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街中や建物における障害者向けトイレの普及・交通バリアフリーの普及はつい最近のことらしいですが、何故これら公共のバリアフリーの着手がかなり遅かったのでしょうか。

特に、日本はバブル期以降は急速に社会や科学技術が発展していったのに、何故公共のバリアフリーが遅れたのか以前から不思議に感じています。

理由は、政府等が社会の急速な発展・進歩において、バリアフリーが自然と後回し項目になってしまったためでしょうか。もしくは、政府等が障害者を故意に差別していたためでしょうか。

すみませんが、よろしくお願いします。

質問者からの補足コメント

  • お礼の補足です。

    当たり前の価値観というのは、健常者・障害者両方にとっての当たり前の価値観という意味です(うまい言い方が見つからずすみません。)。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/11/28 20:37
  • お礼の補足です。

    「身体障害者・車椅子の人・その他難病で外出困難な人」には、事故や病気等で後天的に身体障害者・車椅子・難病になった人も含みます。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/11/28 20:44
  • 皆様、回答ありがとうございます。

    因みに、以下に示す自分の価値観はどうなのでしょうか?

    ↓自分のこれまでの価値観
    自分の中では、昔(平成中期もしくは後期辺りまで)は今より差別が酷いイメージがあったため、大半の身体障害者・車椅子の人・難病の人(事故や病気等の後天的要因で身体障害者・車椅子・難病になった人を含む)は、公共のバリアフリー不備を含めた差別に対してかなり精神的に苦しんでいるイメージがある。

      補足日時:2022/11/30 20:02

A 回答 (5件)

No.1 tukachannです。


>故意の差別ではなく、当たり前の価値観が変化してきたからという事でしょうか?

私自身が、意識に違いがあるなと感じた実例です。
私は趣味で小説を書いてネットで公開してます。二十年ほど前、聴覚障害者の娘とその母を主人公にした短編小説を公開したのですが、賛否両論でした。
①否定的な立場の人たちは、例えば、長く障がい者の教育に携わってきたような方々で、障がい者を自立した健常者と対等の姿で描けば、守ってあげる意味が無くなるという意見でした。この人たちは差別をしているという意識は無いんですが、健常者と障がい者の間に境界を作って、健常者は障がい者を守ってあげるべき存在だと固く信じている人たちなんです。

もう一方
②作品の共感を示してくださったのは、障がい者本人や、その家族の方でした。私たちが言いたくても言いにくいことをよく代弁してくださいましたという感想でした。
障がい者の方々が言いたいことは、誰でも欠点があってそれを補ってもらいながら生きてますね。障がい者も一緒。例えば、目が見えないとかいう欠点をもっている。でもそれ以外では他の人たちと同じ。欠点だけフォローしてもらえば生きていけるし、自分たちが社会の役に立つことも出来るという考え方です。でも、普通の人間と同じだと言いすぎて、フォローが受けられなくなるのも怖い。だから、上から目線で見ないでとも言いにくい。そんな不安や不満もあるんですね。

私自身は、難病で小中学校の時代は歩行困難だったり心臓に障害を抱えたりしていた関係で、②の視点に立ってたんですね。

そんな意識の差も、現代では②の考え方が主流になってきているようですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

①の人達も、悪意は全くなかったようですね。

お礼日時:2022/11/29 10:02

お礼について〈身体障害者は高齢者が多いというのは、だいぶ昔からでしょうか?あと、身体障害者以外の車椅子の人や外出が困難な難病の人はどうでしょうか?〉



現在の身体障害者の7割が65歳以上の高齢者です。年を取れば取るほど、障害者になる確率が高く、高齢者の場合は老化そのものが障害を引き起こしている側面もありますから、昔から障害者の多くが高齢者であることに変わりはありません。難病も同じことです。年を取れば難病者の割合も増えるのは当然の話です。
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日本の場合、視覚障害者向けには点字ブロックが発明・普及され、世界標準になったように、部分的には非常に先進的でしたが、それ以外の車椅子等の問題についても、格別遅れていたわけではありません。

例えば、消防庁(救急)からの要請もあり、個人の住宅関係はかなり早くから老人・障害者のことを考えたバリアフリー住宅が注目されていました。
公共バリアフリーに関しても、着手そのものはそれほど遅かったとは思いませんが、普及が加速し始めのは、確かに遅れていたかもしれません。

逆に言えば、普及が加速したのは、人口に占める割合が非常に高い団塊の世代が高齢化し、高齢者が激増し始めたからです。
障害者の大半は高齢者です。団塊の世代の高齢化に合わせてバリアフリー化のピッチを速めたということでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

身体障害者は高齢者が多いというのは、だいぶ昔からでしょうか?あと、身体障害者以外の車椅子の人や外出が困難な難病の人はどうでしょうか?

お礼日時:2022/11/28 23:41

メインストリームを相手に社会の運営していくのが楽だからですよ。


バリアフリーと一言で言えますが、世の中には様々な障害を持つ人や障害と言えないまでも不自由を感じている人がたくさんいるわけで、その全てが快適に暮らせる社会を作るのは大変な障壁があるんですよ。

で、世の中の大多数は暮らしていくだけで大変な人々に対する関心は薄いし目に入れないし、それどころか気がついたときには社会のお荷物のように言ったりしていました。
障害者は哀れな存在だから物乞いに金品を施す、そんな感覚の人だらけでした。

日本はずっとそういう倫理感で動く社会だった、ということです。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

昔〜現在に至るまで、身体障害者・車椅子の人・その他難病で外出困難な人のトータル数は少数派なのでしょうか?

因みに、身体障害者はかなり増加しているそうですが、、、。

あと、メインストリームを相手に社会の運営ということは、昔は政府も一般市民も右派の人が圧倒的に多かったからでしょうか?右派=障害者差別傾向が強いイメージがあるので。

お礼日時:2022/11/28 20:41

分かりにくかったらごめんなさいね。

健常者という枠の中に閉じこもっていては分かりにくい質問だと思います。
アニメ「亜人ちゃんは語りたい」

昔ならモンスターとか妖怪として区別されていた少女や教師が、一般の人たちとの違いを個性と捉えて共存し、いろいろな問題を抱えながらも、同じ人間として生きてゆく話です。

そのアニメの少女たちは極端な例としても、以前なら健常者という枠から外れた人たちや、老人を社会的弱者という枠に入れて、健常者が健常者のルールで、社会的弱者を守ってやっているという立場で健常者の社会と区分けして考えていたんですね。

現在は、以前なら障がいと言われた特徴をその人の「個性」としてとらえるように、考え方が変わってきました。誰でも得意なこともあれば苦手に事もあるでしょ。社会では誰でも、自分の欠点を周囲に支えてもらいながら、自分の得意なことで誰かを支えて生きてます。

誰でも支えたり支えられたりしていると考えると、社会的弱者という枠組みは外して共存することを考えるのが良いんじゃ無いですか。バリアフリーというのはそういう共存の手段です。例えば、質問者さんが、視覚障害者が道路を渡るのに困っていたらちょっと手を貸してあげれば良い、乳児を抱いたお母版画電車の中でたっていれば席を譲ってあげれば良い。簡単な人で、今まで社会的弱者と言われた人たちを社会に迎え入れることが出来ます。同時に質問者さんも誰かに支えてもらう機会も多くなるかも。

バリアフリーが進んだのは、それまで政府が差別していたと言うより、人の意識が変わってきた結果、良い方向に向き始めていると言うことだと思います。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

故意の差別ではなく、当たり前の価値観が変化してきたからという事でしょうか?

お礼日時:2022/11/28 20:35

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