典資料を知らず 通念としてですが――言われています。
ところが:
▲ (sokanet 教学入門:声聞界・縁覚界) ~~~~~~~~~~~~
https://www.sokanet.jp/pr/kyougakunyuumon/seimei …
2. 二乗が得た覚りは、仏の覚りから見れば、あくまでも部分的なもの
であり、完全なものではありません。
3. しかし、二乗はその低い覚りに安住し、仏の真実の覚りを求めよう
としません。師匠である仏の境涯の偉大さは認めていても、自分たちはそ
こまで到達できるとは考えず、自らの低い覚りにとどまってしまうのです。
4. また、二乗は自らの覚りのみにとらわれ、他人を救おうとしないエ
ゴイズムに陥っています。このように、「自分中心」の心があるところに
二乗の限界があります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ といった批判があります。
5. ということは もし《〔知恵とともに〕内面が洗練されること》を
目指すならば この独覚界のみに焦点を当てて《教育》し 情操をゆたか
にするというだけでは 足りない。と言わねばならない。
6. ということは:
★(№17お礼欄) 音楽や芸術の達人たちは、皆素晴らしい内面を持っ
ていたと思いますよ。
☆ という判断がただしいとすれば 縁覚だけの問題ではなく そのよう
に知恵のそなわったさとりに達しているということが 実際には 言われ
ていることになります。
7. どうやって 実証ないしそれができなければ論証するか? 《芸術
をとおして内面が洗練された》という気になっているだけではないか。こ
の問いは なおつづくものと思われます。
▼ (法華経 妙音菩薩品) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
8. 若し応に声聞の形を以って得度すべき者には、声聞の形を現じて為
に法を説き、
9. 応に辟支仏(* 縁覚・独覚)の形を以って得度すべき者には、辟
支仏の形を現じて為に法を説き、
10. 応に菩薩の形を以って得度すべき者には、菩薩の形を現じて為に
法を説き、
11. 応に仏の形を以って得度すべき者には、即ち仏の形を現じて為に
法を説く。
12. 是の如く種種に、応に度すべき所の者に随って、為に形を現ず。
乃至応に、滅度を以って得度すべき者には、滅度を示現す。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
13. すなわち この考え方によると かんたんに言ってこうなるでし
ょう。――《縁覚界の教育(つまり 芸術をとおして縁覚界を生徒の内面
から引き出す(エデュケイトする)こと)》によって 内面の洗練された
ゆたかさを実現するという道ではなく そうではなく 仏界〔の境地なる
人間〕が その縁覚界にある者を 縁覚界にある人間の形(なり)をして
みちびく。
14. ★ 音楽や芸術を通して人間の内面が洗練される
☆ という命題ないしそれを基本とする教育については 人間の内面の構
造やその要素をめぐる過程のあり方が きわめて乱雑なものとして捉えら
れている。――こういう批判に甘んじなければならないでしょう。
15. 思索が乱暴なのか。思索は出来ているが 表現が浅はかなのか。
No.18
- 回答日時:
№17です。
別の見方から攻めます。1. 十界のうちの縁覚は 独覚とも呼ばれて 芸術家の境地だとも――
これは 原典資料を知らず 通念としてですが――言われています。
ところが:
▲ (sokanet 教学入門:声聞界・縁覚界) ~~~~~~~~~~~~
https://www.sokanet.jp/pr/kyougakunyuumon/seimei …
2. 二乗が得た覚りは、仏の覚りから見れば、あくまでも部分的なもの
であり、完全なものではありません。
3. しかし、二乗はその低い覚りに安住し、仏の真実の覚りを求めよう
としません。師匠である仏の境涯の偉大さは認めていても、自分たちはそ
こまで到達できるとは考えず、自らの低い覚りにとどまってしまうのです。
4. また、二乗は自らの覚りのみにとらわれ、他人を救おうとしないエ
ゴイズムに陥っています。このように、「自分中心」の心があるところに
二乗の限界があります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ といった批判があります。
5. ということは もし《〔知恵とともに〕内面が洗練されること》を
目指すならば この独覚界のみに焦点を当てて《教育》し 情操をゆたか
にするというだけでは 足りない。と言わねばならない。
6. ということは:
★(№17お礼欄) 音楽や芸術の達人たちは、皆素晴らしい内面を持っ
ていたと思いますよ。
☆ という判断がただしいとすれば 縁覚だけの問題ではなく そのよう
に知恵のそなわったさとりに達しているということが 実際には 言われ
ていることになります。
7. どうやって 実証ないしそれができなければ論証するか? 《芸術
をとおして内面が洗練された》という気になっているだけではないか。こ
の問いは なおつづくものと思われます。
▼ (法華経 妙音菩薩品) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
8. 若し応に声聞の形を以って得度すべき者には、声聞の形を現じて為
に法を説き、
9. 応に辟支仏(* 縁覚・独覚)の形を以って得度すべき者には、辟
支仏の形を現じて為に法を説き、
10. 応に菩薩の形を以って得度すべき者には、菩薩の形を現じて為に
法を説き、
11. 応に仏の形を以って得度すべき者には、即ち仏の形を現じて為に
法を説く。
12. 是の如く種種に、応に度すべき所の者に随って、為に形を現ず。
乃至応に、滅度を以って得度すべき者には、滅度を示現す。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
13. すなわち この考え方によると かんたんに言ってこうなるでし
ょう。――《縁覚界の教育(つまり 芸術をとおして縁覚界を生徒の内面
から引き出す(エデュケイトする)こと)》によって 内面の洗練された
ゆたかさを実現するという道ではなく そうではなく 仏界〔の境地なる
人間〕が その縁覚界にある者を 縁覚界にある人間の形(なり)をして
みちびく。
14. ★ 音楽や芸術を通して人間の内面が洗練される
☆ という命題ないしそれを基本とする教育については 人間の内面の構
造やその要素をめぐる過程のあり方が きわめて乱雑なものとして捉えら
れている。――こういう批判に甘んじなければならないでしょう。
15. 思索が乱暴なのか。思索は出来ているが 表現が浅はかなのか。
相変わらずで困ったものです。
私の質問に対し、あなたは№10で回答され、№13で補足的説明をされ、私は
「分かりました」と返答しました。それで終了ですね。
しかしあなたは№17で前言を翻して、つまり、議論をふっかけてきた。
私はあなたと議論するつもりはほとんどないので(何度も申し上げているはず)
流したところ、№18でしつこく投稿してきた。
何か話がしたいのなら、改めて質問を立てるとか、少なくともこちらにその旨
伺いを立てるとかするのが常識的な大人の態度だと思うのですが…
あなたのその自己中心的な人格・心を、清新さを持って、お好きなバッハの音
楽でもお聴きになって「洗濯」されることをお勧めします。
No.17
- 回答日時:
前言(№10&13)をひるがえすことに相いなりますが 回答
内容を言いかえます。
回答:
ひとは 《音楽や芸術を通して人間の内面が洗練される》気にな
ることがある。というに尽きる。
☆ それ以上のことは言えない。
つまり この命題が真であると主張する場合は その事例を明ら
かにして 出来れば普遍性を持つのだと理論づけることが 要請
されます。
つまり 立証責任は タゴールまたはそのシンパの人びとにある
と考えます。
つまり 《洗練された》という事例は あるとしても 《洗練さ
れた気になった》という内容までではないか? それ以上につい
ては もしほんとうに実証することのできる事例であったとして
も だからと言って 普遍性を持って定理とすることが出来るこ
とにはならない。
なぜなら 哲学することをまなぶことによっても 文学作品を読
むことによっても 内面が洗練されることが 実証され得ると言
っておくことが出来るのと 同じ事態だと考えるからです。
その普遍性を立証することが出来たとは思われません。
つまり 早い話が もし命題が真なる定理のごとくであったなら
世に言われる音楽や絵画等々の《一流》の達人は みながみな
その内面がすばらしく立派であるとなります。
素人の観測だけによっても ここまでの――否定的な――内容を
提起することが出来るかと考えます。
音楽や芸術の達人たちは、皆素晴らしい内面を持っていたと思いますよ。
欠点もあったと思います。例えば、身の回りのことに無頓着であったり、
いわゆる「変人」であったり。
亡くなっている方々なので、立証することなどできませんが…
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