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私は、学生のころに合気道をしておりました。
夫は、現在、空手の練習をしています。

私の合気道は、ほんの少し、遊び程度のものです。
夫は実践的で、街で危ない目に会った時に使ったこともあるらしいです。

夫は、私に、
「武道は実際に使えなければ意味がない。
そんな遊びみたいなことではなく、いざというときに相手の顔をめがけて手を伸ばすような練習をしておいた方がよほど良い。」
と言います。

私は、人と闘うことなど考えた事もなく、いざという時に人と闘う訓練などしたくもありません。
大体、合気道は試合もなく、闘うことを前提としていません。
夫は、
「武道をするのに、闘うつもりはないなど、まやかしものだ。
意味のないことだ。」
というのですが、果たして、武道をなさっている方は、この点についてどのようにお考えなのでしょうか。

A 回答 (14件中1~10件)

空手道・合気道・護身術を指導しているものです。


わたしは、これを生業としています。
朝は金土日以外は、近くの里山で自己修練し、午後からは昼ねをしたあと、道場にて毎日指導をしています。

わたしが、この道に入ったのは、かれこれ20年前です。
強くなりたい(これはケンかに負けない)という単純な理由でした。
当初は、まだまだ若く・・私も不純な理由で・・・そうでした。
☆「武道は実際に使えなければ意味がない。
そんな遊びみたいなことではなく、いざというときに相手の顔をめがけて手を伸ばすような練習をしておいた方がよほど良い。」☆

のような考えを私ももっていました。この意見は一理ありますが、すべてではありません。といいますのも、武道修行は何歳になっても武の道
(武術のみならず人としての道を含む)を極め続ける旅だからです。
ちなみに、私が今の実力で理解している(捉えている)「武道」とは、人間の社会生活において、責任を持てる自分を確立する道だと。とらえて日々生きています。
 自分に自信をもてる己を創ることが、武道の修行かと。
たとえは゛、「町で因縁をつけられても、謝れる自分がいる。」とかです。自信があれば、謝ったとしても、どおってことはありません。
わざわざ危険や荷物をしょいこむ必要はありません。
ただ、護身として使うという状況も一生に何度かはあります。
それが人によってはゼロもあり、好戦的な方では、頻繁にあります。
私の弟子のなかにも、おられますが、ケンか大好きという方です。
しかしその人は、弱いものには絶対手をだしませんし、自分からはケンかはしません。町でみつけた行儀の悪い「若者」に説教をしにいったときに、何人かは向かってくるそうで、それでまってましたと、ケンかをするらしいです。
その方は、合気技のこれは使える、これはダメなどと自分なりに分析しています。なるほどと私も感心することもありますが、相手によっては、ナイフや複数の仲間なんかがいるから、極力やめなさい。とは言いますが、これはその方にとって直しがたい「癖」であり、その方にとっては水戸黄門になったつもりなのか、生きがいとなっているため、ほおっておいています。ちなみにその方は65歳をこえていますが、
それはさておきまして、
自分に自信があれば、
会社内や特殊な職場なんかで、自分の正当性や主張をきちんと押し通せたり、主張できる自分がいることも・・・、武道で鍛えた精神力で可能なのです。
武力的につよい、よわい、という事は実は現象的なことであり、内実は、その人の精神が強いか、弱いのか、また両方が混在している中途半端な精神力なのかということでしょう。
☆「武道をするのに、闘うつもりはないなど、まやかしものだ。
意味のないことだ。」☆

わたし個人としては、意味があると思います。私も闘うことはすきではありませんし、闘うつもりなど毛頭ありません。しかし不測の事態、突発的な事件などでは覚悟はいつもしていますが・・。性急に「まやかし」だと結論づけるのは少し短絡的だと思います。
武道って、世界に誇れる、日本文化ですよ。
外国の方にも弟子はいますが、どうして日本には武道文化があるのに、K1やプライド・・・・あれは武道ではないダメよ・・日本にちょっと失望した・・・。などとある方はいっていました。
たぶん日本は、武道の国というイメージ(人によって捉え方はいろいろですが)があるらしく、興行的なことには違和感が外国人にはあるのでしょうか。精神的なことを武道に求めて来日してくる人はたくさんいます。

もう少し付け加えますと、私は表千家茶道の地方講師をもっています。
心の道を究める(磨く)だけなら茶道はとてもいいです。戦国時代の武将も茶の湯をしましたしね。
とりとめのない意見になりましたが、ご参考になりますかどうかお許しを。
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この回答へのお礼

皆様、さまざまなご意見があり、どの方も大変参考になります。
違う内容でございましても、それぞれに一理あり、「なるほど」という点がございますので、同じようなお返事を差し上げております。

皆様のお言葉を有難く、今後の反省材料とさせていただきます。
ご回答ありがとうございます。

先生(ご回答者様)のお茶も、一度、味わってみたいです。

お礼日時:2007/12/22 18:25

全ての武道の根底は人殺しです


剣術は切り殺すのを目的にでき
弓術は射殺すことを目的にでき
柔術は絞め殺すことを目的にでき
なぎなた、空手全て同じです。

そういった、考えを捨てて「術」から
人間形成を目的とした「道」になったというのが私の考えです

相手に勝ちたければ「術」を究め
自分に勝ちたければ「道」を究めればよいのです。
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 こんばんは。


 私は現在、合気道の稽古をしている女性です。
 稽古をしていると言っても、文化センターで行っている為、
同好会に近い感じがありますが…。
 その為か、私の考え方も質問者様に同感するところがあります。

 素人考えで申し訳ないのですが、空手と言うと相手(受け身)が
何のアクションもしないうちに攻撃ができますよね?
 対して合気道は、相手が動いてから反撃をします。
 その為、合気道は一方的な攻撃(動き)は存在しません。
 根底から合気道と空手は違うのですから、同じ土俵で議論しようと
言う旦那様はちょっと強引ではないかと思ってしまいます。
 確かに「万が一」襲われた時には、武道をしていた方がいいのかも
しれませんが、合気道はあくまで『護身術』だと思いますし。

 男性と女性では身体の作りも、考え方もちがいます。
 抜き身の刃を持ち、いつでも臨戦態勢でいて何かあったらすぐ
戦える人より、常に身の回りに注意を払い、無用な戦いを避ける人の
方が、一緒にいて安心できるとおもうんですけどね。
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

合気道の、かなり上達した先生と街を歩いたことがあります。
やさしい雰囲気なのに、いざと言うときは頼りになると思うと、安心感がありますね。

一方、夫は、最初の雰囲気から、戦闘的な雰囲気の歩き方(私が勝手に思い込んでるのですが)にみえてしまいます。

無用な争いは避けたいですね。

お礼日時:2008/01/07 12:38

私も武道家ではないのですが、


私の認識としては「武道」とは最終的には
「誰とも闘わずに物事を解決するためのもの」
と思っております。

格闘技なら決められたルールの中で闘い、
それを見せるためのものですが、
武道は「道」という言葉が入っている事から分かるように、
技術の事だけを指すのではありませんよね?

また、良く言われるのですが、
武道の「武」とは「二つの戈を止める」と書き、
争いをやめさせるためにある技術です。

それらを足した「武道」は
争いを避ける為の技術を勉強する道なのだと考えます。

ご主人がされているのは武道ではありませんね。
その考えが悪いというのではなく、志す道の違いでしょう。
ご主人は恐らく強くなるためが最優先の目的なのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

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お礼日時:2007/12/22 18:27

「戦わずして、勝つ」



武道の極意です。
「心」が強ければ、手など出さなくても「勝ちます」。

ご主人は、「修行が足りないようです。」
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この回答へのお礼

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お礼日時:2007/12/22 18:26

気になりましたので、意見を言わせて下さい。


私も合気道を習っていますが、習う前は確かに旦那さんが言われることを考えていました。
しかし、合気道を習うようになって違うことに気づきました。
合気道の開祖が言った「和を持って制する」意味をどのように考えるかだと思います。
因みにURLをご紹介します。特に試合・競技の導入を読んで下さい。
何を思って稽古をするかは人それぞれですので、旦那さんがいうことも一理ありますが、正解ではないと思います。
また、型稽古のみでは実践性は全くないことも分かっていますので、他の人は実践性を考えた稽古をしています。
要は箸と棒は使いようではないかと思います。
それと、道場の理念になんと書いてありますか?
武道で人を傷つけることを推奨していますか?
昔は生死に関わることが多いため武術,剣術を鍛錬してお金を稼いでいたと思いますが、現代は生死に関わることがありますか?
現代で武道に実践性を求める意味はどこにあるのでしょうか。
何を目的とするのでしょうか?私は合気道を習ってこのことを考え気づきました。
武道は人を傷つけるものではなく自分に大切なものをいざというときに守るものであるため、実践稽古や型稽古で日々稽古して鍛錬をするのではないでしょうか。
それに、武道とは何かは短絡的に決めつけることは出来ずもっと奥深いと私は思っています。
だから答えを見つけるために悩みながら稽古をするんですよね。
それと、合気道は「合気」を求める人が多いので、あまり実践性を考えることができないと思われます。
あくまで私見ですので悪しからず。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E9%81%93
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この回答へのお礼

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ご回答ありがとうございます。

拝見したURLの中の「残心」と言う言葉、私が最後の配慮が足りなかったときに、夫からよく言われる言葉です。

お礼日時:2007/12/22 18:22

格闘家でもなく、武道家でもなく、武術家なんですが、答えていいですか。


合気道は、本来合気柔術で戦場合戦術です。
平和な時代になって、「こんな技術は必要ない」と思った優しい先達が、攻め手を外して、受け手のみで再編纂したものです。
でも、だからと言って「闘わなくていい物」であれば、合気道自体が存在しなくなるんじゃないですか?
先達が合気道に託した想いってなんでしょうか?
武道家って、先達の想いを受け継いで、自分の路に活かしてる人達の事を言うと思ってます。
なので、受け手すら使えない物であれば、実際「遊び」だと思いました。
何か「合気道の表面だけなぞった」様に見えます。
だから、正直「意味の無いもの」と感じました。
確かに闘う必要は無いです。でも、闘える物でなくてはならないとも思います。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2007/12/22 18:19

自分の身を守る術を刀ととらえて下さい。



切れる刀を常に持っていることが重要であり、刀を抜く必要は無いわけです。死ぬまで抜かずに済むのが理想です。

しかし、いざというときにその刀がさびて使えないような手入れの仕方はいただけません。
私だって人と闘うために己を鍛えているのではありません。
精神の修行なら華道、茶道、書道も同じ位にすばらしい価値があります。
身を守る術を学び、その修行の中で自分の精神を鍛えるというのが武道のあり方です。

戦うことが前提でないのはわかります。
現代風にいえば精神面の修行もあるでしょう。
昔の人だって大半の一般市民は争いでなくなってはおりません。
しかしいざという時に自分の身が守れない、大事な人が守れないなら武道の存在価値はありません。
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この回答へのお礼

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ご回答ありがとうございます。

そのとおり、とても理解しやすい表現ですね。

お礼日時:2007/12/22 18:18

武道とはと考えると武を持って信ずる道を創ることだと思ってますので


闘うかどうかは関係ないと思います。

「武道をするのに、闘うつもりはないなど、まやかしものだ。
意味のないことだ。」
⇒人を倒すこと、喧嘩に使うことを考えている時点で武道じゃないです。
護身であれば防犯ベルでもいいですし、そういうところに行かなければいいだけです。

私は剣道をやってましたが大会での勝利以上に精神的な修行、
心の成長をさせてくれることに大きな意義を感じてます。
ちなみに剣道の試合では一本取ったからといってガッツポーズなどをした場合
取り消される場合があります。
これも「心」を大事にしているからです。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2007/12/22 18:16

私は武道をやっているわけではありませんが、現在の武道は闘うためにやるものではないですよね。



ただ、本来の武道は闘う、合気道の場合は護身でしょうが、ともかく相手と組み合うためのものであるので、実践を想定した練習をしていなければ実際には使い物にならないし、レベルも低いままというのは、その通りでしょう。

別に武道でなくても、例えば「英会話を習っているけど、外国人の前に行くと尻込みしてしてしまって一言も話せない」「簿記2級を取ったけど、経理事務の経験がない」「子どものときに10年もピアノを習っていたけど、いまは弾けない」のように、せっかく習い事や勉強をしたのに、実際には何も生かせていないという例は、けっこうあります。それを「無駄なこと」と切り捨てるか、「それなりに得ることはあった」と思うかは、人それぞれでしょう。

あなたの夫さんは、実利的でエネルギッシュな人で、そういう「無駄なこと」にいらいらしてしまうのかもしれません。

もしくは、自分が空手にかなりはまっているので、その気持ちをあなたと共有したいのに、あなたがのってこないのがつまらないということもありえます。

いずれにせよ、本当の問題は「武道はどうあるべき」というところにはないのかもしれません。正面から武道論争をしてぶつかりあうよりも、本当のところはどうなのか、少しずつ話し合って理解を深めていかれたほうがいいと思います。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2007/12/22 18:15

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