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現在、東京に住んでまして、来年早々にも実家のある京都に引っ越そうと考えています。そこで家を探しているのですが、山科区に「御陵血洗町」というところに、よさそうな家がありました。ですが、「血洗町」の響きが気になって仕方がありません。ネットで調べると、どうやら源義経の伝説に由来しているということは分かりましたが、それ以外の情報についてはわかりませんでした。
そこで、この「御陵血洗町」の街の雰囲気がどのようなものか教えてください。(静かでいいところですよとか、まわりに何もないとか、騒がしいとか。)

A 回答 (2件)

参考になるかどうかわかりませんが、近隣の利便性を計るなら、『住所パワー』


http://www.ichiten.com/

過去の地名由来を調べるなら『角川日本地名大辞典』

あなたが、『えっ?』と思ったら他の知らない人も『??』と思うのでは?
大阪のある市にある刑部というところも、昔は死刑場があったとか。。
気にしない人にはどうでもいいんでしょうね。
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血洗町の由来は、その近くにある学校のグラウンドの脇に血洗池という場所が御座います。

その池から名前がつけられました。

血洗池の由来は、義経が奥州平泉へ立つ時、平家の武将が馬に乗り通りかかった時、水溜りの水が着物にかかり、それに怒りを覚えた義経が平家の武者を斬り殺した。とされています。
そのグラウンドの中には義経の腰掛岩があり、その直ぐ脇に血洗池が今でも残っています。
そして、グラウンドの近くには彼らを祀った石仏が四体並んでいます。
また、街道沿いには大日如来が二体あり、以前大規模な山崩れがあった時に、流されたものです。(本来は九体あり、九体仏と呼ばれていました。
そこまでが、一般的に言われている言い伝えです。

事実とは異なります。
事実は、義経が奥州へ立つ時に、監視を任ぜられていた平家の武者が、義経にまかれてしまった為、責任を取らされ首をはねられました。
九体仏は、彼らを祀ったものです。(魂が今も封印されています)四体の内、左側から三体が当時のもの。残りの一体は関係の無いものです。リンクページの一番左も違います。(他にもう一体あります)残りは地中に埋没しています。
(義経本人が回答しました。スポンサーブログをご確認下さい。)

参考URL:http://homepage1.nifty.com/heiankyo/heike/heike2 …
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