プロが教えるわが家の防犯対策術!

1. 日本語文におけるハ格とガ格について その成り立ちを問い求める中に 表題を
考えます。

2. つまりたとえば:

( a ) 太郎ハ 花子ガ 好きだ。

3.これは まづは・あらかじめながら:

(α)  《Aハ Bガ Cナリ。 / Cスル。》の構文

と捉えます。

4. このハ格とガ格の用法は 一筋縄では解けないようです。次のようにまったく違
ったふたつの解釈が 文脈を別とし得れば ふつうに・そして互いに自由に対等に で
きるようです。

( a-1 ) 《 Aガ Bヲ 好く》という解釈例: 
 ・ 太郎が好きな相手は 花子だ。

( a-2 ) 《 Aヲ Bガ 好く》という解釈例:
 ・ 太郎を好きなのは 花子だ。


5. 言いかえると ハ格もガ格もそれぞれ同じように 主格(主語格)としてのガ格
かまたは対格(目的語格)としてのヲ格かを意味しうるからです。

6. つまり (a)文のハ格は 主格――Aガという主語をしめす(a-1)――となっ
たり 対格――Aヲというように主語の動作の対象となっている(a-2)――を代用した
りする。

7. 言いかえると 文の中の語句どうしの意味連絡を確かめる前の段階では ハ格も
ガ格(ガ格一般)も ともにその意味は確定しない。こういうことになります。


      *


8. そこで この(a-1)や(a-2)のように第二次の解釈作業を必要としてその結果
明らかになる意味連絡のかたち――そのような文型――を 英文にならって次のように
規定します。

(ω) S(主格)‐V(述格)‐O(対格).

9. すなわちこの言わば線形としての論理的な意味を示す S-V-O なる文型は 日本文
の( a )文が 解釈例の( a-1 )および( a-2 )として そのみづからの構文の中にと
もに含む文型である。

10. 言いかえると 次のようになりましょうか。一気に全体の構図をしめします。

(α) 《 A‐ハ B-ガ C-ナリ。 / C‐スル。》なる構文 ~~~~~~~~~~~~

  《 A-ハ       B-ガ         C-ナリ 。》
  中心主題‐ハ格  関係主題‐ガ格   論述主題‐述格・法活用(断定法)

  ○ ( a ) 太郎ハ 花子ガ 好きだ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  ・ すなわち 話し手はまづ 誰がどうするという意識からは自由になって《太
   郎》を中心主題として提出した。
  ・ そのあと中心主題にかかわる関係主題を 《花子》として引き出した。
  ・ そのふたつの主題について 答えを出すとするなら 《好きだ》という内容
   で提示した。
  
  ・ この段階では――文脈のことを別とし得れば―― まだ文の意味が明らかで
   はない。あとで分かることとしては ( a-1 )か( a-2 )かの可能性をもっ
   て 両義的である。
  ・ すなわち この(α)の構文は 全体として非線形の構造を有していて そ
   の中に 事後的に相転移して行くべき線形の文型(ω)を宿している。

  ○ (ω) S(主格)‐V(述格)‐O(対格).~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  ( a-1 ) 《 Aガ Bヲ 好く》という解釈例: Taroh loves Hanako.
   ・ 太郎が好きな相手は 花子だ。

  ( a-2 ) 《 Aヲ Bガ 好く》という解釈例: Hanako loves Taroh.
   ・ 太郎を好きなのは 花子だ。
   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

     *

12. どうしてこういうあいまいな(=つまり両義的・多義的な)表現が日本文で起き
るのか?
 

13. ハ格もガ格も もともとは一定の主題をただ主題として提示しますよというかた
ちで 何気なく言いだされた語(太郎や花子)を承けている。だけであるらしい。

14. だから そのあとの太郎(A)と花子(B)なる語句のあいだの意味連絡は ホッタ
ラカシになっている。のか?

15. 言いかえると それらハ格がみちびく中心主題(A)やガ格で承ける関係主題(B)
のそれぞれと 論述部の主題(C)ないしその論述格(‐ナリ。 / ‐スル。)との意味上の連
絡が なおまだ――話し手の主観の中を除いては―― 表現されていない。と考えられて
来ます。

16. つまり 文の構造は ハ格とガ格の両者ともが二重の用法を持つかたちにおいて
成り立っている。こう考えられます。

17. すなわち両提示格(格助詞)ともそれぞれ:
《一次として 〔単なる〕主題の提示 という用法》と
《二次として 論理的な意味連絡の確定をみちびく用法》
とを担っており その構造が二層から成っていると考えられます。

18. あらためて示せば  二層構造とは 次のようである。:

(α) 《 A‐ハ B-ガ C-ナリ。 / C‐スル。》なる非線形構文 ~~~~~~~~~ 

 (α‐1) 一次として 主題提示の層 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  《 A-ハ       B-ガ         C-ナリ 。》
   中心主題‐ハ格  関係主題‐ガ格   論述主題‐述格・法活用(断定法)

 (α‐2= ω) 二次として 線形論理の層 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  《 (ω) S(主格)‐V(述格)‐O(対格).》
   ・ A  love〔s〕  B.
   ・ B  love〔s〕  A.

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

       *

19. 言語表現を扱うにあたって 日本文とたとえば英文とを比較対照するというとき 
この基礎としての事実を捉えておくなら 何かと便利ではないか。また 必須というほど
に必要ではないか。

20. 単純に言えば 和文の中に 英文のようなそれとしての論理を きちんと見出さ
なければならない。ぎゃくに言えば 英語話者は 表現の形式において 単純である。

21. というよりも 英文に慣れ親しんでいる表現者は なぜ 日本語では彼のように
言い表わし此のようには表わさないのかといった問題についてよく分析しうるのではない
か。また 分析しなければならないのではないか。

22. わざと嫌味を言えば 英文は 単一層の線形論理だけで表現していて 《あそび》
が無いと思われる。主題提示をおこなう《あいさつ》が無いのだ。せっかちである。と見
られるとき その余裕というのは 表情や果ては人格によっておぎなっているのだろうか? 

23. 言葉による表現だけを問題にしたなら 日本語話者は かたちとして 人格をそ
なえている。か? 論理は 二の次。か?

質問者からの補足コメント

  • 趣旨説明欄で (11)は抜け落ちたのではなく 番号付けを
    間違えた結果です。あしからず。

      補足日時:2018/05/12 09:08
  • つづき1

    ★ 日本語の文法は、古代ローマもルネッサンスもラテン語も知らずに、
    野放しにのびのび育ってきたんじゃないでしょうか。主動詞が文末にあっ
    たことも幸いだと思います。述部が動詞で始まるから、後から修飾するこ
    とになったりして、修飾語の構造が複雑になってしまうのだと思います。
    ☆ ぜんぶ引用しましたので コメントを補足欄にもつづけますが わた
    しの推理では 日本文は 初めはやたらめったら 主題となる語を 次か
    ら次へと 思いのままに言い出した。のではないか。(⇒№3お礼欄)。

    ラテン文の語順が自由な場合(格活用が明確)とは 別のかたちで 語順
    や修飾の仕方が自由なのではないでしょうか。


    ★ 最近の言語学では、文は動詞を中心にできていることになってきたよ
    うですし、
    ☆ そうです。述語動詞が 主語や目的語を支配します。

    つづく

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/05/18 14:10
  • つづき2

    ★ 主語が一貫して文の主題を言っているのも日本語だし、主語をよく省
    くのは動詞だけで主語が分かるくらい動詞表現が豊かだからですし、動詞
    活用などなくても、完結の「た」と文脈と副詞表現で十分、いつの話か表
    現できることを証明しているのが日本語だと思います。
    ☆ なるほど。たぶん 文脈の中にどっぷり浸かったようであり しかも
    相手や第三者とのそれぞれの関係が すでに文脈として織り込み済みとな
    っているようです。そのために敬語ないし丁寧語が発達したようです。

    ☆☆ >19. 言語表現を扱うにあたって 日本文とたとえば英文とを
    比較対照するというとき この基礎としての事実を捉えておくなら 何か
    と便利ではないか。また 必須というほどに必要ではないか。

    ★ ごもっともだと思います。
    ☆ ありがとうございます。

    つづく

      補足日時:2018/05/18 14:12
  • つづき3

    ★ 英語を日本語の作りと比べながら教われたら、理解しやすくなるだろ
    うと思います。
    ☆ これも なるほどですね。というのは わたしは中学で初めて習った
    のですが 最初は英語の世界にのめりこむようでしたから。

    ★ 昔から今も、「先生、これは目的語ですか?」「日本語に目的語はな
    い」こういう教わり方をしていたら、生徒は混乱します。せめて、呼び方
    か捉え方が違うんだとくらい言ってくれたら良さそうなものだと思います。
    ☆ この情況を 前途洋々と形容したいと思います。いろんな工夫や試み
    が なされて行くでしょう。

    ☆☆ >22. わざと嫌味を言えば 英文は 単一層の線形論理だけで
    表現していて・・・(省略しました) 

    ★ 英語は確かに簡潔さを好みますけど、でも英語も口語では叙述性のあ
    る従位節のほうが、短くて済む句よりも好まれます。
    ☆ ほおう。それは知りませんでした。

    つづく

      補足日時:2018/05/18 14:16
  • つづく4

    つまり ずばりものごとを言うのではなく むしろ文脈や情況証拠のよう
    なものを先に提示してみるのでしょうか。

    ★ あと、冠詞がほとんど常に必要なのも、これも文頭では一種の、前置
    き的な役目もあるんだと思います。
    ☆ ふむ。ということは 主題提示の役目をも担っていると。

    ★ それから、過去形助動詞の would が日常会話ではけっこうクッション
    役として使われていますね。
    ☆ 婉曲にでしょうか。

    ★ でも、あいまいにする語ですから仕方ないですけど、けっこう、日本
    語の方が敬語なら敬語、控え目表現ならそれと、話者の態度や気持ちの表
    現に関しては、はっきり分かる言葉のツールが整っています。まあ、だか
    ら、日本語では、たとえば「悲しい」という言葉を使うのではなくて、
    「~だったら~だったのに」などと表現することになるのかもしれません
    が。
    ☆  would の用法でしょうか。

      補足日時:2018/05/18 14:20
  • 続1

    ★ ・・・意外と日本語は、一貫した文法を持ってるんですよね。
    ☆ 最終的に(二層構造の中核の意味としては) けっきょくあいまいさ
    (両義性)は 消えます。

    ★ で、使いやすくできていて、感覚的に血肉のように使いこなせる。
    ☆ わたしなどは いまだに英文では一文の全体を 文型として あらか
    じめ確定させてから言い出さなければなりません。

    その点日本語では 思い浮かんだ主題や背景事情や事態の中身やを次から
    次へ 言い出して行けばよいのだと思います。ハ格やガ格などの格活用も
    おのづから ついて来るように思われます。

    ★ 日本語の活用は、次の語との音の繋がり具合のためですよね。
    ☆ 用言(動詞や形容詞)の活用でしょうか。特には 母音の変化(交替)
    をとおして活用し さらに補充用言(助動詞)へとつなげますね。
    ・ 思は-ない。・思ひ-ます。・思ふ。・思へ。・・・・

    つづく

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/05/21 08:23
  • 続2

    ★ 母国語を研究することの限界で仕方ないですが、どれだけ日本語の作
    りが違うかを顧みられないまま、・・・
    ☆ そういう傾向がありましたね。

    ・ 《思う。》は終止形と言いますが 《思え!》も 文が終止します。


    ★ やっぱり、例えば、guess はアメリカ口語で、だから that節しかつ
    ながらないと説明されています。平易な言い方になるのが、節なんですね。
    句は簡潔だけど、やっぱり、ぶっきらぼうにもなりかねないです。
    ☆ ははあ。文語に対する口語の違いが つまり 長い短いよりは 言い
    方が平易で馴染みやすいかどうかで決まる。言われてみれば ごもっとも
    ですね。


    ★ なんだか、思い出すんですが、・・・アメリカ人にはアメリカ人の、
    謙虚さがありますよね。ま、これも人によるんでしょうけど、個人的に、
    アメリカ人で不快な人に出会った記憶がないんですけど…。
    ☆ ははあ。

    つづく

      補足日時:2018/05/21 08:26
  • 続3

    ☆ ははあ。(またまたですが)。昔の感覚では ラテン民族のような陽
    気さまで行かなくても 《あかるい・フランクだ》が 印象的でした。そ
    れは あるんでしょうかね。


    ☆☆> 断定・断言口調がやや弱まったのでしょうか。

    ★ なんか、学校教育として教える英語が、やたらと強い文章を書かせよ
    うとしてるんじゃないでしょうか。
    ☆ たぶんわたしのようなふるい日本人から見れば 《言い切る》という
    イメージはつよいですね。



    ★ ひとつには、表に出てくるような人のタイプがそういう人だという傾
    向があるんだと私も分かってきました。
    ☆ それはあるんでしょうね。つまり 遠まわしの言い方が発達している
    日本人の間でも 自分が中心となってコトを運ぼうとする人は 目立つよ
    うに話すか または 振る舞うようです。

    それは 言葉の問題よりも 人柄や個性のほうが大きいでしょうか。

      補足日時:2018/05/21 08:28

A 回答 (6件)

>まどろっこしいらしくて、He denied taking the money のほうが自然らしいです。

・・・ 想像しやすい方で納得してしまえるほど、省略するのが当たり前なんですね。
☆ へええ。つまり その文法の自由さが 市民権を得たんですか。はあぁ。
だとすると 文脈依存で 日本文とあまり変わらないですね この点では。

どこだったかでこの間、日本人は完了形を使い過ぎると言ってるのを見ました。
私は学生の頃もたまになんだか足らない気がしたのをぼんやり覚えています。日本語だと「た」を略さないからだとも思ったことがあったような気もします。そんなことすっかり忘れて〇十年も過ぎましたが。

あと、ネイティブも言ってましたけど、It is と言うのと、It's と略すのとではやっぱり、語感がけっこう違うんですね。場合によっては、略さないと違和感があったりします。I would とは言わないとしても、I'd ですよ。

若い頃、アメリカの人に、アメリカ人は論理的だね、と言ったら、どこが?って顔されて笑われたこともありますけど、まあ、正解は、どこの国にも同様にいろんな人がいるわけですけど、英語圏で作られた学校用の英文法もいい加減です。や、たぶん、英文法に関しての知識の”標準値”は、日本人が世界一だろうと思いますよ。(笑)これまで何かと日本人の言語感覚が馬鹿にされてきましたけど、意外と日本語は、一貫した文法を持ってるんですよね。で、使いやすくできていて、感覚的に血肉のように使いこなせる。日本語の活用は、次の語との音の繋がり具合のためですよね。

母国語を研究することの限界で仕方ないですが、どれだけ日本語の作りが違うかを顧みられないまま、「当り前だ」みたいに、抜け落ち、節穴だらけの文法を教わってきたんですね。どうしてこれが、分かるのか、分かれと言えるのか、が不思議です。(笑)


>話し言葉でも書き言葉でも、丁寧に話そうと思うと長くなるものなんだと思います。
>☆ うけたまわりました。

これ、でもですねぇ、やっぱり、例えば、guess はアメリカ口語で、だから that節しかつながらないと説明されています。平易な言い方になるのが、節なんですね。句は簡潔だけど、やっぱり、ぶっきらぼうにもなりかねないです。

なんだか、思い出すんですが、(やたらに長引かせているみたいですけど、笑)もうかなり前ですけど、アメリカの何て言ったか、テレビ番組で、トップモデルのタイラがアメリカ人の美徳の一つには謙虚さもあるというようなことを言って、態度が悪かったか何かで若いモデル志望の子たちを叱った場面があって、ちょっと印象的だったんですが、アメリカ人にはアメリカ人の、謙虚さがありますよね。ま、これも人によるんでしょうけど、個人的に、アメリカ人で不快な人に出会った記憶がないんですけど、ネット上にはどこへ行っても質の悪いのがいますけど…やっぱりアメリカ人には変な人みかけないんですよね…。

>☆ 断定・断言口調がやや弱まったのでしょうか。

なんか、学校教育として教える英語が、やたらと強い文章を書かせようとしてるんじゃないでしょうか。(笑)や、would とか分かりにくいので、そんなのは後回しでもいいよ、ということなのかもしれないですね?

ひとつには、表に出てくるような人のタイプがそういう人だという傾向があるんだと私も分かってきました。世界で飛び交ってる意見って、つまりは、世界のでしゃばりの意見だったりしても不思議はないですよね。環境に順応しないと脱落者みたいに言われて、治すべきも治さないまま猪突猛進的な人生を鼓舞されても、原子力を浴びても平気な人間とか、笑い飛ばすわけにもいきません。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

まづお伝えしますが わたしは言語学や諸言語をけっこうまなびましたが
現地に住んだことはなく 生活感覚をとおしての知識は乏しい状態なんで
す。

近年は 集中して修得してやろうという根気もなかなか起きません。とほ
ほ。


★★ >まどろっこしいらしくて、He denied taking the money のほう
が自然らしいです。・・・ 想像しやすい方で納得してしまえるほど、省
略するのが当たり前なんですね。

★ どこだったかでこの間、日本人は完了形を使い過ぎると言ってるのを
見ました。
☆ 〇〇しちゃったも 頻繁に使うようですね。


★ 私は学生の頃もたまになんだか足らない気がしたのをぼんやり覚えて
います。
☆ そうですか。傾向は けっこう昔からなのですね。

★ あと、ネイティブも言ってましたけど、It is と言うのと、It's と略す
のとではやっぱり、語感がけっこう違うんですね。場合によっては、略さ
ないと違和感があったりします。I would とは言わないとしても、I'd で
すよ。
☆ 話し言葉としてのふさわしさや逆に違和感といったものがあるのでし
ょうか。



★ 若い頃、アメリカの人に、アメリカ人は論理的だね、と言ったら、ど
こが?って顔されて笑われたこともありますけど、
☆ 文型が確定されていることで いちおう論理的だと思えるのですけれ
ど その慣習の中に長くいれば 論理的な文型の感覚は薄れ それ以上に
文脈や情況が ものを言うようにもなるのでしょうか。

ひょっとしたら 日本人のごとく人間どうしの関係の具合いによって表現
やそのニュアンスがいろいろ変わってくるのでしょうかね。こういった事
情については わたしには分かりづらいです。

★ まあ、正解は、どこの国にも同様にいろんな人がいるわけですけど、
英語圏で作られた学校用の英文法もいい加減です。
☆ ほおう。生成文法などを見ると もうこれでもか・これでもかという
ほど 細かく分析的ですけれどね。

★ や、たぶん、英文法に関しての知識の”標準値”は、日本人が世界一だ
ろうと思いますよ。(笑)
☆ ははあ。昔から英文法については よく習得して来ました。

続く

お礼日時:2018/05/21 08:19

>>代わりばんこに使っているような気がすることもあります。


>☆ 最後の件は たぶんハ格が 《中心第一主題格》を提示するハタラキ
のほかに さらには 文の中の副主題をも取り立てることがあります。そ
のときの機能は ガ格よりも 格下と言いますかになるかと。

そうですね。修飾語内では「が」のほうが先に出てきて、対比させて「は」を使いますね。

>>★ 英語は動詞の形が複雑なので、細かい修飾語内では簡略化しています。
>☆ ちょっと分かりませんでした。

これは英語の文法書にあって、従位節では完了形とか未来の will とか、主節と時制が同じ限り省くのが普通なんですね。面白いことに、英語でも文の時制は主節に依存してるんです。そして、日本語の場合は完結を表すのは「た」というたった一音節なので省きようがないですが、たとえば、He denied having taken the money と、完了形の動名詞にするのはネイティブにとっては、まどろっこしいらしくて、He denied taking the money のほうが自然らしいです。日本語で完結を表さずに「お金を取るのを」とすると、これからのことになってしまって、もらうのを辞退した話に変わってしまいます。英語の deny にも断る意味があります。文脈なしのこの単文では、どちらとも判断できないはずです。が、想像しやすい方で納得してしまえるほど、省略するのが当たり前なんですね。

>>(…)ある程度、学習したら、日本語の方が例外が少なくて修得しやすいんじゃないかと、最近、思うんですけど、そんなことはないでしょうか。
>☆ なるほど。ここは 全部復唱しました。

英文法は理づくめかと思えば、論理が二通り許せてもどちらか一方が通用していたり、あるいは例外が多くてキリがないです。そのうえ、定型化したお決まりの言い方だらけです。勉強しても勉強しても、使わないことはそのうち忘れています。(苦笑)日本語にはもっと表現者の自由があります。常に前から順に読めますし、冠詞とか数の一致とか、余計なことを気にしている必要がありません。

>>★ 英語は確かに簡潔さを好みますけど、でも英語も口語では叙述性のあ
る従位節のほうが、短くて済む句よりも好まれます。
>☆ ほおう。それは知りませんでした。

ここは、ちょっと言い直しておいた方がいいかなと思いました。家族や親しい友だちへの言葉は短くなるものですけど、口語で、丁寧に話そうと思うと、ですね。やっぱり、話し言葉でも書き言葉でも、丁寧に話そうと思うと長くなるものなんだと思います。

>>★ あと、冠詞がほとんど常に必要なのも、これも文頭では一種の、前置き的な役目もあるんだと思います。
>☆ ふむ。ということは 主題提示の役目をも担っていると。

ある言語学に秀でた人が、冠詞がその後に続く名詞の性質を表す、というようなことを言っていました。最近の英文法では、冠詞や数量を表す形容詞を「限定詞」として、旧来の8品詞とは別のくくり方を設けていますね。

>>★ それから、過去形助動詞の would が日常会話ではけっこうクッション役として使われていますね。
>☆ 婉曲にでしょうか。
>>「~だったら~だったのに」などと表現することになるのかもしれませんが。
>☆  would の用法でしょうか。

よく(でもないかもしれませんが)日本人はどうして「だと思う」とよく言うのか、とか言われませんでしたっけ?英語でも放っておけば I think とはよく聞くように思いますけど、日本人ほどじゃないんでしょうか?でも、would も学習者の身にはつかみどころのないよく分からない言葉で悩まされますが、日本語にするには「思う」がちょうど良さそうだと思うようになりました。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ そうですね。修飾語内では「が」のほうが先に出てきて、対比させて「は」
を使いますね。

>>★★ 細かい修飾語内では簡略化
★ たとえば、He denied having taken the money と、完了形の動名詞にす
るのはネイティブにとっては、まどろっこしいらしくて、He denied taking
the money のほうが自然らしいです。・・・ 想像しやすい方で納得してしま
えるほど、省略するのが当たり前なんです
ね。
☆ へええ。つまり その文法の自由さが 市民権を得たんですか。はあぁ。
だとすると 文脈依存で 日本文とあまり変わらないですね この点では。



★ 英文法は理づくめかと思えば、論理が二通り許せてもどちらか一方が通用
していたり、あるいは例外が多くてキリがないです。・・・
★ 日本語にはもっと表現者の自由があります。常に前から順に読めますし、
冠詞とか数の一致とか、余計なことを気にしている必要がありません。
☆ 後者は 裏返してやはり英文の理づくめを物語っているようですが 前者
は それでも ほころびて来ている部分があるんでしょうか。

これは スタンダードが変化して来ているとすれば へえーですね。昔の感覚
では。

>>★★ 英語は確かに簡潔さを好みますけど、でも英語も口語では叙述性の
ある従位節のほうが、短くて済む句よりも好まれます。

★ ここは、ちょっと言い直しておいた方がいいかなと思いました。・・・や
っぱり、話し言葉でも書き言葉でも、丁寧に話そうと思うと長くなるものなん
だと思います。
☆ うけたまわりました。

★ ある言語学に秀でた人が、冠詞がその後に続く名詞の性質を表す、という
ようなことを言っていました。最近の英文法では、冠詞や数量を表す形容詞を
「限定詞」として、旧来の8品詞とは別のくくり方を設けていますね。
☆ ふむふむですね。


>☆☆  would の用法でしょうか。

★ ・・・英語でも放っておけば I think とはよく聞くように思いますけど、
日本人ほどじゃないんでしょうか?でも、would 〔は〕・・・日本語にする
には「思う」がちょうど良さそうだと思うようになりました。
☆ 断定・断言口調がやや弱まったのでしょうか。

お礼日時:2018/05/19 13:20

> 中心主題‐ハ格  関係主題‐ガ格



中心主題、関係主題という呼び方は良さそうですね。私も「は」が主題を表す第一助詞だと思います。「は」は一般論向けで、「が」が何か出来事を持ち出すのに向いているようです。でも、どちらでもいい箇所もあって、代わりばんこに使っているような気がすることもあります。

>12. どうしてこういうあいまいな(=つまり両義的・多義的な)表現が日本文で起きるのか?

日本語の文法は捏ねたように複雑ですね。英語は文を formulate すると言って、数式的に明快かもしれませんけど、英語は動詞の形が複雑なので、細かい修飾語内では簡略化しています。それやあれやで、どうもネイティブでも日本人の日本語ほど感覚的に使えるものではないんじゃないかと思われるフシが、ネットで語学の質問サイトを見てるとありますし、けっこう、英語の方が文脈を必要としていたり、ある程度、学習したら、日本語の方が例外が少なくて修得しやすいんじゃないかと、最近、思うんですけど、そんなことはないでしょうか。

日本語の文法は、古代ローマもルネッサンスもラテン語も知らずに、野放しにのびのび育ってきたんじゃないでしょうか。主動詞が文末にあったことも幸いだと思います。述部が動詞で始まるから、後から修飾することになったりして、修飾語の構造が複雑になってしまうのだと思います。

最近の言語学では、文は動詞を中心にできていることになってきたようですし、主語が一貫して文の主題を言っているのも日本語だし、主語をよく省くのは動詞だけで主語が分かるくらい動詞表現が豊かだからですし、動詞活用などなくても、完結の「た」と文脈と副詞表現で十分、いつの話か表現できることを証明しているのが日本語だと思います。

>19. 言語表現を扱うにあたって 日本文とたとえば英文とを比較対照するというとき この基礎としての事実を捉えておくなら 何かと便利ではないか。また 必須というほどに必要ではないか。

ごもっともだと思います。英語を日本語の作りと比べながら教われたら、理解しやすくなるだろうと思います。昔から今も、「先生、これは目的語ですか?」「日本語に目的語はない」こういう教わり方をしていたら、生徒は混乱します。せめて、呼び方か捉え方が違うんだとくらい言ってくれたら良さそうなものだと思います。

>22. わざと嫌味を言えば 英文は 単一層の線形論理だけで表現していて 《あそび》が無いと思われる。主題提示をおこなう《あいさつ》が無いのだ。せっかちである。と見られるとき その余裕というのは 表情や果ては人格によっておぎなっているのだろうか?

英語は確かに簡潔さを好みますけど、でも英語も口語では叙述性のある従位節のほうが、短くて済む句よりも好まれます。あと、冠詞がほとんど常に必要なのも、これも文頭では一種の、前置き的な役目もあるんだと思います。それから、過去形助動詞の would が日常会話ではけっこうクッション役として使われていますね。でも、あいまいにする語ですから仕方ないですけど、けっこう、日本語の方が敬語なら敬語、控え目表現ならそれと、話者の態度や気持ちの表現に関しては、はっきり分かる言葉のツールが整っています。まあ、だから、日本語では、たとえば「悲しい」という言葉を使うのではなくて、「~だったら~だったのに」などと表現することになるのかもしれませんが。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 中心主題、関係主題という呼び方は良さそうですね。
☆ おお。それは よかった。

★ 私も「は」が主題を表す第一助詞だと思います。「は」は一般論向け
で、「が」が何か出来事を持ち出すのに向いているようです。でも、どち
らでもいい箇所もあって、代わりばんこに使っているような気がすること
もあります。
☆ 最後の件は たぶんハ格が 《中心第一主題格》を提示するハタラキ
のほかに さらには 文の中の副主題をも取り立てることがあります。そ
のときの機能は ガ格よりも 格下と言いますかになるかと。

〇 太郎ハ(中心主題格) 花子ガ 昔ハ(副次主題格) 好きだった。

☆☆ >12. どうしてこういうあいまいな(=つまり両義的・多義的
な)表現が日本文で起きるのか?

★ 日本語の文法は捏ねたように複雑ですね。
☆ そのようです。

★ 英語は文を formulate すると言って、数式的に明快かもしれませんけ
ど、
☆ 単純すぎるほど明快な場合もあります。アイラヴユー。

★ 英語は動詞の形が複雑なので、細かい修飾語内では簡略化しています。
☆ ちょっと分かりませんでした。

★ それやあれやで、どうもネイティブでも日本人の日本語ほど感覚的に
使えるものではないんじゃないかと思われるフシが、ネットで語学の質問
サイトを見てるとありますし、けっこう、英語の方が文脈を必要としてい
たり、ある程度、学習したら、日本語の方が例外が少なくて修得しやすい
んじゃないかと、最近、思うんですけど、そんなことはないでしょうか。
☆ なるほど。ここは 全部復唱しました。

日本文は 文脈や主語にせよ目的語にせよ 互いの間で承知の上でならそ
のときの文脈とともに 省略することがあります。ありますが かえって
★ 英語の方が文脈を必要としていたり
☆ というほどには 分かりにくくないかも知れません。省略されている
と分かっているからです。

つづく。

お礼日時:2018/05/18 14:08

統辞的(構文的)、意味的、語用的、というもののイメージがあまりついていません。



シンタクティック、セマンティック、プラグマティック、の訳のようですが、これはなにをどのように見ているのでしょうか。

日本語にも適用されているのでしょうか。
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この回答へのお礼

術語についてわたしも 苦手です。そういう用語をあまり使いたくありません。

ご回答をありがとうございます。


★ プラグマティック
☆ を言語学の語としては知りませんでした。

▲(ヰキぺ:語用論) ~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%9E%E7%94%A8 …

(英: pragmatics)とは、言語学の一分野で、言語表現とそれを用いる使用者
や文脈との関係を研究する分野である。
~~~
☆ これは わたしは 社会言語学として承知していた分野です。




まづ:
★ 意味論・セマンティック
☆ があります。これは 語の持ち得るあらゆる意味について研究します。

社会的に実際に用いられている語の用法 これを扱うのが 社会言語学です。
語用論とも言うのですね。(実際には 少数民族の語用だとかあるいは語用
の階級差だとか)。


★ 統辞的(構文的)・シンタクティック
▲(ヰキぺ統語論) ~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E8%AA%9E …

(英: syntax)とは、人間の言語において文が構成される仕組み、またはそれ
を扱う言語学の一分野である。統辞論、構文論ともいう。
~~~~~
☆ これは まさしく質問の扱っているテーマであり:
▲ 文が構成される仕組み
☆ です。



日本語は たとえば最初は(言語として生成する初源では) 主題 Tn〔とな
る語〕を 羅列したのではないか。

T1(太郎)・・・T2(花子)・・・T3(好き)・・・Tn

ここから 文として整えられた。それは 問い= 主題(T)の提示と その答え
= 論述(P)とである。

T1ーーーT2ーーーT3=P。  ⇒   A‐ハ B-ガ C-ナリ。 / C‐スル。

このあと 答え(P)の用言(動詞:C-ナリ。 / C‐スル。)の意味によって 前
出するふたつの主題(A‐ハ/B-ガ)が 支配されることになる。

C-ナリ。(好きだ)⇒ 誰が(主語格)ーーー誰を(対格)

           A‐ハ(太郎ガ)ーーーB-ガ(花子ヲ)
      または  A‐ハ(太郎ヲ)ーーーB-ガ(花子ガ)

この《主(S)‐述(V)‐対(O)》が 狭義に統語形式です。

お礼日時:2018/05/14 17:32

あなたは二層構造という単語を使うが、それは倒置法とは、どう違うのでしょう? 英語だって、何でもかんでも A loves B というわけでは、ないでしょう?



( a ) 太郎ハ 花子ガ 好きだ。
Taro likes Hanako.

( a-1 )太郎が好きな相手は 花子だ。
The girl whom Taro likes is,,, Hanako.

( a-2 )太郎を好きなのは 花子だ。
The girl who likes Taro is,,, Hanako.


結局は、どの情報を、どの順番で出すか。その順序構成によって、ある単語にフォーカスを当てて強調する。日本語であっても英語であっても。
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この回答へのお礼

〇 日本文の二層構造 ~~~~~~~~~~~~英文の文型~~~~

( a ) 太郎ハ 花子ガ 好きだ。・・・・・・ x

 ( a-1 )太郎が好きな相手は 花子だ。・・・Taro loves Hanako.
 
 ( a-2 )太郎を好きなのは 花子だ。・・・・Hanako loves Taro.

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ (a)というひとつの文が そのままで ふたつの意味を持ち得る。
――これが 二層構造です。

こういう(a)なる構文は 英文にはなく 英文は (a-1)か(a-2)
かどちらかの〔すでに決まっている〕文型によって表現するしかない。


★ その順序構成によって、ある単語にフォーカスを当てて強調する。
☆ つまり そういった表現形式というのは:

(a-1-1) Hanako, Taro loves her.
(a-2-1) Taro, Hanako loves him.

☆ といった場合でしょうか。つまり 確かに文頭の語( Hanako
または Taro )が《フォーカスを当てられる》ことによって 《主題
の提示(つまり 日本語のハ格の用法)》を担っています。

ですが それでも層構造の構文を成すには到らず 単線形の文型を基
本として採らざるを得ないかたちです。

重ねて言いかえると 一文が ふたつの異なった意味の文をふくむと
いうかたちには ついぞ ならない。

――こういう問題ではないかと考えますが どうでしょう。

お礼日時:2018/05/12 13:16

日本語の文法自体は、論理性の低い文法構造だと思います。



そもそも『論理』というのは、世界中の誰が何度繰り返しても同じ結論に至る。そういう性質を備えたものを論理と呼ぶわけです。古代ギリシア哲学の三段論法であったり、自然科学における再現性であったり。人によって解釈が変わるようなものは論理的とは呼ばない。

ただし日本語を用いても、その文章構成や使用する単語を注意深く用いる事によって、日本語によって論理的なコミュニケーションをする事は可能です。反対に英語であっても論理的なコミュニケーションができない人もいる。論理的コミュニケーションが成立するかどうかは、文章構成や単語に主に依存するのであって、言語や文法に依存するのではない、と思います。

言語学として文法を研究する場合に、それが論理的か否かという観点で研究するのも、それは違うのではないか、と思います。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 日本語の文法自体は、論理性の低い文法構造だと思います。
☆ そうですかね。しょうじきに反応してまいります。

つまり 主‐述‐客(対格など)の直線的な論理は どの言語もその
人間の行動が それほど違わないのであれば 同じような構造をし
た文法になるかと思うんです。

その上に・ほかに何か別の仕掛けがあるかないか。この違いではな
いかとは思っています。


★ そもそも『論理』というのは、世界中の誰が何度繰り返しても
同じ結論に至る。そういう性質を備えたものを論理と呼ぶわけです。
古代ギリシア哲学の三段論法であったり、自然科学における再現性
であったり。人によって解釈が変わるようなものは論理的とは呼ば
ない。
☆ そうでしょうね。

★ ただし日本語を用いても、その文章構成や使用する単語を注意
深く用いる事によって、日本語によって論理的なコミュニケーショ
ンをする事は可能です。
☆ そう思います。そのはずです。


★ 反対に英語であっても論理的なコミュニケーションができない
人もいる。
☆ それも そのようだと見ます。

★ 論理的コミュニケーションが成立するかどうかは、文章構成や
単語に主に依存するのであって、言語や文法に依存するのではない、
と思います。
☆ ですから 質問としては:
☆☆(表題) 論理の表わし方が ソフィスティケートしている
☆ と表現しました。つまり 《論理を どのような乗り物に載せ
てはこぶか》です。

論理の成否がこの乗り物なる道具に依存しているわけではありませ
ん。

依存していないけれども どんな車ないし船に乗っているかで 意
味連絡とその読み取りが むつかしくなったり易しくなったりする。
のではないかと。


★ 言語学として文法を研究する場合に、それが論理的か否かとい
う観点で研究するのも、それは違うのではないか、と思います。
☆ 論理の表わし方と表現したのも まだ舌足らずだったかも知れ
ません。

論理を表わすときの言語の・その文法の仕組みは 言語によってさ
まざまですから 多少とも 趣きが違ってくる。
――そういう問い求めになっています。

でも 日本文の二層構造という構文は 英文の単一層文型とは ず
いぶん異なった乗り物になっているはずです。このことをめぐって
見解を交わしたい。・・・

お礼日時:2018/05/12 12:04

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