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 東京都知事の石原氏は「今の子供は我慢が足りない。子供の頃から忍耐の練習をさせないからだ」とおっしゃっていますが、圧迫された教育ばかりだともちろんグレたりする人も出てくるわけですよね。

 いったい、どういう教育がベストなんでしょうか?。

A 回答 (11件中1~10件)

何事も目的を明確にすることが大事ですが、「教育」の目的とは何だろうと考えた時、


○子供が成人した後、社会の中で自分で糧を得て生活できるようになる事。
○できれば子供自身が自分のしたい事を早く見つけて、それでもって糧を得られるようになる事。
○子供達が、子供時代や青春時代を含めて70年程度の短い人生を当人達が幸せだったと思えるようになるための、最初の助走が出来る限り良い形となる事。
そして、子供達がこれらができるようになる為に大人達ができるサポート、それが教育。と私は考えてみました。

そうした時、上記の目的を達成する手段としての「教育」のベストな形は何だろうか、と考えてみました。

我慢できる子供が幸せになるのだろうか。。会社の面接には役に立ちそうだ。厳しい教育。。それは上記の目的達成にとってどんな役に立つのだろう。社会のルールの厳しさを体験できる意味では役に立ちそうだ。グレたり不登校するのは上記の目的達成にとってマイナスなのだろうか。。確かにちょっと何か大変そうだ。
時に、大人達から見て、余りにも危なっかしくて、余りにも奔放で、情けなく見えても。。本当はどうなのだろうか。

私の教育のベストな形は、
社会のルールを学び、仕組みを理解し、どうやったら成人した後に自立できるようになるのか。それを学ぶ準備・練習段階となる事だと思います。成人する前に許される失敗を多少経験して、危険な所にも足を突っ込んでみて、訓練していく。時には、忍耐の訓練も必要でしょうし、時には忍耐から解放されたらどうなるかを知る機会があっても良いでしょうし、厳しくされる事も必要でしょうし、無条件の愛情に満たされる事も必要でしょうし、効率よく進める知識の吸収も必要でしょうし、非効率に進めたら逆に得られる物を知るのも必要でしょうし、時には人に迷惑をかけ、迷惑をかけられる経験も必要でしょうし。。画一的でない多様な訓練経験が必要なのではないかと思います。
そして、沢山の事を見聞きし、経験して、
自分の人生をこれからどう使って生きたいか、自分の幸せはどこにありそうなのか、どんな事で糧を得て、生きていきたいか。
できれば、それを成人するまでに漠然とでも見つけられて、それなりの助走と第一歩が踏み出せれば、多分ベストなのではないでしょうか。
形は子供一人一人様々でしょうし、行き先も様々でしょう。中には変なのも出てくるでしょう。
でも、人を傷つけたりせずに、人と人の間で、糧を得て生活ができ、当人が幸せだったと思えれば、それで良いのではないでしょうか。
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 石原知事の教育政策では、明るく優しい、そして批判精神をもつ人間が成長してゆきません。

おそらく、彼の教育論は自分の子育て(といっても奥さん任せでしょう)の経験律からのものでしょう。子供は、1人1人違います。その違いを認めて子育てや教育をすべきです。そのために親や教師は、知識や思想を持つことが大切でしょう。
 ちなみに、石原氏は都知事選に立候補したとき、それまでの教育政策を批判し、今の教育には徳育が必要だと、記者会見で述べました。記者が「具体的にはどのような教育ですか」と質問すると、「ワシントンの桜の話だ」といいました。でも、ワシントンの桜の話は、伝記作家のフィクションなんです。彼の教養の浅さが良く表れた事例です。
 
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オペラント条件付け

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こども は みんな同じでしょうか?



何をやっても それにあてはまれない 人がいるのは当然でしょう。

また、ご質問の中に「よい」とありますが 絶対によいもの は 無いと考えます。
価値観がはいってしまってます。

教育は 人 そのものの部分が大きく(特に義務教育課程)それを ひと括りで 片付けようとすることに無理があります。

確かに 集合教育では 効率なども含めて 手法が必要ですが、それは 家庭などでの きめ細かな対応が前提と考えます。

いかがでしょうか?
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#1の方がおっしゃるように「ケースバイケース」だと思います。



教育理論では「賞罰」に対する子どもの反応を4通りで上げていますよね。
(1)「誉める」に大きく反応し「罰す」にも大きく反応するタイプ
(2)「誉める」に大きく反応し「罰す」には反応しないタイプ
(3)「誉める」に反応が少なく「罰す」には大きく反応するタイプ
(4)「誉める」に反応が少なく「罰す」にも反応しないタイプ

と言う風に一概に「こうしたらみんながこうなる!」なんて言うのは「全体主義」の幻想だと思いますが。

また、不登校児もそれぞれ事情があるので数だけで判断するのは避けたいですね。
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 「自分の限界を知り,より強い自分を作り出す」意味では,厳しい教育が必要かも知れません。

ただ,勉強一辺倒ではなくて,それを苦手な者には他の道もあるんだと言うことを知らしめ,そちらを選ばせる必要もあると思います。
 目標とするレベルは常に高く,そして選択肢は豊富に・・というのが出来ればいいのでしょうが,これは教育機関の問題と言うより社会の問題です。一つの教育機関で「豊富な選択肢」をさせたくても,経費的都合による人員削減は避けられない課題だと思いますから。
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メールを書いている間に4人の方が回答してくださって今更書く必要もないとも感じるのですが。

。。

どういう教育がいいのかはNO.1の方がご回答してくださっているように、子供の性格によって変わると私も感じます。
80年代の受験戦争は自殺者まで沢山出す程でしたので、皆反省して現在の「ほめる」教育に至っているわけですが、ほめられて育つ子もいるし、叱られて育つ子もいます。また子供1人考えてもどんどん変わっていきますので、そのときどきでどうすると伸びる子供なのかよく見極めて変える必要があると感じています。

私が感じるのは、「ほめる」以外の教育方法、例えば「叱る」「比較する」「競争する」などを極端に否定しすぎるのはどうかということです。
天狗になっている子は叱られて「反省」することを覚えますし、「比較」されると我慢することを覚えます。「競争」すると「がんばることの楽しさ、達成感」も覚えるでしょうし、敗者になったときの「悔しさ」「いたわりの心」も覚えるでしょう。ですから小出しにしてほしいのです。今の教育はそれらを極端に敬遠しすぎていると感じます。それをしないから、現代の若者は職場に入って初めて叱られて落ち込んだり、比較されてプライドをめちゃめちゃにされたりしているのではないでしょうか?(もちろんこれ一言で片付けられないことは大前提です。)

今の子は大切に育てられすぎているとも感じます。「子供の目線にたって」と言われてかなり経ちますが、私はそれも度合いの問題だと感じます。いつも子供の目線に立ってばかりいるから親と自分は同じレベルにいると勘違いしている子供が多い気がします。学校の教材にしても、子供達が混乱しないようにという配慮で楽に学習できるようになっていますが、何か大きな問題にぶつかったときに対処する経験を学ばないでしまいます。そうするとちょっと難しい問題にぶつかるとわかんな~いと放りだしてしまって、糸口を見つけようという努力もしないのです。
むずかしいですよね。。。。
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養老猛司さんがよく対談等で、子供に田舎留学させるという事をおっしゃってて、自分もそれはいいと思いました。


自分で何でもやらないといけないような環境に一時的に子供を放り出すことです。
とにかく知識に加えて、いろいろな経験を積む機会を与える事が重要だと思います。

しかし結局、ゆとり教育はなんだったんでしょうね。
文科省がある限り学校教育は良くはならないような気がしてなりません。
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難しいご質問ですが、賛否両論あるのではないでしょうか。

要するに、どんな育て方や教育をしても、社会というか世の中も変わって行きます。大人になった時に、どんな世の中になっていても生きていければ、どんな教育でも育て方でもいいのではないでしょうか。

誉めて育てるという意見を主張する方がいますが、世の中に出て「生存競争」になった時点で、だれが誉めてくれるのだろうと思います。時には、誉めることも必要ですが、誉めて「勉強する」「努力する」というのは本末転倒のように私は考えます。

日本国内だけの競争なのか、諸外国との競争まで考えて教育するのかによって異なるかと思います。諸外国には、飢餓状態の子供が一杯います。話が外れるので止めます。
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石原氏が忍耐が足りないと言うのは、子供の頃から何でもある環境で育つからだと思います。


『苦労と言う経験から学習する事が必要だ』と言いたかったのだと思います。
良すぎる環境で育つと逆境に陥った時の踏ん張りが利かないんでしょう。

どういう教育がベストなのか?それは教育者のスタンスにもよって変わってくるのでなんとも言えませんが、自分的には『良い見本(人も含む)』&『経験』の蓄積が一番良いと考えております。
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