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統一教会の原罪の解釈の仕方(ネット上にある原理講論から引用しました)

罪を犯す前、アダムとエバは裸でいても恥ずかしく思はなかった。しかし、彼らが堕落した後には、裸でいることを恥ずかしく思い、無花果の葉を持って下部を覆ったのである(創3:7)もし、善悪の果というある果実があって、彼らがそれを取って食べて罪を犯したのだとすれば、恐らく彼らは手か口を隠したはずである。なぜかと言えば人間は恥ずかしい所を隠すのが本性だからである。したがって、この事実は彼らの下部が科となったためで、それを恥ずかしく思ったということを表しているのである。ここから、我々は彼らが下部で罪を犯したという事実を推測することができるのである。

統一教会では裸を恥ずかしがるというより、下部をあらわにすることを恥ずかしがっており、キリスト教では裸であることを恥ずかしがっているように見えます。ここで質問です。統一教会では葉で下部を隠したということを上記のように詳しく説明していますが、キリスト教ではあの創世記にある「自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした」という部分で、なぜ恥ずかしがって先に腰の部分を隠したのですか?キリスト教の場合ではここはどう解釈しているのですか?

A 回答 (27件中1~10件)

そもそも統一教会はフランスの反セクト法にも定められているカルト宗教です


そんな邪悪な宗教の解釈など論じるに値しません
お金をむしりとられ、肉欲に溺れるだけですhttp://en.wikipedia.org/wiki/List_of_groups_refe …
このページを「Unification Church」で検索すれば出てくるでしょう
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%A8%A9% …
このように、反セクト法とは統一教会信者対策のためにできた法律です
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ずい分古い質問ですが、失礼。


キリスト教では、善悪の実を食べて賢くなったから、裸であることを知ったと解釈し、特にどこをというのは、焦点になりませんね。また、その実も何かある種の実であると解釈したり、しなかったりと様々ですね。キリスト教の教義において、このことは、あまり重要視されていないようです。むしろ、食べるなと言われたものを食べたことが、不信仰の象徴として、重要なポイントになります。

一方、統一教会は、これが罪の根と結びついていると考えます。教義上とても重要な要素であり、人間の堕落・罪とは、神様の愛の秩序を壊したことにあると捉えています。
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あなたの問いは、根本において意味の無い問いになっています。

何故なら、統一教会の教義を考える前に、まず最初に、統一教会の根本教義すなわち 「文鮮明」 が救世主であることを信じるかどうか、そのことをハッキリとしておかなくてはなりません。原理講論の内容は、すべて文鮮明の思想・考えを表しています。そこには “何故” の問いが入り込むスキはありません。ただ、彼がそう述べたからそうなんだ、としか言いようがないと思います。ましてや、他の宗教(キリスト教)と比較することなど、ナンセンスです。
私も、学生の頃、友人の勧めで、一時、統一教会と接触したことがあり、原理講論を熟読したことがありましたが、その内容はキリスト教の聖書とオーバーラップしているにもかかわらず、到るところに矛盾点があり、それを指摘して統一教会の講師にひどく敬遠されたことがあります。
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>善悪とは一人の人間である個人によって成り立つものではありません。


 上記のNo.23で書かれた意味がわかりずらいかもしれませんので、もう少し説明します。

 例えば、神も存在せずこの世にあなた一人しか存在しなければ、あなたが善悪を判断できるものは何一つありません。

 あなた一人で判断できるものは快感や苦痛など、好きか嫌いかであり、それだけでは善悪としての判断はできないのです。あなた一人だけでは、善悪を生むことはできません。

 善悪を生むには、あなたと同じ感覚があり、共通認識ができる対象(他人)が必要となります。お互いに快感であったり好きなものは善であり、お互いに苦痛であったり嫌いなものは悪と考えることができるようになります。あなた一人では感覚的であったものが、同じ感覚をもつ対象(他人)との共通認識により、善悪は生まれるものなのです。

ヨハネ福音書 1:1
『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。』

 聖書に書かれたこの個所は
 「神」=「ことば」=「ロゴス」=「論理性」となります。

 善悪を判断する基準は、絶対主義(神)と民主主義(社会性)では異なります。

 絶対主義では神を基準に善悪が判断されます。
 「神→人間」

 民主主義では社会性を基準に善悪が判断されます。
 「社会性→個人」 
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 「悪の心」善悪について


 『善を理解するには、悪を知らなくてはできません。悪が無ければ善もありません。人間にとって善悪を判断するのは主観的なものなのです。』
 『そもそも善と悪を分けることが、全ての人間に罪を与えることになります。なぜならば悪は罪と等しいものだからです。主観的な判断でですが、全ての人間は善悪を理解できます。』
 とNo.4で回答しました。善悪とは一人の人間である個人によって成り立つものではありません。個人だけで判断するのならば、「快←→不快」などのような感覚であります。これを個人ではなく、社会が考えた場合には不快指数などがあり、そこから基準が作り出されます。
 その基準から「快←→不快」を「善←→悪」とも考えることができます。そのことから、善悪とは人間の社会性が生み出すものとわかります。
 人が社会にとって不快な考えを持つことは、「悪い心」を人が持つと同等の意味になります。
 「社会にとって不快な考え」…「悪い心」

 >なぜ神の命令を破ったことで裸であることを恥ずかしがったのですか?
 神は人間の親であり家族でありましたが、人間が神から離れたことにより、他人と同じ存在になりました。
 現在、神に代わって社会が人間を支配しています。社会とは他人同士の集まりであります。 
 家族や夫婦の場合には恥ずかしくはないことも、他人には恥ずかしいものがあります。個人にとっての喜びは、他人とって不快になるものもありまです。
 例えば、とても高価な(生命に等しい)プレゼントを人からもらっておきながら、その人を裏切ってしまった場合。そのプレゼントを返すこともできなければ、その人から逃げて隠れようとするでしょう。それでも見つかった場合は、その(生命に等しい)プレゼントをその者は隠そうとします。
 例えがおかしく感じるかもしれませんが、これが私達人間の罪による結果といえるものです。
 
 
 
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再度なんどもすいません ^_^;




キリスト教(ユダヤ教もだと思いますが) サタンとは、悪口を言う人 って意味です。
つまり私のように「意義あり!」と異論を唱える人です。
キリスト教にとってはあたしはサタンで、とても煙たい存在です。 ^_^;
真理を得たと思った人の言葉を、じーっと見て、「あ、、ゆがみみっけ」って横からつついちゃっているので。 笑


哲学では、「異議あり」はあたり前です。
前の理論を吟味しておかしいところを訂正して、前の理論を用いつつ、新しい理論を作り出しているのが哲学。
つまり人間の知恵のリレーで、次の世代へバトンを渡していっているわけで。
崩されることを了解した上で、せいいっぱい知恵を絞って バトンを受け取り次に渡しているわけで。
だから覆されても哲学やっている人は「きーっ」ってなりませんよね。
自分の論が覆されると、「ラッキー!サンキュー」です。


が、宗教は意義を認めません。

「人間は考える葦である。」
ところが「考えるな 教えたことを真とすればいい」 または「考えてもいいが 答えがこうなるように考えなさい」です。



聖書にはサタンがよく登場し、それぞれの人生の主人公と問答をします。
これは自分自身との心の対話だと思います。

「疑う心が芽生えたが、これは自分ではなくサタンだ」って事にする。
つまり自分ではないから自分は汚れてなどいないという自己防衛によるものだと思います。

ということで、今度統一教会の人とサタンについて論じたとき、サタンの意味を知っていて聖書を読んでいるのか聞いてみればいいと思います。
意味を知っているのと知らないでは、全然違う書物になりますから。


というか、ギリシャ語に翻訳された時点でもう間違っているらしい。。。
その誤訳を真として懸命に考え、難しい 難しいって。
矛盾していては 結果がこうなるようにって考えても、終着点自体が誤訳なら、いくら考えても結果そうならないような。

だって1+1=3になるように考えなさいって言われて、それが真理とされたら考えますよね。
難しいが懸命に頭を悩ませどうしたら1+1=3になるのか、いろいろ詭弁使ったあげく、胸を張って

「真理を得ました。こう考えれば1+1=3になります。」

「おおお さすが! なるほどそうです。よくわかりましたね。1+1=3です。 みなさん これが間違っていると思うお馬鹿さんはまさかこの中にいませんよね」

「いませーーん わかってました 同じです」


そこに、「すいませーーん 3じゃなくて2でした。翻訳間違えちゃった~」
ああ、裸の王様・・・。
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>この宗教とは統一教会のことですか?



いえ、キリスト教の母体 ユダヤ教のことです。


>彼らから見れば私は間違った結婚をした両親から産まれたサタンの血統を持つ子ですからね(^^;

へー 統一教会って文鮮明氏が指名した相手と結婚しなかった両親から生まれた子どもはサタンの血統ってなるんですか。
統一教会はそんなに詳しくないですが、合同結婚式があって、文鮮明氏が決めた相手と結婚をしなければならないという掟があるんですよね。
確か前聞いた話では、文氏が写真を空中にばら撒いて、それを信者がバーゲンセールの突入のごとく、われ先にと争って、拾った写真の人とその場で結婚したとか。

聞いた話では、過疎の韓国の農村では嫁不足で、日本人の女とやりたい。。。いや 結婚したい人がお金を積んで、日本人と結婚をするように計らってもらい、過疎の村に嫁いだとか。
言葉も風習も違い、儀式も無くレイプ状態で初夜を迎えたが、過疎の村なので、逃げれなくてしょうがなくて、文氏が決めたからとそのまま暮らしているのだとか。
天蓋孤独だが信仰が救ってくれるのでしょう。

韓国では、文氏は宗教家ではく実業家として知られているそうです。
送金にはお金がかかるので、信者が直接現金を持って飛行機の乗ってお金を韓国に届けていたのだとか。
それで不明なお金の流れを止めるために、法律で個人の所持金にも税金をかけることになったとか。
大量に日本で集金したお金が韓国に信者によって運ばれているんですよね。
昔バイトしていたところによく幹部が食べにきていましたっけ。
一食2万円~3万円のご馳走食を月一回食べにきてました。
恐らく他の店でも食べていたでしょう。
みなさん とてもふくよかな体系でした。


>正統派とはどこのことですか?

バチカンを総本山とする派。



>私も検証本の「ダ・ヴィンチの暗号を解読する」を読んでるいる途中です。

あ、、、解説見ると私の読んだ「ダヴィンチ コードの『真実』」と同じような内容ですね。


>このダ・ヴィンチの暗号系の本を読んでいると、本当に文氏(統一教会の教祖)の
>前にイエスが現れたのか?

んーー 彼がどうして宗派を設立したのかは知りませんが、多くの宗派の教祖は、神が現れたと信じて、自分の解釈が正しいって信じて、自分なりのキリスト教を設立するんだと思います。

日本にもいくつかキリスト教関連の宗派を作っている人たちがいあますが、それぞれの設立者達はキリストと会ったとか言ってますから。
みんな解釈が違う。
毎回イエスは言うこと違うんでしょうか・・・。


なんでしたっけ?えっと、、、脳の中の幽霊って本があるんですが、側頭葉人格とかいうのがあって、その部分を刺激すると、神と遭遇したような体験になるのだとか。
アルファー波だったかベータだったか忘れましたが、それが異常に高くなるらしい。
脳内物質の異常により起こるんだと思います。
そうなった人に「本当に神がいるとおもいますか?」って聞くと あきれ返った顔で「あなた・・・他に何があるっていうんですか」(そんなわかりきった事を聞くなんてアホじゃない)って答えるそうです。
その人にとっては神と出合った実体験だとしか思えないので。
つんつんって磁器器具で的確な部分を外から刺激すれば、誰でも神と遭遇したとしか思えない体験ができるんでしょうね。


昔の人は磁器とか器具を使ってトリップしていなかったと思うけど、麻薬を使っていたふしがある。
麻薬だとは知らずに食べて、麻薬が切れた後も神と遭遇したと、信じたのかもね。
なんせ、麻薬ですから、通常の思考 感覚を超越した状態になるので。

私の知り合いが、遊びから白い粉を外国でやっちゃいました。
見事にトリップした。
その後、そのトリップした時の異常体験を現実に起こったことだと信じていたんです。
記憶がそうなってしまったから。
「ありえない」っていくら言っても、「そうだろうけど、でも神が現れテレビから話しかけてきて、テレビから出てきたんだよ。」って・・・。
「あのね・・・」って言っても無駄でした。


リンク先の本の内容、解説で読みましたが、私が読んだ ダビンチコードの「真実」にも同じような内容も書いてありました。
ダビンチは反キリスト教だったって説が書いてあり、彼は反キリスト教の人の弾圧が吹き荒れる中、こっそり知りえた事を絵画に託したって説。
世界で一番お金持ちはビル・ゲイツってなってますが、本当の世界一はバチカンなんだとか。
絵画に値段がつけられないから、番付に乗らないだけ。
その絵画がダビンチのイタズラだったとしたら、えっらいこっちゃになります。
何億という絵画が、コミック風刺がになっちゃいます。


とまあ、本題から外れちゃってすいません。


アダムとイヴが一番最初の人間だって説。
大洪水があって、ノア一家以外水死したってことになっている。
全人類の祖先はノア。
私らアジア人はその中のセム族。
へーーーー 地球人はみんなユダヤ人なんだ~。

でもね、ダビンチコードの真実に書いてありましたが、最初は今より宗派がものすごく多かったらしいです。
多様だったそうです。
それで軍隊を味方につけた団体が他の解釈をする団体を「異端」として弾圧していったらしい。
力で正統派となった団体がこれが正しい解釈だって押し付けたみたい。
そりゃあ 恐ろしい世界だったそうです。
裸の王様状態。
すばらしいって言わなければ拷問され殺された時代ですから。


で、弾圧された宗派の書物は焼き捨てられたはずだったんですが、実はこっそり隠してあって、2000年後くらいにポコっと出てきちゃった。
それで今もめているらしい。
そもそも最初の創世記の今の解釈が正しいのか から見直す作業が始まったところだって。


といっても、神の真意が書いてあるわけじゃなくて、人間の作った「これが絶対」って非のうちどころのない理論を完成させるだけであって、それがイコール神の真意とはならないんだけどね。
例えば、タイムマシンは理論上はできるけど、現実不可能でしょ?
机上の理論でしょ?
人間は生きている。 肉体を持っている。
その肉体をおざなりにして、死後の世界とか霊魂とか それはそうなったとき 真実を見てまだ感知する能力があれば永遠なんだから考えればいいんだと思うのよね。
まずは 今。この限界という肉体を持った今をどう生きるかだと思うのよ。

アダムが最初だとか、イヴはアダムのゆがんだあばら骨からできたから、女は歪んでいて、男が完璧だったのに、騙して堕落させた張本人っていっくら言ったところで、「おっさん あんたの女によろめくのは 女のせいじゃなくて あんたの性欲のせいです! あんたは健全な肉体を持っています。だから女に欲情するんです。 ただし 女のせいにしたがるその精神がいびつなんです!」って創世記読むたび ムカムカ腹立つのは私だけでしょうか。笑

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魔女の鉄鎚はホントにあったらしく、正統派と言われる宗派の二人の修道士が作ったらしいです。
「女の髪を全部そぎ落とし はだかにして後ろ向きににして魔女裁判にかけ、一気に殺さず 地獄の苦しみを与えるように」って。
時には逆さ刷りにもしたらしいです。
そして苦しみから思わず「わたしは魔女です」って言わせた後 処刑したらしい。
ようやくゲロしたか しぶとい魔女めって。

15世紀頃私生まれていたら、キリスト教に拷問の末 殺されていたでしょう。
拷問の際 思いっきり毒ずくでしょう。
どうせ殺されるのだから。
「おっさん あんたがイン○なのは私のせいじゃないし、男色家なのは私のせいじゃないし、あんたの愛する男が女に恋したのは私のせいじゃありません おっさん 目をさませ わたしは男色家 容認していますから~」って叫ぶでしょう。

です。

こんな宗派がまとめたのが現代広く流通している聖書です。
いびつですよね。
創世記の解釈のところからしていびつですよね。
曲がった姿勢でどうやって真理を見れるのでしょう。
ってことで、そもそもこの聖書は。。。ってことからやり直しですよね。
どうしてそういう聖書になったのか から。
どうして統一教会がそういう解釈に至ったのか からみなおすと 結構わかるかも。
何かあったからそうなったんだと思いますよ。
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たぶん今まで通して考えることのできることは


それぞれのクリスチャンと同じ様にに考えている人も
いますが最終的に違うことはメシヤが誰なのか?
ここが違いますね。イエスが救い主であるなら
もう世界に平和が訪れているはず。来ていないのは
失敗したからだと、統一教会で教わった事があります救い主がイエスです.
なぜ救われないのか?本当の意味で「信じていないから」だと思います。
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下部というのは象徴で一番大切な場所、本来の信仰ならそこを見せなくてはならない。

あくまでもたとえであり、創世記を真実だと考える必要もないし、そこから私たちは堕落したということも考える必要もないでしょう。なぜなら救いはイエスを信じることにあります。創世記を信じて福音書を否定しているのはちょっと疑問ですね
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またまたすいません ^o^;



誤解があるかもしれないので言いますと、わたしは
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handl …
は読んでいません。

私が↓で書いた「ダヴィンチ コードの『真実』」は
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4812419 …
です。
こっちを読んだ上で書きました。
表紙 似ているし、タイトルも類似していますが、別物です。


えっとーー、これは フィクション小説 あるいは推理小説の<ダ・ヴィンチ・コード>について、いろんな学識者からの意見を取り入れ、場面場面が正確かどうかが書かれているのです。
あくまでフィクション小説ですが、現在事実とされているものを作品にそのまま取り入れているのか、作者の推理なのか って事を、宗教学者やその他博識者にインタビューして検証している本です。

ただ単なる検証本ではなく、キリスト教のなりたちや聖書のなりたちにもちょっち触れています。
又、秘密結社などにも触れています。
人類はこの世をどうしたがっているのかも、なんとなく読めてくる。
つまり人間とはかくあるものだってのが、なんとなく読める。

へーーボタン いっぱい押せる書物です。
難解な聖書をこういう見方すれば、「だからか」って聖書の編集者の意図が読めてくる。
つまり神ではなく 人間がこの世をどうしたいのか読めてくる。

恐ろしいが、これが人間というものか ってなり、目を逸らしたくなるような歴史に目を逸らさず勇気を奮い立たせ、人間の悲しい性を見つめるきっかけになる本ですよ。

この回答への補足

私も検証本の「ダ・ヴィンチの暗号を解読する」↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4537252 …

を読んでるいる途中です。このダ・ヴィンチの暗号系の本を読んでいると、本当に文氏(統一教会の教祖)の前にイエスが現れたのか?とか思ったりします。

補足日時:2005/06/19 15:30
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