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僕は現在は短大に通っており、4年制大学の哲学科に編入しようと考えています。

そこで、哲学系の小論文の勉強をしているのですが、

「芸術美は自然美の模倣」と一般的には考えられているそうです。

どうして、そういった考えが定着していったのか疑問に思います。

しかし、ネットで検索をかけても答えがわかりませんでした。

哲学や美学関係に詳しい方、どうかご教授ください。

また、哲学の小論文の書き方も教えてもらえると幸いです。

A 回答 (10件)

>芸術美は自然美の模倣



「模倣」というところの解釈をしてみます。
NO.5のお答えにもあるように、自然を手本として創作された芸術があります。
写実的芸術といわれるものです。

庭園を例に上げれば
自然の姿を縮小し、省略化して、自然を表した日本庭園がそうです。
それらは、縮景とか、山水の美とか呼ばれています。

また、そこから出発して、一つの平面や空間内における自由な美的構成そのものに至った芸術があります。
抽象芸術といわれるものです。
日本庭園の中でも、枯山水といわれるものです。

芸術が、写実から抽象へと変わっていったのは自然な変化だと思います。
それは、芸術が模倣から自由な創作へと変わっていったものと見てよいと思います。
絵画などにもそうした流れがあります。

自然というものの真似をして、一つの枠の中に閉じ込めて見ようとしたのが「模倣」だったのでしょう。
ですが、「模倣」には定型化という飽きが必ずきます。
より自由な構成を求めて創作が行われ、その結果、抽象芸術が生まれたと見てよいと思います。

あと、もう一つの見方として
自然の芸術と、反自然の芸術という見方ができると思います。
写実と抽象をそのように解釈する事も可能です。
この二つを同時に取り入れたものもあります。
庭園では、龍安寺の石庭の背景や、円通寺の借景などがそうです。
解説は、岡本太郎の「日本の伝統」に載っています。

>芸術美は自然美の模倣

芸術は自然の真似をすることから始まった・・
と解釈していいのではないでしょうか。
ご参考にしてください。
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単純に美しいと思ったものを美しいと思うから 美しいものを創りたいと思ったら、美しいものたちから学ぶしかないからかな?


変な言葉だ・・・


この美しいものを永遠にとどめておきたい と思っても無くなっていくものならまねて作り更により完璧な美しさにと発展させてくだろうしね。

あと生きてるものに生命力というエネルギーの美を感じるからもありそう。
人工の中に自然物を置く美とか

そこからまた、命(という美)というものが失われると知った時の痛みとせつなさが美と感じられる事もありそう。(雪が積もった笹や枯れ木の間の道 真っ白な世界に、一点の赤がある。そのハッとする気持ちは・・・血と死を感じるからでは? 実際には椿の花や丹頂でも)

自然の中で生きてきた歴史があって、今も自然なしじゃない。で、そこで美しいと感じるものを出来て来て心に響いたものを表そうとしたら模倣的になった。って事かなぁ?


まぁ、人間の脳も自然物っちゃ自然物だから、自然物から出来てる。という身も蓋もない事も言えそうだけど・・・
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>「「芸術美は自然美の模倣」と一般的には考えられているそうです。



そうなんですか。勉強になりました。
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こんばんは。



美学についてはまったくのシロウトなので、なんとも困ってしまいますが、
Wikipediaの『美』という項目に、
ヒントとなることがいくつか書かれていますので、
まず、これを読んでみてはいかがですか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E

プラトンのイデア説や《真・善・美》なんてのも、考えるヒントになるのでしょうね。


☆「芸術美は自然美の模倣」と一般的には考えられているそうです。
◇必ずしもそうだとは思いませんが、まぁ、そういうことになりますかね~。
造型芸術は、自然の模倣を出発点としていますので。
人物像や風景画は、自然の模倣でしょう。

たとえば、美の比率、《黄金比》というのは、自然の中に潜んでいる規則性に基づいています。
人間は、この黄金比に従っているものを見ると、美しいと感じてしまう。
そして、何故か知らねど、自然のものの中には、黄金比に従っているものが数多く存在します。
だから、黄金比で構成されているものを美しいと感じるのか、
人間の認識の形式として、黄金比で構成されているものを美しいと感じるようにできていて、自然の中に、その規則性を見いだし、それを美しいと感じるのか、
このあたりのことはわかりませんが・・・。
───一般的には、自然の中にあるから、人間は黄金比のものに美しさを感じる、と説明されているようですが・・・。鶏と卵、どっちが先かの話になってしまいますのでね、これ───

ということで、
《黄金比》をキーワードにして考えてみるのもおもしろいかもしれませんね。

黄金比
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91% …

黄金比のいろいろ
http://gakuen.gifu-net.ed.jp/~contents/museum/go …


哲学的には、
われわれ人間には、
 美を感じる認識の形式や能力が先天的に備わっているのか?
 備わっておらず、美はまったく経験的なものなのか?
という問題にまで発展します。
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この回答へのお礼

ご丁寧にURL付きでありがとうございます!

お礼日時:2013/11/18 19:05

>「芸術美は自然美の模倣」と一般的には考えられているそうです



 どうして、そういった考えが定着していったのか疑問に思います。


ごく素直に考えればそれより思い浮かばないはずですが、なぜそれに疑問が浮かんだのか、それを知りたいところです。

芸術には素材が必要です。その形を持ったものは周囲にはまず自然しかありません。

芸術は美への感動からはじまります。「ああ美しい(ものが目前にある)!」から、「この美しいものに同化したい(自分もなりたい)、でなければこのようなものを自分の手で作ってみたい」ということで芸術が始まります。その「美しい」対象がまずありのままの自然の中のものだった、その模倣にはじまったことはごく単純に考えられます。実際ギリシャ彫刻のモデルは人体の美だったし、西欧の風景画の伝統は知られています。音楽でも自然の風景からインスピレーションを受けたものは多いです。芭蕉や子規の俳句もそうです。現代の写真家の対象物は風景であれ人体であれ撮られたものが模倣でなければ何なんでしょうか。

もちろん芸術美はそれだけではありませんが、一番理解しやすいのが上記の考え方だと思います。

そんな単純なことは分かっている、と仰られるかもしれませんのでこれ以上は書きません。
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この回答へのお礼

>>そんな単純なことは分かっている、と仰られるかもしれませんのでこれ以上は書きません。


いえいえ。 どんなことでも教えていただけるのであれば、たいへんうれしいです。

ご丁寧にありがとうございます。

お礼日時:2013/11/18 19:14

庭園を考えてみましょう。


日本庭園は、(盆栽も同様ですが)自然を模倣した
美しさだと言えます。
しかし西洋庭園は、幾何形・対称の人工美をベース
にしています。

「自然美」といっても、自然が全て美しい訳ではあり
ません。
「模倣」といっても、日本庭園のように直接的に切り
取ったり、あるいは盆栽のようにミニチュア化したり
するものから、枯山水のように一部を置き換えたり、
石庭のようにシンボリックに(自然の持つバランスを)
表現するものまで色々な段階のものがあります。

その極限に、「美」自体があるのです。
人生の充足体験の視覚的要素を総和した、“快的
視覚パターン”。
美にとって決定的な要因である色彩そのものが、
そうした脳の総和機能に基づいているのです。
色彩は、可視光線の波長の連続的な変化であり、
「赤の反対は青」などというものは、客観的根拠が
ありません。
たとえば赤という色は、火(地上の酸素濃度による
燃焼温度)や血(酸化した鉄=ヘモグロビンの色)、
果実や花(緑の葉の中で目立つため)といった異なる
原因の“赤と相関した経験”を総和して、新たな長い
波長の感受に対して直感的印象を励起したものです。
その脳の“根拠なき経験的総和機能”の最大のもの
(人生の経験を二分(快・不快)した)が「美」なのです。

その意味で、色々なレベルはあれ、「自然美の模倣」
と言えますが、昨今の生育環境には人工的造形が
増えているので、「生育環境における快的経験の
総和の模倣」と言う方が正確でしょう。
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華道(単純に生け花でも良いけれど)を考えてみると面白いかもしれませんね。



野にありのままに咲く花の姿は確かに美しいものです。
自然の中で自然のまま咲いている、自然な美しさです。

さて、それを家の中に持ち込もうというとき・・・
例えば床の間に花を生けようという時に、野に咲くそのままの姿を、床の間に移したとして?
「床の間」という人工空間に野生の姿を置くのは「自然」ではありません。

人工的な空間に花を置くには、生花という人工的な芸術手法を持って置く。
その方が空間として「自然」であると思います。


まあ、言葉遊びみたいな要素はありますけれど、ご参考になれば。
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美って、産まれる前からのイデアかもしれませんよ。


でも、イデアが好きじゃなければ
「芸術美は自然美の模倣」のままでもよいと思います。
たとえば、
自然美・・・数学的な正しさ(ディアノイア)
芸術美・・・あまりに人間的な正直さ(ノエーシス)
こんなふうに仮定したら、あとは小論文なんだから、
章ごとに分けないで、ひとつずつ資料を提示しながら
推測して、文章でつないでいけばいいと思います。

ひとつ例をあげると、
「存在は、不確定性に、その根本となる素因をもつため、
時間性を考慮すれば、存在確立の山が、出現の割合に
おいて、ゼロ点と同等でありえることが、今回の実験結果
から明らかである。」

ここで気を付けることは、「その根本となる」の
「その」です。「その」とか、「これら」とか、
「前述の」という表し方は、どこを指しているのかが
明確ではありません。したがって、望ましいのは、
「その存在の根本となる」のように、対象を復唱する形
で表すことです。

しかし、正直いって、キミがもう一度、検索することを切に願う。
わたしならそうする。
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「芸術美は自然美の模倣」と一般的には考えられているそうです。


    ↑
芸術美をどう解するかについては諸説があります。
模倣説は最も素朴な説です。
その他にも、釣り合いが取れているのが芸術美だとする均斉説、
制作者の情感が表出したものだとする表出説、
芸術を通してイデアを感じるのだとするイデア説、
鈍化した感情を刷新するのが芸術美だとする異化説
などがあります。

それぞれには長短があります。
例えば模倣説では、芸術家は機械には敵わないのでは
ないか、写真は自然を性格に模倣しているが、写真
の総てが芸術美ではないだろう、抽象画などの芸術は
模倣説では説明できない、などの欠点があると言われて
います。


”どうして、そういった考えが定着していったのか疑問に思います。”
      ↑
画家は風景や人物を見ながら絵を描くからでしょう。

芸術作品を鑑賞する者も、絵や彫刻を見れば、
そこに何が描かれているかを知ろうし、
知ることができれば作品を理解できると感じる。
過去の芸術作品からその時代や社会を如実に知ることができるのは、
芸術が模倣だからである

米国では異化説が有力だったのですが、911以降
下火になったと言われています。
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美を決めるは心

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