プロが教えるわが家の防犯対策術!

ランドマークタワーにのぼってふと思いました。戦国時代って敵を発見したら狼煙をあげたりして合図してましたよね。それに見張り塔みたいなのもあったと思います。ただそんなに大きくないと想像されます。例えば地上100mくらいの見張り塔を建てれば敵を発見しやすくなると思います。土台をしっかりつくれば100mくらいの塔を木造でできるような気がするんですが、間違いでしょうか?戦国時代じゃなくても江戸時代でも、そのような塔を作ったらいいのではないかなーと思ってしまいましたが、いかがでしょうか?

A 回答 (6件)

木がないというのが、根本的な原因ではないでしょうか。


木造の高層建築物としては、伝承として、出雲大社が最高。
上古においては、96メートルあったと言われています。
その後だんだんと低くなって、現在24メートル。

鎌倉時代に東大寺を再建した重源上人は方々探し回り、ついに現在の山口県で大木を発見し、それで東大寺を再建したそうです。
それほど、巨木が無くなっていた。
ところで、東大寺の最高地点が45メートル(大仏殿が最初に創られたときで、重源上人再建時はそれより低くなっています)

木を組み合わせるとなると 東寺の54.4メートルが最高。
自重に耐えながら組み合わせで木造建築を創るにはこの辺が限度なのではないでしょうか。
コスト効率として、本丸に高層物を立てることと、近辺の小山に低層の物見を造り連絡網を創ることを考えるという、経済合理性が城郭という防衛施設には働いたと考えられます。
宗教設備の場合、防衛施設よりもコスト効率は考えないと思われますが、この程度の高さが技術上の限界だったのではないかと思います。
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かなり無理があったようです。



農村では、防風林の中に家があるのが当たり前で、田んぼを林で覆うように作られていたそうです。

現在よりも林が多く、民家がまばらなのです。
見晴らしが悪いように(風が通らないように)林があったらしいんです。

この状態ですと、いかに高く楼を立てても、発見の手柄を立てられるのかが疑問です。

この観点より、
最も重要な地点を見張れる場所に物見台を設ける。
実際には、物見よりも早く、国境の農民が走って急を告げた。
こう言う風に考えています。

褒美をやれば少しは働いてくれるかもしれません。
国境で準備の為おに集結する場合も多いでしょう。

いかに早く知り、いかに迅速に動くかです。
物見の他にも数手、手立てを講じるべきでしょう。(内通など)
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高い塔を建てなくとも、昔のきこりなどに山の上から見張りをさせればそれの方が、敵を察知するのに適したのではないでしょうか。



今でも、京都の北山杉の枝打ちをする人などの身体能力は目を見張るところがあります。
そのような人たちが、山々何箇所でグループで見張りをすれば、すごい防衛になると思いました。

例えば、一人木の上で見張りをし、敵が来たら、下に居る者がのろしを上げるとか色々あると思います。


回答になっていなければすみません。
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最大の問題は、「どうやって地上とコミュニケーションをとるか」ですね。

100mも離れていると大声を出しても聞き取りづらいですね。
あとは階段を作って行ったり来たりですが、2~3回もやればヘトヘトになりそうです。
それにそんなに遠くの敵の詳細が分かってもさほど役に立ちません。なぜなら、当時の武器の射程を考えればわかると思います。鉄砲もせいぜい100m、しかも主力兵器ではありません。弓矢でも数十メートル、あとは槍や刀です。100mの塔の上から攻撃しても、弓矢でさえ「射程外」になります。

ただ、天守閣が実質的な「100mの塔」の代わりといっていいでしょうね。当時は高い建物がないですから、天守閣の上から見下ろせば充分役に立てるほどの視界が得られたのでしょう。
また江戸時代ですが、いわゆる振袖火事で江戸城の天守閣は消失し再建されることはありませんでした。理由は簡単で「攻めてくる敵がいないから」です。江戸時代には実質的に軍隊はありませんでした。一応、武士は全員軍人ということになっていますが、彼らが生涯のうちに軍事訓練をすることはほとんどありませんでした。きちんと調べていないのでいいかげんな記憶ですが、島原の乱が終わってから高島秋帆が西洋式軍事訓練をするまで軍事訓練が行われることはなかったと思います。
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こんにちは。


天守閣はそういう目的で作られましたし、大急ぎで作った城や小さな城(柵、砦みたいな物)で天守閣の本格的な工事が間に合わない場合は、丸太でやぐらを組んだだけ、ってのもかなり多かったようです。

ただ、壁がある天守閣と違って壁のない材木の組み合わせだけで高い物を作るのは非常に難しい技術で、今でも東京タワーやエッフェル塔のような鉄塔建設は、非常に特殊な技能になります。
東京タワーを作る時も、確か、一箇所、部材の穴あけだか、長さだかがちょっとだけずれていて、タワーにならなくなっちゃうので、工事を中断して部材の修正と再検討をやってます。

戦国時代、木だけで100m級の塔を作るのは、まさにバベルの塔だったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。やはり高層な建物を造るのは相当な技術がいるんですね。

お礼日時:2007/11/24 22:40

造ろうとはしていたのではないでしょうか。


山を利用した山城、平山城もありますし、天守閣もそうですし・・・。
三階櫓もありますし、
でも、なかなか100mの高さの建物は難しかったのでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。確かに山を利用した城山もそうですが、山城ってあまり大きくないじゃないですか。技術的にそれが限界だったかもしれまえんが、山城に100mくらいの高さのモノを作ったり、平野にある城もそのくらいの高さのものを作ったらかなり有利に自分の土地を守れたのではと思いました。

お礼日時:2007/11/24 22:29

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