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学習指導要領において「技術とものづくり」「情報とコンピュータ」の二つの点で、ものづくり教育を行う場合、どのような点において重要になってくるのでしょうか?ものづくりとは人づくりといわれるように、ものに何かの付加価値をつけて「工夫」することが重要であると考えます。その点を考えて、どのような点において技術教育を行なっていけばよいのでしょうか?

A 回答 (2件)

これは私が思うことなので、文部科学省の意味するところと多少違うかもしれません。


まず、他の解答者の意見に「工夫を加える」ということが上げられていますが、私は「工夫する」ための基本に「自分で作ってみる」という膨大な経験が必要だと思っています。「工夫する力」はそのものを教えられたり、教えたりするものではなく、経験の中で獲得されていくものだということです。
物にあふれた日本で、できているものを買ってきて使うという生活の中からは、「工夫する力」は生まれてこないと思うのです。ですから、キットを組み立てることが始まりでも良いとおもいます。部品を組み合わせて物ができているということすら経験を通して理解はされていないのです。そして、どのような部品があると、どういう構造ができるのかということを経験し、次に部品を集めたり、材料から作り出してみる経験をしながら、「工夫する素地」ができていくものだと思います。簡単に言えば、あまりに頭でっかちになってきた教育にもう少し、手を動かして作ってみるという経験を教育の中でやらないと、「工夫できる人材は育たない」ということじゃないかと思います。
「100円でプラスチック製のちりとりが買えるのだから、学校でブリキ板を曲げてハンダで止めてぶかっこうなちりとりを高い金をかけて作らせなくたって良いではないか」では「工夫できる人材」は育たないということです。
技術立国の日本だからと言って、先端の技術だけを手っ取り早く教えて、「その先の工夫」を考えさせようとしても無理だということに気がついたということではないでしょうか。違うかなあ?
社会の仕組みとしては簡単に何でも手に入るようになってしまっているのだけど、学校の中だけはもう少し物を作らせて、ものを作る苦労やできたものを大切にする気持ちや完成させる喜びを体験をとおして理解させる機会があって良いのではないでしょうか。学校の中だからこそ、一見無駄に見える経験に時間もお金もかけて良いように思います。ぶかっこうでも自分が作ったものに愛着が持てない人間に苦労もせずに買ってきた物を大切に出きるのでしょう。使えるものを捨てたり、買い替えたり、使い捨ての横行のままで良いのでしょうか。「ものを作ってみる教育」で物に対する意識や工夫の素地を育てよう!では、だめですか。そういうところに「ゆとり」をもちたいなあ。昔に戻ってしまうみたいだけれど、技術家庭科、図工、美術、理科、総合学習、生活科でもっと積極的に「ものを作ってみる教育」がされた方が良いような・・・・。
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「人が使ってくれる物を創造する」ということと、「物


の付加価値を減らさ工夫」ってのはどうでしょう?

私の経験で恐縮ですが....。
現在の経済界・製造業という範疇で見ても、より原初的
な「人が使う物全般」を見ても、現代では「良い品物を
開発・販売しても、それがデメリットを内包している
ならば、いつかはそれが顕在化して、商品の存在価値を
無くしてしまうだけでなく、それを開発した人間の
不幸にも繋がる」と思うんですね。

例えば、画期的な飲料水容器を作っても、環境への深刻
な影響を内包していたら駄目ですよね?
また、画期的な低価格住宅を開発しても、例えば高齢者
への配慮やシックハウスへの考慮が無ければ、住人の
幸せ(快適)という本来の目的から外れてしまう...。

中学(と、勝手に拝察していますが)でしたら、深く
突っ込む必要は少ないだろうと思うんですが、「一つの
付加価値をストレートに負うのではなく、それを満足さ
せつつ、デメリットを出さない姿勢でのものづくりが
大切」という姿勢を身につけることは、ものづくりの
初期段階で学んで置いた方が良いのかな?っと、技術
系統で生きて痛感します。

 ※:例えば、物としては「使いやすいちり取り」で
   も良いでしょう。 素材を工夫して軽く仕上げ
   るとか、加工の面では取っ手の形状を工夫して
   高齢者でも使いやすくするとか、角を丸めて子
   供のお手伝いでも安心とか、再生しやすい素材
   を考えてみるとか....。
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