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僕は学校の部活の去年最後の練習で調理室でお好み焼きや焼きそばをつくりました、そこで食材等を運び終わった後にいけないなぁ~と思いながら食材をまたいでしました、確かに人や食べ物をまたいではいけないということをよく知っていますし、ちゃんとやったあとには罪悪感が少しだけあります、コレは自然とそうなってしまったことですが、よく考えてみたらなぜ人や食べ物をまたいではいけないような文化が生まれたのでしょうか知っている人がいれば教えてください

A 回答 (4件)

人から教えられたわけでもなく、身についている感覚と言うものは非常に不思議なものです。

でも、その感覚を大切にすることが大事だと思います。
人や物をまたぐ行為にも、本能的な罪悪感があります。これは誰しもが持っているはずで、古くから日本では人が人の股の間をくぐるのは最大の屈辱とされてきました。謝るの際の「土下座」も「私の上をまたがれても構いません」という意味で、最上級の表現なのです。
仮名手本忠臣蔵の中に「神崎与五郎股くぐり」と言う話があります。
 赤穂浪士「神崎与五郎」が、箱根越えをしようとした時に、酒癖の悪い馬子に絡まれ股をくぐると言う話です。武士が町人より格下の身分でしかない人足の股をくぐるのですから切腹しても注ぎ切れない屈辱です。
しかし神埼与五郎は討ち入りと言う大望を持っており、耐え忍びます。後に彼が与五郎であったと知った馬子は、自分を恥て出家します。
中国にも韓信という似た話があります。(出典はこちらか?)

またぐと言う行為は、それが物であっても、相手に対し、尊敬や敬意を完全に消し去る行為だという事を「心」が知っているのだと思います。

ちなみに私の母は、私が赤ん坊の頃、寝ている頭の上の方を通り過ぎた時、祖母から「家を継ぐ長男の頭の方を通るとは何事ですか」とこっぴどく叱られたそうです。
またがなくても、人の頭の方を通る事自体、良くない事なんです。
旅館で寝ている時にトイレに行く際には、足の方を通りましょう。これは大人のマナーです。
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この回答へのお礼

僕も項羽と劉邦の話がすきなので、韓信の股くぐりはしっています。
やはりいろいろと理由があったのですね、理由がわかってほっとしましたありがとうございます

お礼日時:2008/01/03 16:44

大事なものは粗末な扱いをしてはいけません.食べ物には感謝し,人は大事にしなければなりません.そういう躾だと思います.

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この回答へのお礼

僕もそう思います

お礼日時:2008/01/03 16:45

感覚が拒否するから。



「なぜ感覚が拒否するのだろう」と考えても、拒否するんだから仕方が無い。物事にいつも合理性があるとは限らないと思います。
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この回答へのお礼

確かに合理性がないのかもしれませんね、ありがとうがざいました

お礼日時:2008/01/03 16:46

人をまたぐと、またがれた人は出世しないそうだからです。

(迷信?)
フィリピンでは、棺おけをまたぐ習慣があるそうです。
日本では箒をまたぐと難産になるそうです。

食べ物は、口にはいるもので埃をかかると嫌だし、体を作ってくれる大事なものだからかな。

敷居は神様の頭だから踏んではいけないというのもありましたね。

日本は八百万の神の国で、色々なものに神が宿ります。
それが敷居だったり、箒だったり、道具だったり…。

そうやって躾をしようとしたのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

僕もそういうことは全て迷信と思っていますしかし習慣なので守っていきたいと思います

お礼日時:2008/01/03 16:47

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