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漱石は「則天去私」と書いていますが、
「則天去我」となったら、両者の意味の相違を教えて下さい。

A 回答 (5件)

則公去私もあり得たかな、と想像します。

さて私と我の違いですが、同じ一人称代名詞ですが我はいささか古く古語に類するもので、自己紹介するのにこの語を使う人は現代では稀でしょう。が、文部省唱歌「我は海の子」は明治43年、古語を雅語と見ての採用であろうと推測します。
 漱石は明治の人ですから、この語は身近であったはずですが、英国流の公と対立する私(個人主義)という概念にも親しみ個人の問題を考え続けていた人ですので、人間一個を雅語「我」で表現するには忸怩たるものがあったのではないかと想像します。
 則天去私はあの時代の日本に住んで西洋的な公私の対立概念に苦しんでいた漱石が、不可解な公に則るのではなく天に則る、という言わばごまかし論理を捻り出すに至ったのでしょう。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
1.我は古く、私は新しのですね。
2.<英国流の公と対立する私(個人主義)という概念にも親しみ個人の問題を考え>ていたのですね。(私を、PUBLICに対するPRIVATとして意識していたのですね。)

お礼日時:2023/07/03 13:16

我は我執を思わせる仏教用語なので、そうした仏教色を避けた近代的な「私」を使用したものです。

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<我執を思わせる仏教用語>を避けたのですね。

お礼日時:2023/07/04 09:01

面白いことを思い付きますね。



このような質問を思い付くという事は「私」と「我」という表現が与える印象に、違いを感じたからでしょう。

私がこれを使い分けるとすれば、「私」はそのすべてを含ませる、と云う事とし、「我」は「私」の中の、負の部分だけを意味するとします。

だから「則天去我」は、天に則って“私”をスポイルする自我を捨て去る、と云う意味で使います。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<「私」はそのすべてを含ませる>にし、
<「我」は「私」の中の、負の部分だけ>にするのですね。
<天に則って“私”をスポイルする自我を捨て去る>になるのですね。
明快な考察ですね。

お礼日時:2023/07/01 15:54

『則天去私』


小さな私にとらわれず、身を天地自然にゆだねて生きて行くこと。
『則天去我』
天にのっとって私心を捨てること。我執を捨てて自然に身をゆだねること。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<小さな私にとらわれず>対
<自然に身をゆだねること>になりそうですね。

お礼日時:2023/07/01 15:40

則天去私とは漱石の言った


我執を捨て,諦観ていかんにも似た調和的な世界に身をまかせること。
則天は天地自然の法則や普遍的な妥当性に従うこと。
去私は私心を捨て去ること。
則天去我 という言葉はありません
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この回答へのお礼

そうです。

お礼日時:2023/07/01 15:37

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