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カーペンターズの「愛のプレリュード」の一節。

We have only just begun to live.

教科書の訳では「2人の人生は始まったばかり」となっていて、もちろんこれが正しいんだと思いますが、liveを「住む」と訳しても意味が通じるのではないでしょうか?「私たちは今住み始めたところだ」という感じです。
もしそうなら、「住む」と「人生」どうやってどちらの意味か判断するのでしょうか?
一つの単語には色々な意味があって、日本語でも「あめ」を「飴」か「雨」かを判断するのには前後の文章が大切ですよね、それと同じ感覚なのでしょうか?
当方英語に詳しくなく、間違った事を言っていたら訂正願いたいのです。知っていらっしゃる方、よろしくです。

A 回答 (3件)

たとえば



「live + 場所を表す語句」

の形で「ある場所に生息する、ある場所を生活場所とする」から普通は「ある場所に住む」のような訳し方をします。

live の基本的な意味は「生きる、生活する」であり、「住む」というのは「場所」を伴うときそのような訳し方をするということです。ですから

live in the city

のような言い方は「街に住む」より「街で生活している、街を生活場所にしている」の方が通常の語感としては近いように感じます。

一方 inhabit という動詞があります。これは

inhabit the city(他動詞なので in など前置詞は不用)

のように使い、また派生語として inhabitant「住民」がありますが、こちらは「住む」に重点を置いた感じがします。

これらは互いに書き換えることができますが、内容はともかく語感には違いがあります。live はあくまで「生きる、生活する」です。

前置きが長くなりましたが、「場所を表す語句」を伴わずに「住む」のニュアンスを感じることは難しいと思います。これは必ずしも live の直後に必要というわけではなく

This is the place where we used to live.「ここはかつて私たちが住んでいた場所だ」

のように関係詞で隔てられても、place という単語の存在が「住む」という訳を引き出します(もっともこれは日本語で解釈するという手順が入るからであり、母語話者にとって live は live です)。

>一つの単語には色々な意味があって、日本語でも「あめ」を「飴」か「雨」かを判断するのには前後の文章が大切ですよね、それと同じ感覚なのでしょうか?

少し違います。「飴」と「雨」は別の語です。live はあくまで一つであり、基本的語義は一つです。使い方次第で違いが出てくるのです。

場所を伴わずに単独で live が出てくればこの語単独の意味が強く出て「生きる」と多少重い意味がかもし出され、場所を伴えば「場所で生活する」となります。もっとも場合によっては「この街で生きる」というような強い意味で発言することもあるでしょう。それは発言者次第であり、前後から判断するでしょう(ただし根底の意味は変わっていないことに注意してください。同音異義語を前後関係から判断するのとは違います)。


それから日本語でも、「住む」というからには場所を表す語句がどこかにないと不自然ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました^^
とても勉強になりました

お礼日時:2007/12/03 16:46

アメリカに住んで40年目になりました。

 何か私なりにお手伝いできるのではないかと思います。

お二人のご回答の後でちょっと気が引けるのですが、私にとってこのカテで回答し続けてきた理由が一つ浮上していると感じましたのでお二方のご回答に関係なく私個人の考えを述べてみますね。

まず、日本での英語教育方法の一部への批判です。 試験ではとかく単文を持ってきて何とか「正しい」教育をしようとしています。 そしてその結果、作者が何を言おうとするのか、と言う頭の中での、意識的にも無意識的にも、どういう文章を作っていくかが一つの文章だけでは表現できない(ほとんど場合なんですが)と言う根本的理解を学生に植え付けることを無視してしまっているわけです。 

そしてその次の段階、となると、長文、に移行してしまうのです。 言いたいことを全体的に見る、と言う作業をしないために、このカテでも単文を持ってきて、この英文の意味は何ですか?と質問し、この5年間同じ回答を英語が出来る人たちからの回答としてみてきているわけですね。 その回答とは「前後する文脈によって意味合いが変わる」なのですね。

日本語で、「生きることにした」と言う表現をこの文章だけ見たら、何を言っているのか分かりますか? つまり、英訳する前に、何を言おうとしているのかが分からない限り英文には出来ないでしょう。 I decided to live.は一つの可能性のある文章でしょう。 生きると決めた、と言うフィーリングですね。 自殺しようとした人なのかもしれません。

でも、自殺なんて考えていなかった人だってこの表現を使いますね。 いままで、のほほんと生きてきて、何かの拍子で、もっと充実した人生を送ることにした、と決意したのかもしれませんね。 そして、それが宗教的なものかもしれませんしモチベーションの講演を聴いて興奮した後かもしれませんね。 Jesus opened my eyes to follow him.と言う表現の方がいいかもしれませんね。 (After listening to his motivational speech,) (I became more aware of what meaningful life is all about and) I decided to change my life.と言う表現の方がぴったりかもしれませんね。

これが、liveと言う単語を「どう訳す」か、と言うことであり、「訳す前に、度言うことをこの作者は言いたいのか」を知る、と言う事なのです。

そして、その多くが「上の括弧に書いて様に」前後する文章で、生きてみることにした、の意味合いをはっきり感じることが出来るわけですね。 はっきり感じることが出来る英語力を持つことで、作者の言いたいことを今度は日本語で表現できるわけです。 これを「訳す」と言うわけですね。

今回の場合も、その前後する文章、つまり、歌詞、を理解することによって、このliveが住むなのか、生きるなのか、人生を作り出していくのか、人生の一ページを作るのか、新しい生活を始めるか、の意味合いから「前後する歌詞」の流れとマッチする理解の下にこの単語の意味を感じ取らなくてはならないわけです。

これを私は、フィーリングに基づいた英語力、と言い、フィーリングをまず感じることが出来るように英語を習うと英文をもっとよく理解でき、そして、もっと相手にも分かるように英文を作ることが出来るようになるわけですね。 いくら試験文法的説明が出来ても、英文を正しく理解できなく、そして、相手にもそのフィーリングが通じる英文をかけないと言うことになってしまうわけです。 ネイティブが首をかしげる文章を書く文法学者さんの文法書の英文がその言い例ですね。

参考になりましたでしょうか。 理解しにくいところがあったり追加質問がありましたら締め切る前にまた書いてくださいね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました^^
たいへんおもしろく読みました
参考にさせていただきます!

お礼日時:2007/12/03 16:53

>liveを「住む」と訳しても意味が通じるのではないでしょうか?



#1さんにはもちろん賛成ですし、そもそもカーペンターズの『愛のプレリュード』の一節「We've only just begun to live.」を「住む」と訳すことはできません。なぜならば、この直後に「White lace and promises/A kiss for luck and we're on our way.」と続くからです。

つまり、これを「住む」と訳すと「私たちは今住み始めたところだ。白いレースや約束。幸運を祈ってキスをしたら出発」となってしまいます。住み始めたところなのに出発する。変です。

ただし、「人生は始まったばかり」というのも若干の意訳で、厳密に言うと「私たちは生き始めたばかり」です。これを「私たちは“暮らし”始めたばかり」とも捉えられると私は思います。そして「暮らし」は「住む」と「生きる」を兼ねていると感じています。新婚さんの歌ですね。

>一つの単語には色々な意味があって、日本語でも「あめ」を「飴」か「雨」かを判断するのには前後の文章が大切ですよね、それと同じ感覚なのでしょうか?

それを言うなら、どちらかというと日本語の「生きる」と同じ感覚なのではないでしょうか。「あのイントロがあるから曲が生きる」の「生きる」と「今日をせいいっぱい生きる」の「生きる」は、同じ単語ですが意味が少しずつ違いますよね。そして、その違いは文脈や文法で判断できますね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました^^
「生きる」の例え、とてもわかりやすかったです!

お礼日時:2007/12/03 16:48

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