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水の上日記の古語の訳が知りたいです。お願いします。

~「水の上日記」(明治28.5.1) ~
「浪六のもとへも何となくふみいひやり置しに絶で音つれもなし 誰もたれも、いひがひなき人々かな。三十金五十金のはしたなるにそれすらをしみて出し難しとや。さらは明らかに、とゝのへがたしといひたるぞよき。ゑせ男を作りて髭かき反ぜなど、あはれ見にくしや。引きうけたる事とゝのへぬは、たのみたる身のとがならず。我が心はいさゝ川の底すめるが如しいさゝかのよとみなくいさゝかの私なくまかれる道をゆかんとにはあらず まかれるは人々の心也 我れはいたづらに人を計りて永耀の遊びを求むるにもあらず。一枚の衣、一わんの食、甘きをねがはず、美しきをこのまず。慈母にむくひ、愛妹をやしなはん為に、唯いさゝかの助けをこふのみ。(略)たのまれて後いたづらに過すはそもたれの罪とかおぼす。我れに罪なければ天地恐ろしからず」

A 回答 (4件)

浪六の所へ何となく手紙を送っておいたけれども、全く音信がない。

誰も彼も、しようがない人々であるなあ。30金50金の端金であるというのに、それすらを惜しんで出しがたいとは。かえってはっきりと、「ご用意出来ません」と言う方が良い。偽男を作って髭を書きはぜなど(ちょっと分かりません、すいません)、なんとまあ醜いことだろう。引き受けたことを用意しないというのは、お願いした方が悪いのではない。私の心は五十鈴川(だと思います)の底が澄んでいるようなもので、全く澱まず全く私心無く、出て行こうと言う道を行くというわけではない(ここも微妙)。出て行く(離れていく、の意か?)のは(他の)人々の心である。私は軽い気持ちで他人を謀って、気ままな遊びを求めているわけではない。たった一枚の服、一杯の食べ物(くらいを求めているわけであって)、(その食べ物に)甘さを願うわけでもなく、(服を求めるに)美しさを好むわけでもない。優しき母の恩に報い、愛する妹を養おうとする為に、ただ少しばかりの助けをお願いするばかりだ。(略)頼まれてその後、適当に時を稼ぐのはそもそも誰の罪とお考えか。私には罪は無いので、(私自身は)天地(つまり仏神の前に立って)すら恐ろしくはない。

・・・こんなところでしょうか。読みづらいようでしたら申し訳ありません。また辞書を手に正確な訳を目指したわけではありませんので、途中やや分からないところなどがありますが、ご容赦願います。
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この回答へのお礼

こんな面倒なお願いに答えていただける方がいたことに感謝するばかりです。ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/23 04:37

(補足)



見返していた時に思いつきました。
「ゑせ男を作りて髭かき反ぜ」の部分は、おそらく「偽物のくせに男らしいふりをして、髭を反っくり返らせて」の様な意味だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。ここは古語辞典で調べても微妙だった部分ですが、多分そのような事でいいんですよね?私としても安心しました!

お礼日時:2005/10/23 04:40

No.1,No.2回答を前提に,部分的に補足のようなことを付け加えます。



・「いさゝ」は,小さい,いささか の意味だと思います(わが庭のいさゝ群竹・・・という文を思い出します)。
「まかれる」は,曲がれる だろうと思います。

ですからここは
わたしの心は,小川の底が澄んでいるようなものである。僅かのよどみもなく,いささかの私心もない。(わたしの心は)曲がった道を行こうとするのではなく,曲がっているのはひとびとの心である。
と読みました。
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この回答へのお礼

NO1の方が川の名称?をだしてくださいましたが、いささの部分は小川でいいのだと私も認識しております。ありがとうございます。

お礼日時:2005/10/23 04:42

 たびたびお邪魔して申し訳ありません。



 「いさゝ川」ですが、一葉には和歌の素養があることから、伊勢神宮を流れる清流として歌枕になっている「五十鈴川」を想起させつつ、「いささか」を導く序詞の様にして用いている言葉かと判断いたしました。

 しかしちょっとネット検索してみたところ、「いささ川」は「とても小さな川」という意味で普通に用いられる言葉なのですね。序詞的に「いささか」を導き出す言葉ではあると思いますが、「五十鈴川」はちょっと的はずれだったかな、と反省しております。

 
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