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質問です。

心を閉ざしてしまって人のことが信用できなくなった場合、再びそれを開くにはどうしたらいいでしょうか? 同僚や先輩、上司は勿論、家族でも親友でも好きな人とかに対しても信じ切れず、自分の素というか本当の姿を誰にも見せずに接してきました。
信じたら裏切られるケースをたくさん経験してしまって、心を閉ざしてしまったといいますか。
なので、人といるときは基本「無」でいるようにして、喜怒哀楽などはなるべく表に出さないように過ごしてきました。そうやって数年間過ごしてきたからなのか、人に対して感情を表現するのは勿論、「あれ? これって今どういう感情だっけ?」とわからなくなってしまうことが増えました。

ですが、
「人に信頼されるにはまずは相手に信頼を委ねなさい」

っていう言葉を聞いて、やっぱり素の自分というものをせめて好きな人には見せないといけないのかなというふうに思うのですが、それがなかなか怖くて躊躇してしまうといいますか。
しかもこういうのって別に頑張ってこじ開けるものでも無いかなあと思います。また裏切られたりしたらより強く鍵をかけてしまうのかなあと。

同じような境遇に遭われた方、どうやって心を開けましたか?
アドバイスをお願いします。

A 回答 (5件)

初めから心を閉ざしてはいません。

裏切ったら、二度と付き合いませんがね。

「売った恩は忘れ、借りた恩は一生覚えろ」が私の進む道です。

「かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め」って言うでしょう。


かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め。(刻石流水)
あなたは、自分が受けた恩を忘れてはいませんか?

タイトルの言葉は、仏教の経典にある言葉です。

人が生きていくということは、多くの人と出会い、関わり合い、お世話になりながら成長していきます。多くの人の優しさに助けられたり、時には自分が誰かを助けたりして生きていきます。

誰かに優しくされたり、助けられたとき、その恩は決して忘れてはいけません。その気持を「感謝」と言うのです。この感謝の気持ちを持ち、いつかこの恩を返そうという思いを持ち続けることが大切なのです。実際に、そのご本人に返せなくてもいいのです。その気持ちを心に刻みこみ、いつの日か誰かに返そうという気持ちを持っていましょう。

反対に、誰かを助けたり、優しくしたことは、きっぱりと水に流して忘れましょう。
「助けてあげたのに」「あんなに優しくしてあげたのに」という「のに」という思いがあると、人を大切にしようという気持ちがなくなり、恨みや憎しみの感情になりかねません。

自分がした優しさはきっぱりと水に流し、自分が受けた優しさは心に刻む。
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きちんとご自分の感情を分析できているし



すでに完全に閉じているというより
もう自分で半分開いているような感じでしょうか

あとはきっかけ待ちなのかな?

「別に頑張ってこじ開けるものでも無い」
 そうですね  
 そんなことはしなくていいです

常に左手はドアノブにかけて
「いつでも閉めてやるぞ」
それで十分です
みんなそんなものです
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>人に信頼されるにはまずは相手に信頼を委ねなさい


そうでしょうか? 私は違うと思います。
私は生まれつきのメンタリスト。他人の心を読めました。
人間は善意も悪意も併せ持つ。だから、悪意だけを感じる。
自分の心を閉ざしていれば、相手にも伝わる。信じれない人と思われる。
裏切られるのは、信じてもらえてないからです。
人に信じられようとするなら、まずは信じられる自分になること。
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それはとても勇気がいることで、かたくなになっているときは難しいです。



でも自分を知ってもらいたい、親しくなりたいという、おもいが強くなってきたら、仲良くできないかもしれないですが、行動して結果を、ポジティブに受け入れられて、ふられたりしても、前向きに考えられるようになるのかなとはおもいます。
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心を開ける相手に出会わなければ開けません

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