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私は小さい頃からなにかを作るのが大好きで大人になった今でも続いているほど好きです。
しかし、歳を重ねるほど世の中には私の想像をはるかに超える素晴らしいものを作る人がいることをたくさん知り、ふと我に帰ったとき「自分は何を作っているのか?」「こんなのでは相手に何も伝わらない」「自分が考えてるものと実際目の前にあるものが全然違う」などと落ち込んでしまいます。
自分の技術、知識が全然足りていないということは百も承知でわかっています。そんなこと思うくせに他人の素晴らしい作品を見てはやっぱり自分も相手に「いいな、好きだな」と言われるようなものを作りたいと思ってしまいます。でもいざ作ってみると技術も知識もみあっていないので「できない…」とエンドレスループしてしまいます。
技術と知識をつけろよって話ですが負のループに陥ってしまいなかなかやる気が出ません。どうすれば創作意欲?やる気がでるのでしょうか…

A 回答 (3件)

ジャンルが分りませんので、一般論になります。



私は父が絵を描いていたので、子供の頃から絵を描いていました。

(子供なので)私がやる気をなくすと、技術を教えてくれました。


例えば、木をかくとき、緑や黄色や茶色など適当な色を混ぜて絵の具の塊を作る。

筆に絵の具をたっぷりつけたら、画用紙に垂直にたてて、葉っぱの部分を何度も

叩くんですね。

すると筆の毛の部分が適当に開いて、画用紙の上では葉の様にみえるんです。

現代ではコンピューターソフトが同じ事を代行してくれます。

「芸術とか才能と思われている殆どが技術だよ。

 知らない人は感心するけど、これに騙されちゃ行けない。

 だから技術だけのものは絵じゃない。

 達者と表現する。」

他にも逆光の入れ方。パース。

小学生でしたが、大人が意識するテクニックを手順として教えてくれました。

やる気を失くさないようにするためには、技術が必要だからです。


これは理系の学問の世界ですが、

大学院に行った時、指導してくれた先生が同じタイプの人でした。

「本に書いてあるものは、既に誰かが考え付いたもの。

 誰でもできるものなんだ。

 そういうものはさっさとやり方を学んで、通り過ぎないと。

 誰も知らないところまで早くいかないと。

 時間が勿体無いから、全部教える。

 2週間で、自分と同じ知識までいかせるからね。」

と言っていました。

つまり、モノ作りが好きな人と言うのは、技術や知識を馬鹿にしつつ、

それが侮れない差になって、自分のやる気が無くなると知っているんです。

さっさと身につける。

しかし、身近にいて教えてくれる人がいないと、自分一人では無理でしょう。

そのため、殆どの人はやる気を無くして諦めると言う事です。


素敵なものを作れる人が少ないのは、

技術や知識を教えてくれる人が少ないからですよ。


例えば勉強なんかだと学校のテストで点数を競いますよね。

数学などでサービス問題と呼ばれるものは、

配点が5点程度、基礎の公式を暗記していれば答えられます。


私は高校のとき数学が得意だったんです。

受験の前でした。

学校の数学のテストで25点だったときがあります。

そのサービス問題の中に1問。知らない公式があったんです。

受験のために、自習をしても良いという日が数日あった。

そのとき私は、授業を侮って自分で勉強をしていた。

この間に、その公式を先生が授業で出したと言う事です。

テスト時間150分つかって、基本的な公式から導こうと頑張りました。

紙面の裏は凄い事になっていました。

あとで先生がそれを見て、哀しそうな顔をしていました。


その公式は数学史の天才が一生をかけて解いた物だったんです。

私が所見で150分程度で解いたら、本当に凄かったでしょう。

実際的に不可能と言う事です。

私はそれを知らなかった。

小学校から習う全ての小さな公式。

これらは歴史上でも偉大な天才が生涯を賭けたものです。

1時間の授業をサボっただけで、取り返しがつかないんですよ。

テスト時間の中で自力で解こうとするのは、不可能でしょう。


ですので、勉強が不得意であると言う人は、特に頭が悪いわけじゃないんです。

子供の頃。人生の序盤で1時間のさぼりをやってしまった、運の悪い人です。

昔の人が一生を賭けて悩み、諦めた。それでも何とかした人がいた。

それを真似て人類は次の悩みに進んだ。

この集積がいま私たちが手にする製品や商品、作品なんです。

いくら好きだからと言って、自力でチャレンジして何とかなるんでしょうか?

大体において、人生2,000回分(ざっくりですが)の時間が掛かるはずです。

自分の”やる気”が悩みを解決すると言うのは、まず無いと思います。


研究の世界では、生涯をかけて玉砕する人が沢山います。

やる気でいったら、人間の頂点に位置するでしょう。

そう言う人の屍を積み上げて、学校で習う1行が生まれます。

これを読んで学ぶのは確かに楽です。

しかし、侮ってチャレンジする(技術を学ばず、自分の気持ちだけで突破する)

のは人間全体の歴史を侮っているとしかいえません。

停滞が長くなり、やる気がなくなるでしょう。

10年続けられたやる気があったとしても、

2,000回の人生の中の10万分の1を消化しただけなんですよ。


「技術と知識」。

これに自分の「好きだと言う気持ち」や「やる気」。

対等に天秤にかけて、良いものなんでしょうか?


大学院生の学生は、最初の1年で知らない知識が無くなります。

専門知識では人間の知るすべてを知っている事になります。

そのあと、自分オリジナルの発明を試みるのですが、できないわけです。

私は何とかこの壁を越えましたが、

圧倒的多数が「自分は頭が悪い」と悩んでノイローゼになり、卒業したんです。

現代のエリートは、真面目な人が多数を占めていて、頭の良い人はいないはずです。

「何かわからない事があったら、勉強しよう」

と思っているはずです。

これはダメな人です。


本当に自分の意思を示したいのならば、

「とりあえず、人類の知っていることはさっさと身につけないと、

 話にならない。」

研究をしている人は、どんな凡才でもこの様に考えます。

芸術であっても、クリエーターと呼ばれる人は、同じ感覚を持っています。

その方々が競って出す作品を私たちは数秒で消化します。

「わあ、綺麗。さすがだ。」

そして憧れるでしょう。

「どうしたらこんなものが作れるの?」

こんな質問をされたら、恥ずかしくて仕方ないはずです。

心の中でこう思うはず。

「ごめん。多分感心している殆どは、私の先達が発明したものだと思う。

 それを自分の力の様に言ったら、業界で笑いものに成る。」

仕方なく、

「うーん。

 (人間の知る全ての技術をさっさと学んでしまおうと思えるくらいの)

 やる気が鍵だと思う。

 (そういえば、面倒で勉強できないときもあった。

  でも身につければ、彼らと同じものが作れると思った。

  それくらい好きだったなあ)

 好きだって気持ちだよね。」

と答えるでしょう。

昨今、やる気だとか、好きと言う気持ちが大事だと本気で言う若者が多いんです。

自分に向いているとか、向いていないとか。

現代の技術や知識は、人間が数千回生きたとしても超えられない壁なんです。

これをその辺のオッサンが再利用して、200円程度の商品にしています。

個人の好きだと言う気持ちが叶うはずがありません。

本屋に言って本を買う方がまだマシでしょう。


逆に言えば、

いま生きている人で「技術と知識」以外で成功している人がいるはずがないんです。

つまり、自分と大して変わらない才能だということ。




ご質問は創作意欲を大事にしていますが、これは自然に生まれるものですよ。

技術を学ぶと、試したくて生じる。

自分が人間の限界へ向けて一歩進んだと本気で感じます。

「いける。いける。あれも自分ができるようになる。」

周囲が光り輝くような気分です。

好きだから頑張るという気持ちは、これに比べるとショボイ光です。

赤外線みたいな明るさでしょう。


私が大学院生だったころ。

夜布団のなかにいて、(研究の課題で)ふと思いついたことがあったんです。

「どうも確からしい?」

しかし、段々と実感してきたのは、もっと別の事。

「あれ、俺、最新の論文も読んでるよな。しかも毎日チェック。

 これは恐らく先生も知らないはず。

 あれ、人類で俺が初なの?」

信じられないという気持ちと、間違いないとう気持ちが混ざる。

凄い興奮しました。この瞬間に人類のレコードフォルダーであり世界チャンピオンです。

翌日、先生も喜んでいました。


その後も何度か同じ経験をさせてもらいました。

とても素敵な瞬間です。


人間が知る(ジャンル固定で良いので)全ての技術と知識を学ぶ時間と、

手近な人にすら叶わないと悩む時間。

どちらが短いと思いますか?


前者は、2年も掛からないんです。

後者は、人生数千回分の努力が必要です。

後者の方が短いと勘違いをしてしまい、

好きだと言う気持ちが、怨念のようになってしまい、

嫉妬と呪いを撒き散らして、犯罪にまで至る場合があるんです。

勉強をした方が楽だと言う事を知らなかったと言う事でしょう。

これほどやり切れない人生は無いと思います。



どんなに面倒でも、夏休みの宿題は、序盤で片付けておくべきです。

気になって遊べなくなりますよね。

夏休み終盤で宿題をやってなくて、遊ぶ気力が萎えているのと同じじゃないですか?


ご質問の答えは、技術と知識を身につけることなんです。

人間のやる気の殆どは、技術と知識から生まれます。

芸術のアート、アーティファクトと言う語源から生まれています。

これは技術と言う用語です。

技術以外のアートと言うのは無いんです。


私の知り合いは(中年過ぎてますが)

「なんだよそれ。早く言って欲しい。もう取り返しがつかないじゃないか」

と泣きそうになっていましたが・・・。

そんなことはないですよ、2年程度です。


誰もが技術と知識を後回しにして、同じ状態になります。

そう言う人が無数にいるため、一握りの人が評価されているというパラドックス。

注意しましょう。


以上、ご参考になれば。
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ご自身が小さい頃からクリエイトされているものごとを「なにか」とボカして書いているのはどうしてでしょう。

シビアにいえばそこが致命的です。

自分の内なる美意識や目標や理想に作品を照らしてみたとき、まだ不十分だ、これじゃだめだ、まだこれでは満足できないと感じてさらに自己研鑽するんだったらすばらしいです。自分の中にある一番美しいすばらしいもの、あるいは一番正直で誠実な魂、わたしの生身のありのままをそのままそっくり差し出そうとするとき技術はひとりでについてきます。

しかし他人の作品とうわべの出来栄えを照らし合わせて、自他の優劣をつけて喜んでみたり悲しんでみたりしているうちは、自分自身に正しく出会うことはできません。他人の作品を見ることはいいことです。リスペクトすることもいいことです。模写したいんだったらしたらいい。だけど優劣つけて本気で敗北感にうちひしがれたりするうちは、自己研鑽しているわけじゃなくて、ただ比較して順位付けして競り合おうとしているだけなので、本当の技術は身につかないですよ。

また、「いいな、好きだな」と誰かに思われたいのは作品でもなくて生身のあなた自身なんじゃないですか。いまパートナーや恋人はおられますか。恋人いなくてさびしいだけかもわかりませんよ。親友や家族でも別にいいんですけど、心が通い合えているのでしょうか。

上の話を「作品を作るための作業ノルマ」的にまとめると、

・小さい頃から今まで作り続けてきた「なにか」とは何なのか、ボカさないで具体的に説明すること
・自分の心の中と自分の作品を照らし合わせてどうなのかを自分で評価すること
・誰かの作品とやみくもに勝負しない優劣つけない。ただ誰かの作品をそのまま鑑賞すること
・恋人や親友や家族と嘘いつわりなく丁寧に心を通わせあう努力や工夫をすること、もしくはそれをしないなら自分で主体的に「孤独」を選び取ること。

だいたい上のような作業があなたの作品のスランプというか、どん詰まりの空回りの無間地獄の脱出経路になると私は思います。あなたのおっしゃる「知識と技術」が具体的に何のことなのか私にはさっぱりわかりませんけど、もしかすると買い物依存症かもわからないなとは感じました。
カネで買える本やカネ払えば教えてもらえるテクはさしあたりあなたのためになりません。「まだ早い」ということです。順番間違うと、あなたが底なし沼から出ることは不可能だと思います。だからどうしても順番は守らないといけません。あなたの場合は先に中身を底上げすることが先です。
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自分が作りたいものを作るのが創作なんじゃないんですか。



>「こんなのでは相手に何も伝わらない」

そんなことは気にすることじゃないと思います。
商売にしたいんなら話は別ですが。
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