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旧日本海軍の特に機動部隊の対空砲火について教えてください。

よく旧海軍機動部隊の対空砲火の威力というか弾幕密度が、アメリカのそれより貧弱で「米雷撃機が日本軍の凄まじいまでの対空弾幕に阻まれ・・・」という事は寡聞にして聞き(読み)ません。
しかし、太平洋戦争開戦頃ならまだしも、ミッドウエー海戦以降であれば日本軍も対空兵装を強化して、「これ以上はもう搭載するスキマが無い。」という位、全艦針鼠のような状態ではなかったのでしょうか?
それともアメリカは門数は1艦隊当たり日本と同等でも、単位時間内での発射弾数などが多いので密度が違うのでしょうか?
でも、それほど日本とアメリカで単位時間発射弾数が違うとも思えませんが。

ずっと気になっていたので質問させていただきました。
ご存知の方、よろしくお願いします。

A 回答 (16件中1~10件)

米軍の場合、長距離5in砲(VT信管付き)、中距離40mm機関砲、近距離20mm機関砲と揃っていました。


特にVT信管は効果が高かったです。

日本の場合、13mm、25mm機銃が主体でしたので、中距離以遠では効果的な武器がありません。
(長10cm高角砲はあっても、信管が時限式)

また門数においても、発射速度においても米軍の方に軍配が上がります。
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この回答へのお礼

なるほど機銃は(スペースの許す限り)積めばよいでしょうが、中距離以遠に有効でなかったのですね。
早速のご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/14 15:38

使用できる弾薬の量に圧倒的な差がありました


砲はあっても撃つ弾が無い(使い切ってしまえば、補給の保証が無い)状態でした
米軍の様に気前良く撃ちまくるわけには行かないのです
(有名な格言 百発百中の砲1門は 百発一中の砲百門に匹敵する )
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この回答へのお礼

補給(が期待出来ない)という概念があったのですね。
早速のご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/14 15:39

基本的に物量の差ではないでしょうか。


日本も後期様々な艦船の対空兵装を強化したり換装したりしました。
秋月型などの防空艦も作りました。
しかし機銃や砲の門数はアメリカのそれと比較すると少ないです。
例えばアトランタ級等の防空艦と比較すると歴然かと思います。
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この回答へのお礼

(スペース的に)機銃を載せられるだけ載せれば、門数は日米同じ位になるのかな?と思ったのですが、現実では門数にも差があったのですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/14 15:55

 アメリカの巡洋艦とかの砲(38口径5インチ砲)は、対艦、対空の両用砲ですから、日本のように対艦用の砲と高角砲を別々に搭載するより、砲数面で有利です。


 
 また、アメリカの場合、システム的に対空防御を行っています。

 (1)レーダーで日本軍機を遠方で発見(レーダーピケット艦を配置する場合も)
       ↓
 (2)迎撃戦闘機を日本軍機までちゃんと誘導する
       ↓
 (3)直援の戦闘機が、日本軍機を有効な射点に着かせない様に妨害し、防空火力が集中している箇所に誘導
       ↓
 (4)防御弾幕はNo1さんが仰るとおり、遠~近まで隙間無く配置され、艦隊規模で弾幕の隙間が出来ないように考慮されていました。(一方向に集中する場合も)

 レーダーや無線等のシステムも含めて、アメリカが勝っていたからこその結果だと思います。

 まあ、ある程度の護衛機を伴った数十機以上の日本機がアメリカ艦隊に到達してしまうと、(3)が出来なくなって、結果(4)が不十分になって、アメリカの空母と言えども撃沈の憂き目に…。
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この回答へのお礼

レーダーや無線等のシステムトータルで勝っていたので、対空砲火も有効的に活用出来た。という事ですね。
箇条書きで詳しく回答いただき、ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/14 16:07

日本海軍の艦艇は、ほとんど対空改装をうけていますから、


大艦巨砲主義の悪癖で、艦対艦の戦いを想定して設計されていたということは否めないでしょうし、
船の設計自体も古いものが多いわけですが、日米をわけた
最大の違いはレーダーの性能にあるといえるでしょう。
対空砲火にしても、なんにしても、迎撃するには敵の存在を
いち早く察知することが不可欠ですが、
日本軍のレーダー技術は連合軍のそれに比べて著しく劣ったのです。

皮肉な話、レーダーの性能を一躍高めた八木アンテナを発明したのは日本人でしたが
日本軍はその潜在的な将来性を理解できず、その恩恵にあずかれませんでした。
戦後高度経済成長の後だと、当時の日本がさまざまな分野で技術的に劣ったということを
実感できないかもしれませんが、発想や精神にいたるまで、底辺の部分での遅れが
新技術や新しい方策を探ることを阻んだように思います。
特に軍に関しては、”欧米並み”という考えが、染み付いていて、
官僚的体質とあいまって、装備をことごとく二流品にしてしましいました。
”並”を目指す段階で、一歩遅れるのは当然です。

さて、対空戦闘に関しては、源田とかが、機動艦隊にボックスフォーメーションを
組ませて、対空効率をあげようと努力はしていたのですが、
やはりレーダーで早く敵機を確認して、迎撃体制を整え、空母など主力艦に
近づく前に叩くようでないと成功は望めないわけで、実際、ミッドウェーであれです。

また日本海軍の場合は、重油の供給不足という問題もあったので、
あまり多数の艦艇を同時に動かすことができませんでしたし、
給油も問題で、機動艦隊についていけるような高速タンカーの数が少なく
行動が制限されます。
大艦隊だと、停泊地にも困るわけで、内地はいいですが、他の場所だと
港に入るのも苦労し、さまざまな障害がうまれます。
対空護衛艦を機動艦隊に増やすのは、確かに理想ですが、
日本海軍の場合、数に制約があったのは事実でしょう。
対して、アメリカ軍の場合、真珠湾後しばらくは艦の数が非常に少なかったわけですが、
その後、累乗的に増えていって、護衛艦が二桁はざらで、下手すると三桁の大台にのるような大艦隊が集結するようになりますから、
その大艦隊が、レーダー搭載の駆逐艦を周囲に配置して、
事前に遥かかなたからレーダーで敵機を確認してから、迎撃体制で迎え撃つわけですから
その火力集中たるやすごいものになるわけです。
近接信管がさらに加わって、米艦隊の火力は圧倒的なレベルに達します。
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この回答へのお礼

確かに護衛艦艇の数が違うでしょうね。たとえ個艦に積む機銃は同数であったとしても、艦艇の数が多ければ門数も増え弾幕も厚くなると言う事ですね。
レーダー含む基礎工業力や軍人・官僚の体質も遠因という事ですね。
長文詳細な回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/14 17:03

一番大きい差なのは、艦隊までの航空隊到達数の差です。



大雑把に言えば、
100門の対空火器で敵機100機を狙い打つのと
100門の対空火器で敵機10機を狙い打つ。
どちらが一機あたりに向けることのできる対空砲火が多くなるでしょうか?
つまり、日本の場合は艦隊に到達できる攻撃隊の数が少ないから一機あたりに向けることのできる弾幕密度が多くなる。
だから「アメリカの対空砲火は凄まじい」と搭乗員は思うんです。

確かにVT信管は時限信管より効果は高いですし、ボフォースの40mm機銃の威力は日本の対空兵装に比べ高いことは事実です。
投射量もアメリカの方が高いですし、防空システムもアメリカの方が上です。
ですが、そんなことはこの質問に関するならどうでもいいことと言えるでしょう。
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この回答へのお礼

なるほど攻撃隊の機数が多いほど、弾幕が分散されるという事ですね。
盲点でした。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/14 20:41

質問者様ご指摘の通り


「日本軍の飛行機が現れると、米軍艦船から一斉に対空砲火が放たれ、空が暗くなった」
といった描写を良く見ます。

それに対して日本軍の対空砲火は遥かに密度が薄く、効果が少なかったようです。レイテ沖海戦で武蔵が落伍・沈没するに至った時のシブヤン海の栗田艦隊の対空戦、あるいは小沢艦隊の対空戦
※ 日本側にかなりの艦艇があり、組織的な対空戦闘が可能だった最後の機会
でも、米軍攻撃機の損失は思いのほか少なかったようです。

戦艦大和が沈んだ菊水作戦では、米軍飛行機の損失は僅か10機程度に留まりました。日本の艦艇が少なく、大和以外は「オマケ」程度の対空砲火しかなかったとはいえ、日米であまりに落差が激しいといえます。

この理由としては下記が考えられます。

1. 米軍の高角砲(高射砲)は、日本機が近くに来たら自動的に炸裂し、発射から一定時間後に自動的に炸裂するVT信管を使用しており、日本軍の高角砲とは威力に大差がありました。

時限信管しか持たない日本軍の高角砲は
「敵の前方で炸裂させて恐怖感を与える」
「有効弾を与えればラッキー」
程度です。対空砲火の主力は、25ミリ機銃でした。

2. 高角砲というのは、高初速で弾丸を打ち出すので砲身命数(砲身の寿命)が多くありません。詳しいデータが手元にありませんが、200発程度を撃てば交換しなければならなかったはずです。
対空戦闘で、弾薬の供給や発射速度に問題がなかったとしても、上空を暗くするほどの弾幕を張るほど高角砲を撃ちまくれば、すぐに砲身命数が尽きて交換が必要になります。ところが、12.7センチや10センチの高角砲の砲身は、日本の工業力では簡単に量産できる代物ではありませんでした。
10センチ以上の大砲は、陸軍であれば「野戦重砲」です。日本陸軍は、10センチ以上の口径の重砲を「月に数門」製造する能力しか持っていませんでした。
日本海軍の高角砲の交換用砲身製造能力はもう少しましだったとは思いますが(詳細は分かりません)、軍鑑や輸送船に交換用の12.7センチ、10センチ砲身を豊富にストックし、戦闘終了後に迅速に交換したという話は全く聞きません。
高角砲の低い有効性(脅しくらいにしかならない)、弾薬供給のことから考えても「砲身の命数を考えてセーブして発砲していた」と思われます。

3. 日本海軍の主力対空砲火である25ミリ機銃は、米軍によると「日本陸海軍の対空火器の中で一番脅威であった」そうです。
しかし、有効射程が大きくありません。「敵の雷撃機への水平射撃で、有効弾を与えうるのは3000メートル以内」だったそうです。これは、海の上ではそんなに長い距離ではありません。
この有効射程は、上から来る爆撃機を迎撃する場合は、より短くなります。撃った弾丸が地球の引力で減速しますから。
また、25ミリ機銃は兵員を防御する防楯すらない、剥き出しの状態で装備されています。いくら
「日本軍も対空兵装を強化して、「これ以上はもう搭載するスキマが無い。」という位、全艦針鼠のような状態」
であっても、激しい戦闘が始まると、機銃を操作する兵、あるいは機銃そのものが急激に減って行きます。
* 敵飛行機の投下した爆弾や魚雷による被害。爆弾を至近弾で回避したとしても、爆弾が水面で炸裂すると断片が機銃員を殺傷し、機銃を吹き飛ばしたそうです。菊水作戦で大和は左舷に集中的に攻撃を受けて沈没しましたが、左舷の機銃員や高角砲員で生還した者はほぼ皆無と聞いています。
* 爆撃や雷撃を行った米軍飛行機は、主に機銃員を機銃掃射します。日本軍の戦闘機がなければ、米軍の爆撃機や雷撃機に同伴してきた戦闘機は、軍鑑の上を飛び回って機銃掃射を執拗に行い、兵員は10人単位で倒れて行きます。レイテ沖海戦、菊水作戦に参加して生還した人の手記、あるいはしばらく前の映画「男たちの大和」を見れば分かりますが、対空戦闘が一段落した後の日本軍鑑の艦上には、機銃員の死体が至る所に散乱し、血が滝のように流れている惨状でした。
* レイテ沖海戦の武蔵ですが、主砲射撃指揮装置が早期に破壊され、「各主砲は随時三式弾で対空射撃せよ」という状態になりました。その結果、機銃に兵員が取り付いている状態で、何の警告もせずに主砲が突然三式弾を発砲し、機銃や兵員が次々に吹っ飛ぶ惨状になったそうです。武蔵の対空機銃指揮官で生還した人が激しい怒りと共に書き残しています。18インチ砲の爆風は、兵員どころか機銃それ自体を吹き飛ばすくらいの破壊力を持っていました。

整理しますと
「日本海軍の高角砲は有効な対空火器ではなかった。一方、米軍の高角砲は、VT信管・実質無制限の弾薬と交換砲身のおかげで、日本軍の飛行機の大半を撃墜する極めて有効な火器であった」
「日本海軍の対空火力の主力である25ミリ機銃は、威力はそれなりにあったが、敵機の接近を防ぐことが出来ない。接近した敵機の爆弾や魚雷が命中し、至近弾の被害を受け、米軍機の機銃掃射を受けて兵員が死傷すると威力が急速に衰えた」
となるでしょうか。

「日本軍機の接近を許さなかった米軍高角砲」

「ほとんど実効性のなかった日本軍高角砲」
のギャップがキーと思われます。
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この回答へのお礼

25mm機銃はそれなりに効果があったようですが射程が短いようですので、”恐るべし”という程ではなかったのでしょうね。
砲身寿命も200発と、以外と少ないのですね。
「男たちの大和」見ました。敵第一波の攻撃では全砲門で応戦出来ても、第二・第三波になると機銃員の方の消耗もあり対空砲火の威力が下がるという事ですね。
詳細なご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/14 20:55

日本軍の悪い所は、口径は大きいが威力が劣る点です。



97式戦車の57ミリ砲は貫徹力が低く、(18.5口径)
長砲身化せず、47ミリ(47~48口径)(2説あり)に換装します。
18.5口径はあまりに馬鹿げています。

赤城に関しては初期、
20センチ対水上砲10門
対空砲は、12.7センチ連装高角速射砲(45口径)6基(12門)
しか保有していません。

改装後、
20センチ対水上砲を4基削減。
25ミリ連装機銃14基(28門)を増設します。

45口径では、初速に問題があり、未来位置に時限信管を動作させ、撃墜させる方式では無理があったようです。

問題は、#6様のご指摘通りで、12.7センチから、いきなり25ミリ機関銃になった事です。

1センチ1キロ射程としても、3000mの射程では、雷撃機はその外から魚雷を投下してしまいます。

12.7センチ/7インチ/40ミリ/25ミリ
の段階的な掃除が出来ません。

また、駆逐艦の搭載する多くは、12.7センチ45口径砲で、対空射撃では満足が得られませんでした。
(史実で、複葉機の偵察機に当たらず逃げられた。)
12.7センチ、50口径砲搭載駆逐艦でも、高速化する敵機には難儀していたそうです。

高速化する機体には、60口径以上が不可欠であったようです。
秋月の10センチ65口径砲では、初速が高く、命中率が格段に向上したようです。
ここでも、威力を増す為に口径を落とすと言う方式です。
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この回答へのお礼

門数はそろっていたとしても、性能的に満足出来ないシロモノだったのですね。
”12.7センチから、いきなり25ミリ機関銃・・・”と中間的な砲が無く、これも基礎工業力などが影響しているのでしょうね。
秋月型・・・大量建造されていたら・・と期待してしまいます。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/14 21:00

まず対空砲の射程の問題があります。


雷撃機は高度2~3000メートルで接近し敵艦を発見し次第に高度を下げ高度を海面上10メートル前後までさげないと魚雷を投下できません。  これは海面での衝撃で魚雷の破壊や爆発を避けるためです。

この距離ないし接近中に早期に射撃して雷撃機を撃墜するには日本軍の対空機銃は射程が不足でした。
雷撃機は約2000メートルまで目標に接近すると魚雷を投下し離脱するものです。

従ってこれを撃退するには目標艦より距離2000メートルの海上に護衛艦を配置する必要があります。
日本軍は護衛艦が少数でしたから有効な弾幕を張ることは困難でした。

アメリカ海軍の輪形陣はこの点強力な防御体形でした。
射程の長い対空砲は射撃も種々の理由で制限があったことは他のご回答に示されています。

急降下爆撃機の場合は高度3000メートルくらいから急角度で降下しますから加速度もあり爆弾投下高度まで急速に接近します。
この間の対空射撃は対空砲が有効ですが発射弾数が少なく適当な距離での爆発を設定する事は困難です。
日本軍の対空射撃の有効射程を知っておればその圏外で爆弾を投下して離脱できます。

戦艦や空母は大型ですから至近弾でも損害を与えることが可能です。
これを迎え撃つ機銃座は暴露状態ですから死傷者が続出し対空能力が低下せざるをえません。

アメリカ軍のVT信管、40ミリ機関砲、20ミリ機関砲の組み合わせは極めて有効な弾幕射撃が可能でした。
しかも攻撃地点に近い場所に配置されていましたから雷撃、爆撃、特攻攻撃も困難ないし犠牲者を生むだけでした。
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この回答へのお礼

やはり対空機銃は射程が不足やレーダー性能など、ここでも基礎工業力などが影響しており、単に門数だけ揃えれば良い・・という訳ではないのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/14 21:29

対空砲火の威力については既に大勢の方が指摘されておられますので、弾幕について述べますと、少なくとも昭和19年以降の日本海軍艦艇の弾幕はかなり激しいもので、米艦載機乗員からは「弾幕の上に乗って歩く事が出来る」などと評価されています。


また命中精度も決して悪くはなく、日本海軍もレーダー照準を実用化しているに違いない、とする声が戦時中にあります。
このように米海軍の評価では日本海軍も激しい弾幕を張る事が可能で、命中精度も悪くなかったのですが、結局のところ威力不足が大きく響いたと思われます。
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この回答へのお礼

戦争も終盤になるとパイロットや状況によっては”激しい弾幕”という印象を与えていたのですね。
初めてこのうようなコメントを教授いただき、なんだか嬉しく?なりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/14 21:35

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