プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

今年28歳になる社会人ですが、未だに算数が理解できずにいます。
加減乗除は(3ケタや小数点、分数となるとかなり困難とはいえ)一応できます。

例えば、

たかし君は1個80円のりんごを2個と、1個50円のみかんを3個買いました。
たかし君はいくら払ったでしょう?

といった問題があると、
「りんご屋に160円、みかん屋に150円」と答えます。

出題者は「そうではなく、一つの八百屋で買い物をした場合で」
と言われると、
「最初にりんご屋に160円、みかん屋に150円。その後八百屋に310円」
と答え、「そうではなくて」の繰り返しになってしまいます。

これは私が小学低学年の頃に教師とやり取りした出来事(問題文や値段には多少違いがあったかもしれませんが)で、以来数字が関係することがとても苦手になってしまいました。

速度や距離の問題でも、

「60km/hで車を走らせた場合、10km離れたところに到着するのは何分後でしょう?」
「信号で止まったりすることもあるのでわかりません」
「では、信号は考慮しないこととします」
「信号無視で警察に捕まるので、答えはわかりません」

のような、計算そのものというより、問題に納得できずに、答えを出せないのです。
もちろん、この問題の答えは「10分後」という計算自体はできます。
この問題の場合、「信号も踏み切りも無視し、運良く誰にも見つからず、坂道もカーブもなく、真っ直ぐ一定の速度で進み続けることができた場合とする」といった捕捉がないと、どうしてもそこが引っかかって計算に移ることができません。

数学における、 3-(-4)=7 といった式は、何故マイナスとマイナスが合わさるとプラスになるのかは今でも納得できません。「まどろっこしいなぁ、最初からプラスって言えばいいじゃない」とか考えてしまいます。
「目的地に背中を向けて、後ろ歩きしたものと考えると良いよ」と教えてくれた方がおりましたが、「そんな状況があるはずがない。あなたは家から駅まで後ろ歩きだけで行くのか」という考えです。

公式や問題文に、日常で使える例を用いて全ての条件に例外なく当てはまるような納得を得られないと理解することができないのは、何か欠陥があるのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • これは小学校低学年当時のやり取り、と後に書いた通り、りんご屋やみかん屋(あるいはりんごを売っている人、みかんを売っている人)というものが存在していると考えていたからです。
    みかん狩りをしたら、その場でみかんは売っていますが、りんごは売っていない。そんな風に考えたのだと思います。

    また次の例ですが、実際に車が走る様子をイメージすると、信号の存在は無視できないからです。
    「信号を考慮しない」というのは、「信号を無視する」と同義である、という考えです。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/02/20 23:53
  • 視覚イメージが必要だというのは、実感としてあります。

    抽象的な概念や言葉の理解にも苦労します。
    例えば、女性に薔薇を贈ることを優しさと表現するのなら、逆に嫌がられたりすると優しさになりません。
    何故なのか? これの理解には大変苦しみます。

    3D空間の存在そのものは認識していますが、原理はいまいちよく分かりません。

    言語能力でも、確かに、会話の中で、
    「それ、誰が言った言葉?」
    のように聞き返すことも多いです。
    それから、「違和感を感じる」「既視感を感じる」のような表現も好まないです。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/02/21 00:32

A 回答 (4件)

補足ありがとうございます。


抽象な概念が特に苦手なようですね。

言語に関しては、適当に聞き流すことがしにくい性格なのかもしれませんね。
挙げてくださった例は、「馬から落ちて落馬した」のような話で、気になる人は気になるでしょうが
とくにこのくらいなら通常範囲と思います。(編集者の人とかだとこういう感覚すごいですよ。)


さて、日本しか知らない人にアメリカを説明するとき、「ニューヨークは日本でいうと東京みたいな大都市」「かと思えば、北海道の農場のようにとても広い場所もある」のように、喩えを使うことである程度分かりやすく伝えることはできますが、これで全てを説明するのは不可能ですよね。
自分の立ち位置(この場合は「日本」)から物事を理解するのは、最初のとっかかりとしてはアリですが、最終的には、「アメリカ」という、理解したい概念の側に立って物事を理解しないと、理解できないんです。

翻訳ではなく原書版を読まないと理解できないニュアンスがあるのと一緒です。

その、「理解したい概念の側」に立ってみようとあまりしていないのではないか?とふと思いました。
例え話で理解するクセがついてしまって、その分かりやすさから、何でもその方法を使って理解しようとしてしまう。
「理解したい概念の側」に立つ勇気はもちろん必要ですが、一度飛び込んでしまえば、そのうち慣れます。
それとも、いやいや、もう努力したけどやっぱり難しいんだよ!というなら、
都合の良い例え話を自分で構築するプロになるのも一つの方法です。
視覚イメージがないと分かりにくいというなら、何かを勉強するときに徹底的に絵や図を描いたりして自分なりに理解すればいいじゃありませんか。

最後に、他の方の回答にもありましたが、私も何となく神経系の疾患で近いものを想像しました(お気を悪くされたらすみません)。
例えばアスペルガー症候群の人は、人間関係で暗黙の了解のようなことを全部言語化しないと円滑に人と接することが難しい傾向があるといいます。私は医師ではないので分かりませんが、そういう傾向と取れなくもありません。
詳しくは専門家にお尋ねください。
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補足ありがとうございます。

そこまで説明できるのなら、その分を割り引いて考えれば問題ないとも思うのですが・・・(笑)
1つの仮説として、何かを理解する際に現実社会での具体的な視覚イメージがないと理解をしづらいのだと思います。

他の抽象概念についてはどうですか?
優しさ、平和、空虚、
そういう抽象的な言葉が人との会話で出てきたときに上手く話ができますか。

他に、たとえばゲームの3D空間とかは理解できますか?
実際の世界の物理法則や状況とは全く違う世界が広がっていますが、いかがでしょうか。


もう1つの仮説として、言語能力の問題が挙げられます。
日本語は主語を盛大に省略したり、適当にしたりして使われますが、
すべてにおいて前提や定義をはっきりさせないと気が済まない、
そういうことをすっ飛ばして堂々と存在している身の回りの言語表現が許せない、
そういうような感情はありますか?
この回答への補足あり
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学習障害、高機能自閉症といった可能性が頭に浮かびました。

専門医の診断を受けられてはいかがでしょうか?もっとも、普段の生活で支障がなければ放置でも構わないというのが、その手の障害に対する考え方ではあります。
幸運をお祈りします。
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質問の意図は理解しました。


少しお聞きしてみたいことがあるのですが、

最初の例で、
なぜ果物屋ではなくりんご屋とみかん屋なのでしょうか?
実際の社会では果物屋はありますが、りんご屋やみかん屋はめったにありません。

次の例で、
問題文に信号があると書いていないのに、なぜ信号を想定したのでしょうか?
さらには、いったん信号がないと想定した後、信号無視で捕まるというのは矛盾していませんか?
この回答への補足あり
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