これが怖いの自分だけ?というものありますか?

この真相について、ご存知の方、教えて下さい。
参照: http://shupla.w-jp.net/datas/Nanking.html

どこで、誰に対して言ったのでしょう? 出典はどこになるのでしょうか。
よろしくお願い致します。

A 回答 (9件)

再度No.4です。



「この発言が真実かどうかを知りたいのです」との事ですので、ネットで色々検索していたら面白い事実に気づいたので、ご参考までにお知らせしておきます。興亜観音のHPにある会報バックナンバーを見ると、蒋介石の発言に関して2つのバージョンがあるのがわかります。一つは、質問にあるHPが引用しているもの(15号)、もう一つは10号(平成11年10月18日号)です。(既にお気づきであれば、無視してください。)これに気づいたのは、偶々、その二つを併記して引用しているブログを見つけたからです。比べやすいので、ご参照下さい。↓
http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/07c55f5c57b95d …

両方とも蒋介石は「(松井石根に)申し訳ない事をした」と言った事になっていますが、大きく違うのは、何応欽の『軍事報告書』や、松井大将が冤罪だったという部分は、10号では(田中が考える)事実として、15号では、蒋介石自身の発言として、書かれているという所です。これから推測できる可能性としては、
1.蒋介石は実際に「松井石根には申し訳ない事をした。南京大虐殺はなかった。何応欽軍司令官の軍事報告書を見ればわかる。」と言ったが、10号ではそれを蒋介石の発言としてではなく、(少なくとも田中の主観としては)『事実』として書いた。
2.蒋介石がいったのは、「申し訳ない」だけで、15号のそれ以外の部分は田中の『脚色』

私は、この2つの中では、2の方が妥当に思えます。(勿論、蒋介石が言った事は全く別のもので、『申し訳なかった』ですら脚色、という可能性は別にして、です。)元々、「何応欽の軍事報告書に南京大虐殺の記載が無い。よって、南京大虐殺は無かった」というのは田中正明自身の説です。その説自体の当否はここでは無視して、後に田中正明が「大虐殺は無かった」説の根拠に使う事になるものと同一の書類を、1966年の時点で蒋介石があげるのは、あまりに出来すぎています。例えば、「ここにいる何応欽もよく知っている」でもいいし、なにせ自分が指導者だったのですから、「自分が資料の捏造を指示した」でもなんでもよかったはずです。

そういう「おそろしい偶然」以外にありうるのは、蒋介石に言われて、田中正明がその資料を調べる気になった、というパターンです。しかし、蒋介石のこのような発言が田中正明が「軍事報告書」を調べるきっかけになったのなら、田中にとってそれは強力な「宣伝文句」になる、と私には思えます。(実際、質問者の方が質問にあるWEBに注目されたのも、蒋介石が根拠をあげて、はっきりと「南京大虐殺が無かった」と言っている事からだと推測します。)
しかし、田中正明自身は、自分の主張と蒋介石の発言をつなげるような主張はしていません。例えば、↓では、資料を貸してくれた中国問題の評論家(客家とかを研究し、風水学のビデオまで出している大学教授の事か??)の発言を出して、自説を補強しようとしていますが、どう考えても、「蒋介石が、これを見ればわかると言った」の方が迫力があるでしょう。田中正明が軍事報告書を見た時点(ほぼ間違いなく1966年以降)では、田中は蒋介石が「何応欽の軍事報告書を見ればわかる」と言ったとは知らなかった、と考えるのが自然でしょう。(つまり、『脚色』)
http://www.history.gr.jp/~nanking/reason10.html

まぁ、所詮推測に過ぎませんが、前々回「何を信じるか」と書いたのは、歴史において、矛盾した資料が仮に見つかった場合、他の資料と合わせて、合理的な説明が可能な方法を選ぶしかない、という意味です。歴史は、「理科の実験」ではないので、「100%確実に、どちらが正しいか」というのは、突き詰めると『不可能』です。言い方はよくないですが、それぞれ個人が「何が一番合理的な説明か」を考え、その個人の説明が、他人にとっても合理的に聞こえる場合、それが定説になり、「無理な仮定を重ねての結論」に聞こえれば、誰も見向きもしない、そういう事だと思っています。この場合、田中正明と一緒に蒋介石にあった人の証言が入手できれば、状況は変わるのでしょうが、(私が)入手可能な資料からすれば、これが一番合理的な説明に思えます。

尚、蒋介石が単に「申し訳ない事をした」と言っただけならば、「東京裁判の際に、連合国側の首脳としてスケープゴートにしてしまった」という意味に解釈すれば、他の資料、特にアジア主義者だった松井と国民党との心理的な親密感を考えると、とりたてて矛盾も無いので、積極的に否定する必要はないと思います。しかし、それが「南京大虐殺がなかった」という議論に結びつかないのは言うまでもありません。

しかし、田中正明のこういう所(「過去の事実」で、新たな発見などありようもないのに、一見内容が似ていて、実は意味がまるっきり違う説明をしてしまうところ)からも、あまり近づかない方がいい評論家に思えます。せっかく、蒋介石と会って直接話を聞いたのに、これでは資料としては使えません。
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この回答へのお礼

わざわざ有難う御座います。
http://www.history.gr.jp/~koa_kan_non/15-2.html
http://www.history.gr.jp/~koa_kan_non/10-2.html
確かに微妙に異なります。意見と事実とが入り混じっていて、大変読み辛いですね。資料として価値がないと言われるのも理解します。

>前々回「何を信じるか」と書いたのは、...(略)...という意味です。
わかります。同意します。先の発言は、「情報だけ提示して、実際のところは意見誘導を行っておきながら『資料を出しただけだから何ら意図はない』と嘯く朝日新聞流」であると誤解したからです。失礼致しました。

尚、私は情報元が市ヶ谷台一号館にあると思っていました。(まだ行った事はないです)
追々、少しづつ確認するつもりです。

有難う御座います。

お礼日時:2007/01/26 19:23

 死体は何十人かしかあがってこなかったってききましたよ。

それに南京大虐殺などといっておけば日本への怒りを通してナショナリズムが高まり共産党支持にも中国統一にも楽になると考えて言い出したのでしょう。結局日本は負けてしまったのでなにもいえなかったし。
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この回答へのお礼

有難う御座います。
参考にさせていただきます。

尚、今回の質問内容は、大虐殺があったかどうかではなく、
この発言が真実かどうかを知りたいのです。

お礼日時:2007/01/23 06:43

再度No.4です。

細かい話ですが、松井石根の教誨師への発言の引用が不適切な部分で切れていて、何故「みなが笑った」のか、意味不明になっていたので、以下の通り訂正します。

慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。その時は朝香宮もおられ、柳川中将も方面軍司令官だったが。折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまった、と。ところが、このことのあとで、みなが笑った。甚だしいのは、或る師団長の如きは「当り前ですよ」とさえいった。
従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている」

ところで、No.4の回答をどう読み取って欲しいのかわからないとの事でしたので、もう少し補足説明をしておきます。

田中正明が、松井石根の陣中日記を改竄したのは、この問題の論争史ではかなり有名な話です。彼が「すごい」のは、他の研究者もアクセスできる史料を数百箇所も改竄したものを出版した、という事です。当然のようにバレました。(「松井石根大将『陣中日記』改竄の怪」板倉由明(「歴史と人物」昭和60年冬の号に詳しい)
田中自身は、「言い逃れになるかも知れないが、体調などの悪条件が重なりミスしたもので、決して虐殺は虚構だという自分の主張に合わせて加筆や削除したのではない」と言っていますが、例えば、全く日記の原文にない松井大将と外国人記者との会談の内容を、自分で捏造して、その自分の捏造を根拠に、「松井大将が『南京虐殺』に関する質問を受けたという様子が全く見られない点、注目すべき」と書いてしまうような人で、これを「ミス」と考えるのは到底不可能です。都合の悪い部分を除いて引用する、というのなら、他の研究者にも無い訳ではないですが、自分で作文してしまったのは、さすがに珍しい例でしょう。(因みに、改竄を発見した板倉由明は、「南京小虐殺派」とも言うべき研究者で、少なくともサヨクと思っている人はまずいません。)また、田中正明の『自慢』は、松井石根と個人的な親交があったという事で、かねがね「松井石根を尊敬している」と言っていましたから、尚更、世間を呆れさせました。

だから、田中正明は、まともな研究の世界では、相手にされていない存在です。これは右とか左とかの立場の問題ではなく、かなり有名な話です。(ご存知であれば、すみません。)

ただ、個人的な考えとして、私は、全く矛盾した史料がある場合、一応複数の史料を見て、それぞれの史料の性格(例えば、一般論としては日記は、自己正当化の余地が、後世のものよりは少ない為、史料価値が高い、など)を考え、どちらがその時の状況からして正しいと判断できるのか、考えるべきだと思っていますから、判断の根拠と思われるものを出しました。手抜きをするなら、「元ネタは田中正明だから、自動的に無視」というやり方もあるかも知れません。

蒋介石が田中正明に何を言ったのか(はたまた、何も言わなかったのか)というのは、確認する事が困難ですが、入手可能な蒋介石自身、あるいは松井石根自身の発言からして、田中正明が蒋介石から聞いたと主張している事は、いわゆる南京大虐殺があったかなかったかの論争には、全く無関係と考えるべき、というのが私の考えです。

実際何らかの発言があったとしても、少なくとも「相当歪んだ形で伝えられている」と考えるのが妥当だと思うので、無視するのが時間の節約にはなると私は思いますが、質問者の方がどう考えられるかも、『裏』をとられるのも、どちらも、勿論ご自由です。
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この回答へのお礼

何か誤解があったようです。先ほどは失礼いたしました。
田中正明氏と板倉由明氏の話は興味深いです。

お礼日時:2007/01/22 20:01

田中正明氏がネタ元であるとは私も思いますが、本当にそうなのかは3番さんがご指摘のように怪しいとも思います。



しかしながら松井大将が孫文→蒋介石ラインを支援していたのは事実ですから、何らかの(日中戦争以前の時点の行為に対して)恩義的、というよりは借りみたいなものを感じていたかもしれませんので、1960年の時点で同情的なことを言ったという可能性はゼロではないでしょう。
http://www.geocities.com/TheTropics/Paradise/878 …

まぁそれよりも2番さんご指摘の反共思想の方が動機付けとしては納得がいきます。もしそうなら1960年の時点でならその趣旨の発言をした可能性は非常に高いとも思いますし。ただその場合、あくまでも政治的イデオロギーがプンプンにあるものですから、所謂南京事件への反証として価値があるものとは思えません。
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この回答へのお礼

有難う御座います。
参考になります。

お礼日時:2007/01/22 19:57

こんにちは。


質問者様ご指摘のサイトは拝見したところ個人運営のようであり、サイトの主が果たしてどこまで自分の力で調査研究をしたのか甚だ眉唾といわざるを得ません。
単にググったり、他人のサイトからコピペしたり、ここで質問したりするだけでは信憑性のある結果は得られませんよ。

かくいう私も例の発言は初見です。おそらくサイトの最下部にある資料か、あるいは東京裁判の裁判記録を閲覧すれば見つかるのではないかと思います。
ただし、では日本軍は無辜の中国人民を一人も殺さず戦争したのか?と問われれば、答えはNOです。
今の中国政府(&煽動されている一部人民)の不当な言い掛かりは取り合う必要性を認めませんが、かと言って全く反省しなくていい、とは決していえません。その点誤解なきように願います。
重要なのは日本と中国が共に胸襟を開き、同じ目線で会話のできる関係構築だと思います。

それから日本は民主主義である以上、資料の判断・感想は個人の裁量が尊重されています。「資料は資料。判断は各自で」というのは当然ですよ。南京大虐殺否定論が抹殺される中国や日治時代の効果を認めない韓国などとは全く水準が違うし、わが国が誇れる部分でもあります。
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この回答へのお礼

有難う御座います。
参考にさせていただきます。

最後の箇所は、何か誤解されているようです。
No4さんは「何を信じるか」と言いました。胡散臭いですよ。
「判断」なんてNo4さんは言ってませんよ。

「誇れる部分」というのは同意します。

戦争ですから、ゲリラ掃討作戦で間違いも起こったでしょう。
民間人を誤って一人殺しても犯罪にはなりません。戦争ですから。
戦争をしただけで反省、というのはおかしい考えです。

お礼日時:2007/01/22 19:50

一番最初に本に載ったのがどれかは知りませんが、蒋介石のそういう発言を聞いたと言っているのは、評論家(松井石根の元秘書)の田中正明です。


参考URLに入れたアドレスの、「会報バックナンバー」→「第15号」→東京裁判とは何か、七烈士五十三回忌に当たって」の記事をご覧下さい。それ以外の本に載っているものも、すべて田中正明が聞いた(という事になっている)話のコピペです。

因みに、サンケイ新聞著「蒋介石秘録12 日中全面戦争」によれば、蒋介石の1938年1月22日付の日記に『日本軍は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている。野獣にも似たこの暴行は、もとより彼ら自身の滅亡を早めるものである。それにしても同胞の痛苦はその極に達しているのだ』と書いている事になっています。

もうひとつ言えば、田中正明は、松井石根の陣中日記を改竄した事で有名な人です。っていうか、そもそも松井石根自体が、処刑直前に教戒師に、
「南京事件ではお恥しい限りです」
「折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまった、と。ところが、このことのあとで、みなが笑った。甚だしいのは、或る師団長の如きは『当り前ですよ』とさえいった。従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている」
と語っています。(花山信勝「平和の発見」改訂新版・百華苑・1985年)
さて、何を信じるかは、ご自身でご判断下さい。

参考URL:http://www.history.gr.jp/~koa_kan_non/
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この回答へのお礼

田中正明氏の引用とのこと、有難うございます。
こちらでも裏を取ってみたいと思います。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2007/01/21 23:19

この手の議論は繰り返されていますが、常識論で行きましょう。


 当時の日本軍に、何万人も虐殺する能力があったか?
 なし
  どう調べても、当時の日本軍に、よく言われるように、何万人も、無抵抗の人間を並べて射撃するだけの機関銃や弾薬はありません。
参照アドレスは出展不明ですが、同様の文献は多数発表されています。
また、「南京大虐殺は、作り話であった」という情報は、台湾等からも漏れ聞こえてきます。
更に、「抗日戦争資料館」なるものの展示内容がマスコミをにぎわせていますが、その内容たるやあたかも「通州事件」そのものであり、日本人のメンタリティと言うよりも、中国人のメンタリティによるものであることは明々白々です。
中国の歴史書を見ればわかります。原書に近いものほど、残虐性が剥き出しです。
日本の平家物語等の軍記物といわれるものと史記等とを読み比べてみましょう。
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この回答へのお礼

有難う御座います。
南京大虐殺否定論の概要は知っています。

今回は、あの発言の裏が欲しいのです。

お礼日時:2007/01/21 23:13

この話、事実としたら興味深いですね。

私も出典を知りたいです。
一応、可能性としては
「南京陥落の際に中国軍に多数の犠牲が出、かつ『捕虜処分』が日本軍によって行われたのは、中国軍の作戦指導の悪さが主因である。「大虐殺」として松井大将を処刑するべき性質のものではない」
という趣旨でしょうか?

一応、「南京大虐殺」が裁かれた東京国際軍事法廷には中華民国が参加しており、中華民国が「資料」や「証拠」を提出して松井大将などが死刑になったわけですから、中華民国のトップである蒋介石が南京事件を否定するというのは矛盾した話ではあります。

なお、「南京大虐殺」は、実際に日本軍と戦った中華民国より、後で国民等との内戦に勝って中国の支配者になった中国共産党の方がはるかに声高に主張し、どんどん中国側犠牲者の数を増やし、中国各地に莫大な費用をかけて、史実とはかけ離れていると言われる「日本軍蛮行記念館」を建てて若い世代の反日感情を煽っている、という「事実」はありますが。
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この回答へのお礼

有難う御座います。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2007/01/21 23:12

日本人であれば自責の意味を踏まえて,この件をとり挙げるのは”タブー”の事と思いますが。

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この回答へのお礼

60年前に帰って下さい。

お礼日時:2007/01/21 20:54

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