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論文の「引用」についてです。

Q.「間接引用」と「要約」って何が違うのでしょうか。

Q.パラフレーズってなんでしょうか。
難しいし言葉を他の簡単な言葉に置き換えて説明する…てことですか?

Q.「間接引用」と「参考」って違うものですか?
それぞれどういうものか詳しく説明して頂けると嬉しいです。

Q.新聞記事などに書かれている「地域の取り組み」や「社会状勢」についての内容を論文に入れたい時、

〇〇新聞では〇〇について〜とされている(〇〇新聞)。

と書くと思うのですが、これは間接引用とは別に「〇〇新聞を参考にして書きましたよ!」という意味になりますか?


〈補足〉

因みに……私は要約っていうのを以下のように考えてます。
「要約」というのは……参考文書内の言葉を「そのまま使用OK」で難しいし言葉を簡単にしたり、必要ない説明文(例文など)を切り取り、前の文とうしろの文を繋ぎ合わせて行く!

「Aはxxxである。例えばcccccなどである。これを、bbbという。」という文があったら、「Aはxxxであり
これをbbbという。」

例えば、1つの言葉に対しての説明が数箇所のページの所々に載っているのを「1文」で表現したい時。例えば、「Aはbbbである。」「Aはxxxとされる」「Aはmmmだ」と各ページにあったとして、これを「Aはbbbであり、mmmとされる。また、mmmだ」と〇〇さんは述べている〜。みたいに、まとめたもは間接引用とは別物なのでしょうか。

※因みに各ページにあるAについての説明は全て同じ人になります。

「Aはbbbであり、mmmとされる。また、mmmだ」と〇〇は述べている(出典)。

これって間接引用となりますか?


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先輩型の論文を見ると新聞記事や文献?を見て分かったことを以下のようにし手示していました。

〇〇によれば、Aは〜〜〜とされている(出典)。

〇〇の町では、〇〇が行われておりこれは〜という思いから作られたイベントだ(出典)

「」で括られてはいないので「直接引用」でないのは分かります。ただこれがなんなのか分かりません。間接引用?それとも、参考にしたもの?正直、文書の元になった文が分からないので、どこまでがコピペなのかもわかりません。(卒論に限ってコピペは無いとは思うのですが……多分。)
ただ、新聞記事の内容を自分の言葉に置き換えるのって難しそうです。それ以上に簡単な表現に直す必要もない形だと思うので。ということは、やるとすれば「要約」なのかなと思います。
では、上記の先輩型の論文では「要約」として抜き出して「出典」を示しているのでしょうか。

A 回答 (1件)

引用は、当たり前ですけど、原典の文章の趣旨を自分の論証に利用したいためにやる。

ですが、原典にこう書いてあるからこれは事実だ、でスルーする訳にはいかない。まず要旨を書いて、さらにそれを検討する。すなわち、(1)その趣旨には十分な根拠があるか、(2)その趣旨が自分の論証の文脈でも有効なのか、を論じる必要があります。実際、引用を使う目的が、その趣旨を否定するためである、ということがとても多い。その場合、「さしたる根拠がない」だとか、「ここで論じている文脈とは(用語は似ているが)別の話だ」だとか、批判することになる。
 間接引用は、要約には違いないけれども、ただ短く詰めるというのではない。元の文が言っていることのうち、特に利用したい趣旨にフォーカスして、それを完全に自分の言葉で書くんです。だから、元の文に似ていてはいけない(似てると「パクリ」になります)。なおかつ、要旨は自分が読み取った趣旨であるだけでなく、誰が読んだってそう読むだろう、という内容でなくちゃいけません。曲解したらアカンわけです。
 一方、直接引用が必要な場合は、かなり限られています。すなわち:
(A) 原典をうっかり読んだら見落としそうな(あるいは誤読しそうな)趣旨に注目したい場合に、自分が書いた要約が適切であることを証明するために、元になった文章を示す。(当然、間接引用とセットにして書く。)「原典にはそんなこと書いてないじゃないか!」と批判されることを予想して、「いや確かに書いてありますよ」と証明するためにやるんです。
(B) 自分の論説で利用したい趣旨が、原典の文章にあまりに的確に書いてあって、それ以上うまくは要約できない。(しょうがないから「実に的確な記載であり、これ以上うまくは要約できない」という言い訳をつけておく。)
 間接引用でも直接引用でも、引用して終わり、ということはありえません。必ずその要旨を(批判的に)検討して、その結果を自分の本文の論証につないでいく(「回収」する)必要があります。

> Q.「間接引用」と「要約」って何が違うのでしょうか。

 自分が述べたことについて、その要約を書くということはできるけれども、それを間接引用したら頭おかしいと言われるんじゃないか。つまり、間接引用は要約の一種に過ぎないとstomachmanは述べている(出典:直前の文)。

> Q.パラフレーズってなんでしょうか。

 言い換えるということ。ですが、引用の場合には、単にキブンで表現を変えるというんじゃなくて、取り上げたい趣旨が明確になるように表現し直すわけです。

> Q.「間接引用」と「参考」って違うものですか?

 全然違うものを並べられても、辞書引けとしか言いようがない。

> Q.新聞記事などに書...
> 〇〇新聞では〇〇について〜とされている(〇〇新聞)。

 こんな書き方はありません。これだと
(a) 〇〇新聞自身に「〇〇新聞では〇〇について〜とされている」という文章が掲載されているのを直接引用したが、カギカッコを付け忘れた。
(b) 〇〇新聞に、〇〇について〜だという趣旨のことが書いてある、という間接引用をしているのに、最後に「(〇〇新聞)」なんて余計なことを付けた。
のどちらかとしか読めない。いずれにしてもおかしい。

> 「要約」というのは……参考文書内の言葉を「そのまま使用OK」で難しいし
> 言葉を簡単にしたり、必要ない説明文(例文など)を切り取り、前の文と
> うしろの文を繋ぎ合わせて行く!

全然違います。
 特に論文等の場合には、要約が自分の言葉で書かれていることが非常に重要です。元の文をちょこっといじっただけですと、(いくら引用元を示していても)剽窃(パクリ)という不正行為とみなされることがあります。

> 「Aはxxxである。例えばcccccなどである。これを、bbbという。」という文があったら、「Aはxxxでありこれをbbbという。」

 これはルール違反。やったらダメ。禁止事項です。直接引用では、元の語句を一文字たりとも変えてはいけない。誤字脱字すら元のままにします。しかし、前後や途中を略すということはできる。その場合には、「(前略)」「(中略)」「(後略)」という記号を入れます。例えば:

 パラフレーズに関して、stomachmanは回答No.1において「言い換えるということ。(中略)取り上げたい趣旨が明確になるように表現し直す(後略)」と説明していて、すなわち、自分の都合に応じて言い換えるのだと主張しているが、あくまでもこれは論文における引用の場合について語っているのであって、パラフレーズ全般の説明としては不十分である。

…というような格好になる。引用した部分ばかり気になさっているようですが、その前後にどんな文を置くか。むしろそっちに注目しなくちゃいけません。直接引用したら、その前後に自分はどう解釈し(要約)、どう評価するかを書くんです。(そして、自分の論証に使っていく。)この例でも、後ろに要約と批評(評価)がついていますね。さらにその評価の中で、原典において、引用部分を切り出したことで失われる文脈(「論文における引用について語っている」)を明示しています。これもとても重要なポイントです。さて、この例文の後には、「パラフレーズ」に関して、論文における引用の場合以外での意味についての話が出てくるだろうことが予想できますよね。

> 例えば、1つの言葉に対しての説明が数箇所のページの所々に載っているのを「1文」で表現したい時。

例えば:

 stomachmanは間接引用について、「原典の趣旨の要約」だとしながら、「自分の言葉で書」けと述べ、さらに、「元の文をちょこっといじっただけ」ではいけないと言っている(回答No.1)。すなわち、stomachmanは引用元の文の文言を避けて独自の表現をせよと、注意している。

 要約をつけなきゃ絶対だめです。

> 「Aはbbbであり、mmmとされる。また、mmmだ」と〇〇は述べている(出典)。

 もし、カギカッコ内が原典に書いてある通りの文言であれば、これは直接引用です。さもなければ、(書いてもないことをでっち上げたのだから)捏造という不正行為です。

> 〇〇によれば、Aは〜〜〜とされている(出典)。

 悪い例で、間接引用になっていない。なぜなら、致命的な曖昧さを含んでいる。
(1)「Aは〜〜〜(である)」という判断を、誰がしているのか?
(あなたなのか、〇〇なのか、それとも誰とも知れぬ「ヒトビト」なのか。)
(2)「Aは〜〜〜(である)とされている」という判断を、誰がしているのか?
(あなたなのか、〇〇なのか)

> 〇〇の町では、〇〇が行われておりこれは〜という思いから作られたイベントだ(出典)

 これも悪い例で、致命的な曖昧さを含んでいる。ですから
> ただこれがなんなのか分かりません。
と仰るのが正しい。

(1)この記述のどこまでが出典に依拠しているのか。
(1-1)「〇〇の町では、〇〇が行われており」は出典に依拠しているのか、自分で確認した事実なのか?
 出典に依拠している場合:もし出典が明治時代の文献だったらどうか。「行われており」と表現するのは「今なお行われている」という誤読を誘う詭弁かもしれない。また、この出典の著者はさらに別の資料を引用して記載しているだけかもしれない。(つまりこの引用は子引き・孫引きかもしれない。)
(1-2)「これは〜という思いから作られたイベントだ」は出典に依拠しているのか、自分で確認した事実なのか、それとも自分の想像か?
 出典に依拠している場合:その著者は「思い」をどうやって確認したのだろうか。その著者の主観的意見や想像ではないのか?あるいは、その著者はさらに別の文献を引用して記載しているだけかもしれない。
(2)「〜という思い」は一体誰の「思い」なのか。その根拠はどこにあるのか?

例えば:

 〇〇町では、現在も&&が行われている。宝永#年に△事件があったことを受けて、〜という思いから★神社が&&を始めたと伝える(〇〇町郷土史)。

のように書いてあれば、「現在も&&が行われている」は自分で確認したこと、「〜という思い」の出典は(単なる誰かの作文ではなくて)一応オーソライズされているであろう〇〇町郷土史であり、(そりゃ、子引き・孫引きかもしれないし、異説があるかも知れないけれども)一定の信用が担保できていること、がわかるでしょ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私の、このように長く何を言っているのか分かりにくい文書に対して、質問一つ一つに「例」をつけるなど、きめ細やかな指導をしてくださりありがとうございます。
引用についてなど、友人に聞いたり、ネットで調べたり、先輩の論文を見るなどして理解しようとしていましたが、理解力なくて本当に困っていたのでとても助かりました。

間違った解釈のまま「引用」したり、論文を執筆しなくてよかったです。また、疑問がとけたことによりモチベーションもあがりました!

今後、論文の執筆を開始します。
ご指導いただいたことに気をつけながら、論文の執筆楽しみたいと思います!

改めまして、ご指導をいただきありがとうございました!

お礼日時:2021/11/08 17:20

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