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<あなたが日本人として生まれたのは偶然、あるいは必然ですか?>という投稿を読んでいて、
気になったことです。
「哲学カテ(日常会話でなく)として、「偶然」・「必然」の使い方は?

質問は、宝くじが当たった場合、哲学カテ(日常会話でなく)として、「偶然」と考えますか? 「必然」ですか?

A 回答 (22件中1~10件)

両方とも合致します。


確率から考えれば「偶然」、
購入した事実から考えれば「必然」、
です。

> 哲学カテ(日常会話でなく)として、
意味が分かりません。
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この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございます。
当たる確率が0.99999でも「偶然」ですね。
<購入した事実から考えれば「必然」>ですね。

お礼日時:2021/08/17 18:04

偶然とは世界の全ての出来事を説明する言葉。


必然とは世界と関係なく構築される数学(論理学含む)の中で使える言葉。


世界を具に(つぶさに)分解してゆけば、世界は要素命題の写像になっていなければならない。そして各要素命題の真理値が真か偽かは偶然の結果でなければならない。もし偶然の結果ではないと主張するならば、要素命題になっていないと言う事だ。(なぜなら要素命題は他の命題に非依存であるから)。これはWittgensteinの『論理哲学論考』にて述べられた世界観であるが、20世紀以降の哲学者でこのWittgensteinの世界観を否定できる哲学者は出て来ていない。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
難しいですね。
必然は数学の世界しかないのですね。
遇然とは、普通の世界の説明なのですね。
(しかし、普通の世界でもきっちりとした因果律に支配されていることは、必然と見なしてよいと思いますが、都合が悪いのですか、Wittgensteinにとって)

お礼日時:2021/08/17 18:12

買ったら 当たる確率は あるので 必然です

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この回答へのお礼

なるほど御尤もです。

お礼日時:2021/09/01 12:06

量子物理学の研究によって素粒子(量子)の振る舞いが不確定であること判明しています。

それはつまり量子物理学によって「決定論」が否定されたと言う事です。因果律についても厳密に言えば量子物理学によって否定されました
(但し正確に言えば決定論や因果律が科学的にふ否定されたと証明されたわけではありません)
人の脳は不確定的に振る舞っているらしくそれが選択に影響を及ぼしているようでそうであるならば選択は不確定的に行われているので選択それ自体偶然となります。それはつまり人の行動も不確定的であり偶然だということです
「宝くじが当たった件」も偶然となります。何故なら人の行動が不確定=偶然であることから当たりくじが買われるかどうかも偶然となるからです。誰も当たりくじを買わない可能性があるからです
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<素粒子(量子)の振る舞いが不確定である>のですね。
したがって、この世では、必然であることはないのですね。

お礼日時:2021/08/18 14:41

誰にとっての必然日偶然かということですねえ



支払う宝くじ公社?にとっても売れ残ったくじに当たれば

払わなくて良いわけですから 偶然が在るでしょうねえ

買う人にとっては必然はないですねえ

神のお恵みでない限り 必然的に当たるんだったら 何で?

という事になるでしょう。

因果律で言えば 必然ということに成るのですが

人間にとっては予想がつかない分からない事なんで

人間にとっては偶然と言うしかないですねえ。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<人間にとっては予想がつかない分からない事なんで

人間にとっては偶然と言うしかないですねえ。>ですね。
立場によって、誰にとって、偶然・必然があるのですね。

お礼日時:2021/08/18 09:25

哲学的な言葉なら、偶然だと答えますね



人類の誕生も、文明の発達も偶然の産物でしかないと

今のところは考えられてて

哲学として、何故に宝くじが当たったのか?
てな因果関係を紐解くなら

人類の発生紀元まで理論的な説明出来ないことには

便利な言葉の偶然産物としか、今のところ言いようがないですもんね
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<人類の発生紀元まで理論的な説明出来ないことには

便利な言葉の偶然産物としか、今のところ言いようがない>ですね。
面倒くさいから、偶然で片付けてしまいましょう、ですね。

お礼日時:2021/08/18 09:29

>(しかし、普通の世界でもきっちりとした因果律に支配されていることは、必然と見なしてよいと思いますが、都合が悪いのですか、Wittgensteinにとって)



普通の世界でコイントスをしてみましょう。
10,000回コイントスをすると大体5,000回ぐらい表が出て、5,000回ぐらい裏が出るので、「コイントスをすると必然的に半々で裏が出たり、表が出る」と結論づけたくなりますね。
回数を増やして100,000,000回のコイントスをするとすれば、ますます必然的に50:50になる様に思われます。

Wittgensteinは具体例を示さない哲学者だったので、上記の例で彼がなんと言うかわかりませんが、Wittgensteinの世界観は統計的な視点を排除して、一回のコイントスの結果で(要素命題という表現で)世界を見たのだと思います。

受け加えると、Wittgensteinは「名前には固有名詞しかない」とも言っています。集合名詞を使った途端に、その発言(命題)は無意味になります。「習近平は欲が強い」と言う命題は真偽いずれかの値を持ちますが「中国人は食欲が旺盛だ」などと言う文は真でもなければ偽でもないので、命題ではない、意味がない、と言うことになります。

腸内に1,000億個の大腸菌がいるとして、Wittgensteinによれば、1,000億の固有名詞をつけて大腸菌の一つ一つを論じなければ、真偽のある事(有意味な事)は言えないということになるわけです。

人間がこの世界を見るときに、一個一個のコロナウィルスに名前をつけて、個別に見てゆけば全てが偶然しかないだろうけれども、めんどくさいから「コロナウィルスβ株」などと言う集合名詞を使ってしまい、なんだかわからなくなってゆくと言うのが、Wittgenstein先生の教えだと思います。

語り得ぬこと、それに関しては沈黙するしかない。

哲学は疲れますね。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
彼は、因果律が実質的にない、と言っているのですね。
すなわち、因果律を構成する数々のもの・因果律を支える下部の因果律が正しくなければならないが、それは実質的に解明できるはずがない、ということですね。

お礼日時:2021/08/18 09:38

この世の現象は、すべて必然。



偶然と云うのは人間の“感覚”。

『偶然=必然』

ヴィトゲンシュタインは考えすぎ!
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この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございます。
<偶然と云うのは人間の“感覚”>に過ぎないのですね。

お礼日時:2021/08/18 09:40

偶然。

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この回答へのお礼

ご解答ありがとうございます。

お礼日時:2021/08/18 09:41

宝くじが当たらないのが必然ならその補集合も必然。

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
ある番号が外れても、当たっても必然ですね。

お礼日時:2021/08/19 18:44

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