日本人は、なぜ、花見をするのでしょうか?
桜の花の下でなぜ、酒を飲み、ご馳走を食べるので
しょうか?かつて梅の花の花見が主流であったといわれますが、なぜ桜に代わったのでしょうか?
その始まりと歴史と出典があれば教えてください。

A 回答 (2件)

 一般庶民の花見と貴族のそれとは、起源が違います。


一般庶民にとっては、花見などする余裕はありませんでした。もともと、関西地方には、祓(はら)いとして、3月3日の節句または、次の4日には、家の中にいてはならないとする宗教上の理由から、水辺や山野に出たのが起源で、今でも、山遊びとして、シガ(4日)の悪日とか春篭りなどという名前で残っている地方もあります。
 貴族にとって花見はは平安時代初期から貴人の遊びとしても知られ,鎌倉時代以後は武家の間でも流行した。豊臣秀吉の醍醐や吉野山の花見は華美をきわめ、江戸時代の元禄時代以降は庶民にも花見の風習が広がりました。宮廷では,花見は節日となり,「花の宴」と呼ばれた。「日本後紀」弘仁3年(812)2月12日の条に神泉苑で花を見て、文人に詩を作らせたという記載があります。

参考URL:http://www.taisei.ac.jp/tghs/clubs/shigakuy5.html
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この回答へのお礼

ありがとうございました
関西のの宗教上慣わしについては、興味深いものがります
ね。参考ページの中に記述されている
桜に関する歴史のなかで一つの大きな事件は、紫宸殿(南殿)の南庭に植えられていた梅と橘の木のうち梅が、仁明天皇の承和年間桜に植え替えられたことでしょう。梅という植物は、前述したことに対してこれらのことは、桜が我国固有の花であり土俗の花であったことと、美意識の変化が示されており。つまり後者は唐風一辺倒の時代の終焉を意味すると思われます。
こういった、ところにも、梅と桜の変化がでているのは、面白いです。

お礼日時:-0001/11/30 00:00

古代の中国の詩に花が読まれていることが多かったことから、平安時代に貴族が桜や梅の下で詩を読んだのが花見の起源と考えられていますネ。

万葉集では梅の花の歌が桜よりはるかに多かったのですが、古今和歌集の頃には桜を詠んだ詩の方が多くなっています。当時の平安貴族の好みが移っていったということでしょうネ。
また、当時の庶民は桜の咲き方で、その年の天候や作柄を占うために、花の時期に桜の下で評議をしたようで、それが一般庶民の花見の起源といえるかもしれません。
占いの結果がよければ、酒を飲んで喜び、結果が悪ければ、酒を飲んで厄払いをしたと想像できます。当時は酒と味噌だけというのが貴族クラスでも当たり前のメニューであったようですが‥
桜の木は山岳信仰と共に各地に広がっていきました。吉野熊野国定公園は一面の桜で有名ですが、これも修験者や信者が1本ずつ植えていった結果です。
そして、江戸時代には広い範囲で桜が植わっている状況となり、武士達は桜のパッと咲いてパッと散る清い姿に自分達武士を重ね合わせたことで、急速に桜が花見の中心となったようです。
庶民の楽しみのための花見は元禄年間に入ってからですので、すでに桜の下に集まるというのが、最も自然だったのでしょうネ。
出典は、万葉集・古今和歌集他の歌集、江戸時代の倹約令の記録などですが、かなり以前に読んだものの記憶から掘り起こしたので、具体的に、この本やサイトを推薦するということはできません。悪しからず。
以上Kawakawaでした。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。私も、出典が、記憶の中にあったのですが、なかなか思い出せずに居ました。
ただ、桜の花に花見が移ったのは、その時代の気候の加減もあったように記憶があるのですが、いかがなもんでしょうか?室町あたりから、気候が寒くなって、3月初めころの花見が、3月末から四月初めに代わり、梅から桜の花見に変わったような気がしますが、いかがでしょうか。現在のソメイヨシノは江戸時代からでしょうから、(1本の木から全国へ枝分け)
吉野は、本来、彼岸桜がメインで、あとの時代、ソメイヨシノが増えたような気がしますが、いかがでしょうか・

お礼日時:-0001/11/30 00:00

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